「鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり」という緑雨さんの言葉を子育てに当てはめると、割とフィットすることに学習塾の保護者会で気づく

 

こんばんは。

 

YouTubeを眺めていたところ、「inliving.」というチャンネルで、国内外から大絶賛された宮崎県高原町のプロモーション動画にも登場していた「りりか」さんという透明感あふれる純朴な女性を見かけ、出会ってから子育てに入る前のうちの妻と表情や声質が似ていることに驚き、「ほら、似てるだろ!? 目の前にいたら、結婚を申し込むだろ!?」と妻本人に感動を伝えたところ、「ああ...骨格が似ているかもね」という謙虚な感想が返ってきて、妻の目にはレントゲン画像のような世界が広がっていることを察したヒノデダッズムの藤山です。

 

デレることがない妻のツンデレは、今でも変わりません。

 

さて、ブログという趣味はとても大変でして、エントリーの更新が止まると、ブロガーの体調不良説だとか、失踪説だとか、時には死亡説まで流れてしまうことがあるそうです。

 

別にアフィリエイトで稼ごうと思っているわけでもなく、書こうと思った時に書くだけの話なんですけれどね。

 

仕事の方は相変わらずの忙しさでして、微力ではありますが自分の力が必要されるのは、とても有難いことだと思うわけです。

 

共働きの子育ては忙しくて大変ですが、最近では妻からの配慮が増えてきたり、子供たちが自分で考えて動くことも増えてきて、何だか前に進めているような。

 

最近、感じたこと、考えたことを3つくらい書きとめようかなと思います。 

 


①  子供たちが通う小学校に望むこと


悩みごとがありましてね...愚痴だと言われても仕方がないのですが...

 

うちの子供たちが通っている浦安市立日の出小学校では、たった2年間で40人近い教職員が入れ替わりました。

 

この小学校って、以前はとても細やかな配慮があって安心感のある学校だったのですが、今はそういった良さが減って、なんと表現していいのか...教頭や教務主任、一般の教師を含めて、もう少し丁寧に対応してほしいところです。

 

他の保護者さんたちがどのようにお感じなのかは分かりません。あくまで私感です。

  

現在の日の出小学校というのは、教頭や教務主任、一般の教師を含めて、それぞれがスタンドプレーに走ってしまって、同僚たちとのチームワークとか、日の出小学校全体のことを考えていないように感じるのです。

 

この小学校の良さとは何か、子供や保護者の雰囲気がどうなのか。他の自治体からやってきた教師たちが多い状況で、十分な引継ぎもなくスタートしてしまったような。

 

市役所ならば定期的に職員が異動しますが、こんなに短期間で小学校の教職員がゴッソリと入れ替わったら、職員室の中での連携が難しく、それまでの日の出小学校が大切にしてきた伝統まで薄れてしまう気がしてなりません。

 

上の子供が入学した当時、日の出小学校は国語力に力を入れていて、子供たちに読書をさせるという方針でした。国語力を鍛えることは学力の基本です。とても素晴らしい方針だと感心しました。

 

ところが、別の校長が着任して多数の教職員が入れ替わってから、道徳教育に力を入れるということになりました。道徳教育も大切なことですし、それも日の出小学校の新たな特色になると思ったわけです。

 

しかしながら、同じ時期に、子供たちに対して荒いように思える言動を繰り返している担任の教師たちが目立つようになりました。

 

運動会で子供たちに向かって怒鳴っている教師たちの姿を見かけた親御さんたちもおられるかと思いますが、あのような態度が普段の学習や指導でも行われているのかと思うと複雑な気持ちになります。

 

日の出小学校の教師たちは、保護者の前では笑顔で接しているようなのですが、子供たちの前ではどうなのでしょうか。道徳教育に力を入れる小学校において、教師たちの道徳が問われます。

 

それと、いじめを認知するためのアンケートの回数が大幅に削減されました。毎月、つまり年間12回も実施してくださったアンケートが、数年前に新しい校長が着任してから年間3回になりました。

 

千葉県の野田市では、小学校や教育委員会がいじめ認知アンケートを適切に扱わなくて、結果的に児童が虐待を受けて亡くなるという痛ましい事件が起きました。

 

いじめ認知アンケートは子供たちを守るための手段になりうるということが分かりましたが、同時に、学校の外の社会の常識を理解せず、正確な判断ができなかった教師たちに対して厳しい批判が集まった事象でもありました。

 

浦安市の教育委員会は、いじめ認知アンケートについての回数も調査内容も統一していません。様々な取り組みを続けていて感謝してはいますが、アンケートの回数や項目くらいは統一しておかないと、その後の対応についてもコンセンサスを統一できないと思うのですが。

 

日の出小学校側としては教育委員会に報告するいじめの認知件数が減りますから、校長や学校の評価などを考えると都合が良いかもしれません。

 

しかし、そうやって意図的にいじめの認知件数を減らすということは、校長や教師たちの保身ではないでしょうか。

 

子供たちが助けを求めるための大切な糸なのに、教師が自分たちで切ってしまってどうするのでしょうか。

 

学校の常識と社会の常識の間に乖離があることに、日の出小学校の教師たちは気づいているのでしょうか。

 

子供の担任の先生に対して、いじめ調査アンケートが減った理由を尋ねたら、「え? そうでしたっけ?」という言葉が返ってきて、真正面から保護者の目を見なかった姿に、私は落胆しました。

 

日の出小学校においていじめ調査アンケートの実施回数が減らされたことを知っていながら、事実を認めずに回避するような教師を、保護者が本当に信頼することができるのでしょうか。

 

そのような教師が、本当にいじめに対して適切に対応することができるのでしょうか。

 

いくら浦安市がいじめ対策に注力しようとしても、日の出小学校の教師たちがこの態度では絵に描いた餅になってしまうのではないかと心配しています。

 

加えて、運動会で危険な組体操を行って、学年だよりで自画自賛している高学年の担任たちの姿にも溜息が出ました。

 

これは集団演技ですと言いながら、実際には組体操を続けている日の出小学校の対応については、これからも考察し続ける予定です。そろそろ、管理職の先生方の方針についてもネットでご紹介する時期が来るかと思います。

 

世の中にはルールがあります。公立小中学校の教師たちは、あらかじめ国が定めた学習指導要領に基づいて指導を行うべきです。

 

学習指導要領に書かれていもいないことに日の出小学校の教師たちが注力して、我が子が骨折したり歯を折ったりすることも、痛みに耐えることも看過できません。

 

地域の特色を取り入れた学校づくりは大切ですが、国が定めた学習指導要領を無視して構わないという意味ではありません。

 

浦安市立の小学校や中学校の教師たちが、科学的な根拠に乏しく、学習指導要領にも明記されていない危険な組体操という活動によって子供たちが成長すると本当に信じ込んでいるのであれば、教師としての矜持を疑ってしまいます。

 

日の出小学校には、組体操によって人と人との繋がりが生まれるなんて本気で言っている教師がいますが、それは正しくありません。

 

人と人との繋がりというものは、人の心の中でしか判断できませんし、強くなったり、弱くなったりを繰り返している状態です。

 

同じ演技を行えば、教師を含めて繋がりが強くなったような気になるだけの話で、大切なことは組体操のようなイベントではなくて、毎日の学校生活での思いやりや気遣い、感謝だと思います。

 

日の出小学校を含めて、危険な組体操に前のめりな教師たちは、学校生活での子供たちの成長を感じる機会をより分かりやすい形で受け入れたいだけではないでしょうか。

 

教師としての職業人生の意義を、分かりやすいKPIで表現することは難しいと思います。それが時に教師のモチベーションを削ることは理解しています。

 

しかし、組体操で技を完成させたという教師の達成感というのは、そういったフラストレーションを一時的に発散しているだけに過ぎず、子供たちを危険にさらしてまで行うようなものでありませんから。

 

教師は子供たちを守り育てることが仕事です。子供たちを危険にさらすことが仕事ではないはずです。

 

子供たちが怪我をするリスクよりも、組体操の方が大切だと主張する教師が我が子の担任になったら、私は遠慮なく抗議します。

 

その教師は、何かを信じてしまって適切な判断ができなくなっている状態だと、私は思います。

 

校長室どころか、浦安市の教育委員会でも、千葉県の教育委員会でも、どこでも出ていきますよ。

 

しかし、私としては日の出小学校が組体操を全面的に中止せよと要求するつもりはないのです。

 

保護者にも色々な人がいて、組体操は大切だと信じ込んで拍手喝采する人もいるわけですから、話がまとまらないと思います。

 

組体操に賛成している人たちにどのようなバックグラウンドがあるのかを調べてみれば分かることがありますが、話し合っても帰着しないと思います。

 

組体操が学習指導要領に明記されていないという正論を言ったところで、組体操で感動したいという人たちを説得することはできませんから。

 

ただ、日の出小学校の5年生や6年生の担任の教師たちを含めて、組体操の意義を信じ込んでしまっている大人たちに対して、これだけは言っておきたいのです。

 

小学校の運動会は、子供たちを使ったサーカスではないのです。

 

大人たちが組体操で感動したかったら、自分たちでやったらどうでしょう?

 

大人たちが感動したいからって、骨折したり、歯を折ったりする可能性がある危険なことを子供たちにやらせることが、本当に正しいのでしょうかね。

 

たくさんの人たちが感動する?

 

人と人の繋がりが生まれて成長する?

 

それって、一体、誰が言い始めたのでしょうか。

 

組体操で子供が成長するという科学的な根拠は全くありません。科学でなかったとしたら、何なのでしょうか。

 

信じるか信じないかは、人の自由ですが、信じていない人まで巻き込んではいけませんよ。

 

ということで、日の出小学校の教師たちに言いたいのです。

 

運動会というイベントで頑張るのではなくて、学習指導要領に明記されている内容をちゃんとこなしたらどうでしょうか。

 

運動会はイベントでしかないのですよ。教師はイベントではなくて、毎日の子供たちの成長を見つめて感動する仕事だと思うのです。

 

必ずしも勉強ができるとか、スポーツができるとか、そういった成長ではなくて、少しずつ手がかからなくなり、大人に近づいていくという成長。

 

子供たちを育てて、同じ大人になった時、昔の楽しさを共に思い出して酒を酌み交わすとか。職業人生が終わっても、人生そのものが終わる時でさえ、生きてきた証が数えきれないくらいの教え子たちの心に残り続ける。

 

そういった地道な取り組みこそが、教師の職業人としての矜持ではないのでしょうか。組体操で盛り上がっている教師たちには理解ができないのかもしれませんし、そういった教師が学校現場に入ってしまうという教員採用試験を正すことは難しいでしょうね。

 

現在の校長や教頭の世代の意識が必ずしも変わるとは思えませんし、公立小中学校の恒常性は非常に強いですから。

 

しかしながら、子育て支援で評価の高い千葉県の流山市の場合には、校長会の先生方が集まって速やかに組体操の中止が決定されました。柏市や外房の白子町でも同じように組体操が中止されました。

 

その一方で、浦安市の場合には、組体操での怪我が社会的に問題になり、千葉県から調査が入った後で動き出すような対応の遅さでした。

 

そして、浦安市内の校長たちが集まって話し合った結果、組体操の実施については各学校で判断するという玉虫色の決定でした。

 

当時の浦安市の教育長も組体操を実施することを前提に対応を考えていました。その証拠は、教育委員会の会議録にきちんと残されてネット上で公開されています。

 

流山市の校長たちと、浦安市の校長たちって、そんなに大きな差があるとは思えません。

 

それがどうしてなのか。流山市民と浦安市民の背景が異なっている部分があるからだと思います。

 

浦安市の教育委員会に尋ねても「各学校が...」という話でした。

 

浦安市議会が組体操について真剣に議論したこともほとんどありません。

 

つまり、この街の行政や市議会は、小学校で組体操が行われることについて改善を求める気がないと判断しました。よく似た話はたくさんありますから、私はあまり期待していません。

 

集団演技と組体操を一緒にして議論するから話が複雑になるわけで、どうしても組体操が必要だと考えている子供や保護者がいれば、その世帯の子供たちだけで集団演技の最中に組体操をやればよいと思います。

 

組体操を望んでいない世帯の子供たちは、組体操の周りでウェーブとか、ブリッジとか、そういった正しい意味での集団演技を行って、安全を確保すればよいだけの話です。

 

日の出小学校の教師たちは、学習指導要領にも書かれていないこと、そして子供たちが深刻な怪我を負うリスクが高いことについて、組体操を「集団演技」という名前でカモフラージュまでして、どうしてこんなに組体操に前のめりなんでしょうかね。

 

吉田校長の前任の校長も組体操に熱心でしたが、一体、何のために小学校の教師になったのでしょうか。

 

組体操をやるために教師になったわけではないと思いますが、組体操がここまで社会的に問題になっていることを理解できているのでしょうか?

 

こうやって考えてみますと、私が日の出小学校に対して有している懸念って、浦安市という街全体での総論ではなく、小学校という学校レベルでの総論でもなく、とても小さな各論で対処できるような話なんだなということに気づきます。

 

[1] 教師たちが子供たちに対して叱るなと言っているわけではなくて、「お前!」とか「って、言ってんだよ!」とか、そういった乱暴な言葉遣いをしないように職員会議で指導すること。また、そのようなことがあれば保護者が学校に連絡するようにアナウンスすること。

 

[2] 担任の言動に問題がある場合には、必要に応じて校長室に呼び出して担任と保護者との間で話し合い、理解と対応を求めること。

 

[3] いじめ認知アンケートについては、毎月実施した場合に教員の負荷が増えるのであれば、遠慮なく浦安市の教育委員会へのいじめ相談メールを利用するよう保護者にアナウンスすること。ただし、いじめ認知アンケートは家庭での虐待といった事象を察知するための手段でもあることから、年間3回は少なすぎる。

 

[4] 運動会での組体操については、あらかじめ保護者に実施の承諾を取り、承諾できない世帯の子供については、ピラミッドやタワー、トラストフォールといった組体操を行わず、安全な集団演技を行うか、集団演技への参加そのものを見合わせること。

 

こうやって考えをまとめてみると、日の出小学校に対して持っている懸念とか不満って、小さなことの積み重ねなのだなと思います。

 

私の場合には、子供たちの学力や体力を上げてほしいとか、そういったことを小学校に望んでいません。

 

子供たちが、いじめを受けずにリラックスしながら、安全に学校生活を送ることができれば、それで十分です。

 

授業が上手くなくても、学習の進捗が遅くても、仕方がないと思いますよ。教師のスキルや経験に差があっても構いませんし、授業の進行を妨げてしまう子供だってクラスにいるわけですから。

 

そういったことについて私は気にしませんが、子供たちを守ろうとしない教師に対しては厳しいです。

 

大切に育てている我が子に危険が及ぶのであれば、私は小学校に対して指摘します。

 

クレーマーでもなんでもなくて、子供を守るのは父親の役目ですから。

 

今年度に入って、とても優秀な校長先生が着任されましたので、かつての日の出小学校の良さを取り戻してくださることを期待しています。

 


②  父親の経済力と母親の狂気


案の定、文章が長くなってきたので短めに。

 

「子育ては、子供が小学生になれば楽になる」とは言いますが、私立中学の受験を考えている場合には、別の意味で大変になりますね。

 

保育園をやっと卒園して小学1年生になり、翌年には小学2年生。そして、小学3年生からは学習塾選びが始まります。

 

私が育った地方では、大きな学習塾なんてありませんでしたし、全くの未体験ゾーンなわけです。

 

私立中学への進路を考えているお父さんたちがおられたら、このセリフをご存じだと思います。

 

君たちが合格できたのは

 

父親の「経済力」

 

そして

 

母親の「狂気」

 

浦安市立小学校から浦安市立中学校、そして県立高校へのルートを考えているお父さんから見たら、「なんてことだ!」と驚くかもしれません。

 

「二月の勝者 ー絶対合格の教室ー」という漫画の冒頭で、黒木先生という塾のリーダー格の講師が、子供たちに向かって放った言葉です。

 

このシーンには、渋谷教育学園幕張中学校が登場します。しかし、千葉県民がゾッとする話ですが、渋幕でさえ前哨戦に過ぎなくて、その後、都内の最難関中学の入試に挑む子供たちが油断しないように士気を高める場面です。

 

「母親の狂気」って、すごいインパクトだなと思うのですが、このセリフにはオリジナルがありまして、開成中学の入学式での校長先生のお言葉です。

 

超難関を突破して開成中学に入学してきた生徒たちに向かって、校長先生が「おまえらが合格できたのは、一に母親の狂気、二に父親の経済力、三におまえらの力。だから、調子に乗るな」と言ったそうです。

 

二月の勝者の黒木先生の言葉だと、母親の狂気が二番目になっていますね。

 

この漫画の凄いところは、徹底的にリアルを追求していて、中学受験を考えている保護者の気持ちを強烈に巻き込んでいくというか、すでにそのストーリーの中にいるくらいの臨場感だと、私は思います。

 

ほら、受験漫画といえば、「ドラゴン桜」が有名ですよね。中学受験ではなくて、大学受験のストーリーでしたが...

 

お前ら、騙されたくなかったら、

 

損して負けたくなかったら、

 

お前ら、勉強しろ!

 

手っ取り早い方法を教えてやる。

 

東大に行け!!

 

...という体でした。漫画よりも阿部寛さんのドラマの方が素敵でしたよね。

 

しかし、二月の勝者を読んでからドラゴン桜を見ると、ドラゴン桜の方がずっと温かく感じるくらいなんです。

 

ドラゴン桜の場合には、現役の東大生が読んでも「?」という点が結構ありまして、読み物として読む分には楽しいのですが、リアリティが薄いです。時間的にも内容的にも、あのペースでは間に合いませんから。

 

一方、二月の勝者というのは、漫画ではありますが、その内容はきちんとしたエビデンスや最新の動向が含まれていて、漫画というよりも保護者向けの参考書です。全くリラックスできませんし、正座して読むような内容です。

 

例えば、このセリフ...

 

受験塾は、「子供の将来」を売る場所です。

 

読み込んでみると分かることですが、このセリフって、保護者がお金を出した分、受験塾はその責任を全うする義務があるという意味だと、私は感じました。

 

この漫画の中では、学習塾で学ぶことを「課金ゲーム」と表現していたりします。授業や合宿に子供たちを送り出して、お金を払って、より強いキャラクターにするという。

 

世帯の収入格差が子供たちの成長や将来に影響していることは否めず、とても厳しい現実を再認識してしまいますが、これが社会なのでしょう。

 

ともかく、浦安市内のご当地ブログで紹介されたことがあったかなかったか記憶にないのですが、新浦安って、とても狭い範囲に学習塾がたくさんあって、子供たちの性格や学力に合わせて学習塾を選択できるという恵まれた環境だったりします。

 

塾の講師の先生たちのことが好きだと子供って頑張ったりしますし、その塾が合わないと思ったら、早い段階で転塾することもできます。

 

また、合格実績や指導内容、サービスが良くないと、子供や保護者が別の学習塾に移ってしまいますから、学習塾同士で競争原理が生まれます。

 

学習塾同士で分析し合ったり、切磋琢磨して、新浦安の学習塾はさらに良くなっているのでしょうね。

 

他方、中学受験という人生のステージは、確かに「母親の狂気」を感じることはあります。

 

子供よりもピリピリして思いつめてしまっているようなお母さんたちを見かけることもあって、この凄いテンションで6年生まで親子ともに持つのか心配になるくらい。

 

母親の「狂気」というよりも、「正気」の方が適切かもしれません。それと、「父親」の経済力というよりも、「共働き」の経済力の方が強いと感じます。

 

夫婦共働きの世帯って、子供が小さな時はとても厳しくて、本当にタフな時期を乗り越えることが多いですよね。有給なんてほとんどなくなってしまって、夫婦共に仕事と家庭で追い詰まったり。

 

しかし、子供たちに手がかからなくなってきて、多くの場合には母親がフルタイムで仕事に戻った時には、世帯年収としてダブルインカムの馬力があります。

 

シングルインカムで私立中学を狙おうとすると、お父さんのお小遣いがカツカツになるかもしれませんが。共働きだと何とかなる気がします。

 

一方、小学生を育てている保護者にも様々なタイプがいて、荒川とか江戸川の河川敷をサイクリングで走っていたら、少年サッカーとか少年野球の試合や練習でたくさんの保護者が子供たちを見守っていたりしますよね。

 

小学生の頃は思いっきり身体を動かして運動した方がよいという教育方針だってあると思うわけです。

 

では、日の出小学校はどうなのかというと、中学年から高学年になると、半数以上が学習塾に通っているようです。

 

学習塾の先生も、保護者も、子供でさえも、小学校の授業に期待していないというか。

 

小学校の教師の立場からすると複雑な気持ちかもしれませんが、教師って、勉強を教えることだけが仕事ではないですから。人を育てることが仕事だと思えば、もっと別の次元で大切な役割があります。

 

子供の頃にスポーツを頑張るのか、勉強を頑張るのか、それは各世帯の親や子供たちが考えることです。他の家庭のことについて口をはさむ必要はないと、私は思います。

 

私の場合には田舎で育ったので、学習塾に通うということのイメージがあまりなくて、詰込み教育で苦しいのかなと思っていました。

 

しかし、塾にもよると思いますが、うちの子供の場合には、日の出小学校に登校して帰ってきた時よりも、ずっと生き生きした表情で塾の教室から出てきます。

 

子供たちが勉強している内容を、私が自分で解いてみたのですが、すごく面白いですね。

 

塾の授業も面白いです。親が聞いても楽しめるくらいでして、子供たちの集中力が途切れないようにネタまで用意してきます。

 

子供の頃は、脳が急速に発達する時期ですから、受験だけじゃなくて、将来、知的労働に従事する際のトレーニングになると思いますよ。

 

学習塾の場合には私立中学校の受験を想定して対策を練ってくるわけですが、それらの私立中学校としては、詰込み教育だけで仕上がった子供ではなくて、論理的な思考が得意だったり、頭の回転が速かったり、様々なことに興味を持って自ら学ぶタイプの子供たちを受験で選抜しようとしている気がします。

 

そういったニーズに対して学習塾が対応しようとすれば、学習内容が知的に面白くなるのだなと納得します。

 

それと、浦安市立小中学校も、IT教育について力を入れようとしているみたいですが、学習塾ではすでにe-learningを中心として、子供たちがコンピューターでクラウドを使いこなしています。

 

ITとは学ぶものではなくて、使うものだという意識が感じられて、自宅からタブレット端末で学習塾のサーバにアクセスして、試験の成績を確認したり、在宅でテストを解いていたりするんです。

 

デジタルネイティブって、すごいなと。ガンダムで登場したニュータイプって、こういった世代なんだなと。

 

よくよく考えてみますと、小学生の子供たちがITを使って仕事をする頃には、今よりもずっと技術が進化しているでしょうし、現状の端末やプログラムを学ぶよりも、そのベースとなる頭の回転の速さを鍛えるということも大切なのかもしれませんね。

 

しかし、中学受験についての私なりの考えを整理してみますと、偏差値の高い学校に限って我が子が合格してほしいという気持ちはありません。

 

偏差値なんて関係ありませんよ。子供が行きたいと思った学校に合格すれば、それで十分です。

 

例えば、難関中学に合格して、高校に上がって、東京大学に合格したとするでしょ?

 

塾の先生たちは受験に詳しいですが、そこから先の人生については、あまり分かっていない気がするのです。

 

山に登ったことがある人にしか見えない世界だってありますから。

 

東京大学には開成や麻布、桜蔭、女子学院。受験塾で名前に花マークが付いて保護者が盛り上がるような中学の出身者がたくさんやってきます。灘の連中なんて凄まじいですよ。

 

しかも、それぞれの地方の進学校からも凄い人たちがやってくるわけです。大都市の進学校と比べて必ずしも恵まれているとは言えない環境で勝ち抜いてきた人たちです。

 

そういった人たちは確かに勉強ができて頭の回転が速いですが、人として優れているのかというとそうでもなくて、フリートークをやってみれば分かりますが、普通の人ですよ。

 

勉強ができることがアイデンティティの大きな柱になっている人たちにとって、周りが同じレベルになった時、安心することもあれば、自分を見失いかけることもあると思います。

 

国家公務員試験に合格して官僚を目指すのか。同期の中で事務次官の椅子は一つ。厳しい出世競争が待っているかもしれません。

 

頭の良さで勝負しようとすれば、大学院で研究に取り組むのか。世の中には尋常ではないくらいの頭脳を持った人たちがいます。苛烈な競争の前に打ちのめされるかもしれません。

 

大企業の入社試験について言えば、入り口が違ったりもしますが、それだって楽なことではないですよね。特に外資系。大学のネームバリューなんて蹴散らすくらいに高い能力を持った人たちと渡り合うことになるかもしれません。

 

さらに、日本という狭い国の中でエリートだと思っていても、世界は広いです。海外には超人的な頭脳を持った人がいて、アクセルを全開で踏み込んでも千切られる絶望感が待っているかもしれません。

 

仕事で毎日心身をすり減らして倒れたり、過労死する人までいます。

 

仕事だけじゃないですよ。人生の幸せというのは、むしろ家庭の充実の方が大きいですから。

 

結婚や子育てに入って、夫婦仲が悪化して離婚したり。結婚する機会がなくて50代で独身という人たちもいたりします。

 

人生の豊かさというのは、学歴では決まりませんからね。

 

ということで、上を見たらキリがありませんし、自分が行こうと思った方向に進んで、持って生まれた個性を生かしつつ、理解があって楽しい仕事に就いて、温かい家庭で無理せずに生きた方が幸せなのではないかと思ったりもするんです。

 

子供にとって、たった一回の人生ですからね。自分が行きたい中学校があれば努力して入学して、その後も自分の人生を自分で考えて、人生にわたって付き合える友人と出会い、良き伴侶に恵まれ、経済的に苦しむことなく笑顔の中で生活することができれば、それこそが素晴らしい人生だと思います。

 

中学選びについては、母に相談しながら考えて進めばいいと、私は子供に伝えています。

 

父親が考えておくことは、もっと先。子供たちがどのような職業人生を送るのか、どのような人と出会って家庭を持つのか。

 

学生時代には、様々な状況で迷い踏み止まり、時には方向転換をする時があるかもしれません。そういった時に、父親として落ち着いて道を示すことができるのかどうか。

 

そういったことが大切なんだろうなと。言うのは簡単なのですが、「お父さん、大学、辞めたいんだけど...」と子供から相談されたらどうしようかと。

 

私自身が綱渡りで進んだドロップアウト組なので、我が子が同じようなことをするかもしれませんね。私の両親は発狂寸前でしたが、私は真正面から受け止めようかと。

 

それと、地味なことではありますが、毎週の平日に子供の塾帰りの迎えに行くことにしました。

 

仕事が忙しくて、往復の電車通勤が3時間を超えるので、塾帰りの迎えは本当に大変です。

 

週に2回も定時で帰ったら、その分の仕事を他の日に残業でこなさないと大変なことになります。

 

結果、平日にロードバイクに乗ることはできなくなりましてね...仕事も趣味もセーブしなくてはいけませんが、父親としては大切な時間だと思っています。

 

子供を迎えに行くと、すっごくやり切ったような表情で教室から出てきて、一緒に夜の街中を歩くわけです。

 

子供にだって、悩みはありますし、母親ではなくて父親に相談したいことだってありますよね。

 

子供と会話をしていると、ふと大人びたセリフがあって、「へぇ、成長したんだな」と感心したり、何かの目標を設定してやる気になってくれて嬉しく感じたり。

 

今までの子育ての経験を振り返ると、「あの時、もっと子供たちに接しておけば良かったな」と感じることがありますよね。

 

たぶん、この経験だって、時間が経ったら懐かしくなると思うわけです。

 


③  鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり。


学習塾には、保護者会というものがありましてね。

 

PTAで頑張っているお父さんやお母さんが「保護者会」と聞くと、ほら、スポーツイベントをやったり、保護者同士で飲みに行ったり、会議をやって議事を決めるとか、そういったイメージがありませんか?

 

学習塾というか受験塾の保護者会は、そういった会ではありません。

 

保護者が教室の席について、講師の先生方から現在の学習の段階とか、受験の現状とか、そういったプレゼンテーションを受けるわけです。

 

ほら、PTAとかだと、仲良しのお母さんたちが並んで雑談したり、「そうよ、ねぇ~」と顔を合わせたりすることがあるかもしれませんが、ほとんど見かけませんね。

 

それぞれの保護者は、決して少なくない金額の料金を払って子供たちを塾に通わせていますし、決戦の時間に向けて時計は回り続けていますから。

 

保護者会で居眠りしている親なんて一人もいませんし、皆、ペンを持って資料に書き込んだり、先生の言葉を聞き逃さないように集中しています。

 

雑談している人がいたら、「チッ、ルセーンダヨ!」的な視線を飛ばしたり。

 

このガチな感じが、私にとってとても心地良いのです。私は田舎の出身で、子供だった頃には自動車で通うくらいの遠くに数少ない塾があっただけでした。

 

しかも家庭があまり裕福ではなかったので、大学受験の時には学習塾に通うことができませんでした。

 

なので、席について先生の話を聞いている時、私は少年時代に戻ったかのような気持ちになります。

 

さらに、学習塾の先生たちって、キャラが立っていて、ものすごく楽しいです。子供たちの学力を上げる先生というのは、単に詰込みをやるのではなくて、子供たちが楽しく勉強するための工夫を常に考えていますね。

 

ドラゴン桜に出てきた講師みたいな先生とか。

 

明らかに二月の勝者の黒木先生を意識している先生とか。

 

保護者に向かってニコリともせずに黒木先生のように説明していた先生がおられましたよ。こんな感じで...

 

国語の成績を伸ばすためにはどうしたらいいか、分かりますか?

 

読書をしている子供は、国語が強いです。

 

子供が読書をする習慣をつけるにはどうしたらいいか、分かりますか?

 

親が読書をすれば、子供は読書をしますよ。

 

親としては、「もう、なんも言えねぇ...」って感じでした。

 

当たり前のように感じるかもしれませんが、お父さんがスマホでゲームばかりしていて、子供に読書をせよと言っても聞きませんよね。

 

学習塾の保護者会では、そういったティップがたくさんあって、もちろんですが日常の授業、テストが終わった後の分析、その他、たくさんのことを知ることができます。

 

塾にもよると思いますが、決して、詰込み教育なんかじゃありませんし、趣味や旅行に金を使うよりも意義があるかもしれないなと。

 

それと、集中力が切れやすい子供たちが、長時間にわたって授業を受けられる理由の一つが、講師の先生たちの工夫なのだろうなと。

 

保護者会に限ったことではありませんが、学習塾の講師の先生方が何度も口にするフレーズがあります。それは...

 

「子は親の鏡」

 

高洲地区の公民館の子供が遊ぶスペースにも、同じフレーズが掲げられていますよね。

 

中学受験を乗り切るためには、子供が頑張るだけでは足りなくて、親の意識が大切なのだそうです。

 

子供に対して親が過度に期待を持ってしまったり、子供の成績が伸び悩んでストレスを感じてしまったり、親子で喧嘩してしまったり。

 

子供にだけ負荷をかけてしまうのではなくて、子供たちの性格や学習能力は親から受け継いだものだと自覚して、親としても自分をコントロールする必要がありますよという意味だと解釈しました。

 

それって、学習塾に限った話ではなくて、子育てにおいても大切なことですよね。

 

保育園とか小学校では保護者が集まる機会がありますが、保護者の性格を知りたい時には、その世帯の子供を観察するとよく分かります。

 

大人になると、元々の性格の上にある程度はマスクをかぶって生活しますよね。

 

ニコニコと挨拶するくらいなら構いませんが、ほら、父母会とかPTAになってくると、もっと深く関わったり、時に意見が対立したり、そういったシチュエーションで、「この人はどのような人なのだろう?」って知りたくなる時がないですか?

 

そういった時、子供を観察すると、父親もしくは母親の性格がある程度、理解できますよね。

 

そりゃそうですよ。親子なんですから。

 

塾の先生たちが配ってくれた資料に、それぞれ名前と顔が一致するように似顔絵を描いて、それらを鞄に入れて自宅に帰っている途中に、ふと、映画のワンシーンを思い出しました。

 

その映画は「イノセンス」という押井守監督によるアニメでして、世界的に有名な「GHOST IN THE SHELL」の続編です。攻殻機動隊の映画バージョンと言った方が分かりやすいかな。

 

キアヌ・リーブス主演のハリウッド映画で「マトリックス」(The Matrix)という作品がありますが、オープニングも、首筋に取り付けた素子からサイバー空間にダイブするところも、「GHOST IN THE SHELL」にそっくりで、ハリウッドがパクったのではないかと疑念が生まれたりもしました。

 

マトリックスの監督のウォシャウスキーさんたちは否定していますが、明らかに影響を受けているだろと。

 

そして、「GHOST IN THE SHELL」の続編として、イノセンスがリリースされたわけですが、あまりに押井ワールドが全開すぎて、ある程度の教養がないと全く話に付いていけなくて置き去りにされるという非常に濃いテイストに仕上がりました。

 

登場人物が、ロマン・ロランとか、世阿弥とか、マックス・ウェーバーとか、プラトンとか、リチャード・ドーキンスとか、そういった人たちの名言を話したり、旧約聖書の詩文までが登場しましてね。

 

それぞれのキャラクターが話す内容があまりに難解すぎて、ドンパチが好きなハリウッド映画は絶対に真似できないと思いました。

 

それで、攻殻機動隊の話はこの辺で切り上げないとどこまでも続くので、そろそろ切り上げて寝たいのですが、少しだけ続けますと...

 

本来はプログラムされていないはずのアンドロイドが人間を襲い始めるという、不可解な事件が発生して、攻殻機動隊、つまり内務省直轄の公安9課のメンバー2名が、所轄の警察に行って、その対応を所轄から公安9課に移管しようとしました。

 

地道に捜査を続けてきた所轄にもプライドがあるわけで、国の特殊部隊のようなチームがやってきても大歓迎で仕事を手渡すどころか、所轄の刑事が公安9課のメンバーに対して皮肉を飛ばしてきたわけです。

 

そして、公安9課の刑事出身のメンバーが、所轄の刑事の態度にキレました。すると、公安9課の軍隊出身のメンバーから「てめぇのツラが曲がってるのに鏡を責めてなんになる」と、冷静になるように諫められます。

 

刑事出身のメンバーとしては、昔の自分を見ているようで腹が立ったのでしょうね。

 

そして、彼は「鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり...か」と落ち着くわけです。

 

このシーン、普通に見ているだけだと、何のことなのか意味不明ですよね。かなりヘビーな読書家でないと、何のオマージュなのかも分かりません。

 

「てめぇのツラが曲がってるのに鏡を責めてなんになる」というセリフは、19世紀前半のロシアの小説家のニコライ・ゴーゴリさんの作品の中の「自分の面(つら)が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう」という言葉のオマージュなのだそうです。

 

私は気が付きませんでした。

 

その後、「鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり」というセリフは知っていました。明治時代の小説家の齋藤緑雨さんの言葉ですよね。

 

実は、若い頃に何度か緑雨さんの小説にチャレンジしたのですが、文章が独特で、小説自体があまり面白く感じなくて。何度もギブアップしました。

 

けれど、ほら、ブログを書かせるとあまり上手ではないけれど、ツイッターの投稿は上手って人がいたりしますよね。

 

緑雨さんは、アフォリズム...日本語だと警句が得意でして、短い文章で的を射たフレーズを生むことがとても上手でした。

 

その中でも有名な言葉は、明治32年8月9日の讀賣新聞に掲載された「緑雨警語」です。 

 

鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されどまことに反省し得るもの、幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃み、自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり。一たび見て悟らんも、二たび見、三たび見るに及びて、少しづヽ、少しづヽ、迷はされ行くなり。

  

この言葉、子育ての苦労に通ずるものがあると思いませんか?

 

私は父親なので、父親の子育てについての実感なのですが、子育てのストレスって、自分の外側から降ってくる感じがしませんよね。

 

子供が言うことを聞いてくれない時、子供が思ったように育ってくれない時。人にもよるでしょうけれど、そういった時のストレスは、心の内側に張り付いて首元に上がってくる感じがしませんか?

 

このストレスって、どうして内面から自分にやってくるのだろうかと、不思議に思っていたのです。

 

理由は分かるんですよ。子供を育てていてストレスを感じる部分。それは、自分から子供に伝わった形質。

 

つまり、自分自身と向き合っているからじゃないかと。

 

では、自分自身と向き合うと、どうしてストレスを感じるのかというと、自分自身は、鏡で見ないと見えないから。

 

つまり、客観的に見つめることが最も難しい存在こそが、自分なんですよね。しかも、私たちが成長する過程では、自分自身を外から見ることはなくて、ずっと内側から外側を見ているわけです。

 

子育てをしていて、どうして内側からストレスが蓄積するように感じるのか、どうしてここまで追い詰まるように感じるのか、外から見たことがない自分自身が、子供の姿として目の前に見えるからではないかと。

 

子供が親の鏡になって自分を映し出し、それがきっかけとしてストレスが生じた時、それを受け止められる親は珍しくて、完全には受け止められなくて疲れてしまうことが自然ですよね。

 

受け止められない時には外に向かって怒りを出したり、内に蓄積して疲れてしまったり。

 

うちの妻の場合には子供を強く叱ったりしますし、私の場合にはストレスをため込んで酷い頭痛がしたりします。

 

けれど、子供が何をしても気にしなくて、叱ることさえしなかったら、それは親の気持ちではないと思うのですよ。

 

ああでもない、こうでもないと、親が悩み苦しんで、子供が少しずつ成長して、そうやって子育てを続けるのだなあと。

 

先ほどの緑雨さんの言葉を現代風の書き方に直してみると分かりやすいのですが、「子は親の鏡」という、真っ当だけれど時に親を苦しめる事象に対して、かなり興味深い説明ができるなぁと思いましてね。

 

緑雨さんとしては、そういった意図がなくて、私が勝手に解釈して納得して感動しているだけなのですが。

 

私なりに緑雨警語を現代風にアレンジしてみますと...

 

「鏡を見なさい」という言葉は、人に反省を促す時に使われます。しかし、どれだけの数の人たちが、本当に鏡を見て反省することができるのでしょうか。人は、鏡の前で自分に頼ったり、自分に引け目を感じることがありますが、本来の意味で反省することはできないはずです。鏡は悟るための道具ではなくて、迷いを生む道具ですから。一度、鏡を見て悟ったと思っていても、二度、三度と繰り返し見るにつれて、少しずつ、少しずつ、悩みが深くなっていくものなのですよ。

  

「子は親の鏡」と言いまして、親の性格や行動パターンは子供に伝わりますよね。

 

そして、あくまで私感ではありますが、私を含めて子育て中の多くのお父さんたちが、子供たちに伝わった自分自身の姿を見て悩んでいるように感じます。

 

それはとても自然なことで、子育てをしたことがない男性から見れば、「親子だから当然じゃないか」と笑ってしまうかもしれません。

 

けれど、実際に父親になってみると、そんなに簡単なことじゃないんですよね。

 

そんな時、「なんだ、鏡か」と、開き直るくらいの父親になってみたいものです。

 

今回のエントリーは、何だか教育パパモードで書き上げた感がありますが、梅雨時期でロードバイクに乗ることができないからだと思います。

 

それでは、おやすみなさい。