教育委員会に辣腕で人情味あふれる教育長が就任してくださって、本当にありがたく感じる

 

新年最初のブログエントリーということで、やはり真面目に行こうと思う。 

 

今年の目標としては、たぶん無理だと思うけれど、気が付くと長くなってしまう文章をできるだけコンパクトにしたい。

 

また、細かいことだけれど、今までの一人称が「自分」だったが、文章の中で分かりにくいと感じるので、今年からは「私」に変えようかと思う。

 

タイトルは教育長だけれど、冒頭から始まるのは小学生の保護者としての苦悩。

 

一番上の子供に続いて、保育園児の子供もそろそろ小学校に入学する。

 

最近、保育園に子供を送っていくと、同じように保育園にやってくるお父さんやお母さんがものすごく若く見えるなと思っていたら、私が歳をとっているだけだった。

 

歳のせいもあるが、子育てを続けていると父親としての考え方や感じ方も変わってくるのだなと思うことがある。

 

若い頃は、「これはこうだ!」と一方向で考えることが多かったけれど、「いや、待てよ、こういう考え方もあるんじゃないか?」と踏み止まったり、「いや、その背景にはこういった理由があるんじゃないか?」と深くまで探ってみたり。

 

他方、老いてくると細かなことに気を遣うことが面倒になって、考えることをやめてみたり。

 

歳をとって頑固親父になってしまう理由が分かる。細かなことを考えることが面倒になるからではないだろうか。

  

ふと額に手を触れると、さっき風呂に入ったばかりなのにテカテカと皮脂が。

 

自身が気付いていないけれど、子供たちから「臭いよ」と言われ始め。それがオッサンになるということなのだろう。

 

近い将来、私も同じ境遇になるシニア世代の男性たちを眺めてみると、大きく分けて二つのタイプがあることに気づく。

 

一つは、「これはこうだ!」と上から落としてくるタイプ。それまでの経験などもあるだろうけれど、若い人たちが何かを言うと、頭ごなしに否定したり、最初から相手にせずに独自の考えを続ける感じ。

 

もう一つは、「うんうん」と丁寧に話を聞いて、助言を求められた時に言葉を返してくれるタイプ。非常に懐が深く、しかし積み重ねてきた人生の重みや深さを伝えてくれる感じ。

 

前者は、時に老害と批判されることもあるが、これは差別につながる言葉であり、適切ではないと思う。後者は老益とでも表現できるのだろうか。

 

誰だって、老益でありたいものだが、私はそうなれるだろうか。このまま行くと前者に向かっていくので注意せねば。

 

さて、浦安市内の新町エリアにある日の出小学校では、トータルとして考えれば、いつも通り素晴らしい運営が続けられている。

 

担任の先生はとても丁寧かつ熱心で優しく、同じクラスに何名かやんちゃな児童もいたりするが、イジメに発展することもなく何とかなっている。

 

日の出地区では新しく産まれた子供たちの数が増えているそうで、この町の良さが子育て世代に認められていることを嬉しく感じる。

 

一方、私なりに心配していることもある。

 

上の子供が入学した時にお世話になった校長の三橋先生が定年で勇退されて、後任の校長が着任してから小学校の雰囲気が少し変わってしまったように感じる。

 

学校に限らず、組織においてよくある話だ。トップが替われば組織が変わる。

 

感じ方や考え方は人それぞれなので、今の校長の方が良いと思う保護者だっていることだろう。

 

子供が日の出小学校に入学した時、校長の三橋先生と教頭の百瀬先生のタッグは非常に素晴らしく、浦安市に引っ越してきたことを幸運に感じるほどだった。

 

三橋先生と百瀬先生に共通しているのは、「ロジカルシンキング」に長けたところだと思う。考え方が論理的で、A → B → C という感じで筋道が分かる。

 

一方、三橋先生の後任として着任された校長は、あくまで私感でしかないが、ロジカルシンキングがあまり得意ではないように感じる。

 

教師としてのキャリアは非常に豊かで、校長に出世した時期も早かったと聞く。教育者としての懐の深さ、リーダーシップ、明るさ、どれをとっても浦安でトップクラスの優秀な校長なのだと思う。

 

ただ、前校長の三橋先生があまりに素晴らしい教育者だったからだろうか...

 

どんな人だって完璧な人はいないわけで、批判ではなくてアドバイスだが...

 

今回のエントリーでは、「論理」とか「ロジック」とか、そういった単語が100回くらい出てくると思うが、教育現場に最も欠けている要素の一つだと思うので繰り返して使うことにする。

 

今度の校長は、保護者的に考えればA → B → C というロジックで進むのだろうなという話が、A → D → Z のように途中でロジックが飛ぶ感じがする。

 

その思考の要素をつなぐミッシングリンクには、教師としての経験、教育における理想や想い、様々な要素が入っているのだろうけれど、保護者から見ると「?」という感じで思考が止まってシンクロできずにいる。

  

私は、一種教員免許状を持っているし、それなりの教育を受けてきた。免許だけでは意味がないかもしれないが、そこから先は学校の外の社会を知っている。

 

教師を尊敬しているが、ずっと学校の中で働いてきた人たちとは違う。

 

その上で考えると、現在の校長は素晴らしい教育者だが、その熱い想いを保護者に納得させられるだけのロジックが足りないと思った。

 

どんな職種においても、その道に詳しくない人たちに分かりやすく説明することは大切だ。

 

繰り返しになるが、私は一種教員免許状を持っているので、教育現場で駆け出しの若者だった頃の記憶が残っている。また、学校現場の裏側も知っている。

 

私が教員免許を取得したのに教師にならなかった、いやそんなに格好いい話ではなくて、単に挫折した理由は二つあって、その一つは家庭の多様性。

 

進学校の教師ならあまり気を遣わなくて済むかもしれないが、公立学校の教師になると様々な境遇の子供たちを育てることになる。

 

市の職員ならば表に出てこない街の内情、企業人ならば表に出てこないビジネスの内情、そして教師ならば表に出てこない家庭の内情を知ることになる。

 

経済的な格差の中で耐えている世帯、お父さんやお母さんを失った世帯。たくさんの現実が教育の場にはある。

 

それでも頑張っている子供たちに出会って、感受性の強い私の心が耐えられないと思ったから。

 

もう一つは、教育現場に特有の空気の中で、定年まで働き続ける自信がなかったから。

 

教育実習生が日誌を書き留める時に、あまり具体的に書いていると指導教諭が顔をしかめて、もっと抽象的に書くように指導されたりもした。

 

「すこやかな成長」とか、「個性を伸ばす指導」とか。

 

時に、校長や教頭や年上の教諭たちが、「ここは学校だから」とか、「わたしたちは教師なんだから」といった精神論を若手に押し付けてくることがあったり、若手が正論を言っても鼻で笑われたり。

 

遠い昔、教師は聖職だと言われたことがあったが、職員室の中では様々な人間模様があり、時に教師の心を削ることもある。

 

そういった環境で働き続けると、学校の常識によって思考するようになったり、ベテランの教師になるにつれて、保護者との間で考え方のギャップが広がるのだろうか。

 

翻って考えれば、抽象的な表現でロマンを語る教員が職場で歓迎されて、早く出世するということにならないだろうか。

 

学校の中において常識だと思っていることが、学校の外では非常識になっていることは珍しくないわけで、それを正していくことは、教師の労働環境の改善やモチベーションの向上につながると思う。

 

また、何か問題行動を起こす担任などがいれば話は別だが、もっと大きなスケールの話になった時、保護者から見た教育現場の課題を指摘する相手は、校長や教頭といった管理職になることだろう。

 

たくさんの可能性のある子供たちを育てたり、教師のモチベーションを考えると、あまりに分析的な思考では対応できないかもしれないが、ロジカルシンキングは学校現場にも必要だと思う。

 

社会的に問題になった組体操。朝早くから夜遅くまでの長時間の労働。

 

浦安市内では、学習指導要領に明記されてもいない組体操を安全に実施するために研修会を実施しているそうだ。

 

研修会を実施して教員の負担を増やすのではなくて、組体操を止めればいいじゃないか。

 

浦安市内の小中学校で、一体、どれだけの数のイジメが発生しているのか。また、どれだけの数の子供たちが不登校になってしまっているのか。

 

浦安市内の小中学生の学力は、全国平均よりもずっと上で、もはや日常の学習では足りなくて、組体操で頑張らないといけないくらいに余裕があるのか。

 

組体操以外にもやるべきことはたくさんある。

 

もちろんのことだが、教師は機械ではないし、公立の学校だからといって画一的である必要はない。

 

その学校には、その学校の個性があった方が素敵だと思う。

 

ただし、その個性というのは、校長や教頭、他の教師の主義だけで決めてよいはずはない。そういったことは私学でやればいいじゃないか。

 

それぞれの地区に公立の小学校や中学校があって、それぞれの地区には特色がある。地域の背景を学校現場に反映させることが大切だと感じる。

 

浦安市内の中で、新町エリアの日の出地区というのは、どのような場所なのか。

 

教員目線で考えると配慮と気構えが必要だと思うし、教師の人員の配置において慎重になった方がいいと思う。

 

浦安には、埋め立てによる土地の開発に伴って、元町、中町、新町という3つの居住エリアがあって、それぞれの街で地域住民の雰囲気が違ったりする。

 

不動産関連会社の調査によると、浦安市立日の出小学校の学区では、保護者世代の平均世帯年収が、千葉県内の小学校の学区のランキングにおいてトップ3に入った。

 

同じく、日の出地区の日の出南小学校の学区も千葉県内でトップ10に入った。

 

千葉県全体にたくさんある公立小学校の学区の中で、平均世帯年収のトップ10に浦安市内の2つの小学校の学区がランクインし、どちらの学区も日の出地区だったわけだ。

 

そして、それらの小学校の学区は、日の出中学校という1つの学区に相当する。

 

親だけではなくて、子供たちも馬力がある。

 

日の出中学校の生徒たちの学力は、千葉県内の公立中学校においてトップクラスだということはよく知られている。

 

千葉県の教育委員会の対応が後手になっているようだが、日の出中学校の生徒が県立高校を受験しようとすると、内申点で不利になってしまうくらいに学力が高いそうだ。

 

また、日の出小学校の場合には、半数近くの子供たちが私立中高一貫校を受験する。学習参観に行くと、子供たちの頭の良さを実感する。

 

先生が何かを質問して、一斉に子供たちの手が挙がり、次々に正解していくどころか、「そんな簡単な質問...」という感じで冷めてしまっている子供を見かける小学校は珍しいと思う。

 

別に、自分たちがエリートだと奢っているわけでもないが、厳しい競争社会を生き抜いてきたことは間違いないわけで、このような地区の公立小中学校では、保護者の考え方や感じ方に特色がある。

 

あくまで私感だが、日の出地区の保護者の場合、公立の小学校における学習や教育について、あまり多くを求めていない気がする。

 

「郷土教育をやってほしい」とか、「英語教育をやってほしい」とか、「スポーツに力を入れてほしい」とか、そういった感じではないと思う。

 

乱暴なことをする児童から被害を受けないようにしてほしいとか、衛生や安全に気を付けてほしいとか。かなりベーシックなことを大切にしている感がある。

 

公立小学校での学習だけでは足りないと思えば学習塾に子供たちを通わせるし、先生方が無理をして残業する必要もないし、学校全体のマターよりも自分の世帯の子供についてのマターを優先する感じもある。

 

頻繁に学級だよりを発行しろと言うわけでもなく、もっとPTA活動を盛り上げろと言うわけでもなく、とてもジェントルだと思う。

 

教師側から見ると、留意するところさえ留意すれば非常にドライで楽な小学校だと思う。

 

学校から保護者への報告、連絡、相談、つまり学校の外と同じホウレンソウをきちんとやって、保護者からのニーズにこまめに応じておけばよいわけで、教師が無理をして学校のカラーを打ち出す必要もない。

 

日の出地区の保護者はドライで効率的な雰囲気を望むと思うわけで、PTAにもその特徴が反映されていると思う。

 

そういった地区全体の性格を念頭において校長や教頭が対応する必要があるし、これらの管理職においては抽象的な表現しかできないロマンティストではなくて、学校の外の社会でも通用するくらいにロジカルシンキングに長けたリアリストが必要だと思う。

 

校長や教頭、主任、一般の教諭でも同じかもしれないが、他の街の学校で通用したからといって、必ずしも日の出地区の小学校でも通用するとも思えない。

 

学校の教師から保護者に対して、その取り組みにどのようなビジョンがあって、どのような具体性があって、どのようなリスクやベネフィットがあって...というようにロジカルに説明せずに突き進んで、何かトラブルが生じたとする。

 

そして、教師が保護者に説明したとする。

 

教師に特有の理想論や精神論で納得させようとしたら、保護者によって矢継ぎ早に指摘を受けて蜂の巣にされ、沈黙によるガードで耐えようとしても黙るとは何事だとディフェンスを剥ぎ取られ、最後は大上段から無慈悲な正論によって論破されてしまうことだろう。

 

日の出地区の保護者はジェントルだが、私なりに考えると、本気になって怒ったら怖いと思う。

 

多分に私感を重ねた上で同じ父親たちに限って言うと、日の出地区の小学校の学区の保護者は様々な分野で活躍しておられる方々が多い。

 

父親同士で集まると、経団連の集まりとか、経営者の集まりなのかと感じるくらい。

 

街の中ですれ違ってご挨拶する時にも、顔は笑っているけれど目が笑っていないというか、一瞬で「この人、鋭いな」と感じることがある。

 

毎日、毎日、夜遅くまで働いて浦安に帰ってくることもあって、「こんばんは。お疲れ様です」と父親同士で挨拶を交わす時の時間帯が深夜零時とか。

 

そういった父親たちが保護者参観にやってくると、普段着ではあるけれど、教師や子供たちを眺めている時の視線が明らかに同業者や部下のプレゼンをチェックしている感じだったりもする。

 

また、父親だけでなく母親の皆さんも礼儀正しくて穏やかで、自分としてはこの町で生活することが快適だ。

 

しかし、学校の中で何かトラブルがあって、彼ら彼女らが本気になるとかなり手強いと思う。

 

主婦のお母さんたちもおられるが、ご主人の仕事の都合で仕事を退職されただけで、実際には職業人として最前線で活躍できるくらいに馬力のある方々だと思う。

 

普通に考えれば、学校で何らかのトラブルがあると、何人かの保護者が集まって、担任やPTAに相談するという形になるかもしれない。

 

しかし、この学区の保護者の場合には、単独で校長室に乗り込んできて、学校関係者が何人いても一歩も引かず、話が通じないと思ったら教育委員会や市議会の責任を追及するくらいの馬力があると思う。

 

細かなことだが大切だと思うので言っておくが、現在の校長は、運動会における集団演技について前のめりになっているような気がする。

 

集団演技といっても、現在の日の出小学校の運動会における集団演技では、日本国内で問題になったピラミッドが含まれている。

 

集団演技であるはずなのに、どうして組体操が組み込まれているのだろう。

 

三橋先生がおられた時は、ここまで集団演技に組体操の要素を取り入れていただろうか。

 

腕に包帯を巻いて集団演技に参加していた子供がいた。まさか組体操の練習中の事故ではないだろうな。

 

集団演技という名前でカモフラージュしながら、組体操を実施するのであれば、それは違う。バレないとでも思っているのか。

 

集団演技と言いながらピラミッドという組体操を入れていることくらい、学校関係者でなくてもすぐに分かると思うが。

 

浦安市長や浦安市の教育長は日の出小学校の運動会に来て、現状を確認してほしい。

 

子供たちがピラミッドをやらされて苦悶の表情を浮かべている時、日の出小学校の保護者が拍手を送っているかどうかを。

 

私なりには、あまり喜んでいないと思った。テントの中の来賓を除いて、拍手をしている人なんていただろうか。

 

「え? こんなに問題になったのに、まだ、組体操をやるわけ?」というようなクールな眼差しが飛んでいた。

 

しかし、運動会が終わって、校長が書いた「学校だより」を読んで背筋が寒くなった。

 

運動会の集団演技に甚く感動したようで、それによって「子供の心が大きく育つ」とか、「ひとまわり大きく成長した」とか、そういった科学的根拠のない主張を並べていた。

 

しかし、集団演技の中に組体操が含まれていることや、その危険性や安全面への配慮については全く言及していない。

 

「集団演技に感動しました!」と校長が思うことは勝手だが、かなりクールに見つめている保護者がいることに気づいているようには思えないし、もう少し視野を広げてもらえないだろうか。

 

大切に育てている子供たちが怪我を負っても、この校長が責任を取るのかどうか、私には確信が持てない。そもそも子供が怪我をした場合には責任の取りようがない。

 

この校長は、夫婦ともにフルタイムで職場で働きながら子育てを続けている世帯の厳しい現状を理解しているのだろうか。

 

今でさえ限界に近いくらいにタイトなタイムスケジュールで毎日を送っているのに、子供が怪我をして入院もしくは通院ということになったら、大変な状況に陥る。

 

それなのに、学校だよりでは延々と校長の理想がつづられる。共働きの子育てが増えているにも関わらず、昔ながらの世帯のままという考えになってしまっていないだろうか。

 

学校から配布される印刷物に突っ込んで何になるという批判もあるだろうけれど、それらには学校や管理職の考え方や方針が浮かび上がる。気を付けた方がいい。

 

抽象的もしくは主観的な内容が入っていても構わないが、本人は間違いないと思っている教育哲学であっても、他者が見れば違うと思うことだってあるし、時に誤解を生じることもある。

 

三橋先生が校長だった時は、そういった曖昧な表現を削って、伝えるべきことを簡潔に伝えていたはずだ。

 

別に、保護者への連絡はメールでも十分、あるいはメールの方が早い。

 

学校だよりの執筆で校長が悩む必要もない。短文で構わないので、「保護者に対して伝えたいこと」に要点を絞って、箇条書きで構わないから客観的で論理的な文章を書いてほしい。熱い気持ちをポエムで表現しても伝わらない。

 

それにしても...個人的にはとても焦る。

 

浦安市や千葉県が空気を読んでくれて、三橋先生の後任の先生は三橋先生によく似た感じの校長が着任すると油断していた。

 

そうやって悩んでいる間にも、我が子が運動会で組体操を含む集団演技に参加させられる学年が近づいてきた。

 

学習指導要領に明記されていない運動会のイベントにおいて、どうして大切に育てている我が子が怪我のリスクに晒されねばならんのだ。

 

前校長の三橋先生の頃は話せば分かってくれる感じだったが...

 

我が子が、校長や一部の教師によってそれが決まりだと組体操に参加させられることはないと思うが、まかり間違って骨折、もしくは前歯を折るなどの怪我をしたとする。

 

私は、小学校に怒鳴り込むことはないと思う。

 

あらかじめ記録しておいた証拠を元に弁護士に相談し、校長および担任の教師の対応について民事で訴え、その内容を公表する。

 

ブラフではないし、裁判そのものに勝つことが目的でもない。

 

こちらは理詰めで意見を述べるので、校長たちは「子供や集団の心を育てるため」とか「観客に感動を与えるため」といったいつもの意見を述べてもらえばいい。

 

また、浦安市や教育委員会を訴えるわけではないので、市長や教育長と戦うつもりもない。

 

組体操で子供たちが怪我をしても、校長や教師が他人事のように責任をとらないという流れが納得できないので、当事者である学校の教師たちの責任はどの程度あるのかを法的に確認することが目的だ。

 

学習指導要領に書かれていないことをやって子供たちに怪我をさせて、すみませんでした、今度からは安全性に留意して組体操を続けますという流れは、普通に考えて適切だとは思えない。

 

それは学校の教師の論理でしかない。

 

組体操で子供が怪我をしたので中止しますという形なら分かる。組体操で子供が怪我をしましたが、今度は気を付けて組体操を実施しますというのは、筋が通らない。

 

公立学校の場合には、最終的には自治体の首長が責任を取るような形になるだろうから、教師たちがその大きな力の陰に入って自分を守ってしまうのではないだろうか。

 

大切な子供たちが大怪我をしているのに組体操を推し進めるなんて、教育者として適切ではない行為だと思うので、大きな陰から表に出てもらおう。

 

たとえば、医師が患者を治療しようとして、間違った判断で患者が大変なことになったとする。病院の院長や部長だけが責任を問われることはない。治療した医師も責任を問われる。

 

ところが、公立学校の組体操の場合には、市長などの責任が問われて、校長や担当教諭の責任が追及されないようだ。現場の教師の責任を問う必要はないのか。

 

それと、校長会の意思決定も大切だと思う。

 

流山市や松戸市、柏市といった自治体の小中学校の校長先生方は、非常に早い段階で状況を分析されて、彼らの英断によって校長会で速やかに組体操が中止された。

 

市長や教育委員会が指示をだすのではなくて、校長の先生方が集まって的確に対応してくださったわけだ。

 

一方、浦安市の校長たちはどうだったか。

 

日本全国で問題が出てきた段階で、ようやく組体操の怪我の状況を保健体育安全課に送り始め、校長会で議論しても、浦安市全体における組体操についてのコンセンサスを統一することができなかったわけだ。

 

新浦安では、決して少なくない数の子供たちが、公立の小学校を卒業した後、私立の中学校を受験する。

 

多くの保護者や子供たちが浦安市立の中学校を将来の選択肢として考えていない現実を、校長たちはもう少し直視したらどうだろう。

 

各学校の個性だとか、浦安っ子の教育だとか、色々と言っているようだが、組体操への対応については後手だと言わざるをえない。

 

浦安市の場合には教育委員会や校長会の判断によって、「組体操の実施については、各学校の判断」と決めたのだから、各学校の教師が責任をとるということなのだろう。

 

...という考えが、冒頭で気を付けねばと思っていた一方向な考え方なのだろう。

 

いかんいかん、これでは頑固なお爺ちゃんになってしまう。

 

建設的に考えた場合、まあとにかく色々な保護者がいるだろうから、組体操、もしくは組体操的な要素を含む集団演技を実施する前に、保護者を対象としたアンケートを実施すればいいと思う。

 

保護者の多くが実施に反対するのであれば、中止すればいい。学校側が強行する根拠がない。

 

賛否が分かれるようであれば、保護者と子供が賛成した世帯については集団演技の中で組体操を担当。

 

同時に、保護者と子供が反対した世帯については、集団演技の中で組体操以外のパートを担当。ウェーブをやったり、周りで円形に並んだり。

 

それでいいじゃないか。極めて民主的で論理的な対応だ。

 

日の出小学校については、子どもと保護者の同意がないと組体操ができないようにすればいい。

 

最終的には校長が責任を取ることになるわけだから、きちんと対応しておかないと後で訴えられかねない。

 

現時点ではロジカルシンキングに長けた教頭先生がいてくださるから安心だ。けれど、近い将来、他の学校に異動になることだろう。

 

次の教頭の人事がどうなるか分からないし、一人の保護者が考えていても仕方がない。

 

現在の校長先生にも素晴らしい点はたくさんあって、人として尊敬できることもたくさんある。しかし、教師としての考え方が固まってしまっている部分も見受けられる。

 

ただ、保護者が現在の日の出小学校に対してどのような気持ちなのか、良いところ、悪いところなどについて、全世帯を対象としたアンケートを実施してみたらどうかと思う。学校評価のアンケートだけでは足りない。

 

また、子供たちの安全に関わることはシビアになってほしいし、この町の空気にフィットするようなバランスのある校長や教頭が着任してくださることを願う。

 


ここまで長々と悩んできたが、独り言でしかない。

 

ようやく本題に入る。

 

たぶん、ほとんどの保護者は気づいていないだろうけれど、最近の浦安市は教育分野において素晴らしい取り組みを続けている。

 

今までの教育現場が必要としていたことをきちんと把握して、着実に前に進んでいることは間違いない。

 

こうやって書くと、「お前は市長派か!? 市議会議員になりたいのか!?」と詮索されることもあるが、私は市長派ではないし、反市長派でもない。

 

市議会議員になりたい気持ちもなく、特定の市議会議員を応援する気持ちもない。

 

この街に住む住民が、この街について是々非々で考えて何が悪いんだ。

 

私は、浦安市を持ち上げるタイプのブロガーではない。

 

ともかく、「教育委員会」と聞いて、何をイメージするだろうか。

 

テレビドラマなどでは、教育現場に色々と注文を付けてくるような保守的な人たちというイメージがあったり。

 

それを逆手に取ったようなクイズ番組があったり。

 

しかし、教員免許を持っている人たちなら分かると思うけれど、教育委員会は法律によって設置が定められていて、まさに教育の最後の砦になるような大切な委員会だ。

 

その委員会の代表である「教育長」は、市長と副市長に次ぐ行政のトップ3のような存在だと理解している。

 

市役所の中で職員が何かを立案して実施しようと考えた時、市長や副市長だけでなく、教育長が首を縦に振ってくれないと話が進まないというか。それくらいに重要なポストだと勝手に想像している。

 

一方、教育長や教育委員を最終的に任命するのは市長で、市議会がその人事に同意する形になっている。

 

つまり、教育委員会というのは、市長以下の執行機関と、市議会という議事機関の意図や方針を反映した人事が行われたりもする。

 

私がクドクドと説明するよりも、浦安市の公式サイトにアクセスした方が話が早い。以下引用。

  

教育委員会とは | 浦安市公式サイト

http://www.city.urayasu.lg.jp/kodomo/kyoiku/1020483/index.html

 

教育委員会は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に基づき、地域の学校教育や文化・スポーツなどを含む社会教育に関する事務を管理・執行する行政委員会です。

 

教育長を代表者とし、他4人の委員で組織され、教育委員会の権限に属する事務を処理するため事務局がおかれています。

 

教育長は、教育委員会の会務を総理し、教育委員会を代表します。任期は3年です。

 

教育委員は、市長が議会の同意を得て任命し、任期は4年です。

 

浦安市では教育総務部に、教育総務課・教育政策課・教育施設課・学務課・指導課・保健体育安全課が、生涯学習部に、生涯学習課・市民スポーツ課・運動公園スポーツ施設整備課などの各課が置かれています。

 

浦安市のページにおいて修正が必要な箇所があることに気づいた。

 

「教育委員は、市長が議会の同意を得て任命し」という部分の記載は分かるが、教育長がどのように任命されるのかという点について記載されていない。

 

平成27年度に施行された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の一部改正に伴い、教育委員だけではなくて教育長についても市長が任命し、市議会が同意する形になったのではないだろうか。

 

教育長の任期は3年。これは市長の任期の間に1度は自らが教育長を決めることができるようにという配慮なのだろう。

 

また、4名の教育委員の任期は4年。教育長と教育委員が丸ごと替わってギャップが生じないようにという考えだろうか。

 

ただし、教育委員の場合には任期が4年であっても再任が可能なので、たとえば市長のお気に入りの委員がいて、市議会が右ならえで同意すると、長期にわたって教育委員を務める場合もある。

 

何かが違う教育委員が市長に気に入られて、市議会をスルーしてしまって、教育委員会にやってきたとする。保護者が違うと思っても、教員が違うと思っても、市長が判断しないと変わらない。

 

それと、教育委員会という委員会は、人数としてはあまり多くないが、その下に「教育総務部」という市役所の部門がある。教育総務部には現役の公立学校の教師が市役所に異動して働くこともある。

 

教育総務部にも様々な担当課があり、小中学校の教育現場を考えた場合、イジメに関することは指導課が担当していて、とても重要なセクションだと感じる。

 

しかし、浦安市の場合に最も重要なのは保健体育安全課だと私は考えている。

 

「保健体育安全課」という名前だけを見ると、性教育の安全を担当しているようなイメージがあるが、実際には子供たちの安全に関わることの全般を保健体育安全課が担当している。

 

具体的には、学校での怪我であったり、感染症対策であったり、市内で不審者が出没した際の情報伝達であったりと、ミスをすると子供たちの命に係わることさえある内容を担当するので、おそらく市役所の中でもエース級の職員が配置されていることだろう。

 

そして、私が浦安市の教育委員会について関心を持ったのは、前述した「組体操」における浦安市の対応がきっかけだった。

 

中学生はともかく、まだ身体が出来上がっていない状態の小学生にピラミッドだ、タワーだと危険な技をやらせることに何の意味があるのかと、私自身が思う。

 

学習指導要領の中で「ほら、ここが組体操に関係するぞ」と、何となく重なる部分を引っ張って解釈しているような教育関係者もいるようだが、それは違う。

 

学習指導要領というのは、頑張って解釈しなくても理解できるように書かれているし、明記されている学習内容をやればいい。

 

それにしても、なんだか不思議だな。

 

私が小学生だった頃、ここまで盛んに組体操が実施されていなかった。しかし、日本全国において一斉に組体操が広がった感がある。

 

日本全国で広がるって、なんだか不思議だな。

 

いくら教師のネットワークがあるとはいえ、どうしてここまでの勢いで日本全国に組体操が広がったのだろう。

 

どうしてこんなに速かったのだろう、なんだか不思議だな。

 

しかも、多くの学校において、通常の学習ではなく運動会でのイベントに過ぎない組体操について、非常に注力する一部の教師がいて、とても感動的だから実施すべきだと応援する一部の保護者がいる。

 

どうしてこんなに頑張って組体操を実施させようとするのだろう、なんだか不思議だな。

 

全体ではなくて一部。しかも、声が大きいように感じる。まるで何かを信じ込んでいるかのような迫力だ。

 

何を信じているのだろう、なんだか不思議だな。

 

いつもは浦安市に対して指摘してくださるのに、沈黙を守っていた人たちがいたようだ。

 

どうして何もしなかったのだろう、なんだか不思議だな。

 

学校現場を中心に研究している大学の先生が色々なことを力説しているが、その根本については説明が足りない。

 

なんだか不思議だな。

 

それが表に出ないようにしていても、ここまで問題になったら分かってしまうのではないだろうか。

 

教員免許をもっていて、教育現場の裏側を知っている保護者だってたくさんいるのだから。

 

組体操の意義を信じるのは人の自由だが、その意義を信じていない人たちまで巻き込んでほしくない。

 

ここは公教育の場だ。

 

千葉県内の流山市や柏市、松戸市といった自治体では、組体操を速やかに中止し、安全の確保に向かって舵を切った。

 

特に、流山市や松戸市の情報の収集と分析のスピードは半端なかった。問題が表面化した段階ですでに怪我の内容を把握してデータベースを構築して、即座に教育関係者が協議して対応に入っているくらいだった。

 

では、浦安市はどうだったのかというと、問題が表面化して、千葉県からの要請があった段階で各学校から組体操での怪我の情報を集めているような状況だった。

 

当時の浦安市は、組体操に限らずデータガバナンスにおいてあまり優れているとは思えなかった。

 

そして、あまりオープンにはなっていないが、それぞれの保護者に対して教育委員会と校長会の連名という形の文書で通知があった。

 

組体操の実施は、①各学校で判断すること、②安全に配慮すること、③保護者にも説明すること、といった内容だった。

 

「保護者にも」という表現には違和感があった。「にも」という付随的な表現ではなくて、「保護者から同意を得る」という表現の方が適切だと思った。

 

各学校で組体操の実施を判断するという決定がなされたことは、考え方によっては良かった。

 

前校長の三橋先生が率いていた頃の日の出小学校は、さっそく組体操の実施を中止し、より安全な集団演技に変更した。

 

この地区の保護者の皆さんは子供たちの安全にシビアだ。

 

このままの状態で組体操を実施したり、子供が怪我をしたら、馬力のある保護者たちから強烈な突っ込みを受け続けると空気を読んでくださったのだろう。

 

学校の外の保護者にも色々な人がいるかもしれないが、松戸市や流山市、柏市などの自治体と同じく、これが「ロジカル」な対応だと思う。

 

子供たちや集団の心を育てるとか、観客が感動するとか、そういったエビデンスの明確でない教師たちの抽象的な考えで子供たちを危険な目に遭わせる小学校ではないことに安心した。

 

また、現状を客観的に分析して、他の学校がどう判断しようと、その本質を捉えて速やかに舵を切った校長の三橋先生や教頭の百瀬先生のことを、心から信頼するようになった。

 

では、現在の校長はどのような考えなのだろう。

 

学校だよりに書かれた校長の感想を眺めた限りでは、子供たちの怪我のリスクよりも、組体操の感動を優先してしまうのではないかと心配になる。

 

「子供たちや集団としての心が育つ」とか、「ひとまわり成長する」とか、ステレオタイプな文章を印刷して保護者に配っているが、日の出小学校の保護者の皆さんはどのようにお感じなのだろう。

 

もとい、浦安という街には、ここまで社会問題化したにも関わらず、未だに組体操の意義を信じている教育者や保護者がかなりいるようで、この街のことを分析する上でとても参考になった。

 

なるほど、浦安市内というのは、思ったよりも信じている人たちが多いのだな。

 

ああ、だから、そうなのか。

 

流山市や柏市は若い子育て世代の流入が増えていて、信じている人が少ないのかもしれないな。

 

組体操について、浦安市の教育委員会でどのようなことが議論されていたのか、私は調べてみたくなった。

 

その内容はきちんと会議録の形で公開されている。このような取り組みは大切だと思う。

 

教育委員会会議録 | 浦安市公式サイト 

 

http://www.city.urayasu.lg.jp/kodomo/kyoiku/1020483/kaigi/gijiroku/index.html

 

しかし、教育委員会の議論の内容を見て、私の中に虚無感がやってきた。

 

念のため断っておきたいが、現在の教育委員会ではなくて、かつての教育委員会の話。

 

新しい浦安市ではなくて、かつての浦安市の話。もちろんだが政治的な意図はない。

 

会議録を見れば分かるが、もう少し突っ込んだ内容を高いレベルで議論してほしいと思った。委員からの質問の内容が簡単すぎて、これでは議論というよりも確認のように感じた。

 

また、教員免許状を有している保護者という話ではなくて、一般の保護者という視線でみても、「おや?」という記載が目に付く。

 

たとえば...以下引用。

 

平成28年浦安市教育委員会第6回定例会会議録

 

1点目、小学校の運動会は、5月21日に10校、そして、28日に7校、天候に恵まれ、大勢の保護者の皆様に参加いただき、開催できた。今年度は、各学校とも組み体操の実施について、種目の検討や保護者への説明、練習計画等を慎重に行い、17校中16校で組み体操を実施した。

 

内容は、これまでの教科体育での学習内容を基本に構成し、2人、3人が組んだ技やピラミッドも実施されたものの、高さや複雑さを求めるものではなく、安全に留意しながらも見応えのあるものだったとのことである。

 

1校は組み体操を行わず、長縄跳びや跳び箱の演技披露、みんなで波を表現するなどの内容であったとのことである。

 

残念なことに練習中に2名、運動会当日に1名骨折をした児童がいた。

 

これはかつての教育長の説明。

 

すでに日本全国で組体操が問題視されていた状況なのに、学習指導要領に明記されてもいない組体操の実施を正当化して押していく雰囲気を感じる。

 

ここまで社会問題化したのに、ほとんどの学校が組体操を実施したことについては「見応えのある」と評価しておきながら、組体操を行わなかった1校については全く評価しないような、偏った意見だと感じた。

 

教育長がこのような考えだと、校長会も他の教師も反論できなかったと思う。

 

しかも、組体操の練習中および当日に3名もの児童が骨折している。

 

この場合、教育長は教育部門の最高責任者としての責任がある。しかし、責任をとろうとした形跡も、反省した形跡もない。

 

この結果が、果たして安全に留意した内容だと言えるのだろうか。

 

教育者に特有のロジックのずれというか、もう少し論理的に話してほしいと思った。

 

安全に配慮した上で組体操を実施して、3名もの子供たちが骨折するなんて、システムとしてどこか間違っている。

 

定例会もしくは臨時委員会において、その実施を判断した教育関係者の責任の所在を含めて、早急に対応を協議するような話だ。

 

教育に携わる人たちがこのような考え方を続けてきたから、たくさんの子供たちが大怪我をしてきたのに、全く分かっていないのではないか。

 

結局、その定例会では組体操について積極的な議論が行われた形跡がなく、立志塾だとかスポーツ大会だとか、そういった関係のない話が続いて、そのまま閉会。

 

嘘だと思うのなら実際に読めば分かる。私が教育委員だったら厳しく指摘するし、教育関係者の対応によって骨折して、大変な苦痛を受けた子供たちが不憫でならない。

 

私がその子たちの親だったら、徹底的に教育委員会や校長会、現場の教師たちの非を追求する。

 

翌年の同じ時期の内容は以下の通り。ちなみに、私はこれまでの会議録の全てに目を通した。以下引用。

 

平成29年浦安市教育委員会 第6回定例会会議録

 

組体操については、4月から担当者の研修会を実施し、校長会議において安全第一の指導をお願いしてきた。結果、観客に大きな感動を与えるとともに骨折者ゼロということで、無事実施することができた。

 

これは、子どもにとっても教師にとっても大きな成果ととらえ、実施計画の検討や指導項目を振り返り、次年度に生かすよう校長会議にて伝えたところである。

 

これもかつての教育長の説明。組体操において前のめりな思考だと感じた。組体操ありきというか。

 

大切な子供たちの安全を守ろうという気概よりも、組体操という学習指導要領に明記されていない種目を押しているかのように感じた。

 

その場に居合わせた教育委員たちは、どうしてこのような態度の教育長に物申さなかったのだろうか。子供たちを守ろうとする気持ちがないのか。

 

「観客に大きな感動を与える」という表現はかなり抽象的で、本人の感想でしかない。感動しない保護者もいる。

 

骨折者の数で安全やリスクを判断している点が納得できない。

 

骨折以外の怪我は怪我ではないのかと思うし、他の自治体での実施がどうなっているのかについて情報を集めたり、実施を前提として話を進めるのではなくて、その他、教育委員会としてもっと深く議論してほしかった。

 

そして、「子どもにとっても教師にとっても大きな成果」と言っているが、子どもにとって大きな成果とは何をもって判断するのか。

 

子供たちが怪我をするリスクと、一部の教育関係者や親の満足とを秤にかけるというのは間違っていると、私は思う。

 

小学校は子どもと教師だけの話ではない。保護者の気持ちを考えなくてもいいのだろうか。

 

組体操に限らず、かつての教育委員会で話し合われた内容というのは、そのテーマに偏りがあるというか、バランスが欠けているというか、あまり意義を見出せないような印象があった。

 

そうそう、全ての会議録をチェックしていると、非常に興味深いやり取りが見受けられた。以下引用。個人名を〇〇でマスク。

 

第2回臨時会(平成29年3月24日開催)

 

1.平成29年度幼稚園・認定こども園、小・中学校教育指導の指針(案)について〇〇指導課長より説明がなされた。

 

〇〇教育長: ただいま説明がなされた平成29年度幼稚園・認定こども園、小・中学校教育指導の指針(案)について、質疑を行う。何かあるか。

 

委員: PDCAサイクルとは何か。

 

〇〇指導課長:Plan・Do・Check・Actionである。

 

委員: こんなに盛りだくさんにならざるを得ないのか。

 

このやり取りを新町のお父さんたちが見たら驚くかもしれない。

 

教育指導の指針というのは、教育におけるガイドラインであり、非常に重要だ。その大切な内容について市役所の課長から説明があった。

 

その委員会に出席した教育委員が、「PDCAサイクル」が何なのかを知らなかったことに驚愕した。

 

様々な場面において、PDCAサイクルが上手く回らないことはある。特に、CとA。

 

そういったことについて指摘したわけではなくて、PDCAサイクルそのものが分かっていなかった。

 

教育行政に関係する人がPDCAサイクルを知らないというのは、問題がある。

 

続くコメントでは、指針の内容について「こんなに盛りだくさんにならざるを得ないのか」と疑問を呈している。

 

会議録において実名をマスクしているので、PDCAサイクルを知らなかった教育委員と同一人物なのかどうかは分からない。

 

ただし、指針の意味が分かっていたら、このような指摘は出ないはずだ。

 

なぜなら、指針というのはガイドラインであり、様々な状況を想定してあらかじめ対応を決めておかなくてはならないからだ。

 

あまりに簡素な指針をつくってしまったら、「想定外」が多すぎて機能しない。

 

そもそも指針というのは、国なり県がフレームワークをつくって、他の自治体の動向を含めて細かく用意するわけだから、分量が多くて当然だ。

 

指針というものが何なのかを理解していたら、「盛りだくさん」という感想が出るはずがない。

 

もう一つ。

 

保護者目線で考えると、かつての教育委員会ではさらに驚くようなやり取りもなされていた。以下引用。個人名を〇〇でマスク。

 

平成29年浦安市教育委員会 第5回定例会会議録

 

委員: 定例社会教育委員会議の協議事項にある組織について、市P連とPTAの関係は、どのような構造になっているのか教えてほしい。

 

○○生涯学習課長: 小中学校PTAについては、現在小学校が 17 校、中学校が9校あり、そこにそれぞれ単位PTAがある。小学校 17 校のうち5つの小学校は、PTAがあってもPTA連絡協議会には加盟していない。

 

委員: PTAとPTA連絡協議会は違うのか。

 

○○生涯学習課長: 学校ごとにPTA組織がある。それとは別に、今申し上げた小学校・中学校 26 の単位PTAが、集合体としてPTA連絡協議会をつくっている。小学校については5つ、中学校については2つ、未加盟の単位のPTAがある。

 

委員: それが市P連というわけか。

 

〇〇生涯学習課長: そうである。

 

委員: ここにPTAの会長が集まるということか。

 

〇〇生涯学習課長: そうである。

 

〇〇教育長: PTAは全国組織である。

 

委員: 全国にあるのか。

 

このやり取りはなんだろう。

 

PTAとPTA連絡協議会の区別どころか、PTAが全国にあることすら知らなかった人が、浦安市の教育を司る委員会の教育委員というのは、大丈夫なのだろうか。

 

かつての浦安市は、公教育に詳しくない教育委員であっても、学校の外の視点から意見を述べることが大切だと市議会で主張していたこともあった。しかし、その方針にも限界がある。

 

あくまで私感だが、教育委員は市が任命した役職なのだから、発言した内容については責任を伴う。

 

会議録の中で実名を消し忘れている箇所が散見されるが、本来ならば教育委員についても、全て実名を記載して会議録を公開すべきだと思う。

 

教育長や浦安市職員の実名が公表されているのに、どうして教育委員の名前を伏せているのだろう。浦安市にとって何か不都合なことでもあるのだろうか。

 

情報をオープンにした方が保護者からの指摘が減るし、教育委員にも緊張感が生まれる。

 

同時に、かつての浦安市が望んだ教育委員会の姿というイメージも理解できた。

 

おそらく、意図せずにこういった状態になっていたのではなくて、何らかの考えがあってこういった状態になっていたのではないかと。

 

しかしながら、平成28年度付近の教育委員会の会議録の中で、一際目立つ人物を見かけた。

 

その人物とは、当時の教育総務部長。

 

私は、市民として教育委員会を傍聴するような余裕がないので文書でしか判断できないのだが、この教育総務部長の実力は半端ない。

 

説明が理路整然としていて、要点が分かりやすく、明らかにロジカルシンキングを有していたし、教育畑を歩んだ市役所の職員、つまりパブリックサーバントなのだろうなと思った。

 

私が感じた限り、その当時の教育長や教育委員の議論というのは、あまり当を得ているようには感じられず、バランスが良い議論とも思えなかった。

 

しかし、キレッキレの教育総務部長の説明があまりに素晴らしく感じた。まるで原稿を用意して話しているかのように言っていることに全く無駄がなく、正論ばかりだ。

 

教育委員会というレベルではなくて、学校の外のビジネスシーンでも十分に通用しうる、いや、外資系企業の社員のような頭の回転の速さと鋭さだ。

 

「ああ、この教育総務部長が、教育長だったらよかったのに...」

 

心底そう思った。

 

そして、そこから月日が流れた。

 

しばらくして、教育委員会の会議録を眺めてみたら、非常に辣腕な教育総務部長の名前を見かけた。しかし、よく見ると役職が違う。

 

その瞬間、私は感激してしまった。この人事は値千金だと思う。

  

なんと、彼は、教育総務部長から学校長を経て教育委員会の教育長にコンバートされた。

 

すごいじゃないか、この人事。誰が思い付いたんだ。

 

ここまで優秀だったら誰でも気づくかもしれないが、浦安市が彼の実力を評価して要職をお願いしたことを大絶賛したい。

 

しかも、彼の経歴を拝見して驚いた。浦安市内の校長先生だったそうだ。

 

私は、彼の本職が市職員だと思っていたので、まさか学校の先生だとは想像していなかった。

 

そういえば、以前お世話になった日の出小学校の三橋校長先生も、同じような感じだった。

 

教師としては個性的かもしれないが、一般社会だと極めて真っ当な感じの先生。

 

そして、何度も言うが、非常に高い論理性と洞察力。

 

教育者によくあるフワフワした感じの理想論ではなくて、現実を真っ向から受け止めて、理知的に分析していくタイプ。

 

最近の浦安市では、イジメについてメールで相談を受け付けたり、学校関係でとても優れた取り組みを続けている。

 

現在の教育長が、浦安市のブレインの一人で、快進撃を続けている教育行政の原動力になっていることは間違いないと思う。

 

教育委員会の会議録を眺めてみた。新しい教育長は、まさに獅子奮迅の働きで、洞察力や論理性が半端ない。1人で教育委員10人分どころか、もっと優れた仕事をやっていると思う。

 

平成29年度と平成30年度の会議録を見比べるだけですぐに分かる。

 

言いたいことを遠慮なく指摘されるが、その意見が正論で無駄がない。

 

しかも、教育委員会という限られた時間の中で、子供たちの学力や安全、イジメやその対応、学校に関係するイベント、これからの方針など、極めてバランスよく議論してくださっている。

 

よくここまで気付いてくださると敬服し、感謝する。

 

特に、私が教育実習に参加していた若者だった頃、そして小学生の子供を育てる父親になった後、何か心の中でモヤモヤしていたことついても、現在の教育長は的確な答えを出してくださった。本当に勉強になる。

 

以下、教育長の発言内容を引用。

 

平成30年浦安市教育委員会 第6回定例会会議録

 

5月15日(火)、21日(月)に学校経営目標申告書の校長面接を実施した。

 

校長の学校経営に対する考えや目標申告書に基づき、私以下、教育総務部長、同両次長、学務課長、同主幹の同席のもと、1人 20 分程度の校長面接であった。

 

どの校長も自分の思いや願いを熱く語られていたが、その思いや願いをもう少しわかりやすく文章化すること、とくに、具体的な対策という観点では消化し切れていないように感じた。

 

部課長からもそれぞれの観点から指摘し、再度提出するよう求めたところである。これは、業績や人事評価につながるものでもあるため、今年度の各校長による学校経営に生かす意味でも目標管理をしっかり見守っていきたいと思う。

 

そう、論点はそこなんだ。

 

私がずっとモヤモヤと抱えていたのは、「思いや願いをもう少しわかりやすく文章化すること、とくに、具体的な対策という観点では消化し切れていない」という点。

 

それは浦安に限ったことではなくて、今の小中学校の校長や教頭の多くが教員人生で身に着けた考え方かもしれない。

 

学校の中では通用するかもしれないが、学校の外ではなかなか理解できないような考え方かもしれない。

 

日の出小学校の前校長の三橋先生が、どうして私の心にスッと届くどころか鷲掴みにするような話や文章をつづることができたのか、また、現在の校長先生の話や文章がどうして私の心に染みわたらないのか、そのことを端的に表現してくださった。

 

その課題に、校長経験者の教育長が切り込んでいくなんて、なんて爽快なんだ。

 

そして、校長たちに対して、目標申告書の再提出を指示したわけだ。

 

それぞれの学校で最も偉い校長が文書を作成して教育委員会に提出して、もう一度やり直せと突っ返すなんて、素晴らしいじゃないか。

 

それぞれの校長たちは、一度、教育実習生に戻った気持ちで最初から自分たちを見つめなおせばいい。なんて素敵な教育長なんだ。

 

彼が教育長である限り、校長が間違った方向に突っ走ることがないだろうし、厳しく指導してくださることだろう。

  

そうやって働き盛りの世代の背中を支えてくださるからこそ、私たちは子供たちを安心して学校に通わせることができるし、職場で安心して仕事に取り組むことができる。

 

しかも、彼は教育総務部長だったので、市役所の担当課の職員は部下だったわけだ。情報面やサポートにおいて何の心配もない。

 

さらに、現在の教育長は、浦安生まれ、浦安育ち、さらに浦安で教師として働き続けた人物だ。

 

私は最近、浦安生まれ浦安育ちの浦安関係者をとても信用するようになってきた。

 

なぜなら、彼らにとって浦安という街は故郷なので、これまでの浦安を知っているし、10年後、20年後の浦安という街についてとても真剣に考えてくださっているから。

 

また、誰だって、生まれ育った故郷が傾く姿なんて見たくはないだろうから。

 

しかも、教育長だけでなく、浦安市P連の役員を務めたこともある国立大学の准教授のお父さんが、新しい教育委員に任命されたようだ。

 

この人事も素晴らしい。

 

彼は非常に優秀な人物なので、本当に安心できる。

 

また、教育委員会の会議録しか見ていないけれど、教育長と教育委員との議論が明らかにレベルアップしている。

 

私から見ると、そして市議会でも議論になったことがあるけれど、教育委員の人選については、多くの保護者が客観的に見て納得できるように配慮してほしい。

 

現在の浦安市は、その重要性をきちんと理解できていると思った。

 

これからの浦安市内の教育現場は、さらに良くなっていくと思う。

 

ただ、とても惜しい気持ちも感じる。

 

これだけ優秀な教育長を任期3年で引退させるのはもったいない。あと2回くらい再任できないだろうか。

 

教育委員は何回も再任されている人がいるのに...

 

そういえば、副市長だった中村さんが勇退されたので副市長のスロットが一つ空いているが...これ以上踏み込むと政治に関わるので何も言わない。

 

さて、浦安市教育委員会の教育長は、人柄という点でも非常に面白い。

 

元町風の温かい雰囲気があるのだけれど、中町風の腰の落ち着いた考え方もあって、さらに新町風の洗練された感性もある。様々な学校で働いてこられたことも関係するのかもしれない。

 

総じて、今のお父さんたちにとって「俺たちの頼れる親父」として歓迎されると思う。

 

そういえば、浦安人図鑑でご本人が登場しておられたので動画をアップしておく。

 

いつも辛口なヒノデダッズムが、余人をもって代えがたいと敬服してやまない教育長。

 

鈴木忠吉先生。

 

これからもよろしくお願いします。

 

なお、この動画の中で吉田照美さんが、サッカー解説者の教育委員のことを日本代表と言っていたが、彼は日本代表として選出されたが怪我によって辞退したので、日本代表としてプレーしたことはない。すでに浦安市教育委員会において多大な貢献を果たしてくださった。しかし、この街にはスポーツだけではなくて、教育や行政について詳しい人材がたくさんお住まいだ。

 

加えて、公教育に詳しく、社会教育において積極的な地域住民はたくさんおられる。教育委員の定員は限られている。今の浦安市ならばあまり言わなくても察してくれることだろう。