ガラパゴスな街にもAI-OCRとRPAとGISの連携による行政事務の自動化の風が吹いている

 

短いけれど、書き留めておく。

  

タイトルが意味不明かもしれないが、読み進めれば分かる。

 

最近、浦安市の行政を見つめなおすために、市役所を舞台とした物語を書き続けていた。

 

想定通りの展開ではあるが、浦安市内の行政についてのエントリーは市内の人たちでさえ関心が集まらないようで、アクセス数は全く伸びない。

 

たくさんの地域住民が市の行政に関心を持って真剣に考えていたら、長きにわたって議論になる駅前のすごい施設ができることも、シニア世代を中心とした市民と行政が様々な場所でガチンコで衝突することもなかったと思う。

 

たまに行政に対してガツンと物申す市民の方々がおられるが、無理難題をふっかけているわけではなくて、筋が通っている正論だったりもする。

 

節約できるところは節約して、必要なところに予算を使うべきだと言ってくれる頭の回転の速い市民が多いことは、浦安市の特徴だと思う。

 

また、そういった正論に対して色々とオープンにできない不自然な力で押し通すのではなくて、ある程度は耳を傾けることで、市の行政に関心のない市民であっても、不満を溜めずに快適に生活できることだろう。

 

同時に、行政に対してガツンと物申さない多くのサイレントな地域住民に対して浦安市が自ら心の壁を開いて、できる限り気持ちを集めることも大切で、最近のこの街の行政はそういった取り組みに力を入れているような感がある。

 

大きな負債を抱えて青色吐息になっている自治体と比べれば、楽な状況での行政だと思う。

 

アクセスしてもらえない物語を書いていて虚しくなったので、一度、エントリーをクローズして、面倒なので大上段から一気に行こうと思う。

 

以前から気になっていることだが、浦安市役所の中の人たちは、市民からのブログやSNSによる情報発信についてどのように感じているのだろうか。

 

かなりの数の市職員、おそらく6割くらいがフェイスブックのアカウントを有していて、個人情報を自ら大公開している。

 

ここまで私生活や人脈をオープンにするというのは、なかなかだと思う。

 

皮肉ではない。

 

市役所のカウンターの向こう側で、スーツやホワイトシャツを着て、首にネームプレートを下げ、市民に笑顔で接したり、難しい要望に顔をしかめたり、ノートパソコンの前で黙々と働く市役所の人たち。

 

転職しない限り、定年退職を迎えるまで猫実地区の市庁舎に通って働くのだろう。公民館の館長になるという選択肢はあるだろうか。

 

しかし、彼ら彼女らにも当然ながら若き日の淡い思い出があり、生きてきた軌跡の中でたくさんの人たちに出会い、家庭を持ち、子供たちを育てたり、趣味やスポーツ、旅行などを楽しんだり。様々なことを心の拠り所にして人生を送っている。

 

市役所のカウンターの向こうで働いている市職員は、自分たちと違う人間ではなくて、同じ人間なんだということに気づかされる。

 

他の区役所や市役所ではあまり見かけない、彼ら彼女らの丁寧で気さくな人柄を、もっと市民が知ることができれば、この街はもっと良くなると感じた。

 

それと、市職員の視点で物語を書いていると、彼ら彼女らの苦労を疑似体験しているような不思議な感覚があった。なんだろう、ものすごく深い心の淵に引っ張り込まれるような。

 

どんよりと重く降りかかってくる何か。

 

自分は霊感があるとかそういうことではなくて、生まれつきの感覚過敏に苦しんでいて感受性が高いので、様々な点を頭につめこんで、まるで市役所のカウンターの中で働いているような姿を頭の中で映像としてイメージできたりする。

 

脚本家や作家、芸術家の中にはこういった人が多いようで、自分のブログの文章が鬼のように長くなることがあるのも、そういった性質によるものかもしれない。

 

うちのブログのエントリーに誤字脱字が多いのは、ワープロソフトや校正ツールを使わずに、短時間で一気に打ち込んでいるからだったりもする。

 

色々と考え事をしていると頭の中が重くなるので、それらを文章にして吐き出しているだけのこと。

 

大学受験の頃、美術の先生から「文学系や芸術系に行ったらどうか?」と言われたことがあったが、親が反対したし、あまり才能がないと思ったので行かなかった。

 

昭和の文豪と呼ばれた作家の中には、口述筆記、つまり、自分で字を書かずに作家がストーリーをしゃべって、それを他者がそのまま書き留めるだけで、一本の小説を仕上げるような天才がいたそうだ。

 

凄まじい能力だと思うし、精神を崩壊させて自ら命を絶ってしまうことが多かったのも、そういった脳のリミッターを解除して心が耐えられなくなったからなのかなと遠い目になって思ったりする。

 

もとい、市役所の中の人たちは、毎日、大変な仕事を続けているわけで、市民が書いたブログなんて見たくないと感じることだろう。自分が市職員だったら、気が滅入るかもしれない。

 

生きていると、「これはこうだ!」と一方向から判断することが多々あるが、よくよく考えてみると違った方向にもっと大きな要素が転がっていたりして、そういった発見に気づくことは大切だなと反省した。

 

市役所の仕事というのは、実に大変なんだなと。

 

座って事務仕事をしている姿は、一見すると楽なように見えるけれど、メンタルの負荷が非常に大きいと思う。彼らはどうやってモチベーションを維持しているのだろう。

 

改めて感謝の気持ちがわく。

 

しかしながら、自分に政治的な意図がないことを明記した上で話すと、浦安市の関係者の中には、この街の行政をガラパゴスと表現する人がいる。

 

周囲の環境から距離を置き、独特の進化を成し遂げたガラパゴス諸島の生態系に例えて、浦安市の行政をガラパゴスと表現するのであれば、なるほど言い得て妙だ。

 

「そんなことを言っていたら、市長から叱られるぞ!」という心配はご無用。そのように表現した人を調べれば分かる。

 

ガラパゴス。進化の楽園。太平洋に浮かぶノアの箱舟。

 

誤解を受けないようにある程度は説明が必要だと思うが、その表現を悪いことだと自分は思わない。

 

他の自治体と比べてギャップがあって市民のベネフィットに差し支える部分さえ修正すれば、とても個性的な行政になると思う。

 

浦安市がどのようにガラパゴスなのか。

 

海を埋め立てて街をつくり、夢と魔法の国や日本随一の鉄鋼団地をつくったということも驚くが、もっと燻しのきいたガラパゴスもたくさんある。

 

例えば、かつて、三位一体の改革によって公立保育園の予算が各地方自治体において一般財源化され、詳しく話すと長くなるので端折って結論だけを話すと、日本全国の自治体で公立保育園を維持する時の負担が増えて、保育園の民営化の波がやってきた。

 

余裕のない国家財政を考えると仕方がないと感じはするし、民間保育園の取り組みも素晴らしいと思うが、公立保育園の安定感は半端ない。自分の子供がお世話になっているので心からそう思う。

 

そして、浦安市内で生活していると、面積や人口のわりには想像以上に公立保育園が多いことに気づく。

 

全国で公立保育園の民営化の波が押し寄せた時、地方交付税交付金を受け取っていない浦安市にとって、その一般財源化は非常に大きな負荷となった。公立保育園の費用を自治体側で負担しなくてはならなくなったからだ。

 

しかし、浦安市は、公立保育園の重要性を理解して、それらを決して民営化させることなく、今まで維持してきた。

 

世の中の流れと反対の方向に舵を切ったわけだ。まさにガラパゴスだ。

 

では、自分たちのような保護者にとって、その判断は間違っていたと思うだろうか?

 

そんなことはない。この街の公立保育園は、保護者世代の気持ちを察して、この街にとってあるべき保育の姿をずっと守り続けている。また、公立保育園のレベルに合わせて民間の保育の質が維持されている。

 

市の財政において決して少なくない予算を保育に充てているが、そのことについて突っ込みを入れている市民を見たことがない。

 

自分は、そういった街の雰囲気がたまらなく好きだ。浦安は子育て支援に熱心だということは、市内外の人たちが認めている。その方針は、首長が変わっても何ら変わらない。素晴らしいことだと思う。

 

また、最近では、全国的に認定こども園を増やすという波がやってきた。その場合、公立の保育園と幼稚園をベースにして、民間によって認定こども園を運営する形になると思っていた。

 

公立保育園をつぶして、民営の認定こども園をつくれば、自治体の負担は減る。ただし、保育を担う大切な存在を自治体が手放してしまったり、細かく管理できないというデメリットもあるわけで、悩みどころは多い。

 

それでも、その流れに向かう自治体は珍しくない。背に腹はかえられないだろうし、公立保育園の施設が老朽化している状況だとその傾向は顕著だと思う。

 

一方、浦安市の場合には、保育園を減らさずに、市立幼稚園をベースにして認定こども園を増やすという、見方によっては負担覚悟の真っ向勝負を挑んでいる。

 

公立保育園の維持、民間保育園の新設だけでも市にとって大きな財政負荷がかかっていると思うが、それでも子育て世代を支えるんだという気概を感じる。

 

浦安市はこれまで、幼稚園教諭と保育士のダブルライセンスの職員を採用し続けていて、幼稚園と保育園の連携を視野に入れてきた。

 

また幼保連携においては、市立幼稚園の先生たちと公営保育園の先生たちが何度も話し合ってプロジェクトを進め、これまでも尽力されてきた。

 

市民はあまり気づいていないだろうけれど、浦安市の行政には、普通の自治体だったらやらないような、また関心を持って見つめると心にグッとくることを黙々と続けていたりする。

 

では、どうして、この街の行政は、ガラパゴスと表現されるようなベクトルに向かって進化したのか。

 

おそらく、埋め立てによる急激な街の発展。ベッドタウンとして移り住んだ市民の納税もしくは複数の産業を柱とした高い財政力。そして長く続いたトップの方針などを背景として、独特の行政のシステムが形作られたのだろう。

 

財政力が高いので、千葉県内の多くの自治体のように国からの地方交付税交付金を受け取っておらず、イレギュラーな対応をとらざるをえなかったということも関係するかもしれない。

 

また、よく勘違いされたり、揶揄されることもあるが、もしも浦安が千葉県浦安市ではなくて、東京都浦安区だったとしたら、やはり23区のようにある程度は同じラインの行政になっていたと思う。

 

自分としては、この個性的な街の行政が良い意味で興味深い。

 

普通の自治体だったらかなりの期間をかけて実現するようなことを一気にこなしてしまう疾走感は素敵だ。

 

しかしながら、デメリットという側面において、自分は他の自治体とかけ離れた状態になることも望まない。

 

比べてしまって恐縮だが、東京の23区の行政の方が一歩先に進むことが多くて、それらの自治体ではすでに行われていることが、浦安市では検討もされていなかったりもする。

 

このようなことを書いていると、浦安のことが大好きなとあるPTAの会長から色々と言われるかもしれないが...

 

特に自分が気にしていること。

 

それは、多くの自治体においては条例等で明確に決められているような内容が、この街では対応できていなくて、それをチャンスだと考えた法人からターゲットにされてしまうということ。

 

他の自治体の状況を把握し、きちんと条例をつくって対応していれば、市内の大切な産婦人科医院がトラブルに巻き込まれるようなことはなかったことだろう。

 

あくまで一般論だが、営利を追求する人たちは、法律や条例を分析し利益を得るためのターゲットを探している。

 

それらのターゲットが最初から露呈している場合も、社会の変化とともに表層化することも、さらにはターゲットそのものを作り出すことさえある。

 

機会やチャンスを逃さないという鉄則は、競争原理の中では当然のことだ。国内でもこれだけ厳しいが、国際社会ではもっと厳しい。

 

利益を得るためには、真面目で善良な人たちがどれだけ涙を流しても組織が突き進んでいくこともあって、それが生きることの厳しさでもあるのだろう。

 

一方、行政はどうあるべきか。たくさんの人たちが辛い気持ちにならないように、行政はピットフォールをふさぐ必要がある。

 

ガラパゴスの島々の生き物たちが人間に警戒しなかったことと同じように、この街の行政がのんびりと構えていることはよろしくない。

 

行政がピットフォールをふさぐ上で必要なのは、立場と保身ではなく、矜持と知性だ。

 

それと、浦安市は東京の隣にあるけれど、実際には千葉県にあるので、比較対象が千葉県内の自治体になってしまう。

 

ここまで全国の自治体がオープンデータに取り組んでいて、ネット検索でさえ情報が集まる時代。千葉県北西部を中心として情報を集める必要があるのだろうか。

 

市議会の動画を見れば分かる。「周辺自治体では...」という話になると、その多くが千葉県内の自治体が対象になる。都内に言及しても、江戸川区や江東区くらいだろうか。

 

多くの地域住民は23区や首都圏内の多くの自治体から移り住み、都内を中心として働いているわけで、行政がガラパゴス化していたとしても、市民の視野は非常に広い。

 

時に市民から行政に痛烈な指摘がやってくることも、また、多くの人たちがこの街の行政を素晴らしいと感じ、ある程度のミスは大目にみて街を守る仕事を任せてしまっていることも、そうした背景があるのかなと自分なりに勝手に想像している。

 

ただ、今までがトップダウンを軸としたシステムだったからかもしれないが、日本全国の自治体の動向にアンテナを張って情報を集め、それを市の行政に活かそうという感覚が、この市役所の中の人たちにはあまり備わっていない気がする。

 

しかしながら、市役所の中の人たちからは、市民に対してできる限り穏やかに、かつ丁寧に接していきたいという空気を感じるし、南の島のような温かさが心地よくて厳しく指摘することもできず、うーんどうなんだろうまあ一緒に仲良くやっていこうよという気持ちにもなる。何だか不思議だ。

 

市役所の中の物語を閉じて、真面目に語らなくてはと思ったことには理由がある。

 

今までの自分は、市役所を外から眺めて生活していたわけで、市役所の中から外を眺めることはなかった。

 

物語を書こうとすると、市役所の中の人になりきる必要があるわけで、色々と調べたり、状況を考えてみたりもした。

 

先の物語は、浦安市に大きな台風がやってきて、その非常事態に対して市役所がどのように対処するのかということがテーマだった。

 

そのテーマで物語を書き進める中で、ふと思った。

 

「この状況では、このツールが役に立つな」と感じた際、そこから物語を書き進めるためには市の状況を確認せざるをえない。

 

市としてはすでに準備していると思っていたが、まるで何も準備できていないことがたくさんあることに気づいた。その中で、市職員の負荷や行政でのコストを大きく減らすヒントが横たわっていることに気づいた。

 

「もしかして、この市役所は、AI-OCRやRPAを使わずに、旧世代の行政事務で頑張ろうとしているのではないか? いや、そのようなツールの可能性自体をあまり考慮していないのではないか」と。

 

他の自治体が次々に取り組みを始めれば一歩遅れる形で始めるかもしれないが、浦安市の予算規模や業務量を考えた場合、今すぐ検討した方が、市職員の仕事量の軽減や市民のベネフィットにつながると思った。

 

市役所にはこの方面に詳しい職員がいるので、詳しく説明する必要はないが、大手企業ではすでに検討を始めるどころかすでに導入していることが多い。都内でも港区などの自治体はすでに一部の業務でそのシステムを導入し始めている。

 

最初に考えておきたいのは、AI-OCRによる文字認識。AIというのは、説明するまでもなく人工知能。

 

数十年前なら特殊な技術だったが、現在では身近なものになっていて、市民が通販を利用する際にも、あまり意識せずにAIを使っている。

 

「OCR」とは、「Optical Character Recognition/Reader」の略。日本語に訳すと、光学的文字認識。そこいらで販売されているスキャナーにも簡単なOCRが付属していることが多い。

 

近年のAI-OCRの発達は著しく、世界中の言語の中で最もOCRが困難だと言われてきた日本語であっても、手書きの文字をコンピューターで読み込んで、テキストデータに変換することができるようになった。

 

テキストデータになった情報は、職員が自由にコピーペーストできるわけで、手入力の時間が大幅に減る。

 

ヒューマンエラーは激減するだろうし、眼精疲労や肩こり腰痛に苦しむことも、ベテラン職員が眼鏡を外して印刷物や申請書をのぞき込む必要もなくなる。

 

余程のクセ字でなければ、99%近い精度で手書きの日本語を読み取ることができるし、そのクセ字であったとしても、AIが自分で学習してテキストに変換するようになる。

 

もう一つの用語、「RPA」というのは「Robotic Process Automation」の略。日本語に訳すと、ロボットによる業務自動化。

 

事務を主体としたホワイトカラーの業務において、すでに実用化されている認知技術で、ルールエンジンや機械的学習、人工知能などを組み合わせて、人間が行う仕事の内容をコンピューターが行うことができる。

 

コンピューターは眠らないので、夜間でも市民からの連絡を受け付けることができるし、市職員の残業も減る。

 

市役所の事務の場合には、人間がやらなくてもいいことを人間が頑張っている感があるわけで、お年寄りの市民が市役所に行って窓口で並んでイライラすることも、小さな幼児を連れた保護者が窓口で子供をあやしながら我慢することも減る。

 

ただ、「これらのツールを導入すべき!」と指摘するのは楽だが、実際にAI-OCRとRPAを組み合わせると何ができるのかを説明する必要がある。

 

例えば、市民が市役所に行って申請書に手書きしたり、市から配布されたアンケートに市民が回答して手書きしたりと、市役所にはたくさんの書類が集まる。

 

そういった時、市職員が内容をチェックして、パソコンにポチポチと入力することがあることだろう。

 

その作業は、いくら仕事とはいえ、市職員の心身に負荷をかけることになると思う。

 

また、浦安市は財政力が高いこともあって、そういった市職員の負荷を減らすために、アウトソーシング、つまり業者にお金を払って外部委託することが多い。

 

この委託の規模が思ったよりも多くて、市職員が慣れてしまっている感がある。

 

市の財務部を中心として、「BPO」、すなわち「Business Process Outsourcing」に取り組んで、市職員の負荷と大幅なコスト削減に寄与したことがあった。

 

そのような業務委託についてなら、企業の取り組みを参考にしていて、行政にも市民にもベネフィットがあって素晴らしいと思う。

 

しかし、面倒だからアウトソーシングで...という形になって、お金の力で解決することを繰り返すと、市職員にとっては楽かもしれないが、確実に市の予算が減ってしまう。

 

アウトソーシングの場合には、その業者での人件費も加算されるだろうし、財政力が傾いたら外注できずに職員が身を削って対応することになるかもしれない。

 

さらに、アウトソーシングの大きな欠点は、行政固有のデータを取り扱うことに限界が生じることにある。

 

例えば、市民の個人情報を外部委託の業者に渡してしまって、もしも外部に漏洩してしまったら、もちろんだが浦安市も責任を取ることになる。

 

しかし、情報が流れてしまったら、取り返すことが不可能だ。

 

そのため、センシティブな市の情報については、市職員が取り扱う必要があり、そこにアウトソーシングを持ち込むことは難しい。

 

市の行政事務において、AI-OCRやRPAを導入するとどうなるか。

 

市職員が地道にノートパソコンをポチポチと入力しなくても、また市民から預かった税金をアウトソーシングにまわさなくても、そういった作業を自動で実施することがことができる。

 

書類に書かれた文字を、AI-OCRが自動で読み取って、RPAが自動で処理して、市職員が最終チェックをするだけ。

 

市役所的には情報を印刷物として紙に打ち出さないと満足できないということであれば、データセンターで薄い用紙に一括して印刷して、自動的に製本してまとめることもできる。

 

それぞれの文書を速やかに照会できるようにページにバーコードを割り振ってデジタル管理することもできる。

 

市民から開示請求があって、スミ塗り文書を提示したい場合には、カーソルで細かくマスクすることができるので、ノリ弁当を提供して議員や市民が激高する必要もない。

 

コンピュータープログラムがタスクを実行するだけなのだから、市職員は疲れないし、メンタルな負荷も、残業も減る。

 

市役所には、エクセルをワープロソフトのように使って作成した文書、もしくは今では使っていない旧式のワープロで作成した文書、さらには手書きでしか残っていない文書もたくさん出てくることだろう。

 

それらの古い文書を高速スキャナーで読み取って、AI-OCRを使ってデジタル化しておけば、古い文書をシュレッダーにかけたとしても、大切な情報が残る。

 

書庫のスペースの都合があるのは仕方がないが、期間が経って市の情報を捨てる必要はないし、開示請求については別の期間を設定して、市の情報として残しておけばいいと思う。

 

首長が変わって、市の取り組みや背景を後方視的に照会する際にも、その方が役立つだろうから。

 

もう一歩、踏み込めば、AI-OCRで認識した情報をRPAが処理し、GISに取り込んで可視化することもできる。

 

GISとは、「Geographic Information System」の略。日本語に訳すと、地理情報システム。

 

要は、書き込みが可能な大きな電子地図のようなもの。

 

市民が生活する中で処理する情報というのは、「日の出何丁目何番地のどこどこで不審者が出た」とか、「北栄地区では保育園の待機児童が増えている」とか、「中町エリアでは少子高齢化が進んでいる」といったように、地図上の位置で考える必要がある。

 

つまり、地方行政の情報のほとんどは、地理空間情報、いわゆるG空間情報とリンクしていて、GISを使いこなせるか否かで、街の業務が変わってくる。

 

実は、浦安市はGISを行政に活かすという取り組みにおいて、日本全国でも先進的な自治体だった。他の自治体が白地図に情報を書き込んでいた頃、浦安市ではすでにGISを使ってコンピューター上で情報を処理していた。

 

どうして過去形なのか。

 

浦安市がGISを整備した時期は全国の自治体の中で最も早い部類で、東日本大震災の際には液状化への対応、すなわち自然災害への対応においてGISを活用した先駆的な存在として注目された。

 

しかし、その取り扱いに長けたGIS上級技術者の資格を有する職員2名を、GISの主たる担当課である情報政策課から他の課に人事異動させてしまったことは、人的なリソースとして大きな痛手になったと自分は思う。

 

GISのエキスパートというのは、全国の自治体でも少ないわけで、一般の事務職員というよりも、保育士や土木関連といった専門的な職員としての扱いが大切なのかもしれない。

 

一般の事務職員のように他の課にローテーションで異動させてしまうと、スペシャリストとしてのスキルを養うことが難しくなるし、情報政策課の業務に口を挟むことができなくなるだろうから。

 

また、浦安市を取り巻く環境も変わってきた。GISそのものの技術や利便性が飛躍的に進化して、全国の自治体の職員が普通にGISを使用できるようになってきた。

 

GIS自体はトライアル版が提供されているので、試しに使ってみれば分かるが、インターフェイスの操作自体は他のソフトウェアと比べて大して難しくもない。

 

浦安市内には、様々なベンダーで働いている市民の方々がお住まいだと思うし、自分でプログラムを組むことができる人もたくさんおられる。

 

そういった人から見れば、スマホのアプリを使う程度の話だと思う。ただ、ここまでGISをアップデートするのは並大抵の苦労ではなかったと思う。

 

また、実際にインターフェイスを使ってみて実感したが、GISはデータを用意して、それらを解析することで初めて意味が生まれるのだろう。

 

地方行政には大規模で緻密なデータが集まる。このG空間情報を分析するためには普通の市職員ではなくて、データサイエンティストやデータアナリストの力が必要かもしれない。

 

最近の外資系企業では、大学院を修了して博士号を取得した若者を積極的に雇用し始めた。そろそろ地方自治体でも博士を採用する時期が来たのかもしれない。

 

また、市民の情報が付随したG空間情報を企業が受け取ってしまってよいのかどうか。つまり情報の機密性の観点から、ほとんどの情報をクラウドで管理してしまってよいのだろうかという疑問も生じるわけで、ある程度は市役所の中にサーバを置いて情報を企業に渡さないという取り組みも必要かもしれないと思ったりもする。

 

そういったことに浦安市役所の中の人たちが気付くことができるかどうか。

 

情報分野で加速する技術革新の中で、北海道の室蘭市や他の自治体のように、市の業務の柱として気鋭の職員を集めて、積極的に取り組んだ自治体は、かなり先に走って行ってしまった。

 

かつての浦安市はどうなのかというと、情報政策課から他の課に移されてしまった一部の職員が、業務の外で自主的に孤軍奮闘しているような状況で、市の業務として積極的に情報分野のチームを組んで取り組んだとは思えない。

 

結局、情報分野において先駆的な存在だった浦安市は、先駆的な自治体を後追いしているような状態ではないかと、個人的には思う。

 

そういった背景は当時の首長だけに責任があったのかというと、自分はそう感じない。当時の市の幹部職員たちの見通しや理解が浅かったと感じはする。

 

また、浦安市の市職員が情報分野での能力を持っていないのかというと、自分は決してそうは思わない。

 

ベテラン職員のICTスキルはかなり低いと思うが、それは市役所に限った話ではない。むしろ、この市役所の若手職員の中には、情報分野だけではなくて、非常に高い能力を有している人がたくさん働いている。

 

例えば、マイナンバーが全国で施行された際、住民の転出入が多い浦安市では、市民へのマイナンバーの葉書での通知において、大変な業務負荷がかかることが予想された。

 

その時、浦安市役所の中で、先のGIS上級技術者をリーダーとして、若手職員を中心にタスクフォースが編成され、普通に市役所で使用されているデータベースソフトを使って、自らの力で通知システムを構築してしまった。

 

市民の個人情報なので業者に投げることができなかったし、独自のアルゴリズムを立ち上げると他の自治体でのシステムの汎用性がなくなってしまうという理由があったのだろう。

 

自分は、このエピソードを知って、この市役所の若手職員のポテンシャルの高さに感服したし、彼らが次世代を担うことで、この街はもっと良くなると思った。

 

ちなみに、その際のタスクフォースを率いた職員は、元々、情報政策課にいて、液状化の際にはGISを使って浦安市の復旧に貢献した。

 

しかし、財務部に異動になって、そのまま情報政策課に戻ってくることはなかった。積み重なるフラストレーションを自主研究グループや市役所の外のオフサイトミーティングで発散しているようだが、本来は市の業務の中で完全燃焼してもらいたいものだ。

 

これが役所なのだろうと思いはするけれど、何だかもったいない気がする。

 

先の職員もそうだが、市の幹部たちにおいては、優秀な若手職員たちの可能性を押さえつける必要はなくて、彼らを様々な研修会に送り出し、もしくは省庁に出向させて能力を高める取り組みが必要だと感じる。

 

現在の浦安市では、GISやオープンデータについて積極的に取り組もうという姿勢を感じるが、やはり滞った時間のラグは大きい。

 

同世代の四十路の市役所の職員の中には、オープンデータが単なる情報開示だと勘違いしている人もたくさんいて、そういった時にガラパゴスだと...うーんまあとにかく仕方がないかなと思うが、他の自治体はどんどんと先に進んでしまっている。

 

AI-OCRで取り込んだ情報を、RPAで処理し、GISに自動でマップ化するというソリューションは、年間で1億円もかからないと思う。

 

浦安市は、ふるさと納税で毎年4億円くらいを失っているようだから、きちんと返礼品を用意すればそれくらいの予算は確保できる。議論を生じた駅前の施設の年間の維持費もこれくらいだろうか。

 

ただ、東京の先進自治体の情報を眺めた限り、AI-OCRからRPAまでのシステムを構築するくらいであれば数千万円もかければ対応できるし、それだけでも通常の業務に要していた人的および経済的なコストを大幅に減らすことができる。

 

それと、組織において最もコストがかかるのは人件費だ。

 

市役所の部長級もしくは次長級の職員の年収はどれくらいなのだろう。部長級や課長級の職員の仕事の内容は想像がつくのだが、浦安市はどうしてここまでたくさんの次長級の職員がいるのだろうか。

 

関連法規に基づいて適切な人事がなされているとは思うが。部長級が動けない時には課長級がサポートすればよいわけで、むしろ原動力になる課長補佐級を増やした方がパワーバランスがよい気がする。

 

企業の中には、管理職の数を減らして人件費を減らすという流れが増えてきて、その取り組みにも色々な課題があるわけだけれど、次長級の職員を減らして、その分の人件費を行政事務の自動化に充てれば、若手職員を含めた職員全体の仕事の負荷が減る計算になる。

 

また、人間が担当する必要のないことに予算を使わずに、消防や保育といった、人間でしか担当できないことにお金を使った方が、市民のためになる。

 

そういえば、人件費ということで思い出した。

 

市議会議員1人あたりのコストは1年で900万円くらいだったと認識している。せっかくだから3人くらい減らして、1台900万円くらいのスーパーコンピューターを3台くらい配備し、子供たちの世代、子育て世代、シニア世代といったパラメーターを強めた人工知能を搭載させれば、仕事をさぼることもなく、二元代表制の本質を忘れることもなく、不必要なアピールやしがらみのない的確な判断が期待され、次年度からは人件費を大きく減らすことができる気がしたが、ヒノデダッズムは政治的なことには言及しないので何も言わない。

 

それ以前の話として、この市役所の職員の中に、情報分野の取り組みが自分たちの業務量の低減につながるということを理解している人がどれくらいいるのだろうか。

 

若手職員たちは、企業ですでに実用化されている技術について見識を深めているのだろうか。

 

君たちは優秀だ。日本全国の他の市役所どころか、県庁、さらには霞ヶ関でも通用するような人たちだ。

 

小さな市庁舎は、デスクや窓口がある場所でしかない。本当の職場は浦安市という面積としては小さいが人間にとっては大きな街だ。

 

自分たちの可能性にふたをして、そのまま歳を取って、若い頃を振り返った時、君たちに何が残るんだい?

 

...と熱く励ましているのも何だか変だと気付いた。気持ち悪い市民と思われたらどうしよう。

 

とにかく、目の前の書類に書かれている情報を、市職員がノートパソコンとにらめっこしてカタカタポチポチと入力する必要がない時代に入っている。

 

わざわざ人間がやらなくてもよい仕事を残業によって処理しなくてもよいのに、それが決まりだからと我慢する必要はあるのだろうか。

 

AI-OCRとRPAとGISの連携による行政事務の自動化について、「ああ、これは大切だ」と思ったのは、先の水害対応における個人的な考察している時だった。

 

液状化によって浦安市がダメージを受けた時、すでにその経験があったと思うけれど、市民などから寄せられる連絡について、すべて聞き取ってメモを取り、パソコンにポチポチと入力している余裕がなかったと思う。

 

市内のどこで何が起こったということを、簡単にメモ書きして、それを自動スキャナで読み取れば、あとは職員が何もしなくてもGISのアノテーションとして付加されて、すぐに市内の損害箇所についてのマップをつくり、それを関係各所に伝達することができると思う。

 

民間企業が取り組んでいる内容についても、浦安市がきちんと把握して、学ぶことがあれば学び、役立つことがあれば積極的に取り入れる。

 

ガラパゴスだって、いいじゃないか。市民の負託に応えることができれば。

 

さらに個性的な行政になれば、いいじゃないか。それが浦安の良さなんだから。

 

...と、一人の地域住民が熱く考えても、何も変わらないことだろう。

 

浦安の行政の特徴の一つが強い恒常性だと思う。最近のパブリックコメントに対する市の回答を眺めれば分かる。

 

首長が代わってから数年はシステムの整備が必要だろうし、現時点ではディフェンスを上げているような印象があるが、近い将来、もっとガードを下げても大丈夫な時代がやってくることだろう。

 

人は批判されるだけでは動かない。信じてもらうことで動くことができる。

 

いつ実現できるか分からないけれど、市民が信じることは大切だと思う。

 

きっと前に進むことができるから、自分たちの力を信じて、一歩を踏み出してほしい。

 

...と上から目線で市役所を励ましているのも何だか変だと気付いた。やはり気持ち悪い市民と思われたらどうしよう。