お父さんの子育てブログっぽく明るいエントリーを用意していたら、勢いあまって変身する

 

こうやって父親の子育てについてのブログを運営していると、色々なところから相談を受けたり、ネットで誰かと繋がったりする。

 

しかし、最近の自分は、ネット上に放出される個々の感情や主張を眺めることに疲れたので、半ばネット断ちしていたりする。

 

なので、ブログをやっているのにネットを見ていないという矛盾した状況だ。

 

ネット黎明期を懐かしむわけではないけれど、個人のサイトというのは、もっと、ほら、ネット上にフワフワと浮いている小部屋を訪問するような感じがあったと思う。

 

そこにお邪魔して、その人のことを知って、勉強になったり、励ましてもらったり、リラックスして。

 

ところが、今ではそれぞれのユーザーがすぐに検索でヒットしたり、四六時中繋がったり、相手が求めているかどうかも分からないのにフォロワーに情報を伝えたり。

 

それで関係が密になったのかというと、どこか希薄で、ネット上だけではなくて、リアルな世界からその人が突然いなくなったとしても、大して気にもしないというか。

 

さて、自分のような団塊ジュニア世代を育てた父親たちは団塊世代だ。団塊ジュニア世代にも特有の傾向があるけれど、団塊世代の傾向はご存知の通り。

 

団塊世代を育てた父親たち、つまり自分のような団塊ジュニア世代のおじいちゃんたちは、さらにアクが強かった。

 

今でこそ、団塊世代のシニアが、「最近の若いもんは...」と上から言ったりもするが、彼らだって若い頃には父親の世代からガツンと叱られていたものだ。

 

しかも、昭和初期の生まれの父親たち、もしくは彼らの教育を受けた団塊世代の父親たちは、今のような情報化社会でもないのに、不思議と格言めいた...いや、今になってアドバイスを受けても「なるほど」と思えるようなことを口にしていたように記憶している。

 

団塊ジュニア世代がそういったことを若い人たちに伝えているかというと、伝えるタイミングも少ないし、あまり上から言いたくないということもある。

 

30代の人たちは耳にしたことがあっても、「なんだそれ?」という感じかもしれないが。

 

例えば...

 

① 天気が良い日は、陽の光を浴びろ

これだけだと、「はぁ? なんだそりゃ? 植物かよ?」という感じだけれど、日光が脳に良い影響を与えるというのは医学的にも知られていたりする。メンタルを痛めたシステムエンジニアが、田舎の農家に行ってしばらく畑で働くと元気になるというのも、そういったメカニズムなのだろうか。

 

② 物事は寝て考えるな、座って考えろ

これも、若い頃は「へぇ?」という感じだったけれど、布団に入って色々と考えると思考がループして眠りが浅くなったりする。横になったら考え事をしないというルールをつくることも大切かもしれない。

 

③ 男同士は、共に煙草を吸って気持ちが伝わることもある

禁煙社会だけれど、昔は喫煙スペースで偉い人と、駆け出しの若者が気楽に話したり、表に出ない話を共有したことが多かったそうだ。要はシチュエーションを変えて気持ちを変えるということなのだろう。

 

④ 夫婦は一緒に風呂に入れ

自分の祖父母とか父母だけかもしれないし、あまり大っぴらにして話すことでもないが。一緒に風呂に入ってリラックスして話すことは、長い夫婦生活で大切なんだなと思いはするが、核家族での共働きだと厳しかったりもする。

 

⑤ しかめっ面ばかりするな、たまには笑え

「笑う門には福来る」というけれど、歳を取るたびに、それって大切だなと。

 

笑い...か...

 

そういえば、「ダッディズム 俺たちの父親道」という本を読んでいて、「林家木久扇・林家木久蔵」の親子のインタビュー記事を見かけたことがある。

 

木久扇師匠は、笑点の黄色の人と言えばすぐに分かると思う。そして、彼の息子さんが木久蔵...師匠と言うにはまだ早いかな...木久蔵さんだ。

 

木久扇師匠には、楽しい話を連発して、あまり物事を真正面から答えなさそうなイメージがあるが、実際には物事を悟ったような奥深い雰囲気がある。

 

彼は、幼少時代、第二次世界大戦で東京が空襲を受けた時期を生き抜いた。目の前で小学校の友達やその家族が死ぬ姿を見て、「生きる」ということの意味を深く考えた。

 

できる限りたくさんの人たちを幸せにしたいという気持ちが強く刻まれたそうだ。

 

木久扇師匠から見ると、イクメンという父親像は何だか「芝居じみた」ように感じるらしい。

 

それは彼個人の意見なので肯定も否定もしないけれど、多くの父親たちが感じていることを直球ストレートで投げ込んだ感がなくはないし、事実、自分が良き父親を芝居のように演じようとしている感もなくはない。

 

さすが木久扇師匠だなと。そういった違和感をどうやって減らすのか、それがこれからの社会の課題なんだなと。

 

この本の中では、さらに印象深いエピソードがいくつもあった。

 

木久扇師匠がどのように木久蔵を育てたのか。

 

まさに型破りの子育てで面白いのだけれど、妻が何と言おうと、息子の個性を潰さないように心がけたようだ。

 

そして、木久扇師匠は、きちんと「生きる力」を木久蔵に伝えて、実際に彼は生計を立てているわけだ。木久蔵としては、今はまだ親の七光りと揶揄されることもあるだろうけれど、彼にはきちんとした実力とセンスがあるので、歳を重ねる度に輝きを増すことだろう。

 

では、息子の木久蔵から見た、父親としての木久扇師匠はどうなのか。

 

事業に失敗して自殺しようとしていた人が、今生の最後の思い出にと落語を見に行って、木久扇師匠の落語を見て大笑いして、「こんなバカなやつがいるんだ、死ぬなんてバカみたいだな」と思いとどまって、死なずに生きて、元気になってから息子の木久蔵に父親の偉大さを伝えたことがあったそうだ。

 

あの時、親父の落語がなかったら、俺は本当に死んでいたよと。

 

自分の父親が、生きることさえ諦めかけていた人さえも笑いの力で救ったことを知って、息子である木久蔵は、父親である木久扇師匠を尊敬して、同じ道を進もうと思った。

 

あまりに偉大すぎて絶対に越えられない壁だろうけれど、進むべき方向を明確に照らし出す灯台でもあるわけで、ここまで立派な父親の姿ってあるのだろうかと敬服した。

 

それって、素敵な話だなと。

 

では、今の社会に広がっている笑いはどうなのか。

 

何だか後味の悪い湿り気を帯びたウェットな笑いというか。

 

誰かを小馬鹿にしたり、ハイテンションで無理に笑いを取りに行ったり。自分を落として笑いに取りに行くような...ある意味、謙虚で潔い乾いた笑いが少ない気がする。

 

自分のような団塊ジュニア世代が子供だった頃は、「8時だョ!全員集合」とか「オレたちひょうきん族」とか、そういった番組を家族で観て笑い合ったものだ。

 

青年になった時には、ダウンタウンの全盛期だった頃の「ガキの使いやあらへんで!」とか。

 

こうやって語っていると、まるで昔を懐かしむオッサンのようで、実際に昔を懐かしむオッサンなのだけれど、昔の笑いというのは、もっとピュアでドライだったと思う。

 

最近では、YouTubeで笑いを取りに行く人たちの姿が痛い。

 

自分が昭和の古い人間だからだろうか。もっと、ほら、平凡なことでもクスッと笑えるような感じがほしくて、変顔ネタとか、乱暴ネタとか、そういったものは面白くない。

 

誰もがカメラ目線で、何かに憑りつかれたかのように頑張ってアピールしているけれど、そのような動画を子供たちが観て喜ぶどころか、将来の職業として夢見てしまうなんて、この社会はどうなってしまったのだろうと心配になる。

 

古い考えの父親で恐縮だが、仕事というのは、地道に頭を下げて、汗を流し、苦労して、その対価として金を受け取ることだと信じる。

 

テレビを見ると、若手芸人の人たちが、かなりタイトな時間の中で、ガナリたてるような感じで必死にネタを披露していたり。

 

コメディアンや芸人の人たちだって、人を笑わせるために一生懸命にネタをつくり、たくさんの人たちの心の中に温かさを伝えようとしてくださっている。

 

立派な仕事だと思うけれど、もっと尺を気にせずに彼らが活躍できるような場があってもいいなと思うわけで、そういった動画サイトがあればいいなと。

 

さらに遡って考えてみると、自分が若かりし頃、壮年やシニアの人たちが漫才を見て笑っている姿を「あんな話がどうして面白いのか?」と感じていたことを思い出す。

 

そして、自分が四十路になると、「横山やすし・西川きよし」とか、「大木こだま・ひびき」の漫才が、どれだけ高度な笑いなのかを理解できるようになってきた。

 

彼らの笑いのテーマというのは、実に平凡だ。中学校時代の出会いとか、タクシーに乗っていた時の話とか。

 

ボケとツッコミが高速で入れ替わりながら、観客まで引っ張り込むやすきよ漫才の凄さは、オッサンになってからようやく理解した。

 

自分が若い頃は、眼鏡をかけたおじさんが「怒るで、しかし!」とやっているイメージだったけれど、全然違う、ここまで凄い人たちって、今でもいないし、これからも現れないかもしれない。

 

大木こだま師匠は、「チッチキチー」というポーズが前に出たりするけれど、漫才ではほとんど登場しない。彼の面白さは、一人でストーリーテリングができるということだと自分なりに思う。

 

それがネタだとしても、会話だけで空間を作り出して、まるで観客がそこにいるかのように語り出す。ただ、こだま師匠だけだと内容が濃くなってしまうので、きつい酒を飲んだ後のチェイサーのように、ひびき師匠が素人っぽく突っ込むけれど、こだま師匠の勢いを消さないように気を遣って調整していたりする。

 

うーん、自分はどうしてここまで漫才について熱く語っているのだろう。

 

遺書のような長文ブログばかり書いている自分には、疲れているお父さんたちを笑わせるユーモアもウィットもない。

 

そもそも、たくさんの父親たちが、たくさんのブログを書いているけれど、クスッと笑える話なんてほとんどないと思う。

 

実際にブログを続けていて分かることだけれど、人を批判することは容易だ。人を励ますことも苦ではない。人を説得するのは少し難しいが、人を笑わせることは非常に難しい。

 

笑って元気になれるブログとして有名なのは、ARuFaの日記だと思う。

 

このブログは秀逸で、とても時間をかけて一つのエントリーを重ねていることを実感する。

 

しかし、ブロガーのARuFaさんもネット関連の会社に就職して、仕事としてネット記事を書くことが忙しいようだ。最近ではプライベートなブログはほとんど更新されていない。

 

他者の生き方についてとやかく言うほどには、自分は偉くもないし、自分にできることと言えば、遺書のように暗いブログを書くのみ。

 

ただ、一つだけ気になることがあって、ヒノデダッズムはロードバイクブログではない。

 

父親の子育てブログだ。

 

それなのに、「ロードバイク ブログ」というキーワードで検索すると、ランキングをジワジワと上がってきている。

 

しかも、ロードバイク関連のエントリーを用意した途端にアクセスが増えたりして、もう本当にどうなってるんだと。

 

ところが、よくよく考えてみると、ヒノデダッズムには子育てブログっぽい明るい感じがない。全くない。

 

子供たちが赤ちゃんもしくは保育園児だった頃には、パパスイッチが入って明るいエントリーを書き連ねたものだけれど、今では小学生になって、父親に対して「臭いよ」とか「キモイよ」といった、あまり適切ではない言動も増えてきた。

 

以前、お蔵入りになったネタフォルダから何か使えそうなエントリーを引っ張り出してみる。

 

とある日のこと、我が家にAmazonから荷物が届いた。

 

Amazonの配送センターが浦安市の隣の市川市にあるからなのだろうか、ヤマト便の場合には爆速で荷物が届く。

 

他の配送の場合、以前は楽天よりも遅い時があったけれど、最近では早く届くようになった。配達時の挨拶や笑顔も改善してくれると助かる。

 

いつも思うのだけれど、Amazonの箱は中身と比べてどうしてこんなに大きいのだろうか。

 

「また何か買ったのね...」という妻からの視線が痛い。

 

しかし、今回の商品は本当に痛い。

 

子育てブログのつもりで運営しているのに、ヒノデダッズムには可愛さが足りないと、以前から思っていた。

 

とはいえ、自分の子供たちの写真を不特定多数に公開するのはリスキーだ。

 

ということで、この人形を買ってみた。

 

これがあると...

 

ほら、いつも朴訥で暗くてハードな感じのヒノデダッズムが、一気に優しくて明るいお父さんのブログに変わる。

 

しまった...最初からこの体でブログを続けていれば、今頃はたくさんのお母さんたちから絶大な人気を誇るサイトになっていた...なんて夢のようなことは言わないよ絶対。

 

そして、もう一つ届いた商品が...

 

これはヤバい。自分のような団塊ジュニア世代にとって憧れの存在だ。

 

これは、「なりきりマスク『ロビンマスク』」という商品名で、日本のオガワスタジオという会社が販売している。

 

「ゆでたまご」の商標もきちんと明記されている日本製だったりする。

 

ラーメンマンも買ってみたのだけれど、顔が細すぎて少し厳しかったことと、ラーメンマンは地顔なので、感情移入が難しい。

 

むしろ、マスクとして用意するのなら2000万パワーズ時代のラーメンマン、いやモンゴルマンの方が良かったなと思ったのでロビンマスクで話を進める。

 

値段の割にとても質感があって大満足だ。

 

これをかぶることで、自分はロビンマスクになれるのかと思うと、胸がときめく。

 

このワクテカな感じがたまらない。

 

うん、思ったよりも頭部にフィットする。

 

ゴムの臭いはあるけれど、普通に我慢できる。

 

呼吸は苦しいが、ロビンマスクはこの状態でタワーブリッジという必殺技を繰り出していたのだから文句は言えない。

 

ただし、黄色の目の部分は塗装なので、横のスリットから外を見る形になっている。

 

自分はこう見えて、初めて出会う人には決して心を開かないくらいにシャイな男なので、まかり間違って抽選で日の出小学校のPTA会長になってしまったら、ロビンマスクになって総会や委員会に出席しようと思う。

 

運動会や入学式でのPTA会長の挨拶では、マスクの隙間から外を見るくらいの方が緊張しなくてよい。

 

しかし、その際には、校長先生から指示を受けた高学年担当だったかの坊主頭でアゴヒゲを生やしたゴリマッチョな巨漢の男性教諭によって背後から羽交い締めを受けることだろう。

 

ゴリマッチョを回避するためには、体育館の掃除用ロッカーからモップを外してマスクの上にかぶり、もう一つの顔である「ザ・バラクーダ」として壇上に上がり、ゴリマッチョでさえ阻止不能な状態で、自分がロビンマスクであることを明かせばいい。

 

一方、本当の決戦の場は、ガチなお母さんたちに囲まれてしまうPTAの委員会になる。

 

ロビンマスクになってPTAの委員会に出席して、ハードな指摘を投げかけてくる保護者と戦うためには、目の部分を薄い黄色のポリカーボネイト樹脂に改造しておいた方がいいと思った。

 

キン肉マンを知らない保護者の皆さんには意味不明で申し訳ない。

 

それにしても、このマスクは素晴らしい。

 

やはり、父親は紳士であるべきなので、英国出身のロビンマスクがピッタリだ。

 

日の出小学校のPTA会長がまわってきたら、スーツを着て、このマスクをかぶり、浦安市P連の総会に出席しようと思う。

 

冗談ではなくて、この父親は本当にやるので注意したい。

 

現時点で日の出小学校PTAの規約には、「保護者はマスクをかぶって活動してはならない」という文言がないし、規約に追加する必要もない。

 

日の出小学校PTAの代表がロビンマスクだったら素敵だと思うけれど、その姿で浦安市P連の総会に出席したら、いくら穏和な日の出小学校のPTAであっても、会長への不信任決議案が圧倒的賛成多数で可決することは間違いない・・・・

 

・・・・という空想を繰り広げながら、この商品の消費者レビューを続ける。

 

知らない人たちは分からないかもしれないが、ロビンマスクになったなら、これをやらないと話にならない。

 

そうか、ロビンマスクって、こういった感じでアドバイスを送っていたのか。

 

そのまま、職場で働くお父さんモードになってみよう。

 

ロビンマスクがこのセリフを発すると、すごく警戒して神妙な気持ちになる。

 

上司がロビンマスクだったら、このセリフを言われても納得できる。

 

30代の頃は上司とぶつかったりしたものだけれど、40代以降はコレだよなと。

 

職場の付き合いというのは、退職したり転職したら夢のように消え去ると聞くし、出世欲の強い人は同僚さえ利用するから、距離を置いた方が安全だなと。

 

・・・・

 

夫婦喧嘩になったら、夫としては口論で戦って妻に勝とうとせずに、自分が悪くなくてもきちんと謝って、プロレスごっこで戦った方が解決が早いという話を、4人の子持ちのお父さんの知り合いの知り合いから聞いたことがある。

 

ほう、これはリラックスできるぞ。

 

この格好で新浦安駅に行ったら、交番に連れていかれるだろうけれど。

 

!!

 

何か不思議なフィーリングがやってきたぞ!!

 

どこかに転送されるのか!?

 

ここはどこだ!?

 

まさか、江戸川!?

 

浦安市の隣の市川市か!?

 

間違って転送されたようだ。

 

浦安市に戻ろう。

 

よし、「タワー・オブ・テラー」が見える。

 

浦安市に帰ってきたようだ。

 

いや、何かが違う...

 

こ、これは、タワー・オブ・テラーではなくて...

 

タワー・ブリッジ!!

 

ロンドンに転送されたのか!?

 

AIを頼りすぎるな、自分を信じろ!

 

千葉県の浦安駅に向かっているはずなのに、鳥取県の浦安駅に行ってしまうことがあるから気を付けろ!!

 

最終的に信じることができるのは、自らの筋肉だ!!

 

・・・・という、オッサンの一人遊びができたりするので楽しい。

 

有名なブロガーのお母さんがつぶやいた言葉。

 

育児から「かわいい」を引いたら、「しんどい」しか残らないと。

 

可愛らしい人形を眺めていると、うちの子供たちが小さかった頃の思い出が懐かしく思い出されたりする。

 

今になってみると、当時のしんどいという気持ちは残っていなくて、かわいいという気持ちが残っている。

 

育児をやっていた頃は余裕がなくて、「この厳しい時期、いつまで続くんだよ!」と思っていたけれど、今から振り返ると、「あの時、もっと子供たちと触れ合って、もっと楽しめばよかったな」と思ったりする。

 

仕事と家庭の両立は楽ではなくて、夫婦ともに、そして心身ともに追い詰まってしまうことが多いかもしれない。

 

しかし、子育てに絶対的なルールはないわけで、ある程度は力を抜いてリラックスすることも大切だったと、今になって思う。