広報うらやすを見て、自分は思い出した。水害のリスクを抱える街で生活していることを (後編)

 

自分が住む街のことについて考えていると、色々な人たちが寄ってくる。

 

秋の長雨が続いた頃にこの街の水害について考えようと書き始めたところ、後編が仕上がってもいないのに、とあるツイッターユーザーから揶揄された気がして、その後を書く気が失せた。

 

ツイッターアカウントが匿名だったので、メタデータを解析してフェイスブックアカウントを特定したところ、とある浦安市内の小学校のPTA会長にたどり着いた。

 

個性的ではあるが偏った人でもなくて、かなり面白い人のようだ。この人が奥さんだったら、笑顔が絶えない家庭になることだろう。警戒して損をした気分になる。

 

そのPTA会長は浦安という街のことが本当に好きなのだろう。一方、自分は浦安市の行政について斜に構えているところがあるわけで、そのような態度が気に入らなかったようだ。

 

では、そういった同世代が自分にとって相容れない人なのかというと、自分はそうは思わない。

 

街のことについて関心を持つことは大切だ。意見が違うからとツイッターで揶揄することは歓迎できないが、無関心でいることよりもずっと素晴らしいことだ。

 

保護者世代の中には自分たちが生活する街についてあまり関心がない人たちが多いように感じる。10年先、20年先の浦安を考えている人は少ないと思う。

 

ただ、自分がそのように偉そうなことを言える立場でもない。

 

東京の23区で生活して、子供の誕生を機に浦安に引っ越してきた自分としては、浦安市民であるという帰属意識がなかなか成熟できずにいる。千葉県民としての帰属意識はさらに薄い。

 

浦安は便利で住みやすい街だとは思うけれど、自分の妻子のように浦安で育ったわけでもなく、妻の実家が近いという理由で引っ張りこまれた。

 

「あまりに気に入らないことがあれば、東京に引っ越せばいいじゃないか!」という自分と、「それは父親として正しくないよ。妻や子供の故郷なんだろ!」という自分で葛藤が生じていたりする。

 

先のツイッターユーザーだけでなく、浦安には、この街で生まれ育った人たちがたくさん住んでいる。そういった人たちにとっては、自分のような人たちは余所者なのだろう。

 

例えば、自分にとっての三社祭は、参加するものではなくて、観覧するものだ。同じ街なのに参加する機会さえ与えられないし、自ら参加しようという気持ちさえない。

 

しかし、「浦安の行政について課題を指摘するなんてけしからん。浦安市民は浦安が大好きであるべきだ」というコンセンサスを求められたら、自分はそのような考えを受け入れることはできない。

 

完璧な人間がいないのと同じように、完璧な街は存在しない。良いところもあり、悪いところもある。

 

良いところには素直に感謝するべきだが、違うと思ったら我慢せずに違うと言えばいい。

 

それと、市民の個々の考え方と、地方政治とは切り離して考えるべきだ。

 

市長派だとか反市長派だとか、そういった古い考えは捨て去るべきだと自分は思う。

 

このブログが不偏不党かつ公平中正をモットーにしていることはきちんと示しているし、自分は街のことについて考えているだけで、市長派でもないし反市長派でもない。

 

自分は特定の市議会議員を応援しないし、自ら立候補するつもりもない。

 

ツイッターやフェイスブックといったSNSと違って、ブログはネット上の誰かと密につながっているわけではない。

 

ブログの中には、はてなブログやアメーバブログのようにユーザー同士がつながるタイプのサービスもあるけれど、自分はそういったサービスを利用しない。

 

他者に対して積極的に何かを伝えたい気持ちはなくて、興味があればアクセスしてくれればよいくらいの話。自分の文章の価値なんて、その程度のものだと思う。

 

ブログを続けていると、毎日のようにたくさんのアクセスがあるのにメッセージが届くことはほとんどない。まさにサイレントな閲覧者を前に、エントリーを書き続けるということがよくある。

 

今でこそ「こういったエントリーを書くと、あの人たちが見てくれるかな」とか、「この人のために、このエントリーを書いてみようかな」とか、そういった気持ちになることができるが、レスポンスがない状態で文章を書くには根気が必要だ。

 

そもそも趣味に根気が必要なのかという話でもあるし、多くの人たちがブログを立ち上げて、しばらく頑張って更新が途絶え、そのまま放置される理由でもあるのだろう。

 

自分がブログを続けていると、インターネットの黎明期の楽しさを思い出す。

 

昔のことを言うと歳を取った気がして、実際に歳を取っているが。

 

現在では手のひらに乗るスマートフォンの高速通信でネットに接続することができる時代だけれど、今から20年以上前の青年だった頃、つまり、インターネットが一般に普及し始めた頃は、そういった便利なシステムは整備されていなかった。

 

パソコンを電話回線につなぎ、ダイヤルアップでジーコジーコキュルルルッーとネットに接続して、本当に大変だった。そして、まさにネット上に漂っているサイトを見つけて、そのユーザーの部屋を訪ねるような感覚でサイトを閲覧して。

 

現在のようにサイトのレイアウトのテンプレートがたくさん用意されているわけでもなく、本当に手作り感があふれるサイトたち。

 

背景が黒板のような緑色で文字が白色だったり、黒の背景で星が飛んでいたり。全体が桃色のサイトだとか。

 

まさにレイアウトの個性が豊かで挑戦的だったし、回線のスピードやサーバーの性能に限界があったので、動画どころか写真をアップロードすることさえ難しかった。

 

ということで、ホームページやブログといった区分けすらない時期のサイトのコンテンツ、つまり中身は、文章が中心だった。

 

当然ながら、文章を書こうとすると、その人の内面がそこに顕れる。

 

文章が高尚かどうかは関係なくて、そのサイトを続けている人たちの内面を紹介してもらうことが楽しくて仕方がなかった。

 

平凡な日常を書いた日記のようなサイトは読んでいて気持ちがリラックスした。素人感があふれる小説とかエッセイがつづられているサイトも楽しかった。テーマを決めて持論を延々と展開するサイトも深く考えるきっかけになった。

 

アップテンポで明るいサイトもあれば、非常に苦しい状況を耐え抜いている人のサイトもあって、ネット上にもっと大きな世界が広がっていることを感じた。

 

なんだか勘違いされそうだけれど、ネットの全て、もしくはユーザーの全てが見えていないからこそ、魅惑的で空想を掻き立てられるというか。

 

では、今の状況というのはどうなのか。情報が素早く拡散し、検索すればヒットし、膨大な情報にアクセスすることができるはずなのに、逆にそういった便利な環境だからこそ、自分の前に広がっている世界が小さく感じてしまうような気がする。

 

また、このような時代だからこそ、面倒だからブログを立ち上げたり更新することはなくても、誰かが地道に続けているブログにアクセスしてしまうのかもしれない。

 

人は誰だって強くはないし、どこかに逃げたくなる時だってある。自分が自分であり続けることに疲れてしまうとか、少しの間でも現状から離れたいとか。そういったことは自然なことだ。

 

そういった時、誰かがネット上で小部屋を開いて、自身の心の中をネット上に公開していてくれたりすると、ついついアクセスしてしまう。

 

毎日アクセスするわけではないけれど、たまにアクセスしてみたいブログがあったりするのは、つまりはそういうことではないだろうか。

 

さて、浦安という街の行政について書きつづったエントリーというのは、アクセス数から見るととても低調で、頑張って書いた割には「え? これだけ?」という人数しか見てくれない。

 

ロードバイクだとか、保育園だとか、シラミの駆除だとか、そういったエントリーの方がずっとアクセス数が高い。

 

この街の子育て世代が浦安の行政にどれほどの関心を持っているのかを実感できるし、結局のところ、「街のことは、街のことを仕事にしている人たちが何とかすべきだ」という雰囲気を感じる。

 

自分たちが住んでいる街のことなのに、受動的にそれを受け入れるのか。

 

けれど、市議会や浦安市役所の人たちの中には、こういったエントリーを読んでくださることがあるようだ。

 

市議会はともかく、市役所の職員さんたちに読んでもらえるのはとてもうれしい。

 

市役所の中の人としては、別に興味深くてアクセスしてくるわけではなくて、市民から厳しい批判があって、自分に火の粉が飛んでくるんじゃないかと気にしている人がいるかもしれない。もちろんだが、自分にはそのつもりはない。

 

自分は思った。

 

そういえば、市役所の職員をテーマにした小説や映画やドラマを目にする機会がほとんどない。

 

以前、「県庁の星」という小説が発表されて、漫画や映画にもなった。内容はとてもよく練られていたけれど、やはり舞台が舞台なだけに、とても地味に感じた。

 

県庁でさえこの状態なわけで、市役所になるとさらに地味になってしまうのだろうか。

 

よく考えてみたい。

 

市職員というのは間違いなく大切な仕事なのだ。けれど、小学生や中学生の男子が心躍らせながら、「将来は、市役所で働くんだ!」という勢いが感じられるだろうか。

 

ひるがえって、保護者から見るとどうなのか。

 

自分の子供たちが将来どのような仕事に就くかは分からないが、浦安市くらいに財政力がある自治体の市役所の職員ならば職として素敵ではないか。子供たちが家庭を持って安定した生活を営んでほしいと感じる。

 

なんだろう、この違い。夢を取るか、安定を取るか、そういった価値観なのか。

 

ところで、浦安の水害対策について書こうかと思っていたけれど、すでに雨の時期が去ってしまった。この時点で水害というテーマについて書くモチベーションが出てこない。

 

水害が背景にあるけれど、市役所の職員さんたちが見て楽しめそうな、市役所の中の人たちが主役になっているような小説の体でエントリーを書いてみたくなった。

 

独身時代と比べて、家庭を持ち子供たちを育てていると、自然と市役所の人たちとのやり取りが増える。何気ない会話の中にも彼ら彼女らの人生哲学というか、たくさんのことを学んで勉強になる。

 

このまま自分の頭の中に記憶して、やがて忘れ去ってしまうのはもったいない気がする。

 

別に浦安市役所というだけの話ではなくて、細かすぎて全国の市役所の人たちにしか伝わらないようなエントリーを書きたくなった。

 

ブログのアクセス数なんて、大した意味はない。たった一人でも読んでくれればそれでいい。

 

そういえば、ネットの黎明期では、2ちゃんねるでショートストーリーを書きつづるユーザーがいて、普段は厳しいレスを飛ばす人たちまで、じっとその物語を見つめていた時のことを思い出す。

 

あのやり取りは、楽しかった。

 

自分が書くと、ちょっと熱すぎて中二的で、しかも漫画やアニメによくあるベタな展開のストーリーになるかもしれないけれど。

 

リアルな市役所の職員さんたちから見ると、「うわっ、これ、ありえねー!」と笑われるかもしれないが、映画やドラマで描かれる他の職業だって、本職から見ると「ありえねー!」という表現になることがほとんどだ。

 

そのギャップを見て楽しむのも趣があっていいかもしれない。