子育てが次のステージに入り始めて、妻に贈り物を

 

この夏はとても暑かった。さらに仕事と家庭が忙しくて、ブログを書く気になれなかった。

 

別に誰かに読んでほしいという気持ちもなく、備忘録程度に書き留めよう。

 

今回のエントリーは、妻想いの夫をアピールしたいわけではなくて、子供たちが大きくなった時、「へぇ、お父さんって、あの時、そんなことを考えていたんだ」と知ってもらえるように。

 

うちのブログは妻も見ているのでヒヤヒヤしているかもしれないが、書いた後で詰められるような迂闊な真似をするはずがないので、全くもって心配ない。

 

  

とある日の朝。自分はロードバイクに乗って、自宅がある浦安から東京都内の職場まで通勤していた。

 

このエントリーは、いかに自分が電車通勤を苦手としているのか延々と話してから本題に入る。

 

ロードバイク通勤を始めてから1年が過ぎ、それが日常の一部になってきた。通勤のライドと休日のライドを含めると年間の走行距離は1万kmを超える。

 

トレーニングに励むスポーツマンのお父さんという体ではなくて、電車通勤が辛くて仕方がなくて、このままだと身体を壊して通勤できなくなると思ったので、ロードバイクに乗って通勤することになった。

 

極めて後ろ向きな背景がありながらも、なぜか前向きに走っているというちぐはぐな状況。

 

何度かエントリーで書いているけれど、自分は生まれつき感覚が過敏で、大きな音、臭い、光などに強く反応して疲れてしまう。

 

特に、混み合った電車が苦手。このようなストレスフルなシステム、誰が普及させたんだ。

 

と思いつつ、確かに多数の人を効率良く運ぶ上でなるほど理にかなっていると思ったりもする。

 

よく浦安市内に住んでいる不動産業者や議会の関係者たちが「浦安は東京まで電車ですぐの好立地!」とか、そういったアピールをやっている。

 

人にもよるが噴飯ものの主張だと思う。

 

東京メトロ東西線で朝の通勤ラッシュに耐えている浦安市民からすれば、「通勤ラッシュで200パーセントの乗車率に耐えることができれば」という文言が抜けている。

 

「ツレがうつになりまして。」という映画を見たことがあるか。モデルとなったご主人がどの駅からどの路線で職場に通っていたか知っているのか。

 

ご主人がうつになって職場に一人で通えなくなり、奥さんが連れ添った列車の中。「今まで大変だったんだね」と奥さんから感謝と労いの言葉をもらって、ご主人が泣き崩れた電車は、日本橋駅の手前だったのか、その後だったのか、そういったことも分からない人たちが「浦安は東京まで電車ですぐの好立地!」と言ってるんじゃないか。

 

彼がうつになったのは、苛烈な職場のストレスだけではなくて、通勤のストレスが積み重なった結果ではないのか。

  

JR京葉線で通勤している浦安市民からすれば、「仕事中に悪天候になると帰宅が厳しくなるリスクを受け入れることができれば」という文言が抜けている。

 

「駅や乗り換えの通路で押し寄せてくるディズニーの客や修学旅行生に押し流されることがあるけれど」という文言も抜けている。

 

不動産業者はともかく、行政に関わる人たちが考えるべきこと。それは、通勤そのものの時間や途中の停車駅の数ではなくて、たくさんの市民が過酷な通勤に耐えていることを自覚し、そういった苦しみをどうやって緩和しうるかだ。

 

鉄道によって都内から帰宅ができなくなった場合、もしくは妊娠中の女性などが満員電車を回避して都内へ通勤する際の移動支援。浦安市は立派なバスを持っているが、一体、何に使っているのか。

 

深夜まで働いている市民たちは疲れに耐えながらバス停に並んだり、タクシーを待っている。浦安駅と新浦安駅の間のバス輸送はこれでは足りない。

 

雨の日にはバスやタクシーに乗るために長蛇の列ができる。そういった市民の輸送を支えるためには、千葉市のように連結型の大型バスが浦安駅ー新浦安駅間を往復していると助かる。

 

元町と新町はどうしてこんなにバスでのアクセスが悪いのか。

 

市内のイベントに精を出すことも大切かもしれないが、市民の多くは都心部で働いている。行政として考えるべきことはたくさんあるだろう。

 

市民が厳しい毎日を続けながら税金を納めているのに、その税金で生活している行政の関係者が楽に通勤し、都内への鉄道でのアクセスだけを誇るのは正しくない。

 

また、そういったアピールを一つ覚えのように連呼している人は思慮が浅い。

 

浦安の財政力は何もしなくて自然に増えたわけではない。たくさんの人たちが一生懸命に働いて、たくさんの税金を浦安市に納めていることが柱の一つではないのか。そういった人たちを支えようとしないで何たることだ!

 

...というパンクな気持ちはあまりないけれど、浦安の行政に関わる人たちが市民の苦労をわざと無視しているというわけでもなさそうだ。

 

むしろ、そういった人たちの考える範囲が浦安という小さな街に限られていることが多くて、市民の苦労そのものに気づいていないという感覚がある。

 

無知というよりも、情報そのものが届いていないのではないか。気づかずにのんびりとしていることについて怒るのではなくて、市民の苦しみを彼らに伝え、熱意や取り組みを見つめることも大切だと思う。

  

もとい、自分は、大学に通う時も、就職した後も、それまで自分の判断で決めることができる人生のトラックの中でとにかく電車に乗ることを避けてきた。

 

結婚してからも迷うことなく都内に居を構えた。妻と何度も話し合って場所を決めた。電車で乗り換えなしに短時間で職場にたどりつく、とても便利な場所だった。

 

しかし、子供を授かって、このまま都内で生活すべきかどうか。これから父親になる自分は考えた。

 

今では少し変わってきたのかもしれないが、当時、都内の保育園はどこも一杯だった。子供を預けて夫婦で働ける場所があるのかどうか。

 

場所にもよるけれど、都内の自宅の周囲を見渡した時、小さく古びた公園で我が子たちは遊ぶのか。もっと広くて清潔な公園がある環境で子供たちを育てることができないだろうか。

 

子供たちは、両親だけではなくて祖父母からもたくさんのことを学び、育ててもらうわけだ。祖父母と気軽に生活できるような場所で子供たちが育った方がよいのではないか。

 

妻としても、自らが育った故郷で子育てを始めたいことだろう。幸いなことに浦安と妻の職場の間での通勤はあまり厳しくない。

 

妻の両親としても、我が娘や孫が近くにいてくれることの安心感や喜びもあることだろう。

 

「よし、俺は決めた。浦安で所帯を構えるぞ!」と。

 

その時は、我が子が誕生するということで「パパスイッチ」が入っていたのかもしれない。勢いで浦安に引っ越してきた。

 

自分としては、電車に乗っている時間と乗り換えを合計して、30分間くらいしか精神が持たない。往復1時間が限度だ。それ以上になると、まるで往年の名ヒーロー、ウルトラマンのカラータイマーのように心にアラームが響く。

 

浦安に居を構えて都内との間を電車通勤で往復することになり、その時間は3時間を超えることになった。

 

良き夫、良き父親を目指して、まさに歯を食いしばる思いで耐え続けてきたが、自らの職業人の人生としては誤った選択だったと思う。

 

毎日、3時間も顔を歪ませながら耐える生活が健康的かつ文化的とは思えず、ストレスは徐々に蓄積していく。職場の近くに住んで働いている同僚たちは、とても楽に通勤していてうらやましい。

 

ウルトラマンだったら、とっくに怪獣を倒して地球を旅立って、リチャージして戻ってきて、さらに怪獣を倒して再び地球にやってきて、リチャージしに宇宙に戻るくらいの勢いだ。

 

結婚しなかったり、子供がいなかったり、家庭があったとしても妻にそのほとんどを任せきりにして仕事に没頭している人たちもいる。

 

往復3時間の電車通勤には精神的な苦痛だけではなくて、物理的な制約も出てくる。往復1時間の通勤と比べて、間違いなく2時間は電車の中もしくは駅の構内で不毛な時間を過ごすことになる。自分の人生において全く価値がない。

 

1日は24時間しかないわけで、その2時間のロスを仕事でどうやって取り戻すか。世の中には「仕事を効率化して家庭での時間を増やしましょう!」と言っている人がいたりするが、それは往々にして日本人によくある精神論でしかないと自分は思う。

 

結果、睡眠時間を削るか、仕事のアクティビティを落とすか。

 

浦安で共働きの子育てを始めてから、都内に住んでいた時と比べて仕事の質も量も大幅に落ちた。30代の頃にライバルだと思っていた同世代が少しずつ先に行き、もはや背中さえ見えない人たちもいる。

 

最初は焦ったけれど、焦る気持ちがあるのは余裕がある時だった。追いかける気持ちが減って諦める時、人は目標を見失いかねない。

 

力を振り絞って残業を続け、帰りの長い通勤時間を考えて終電で帰宅。共働き子育て世帯の朝は賑やかというか激しい。

 

妻や子供の大きな声で目が覚め、4~5時間の睡眠で再び延々と電車に乗り、駅構内で人混みに揉まれ。その繰り返し。

 

非常に厳しい。電車のつり革につかまり、車内で発泡酒を飲む五十代の疲れたサラリーマンの真横で臭いに耐えながら、しかめっ面で窓に映る自分の姿を睨む。

 

この目つきをどこかで見た。

 

子供の頃に、大きな鶏舎を訪れた時だ。ケージの中で自由を奪われ、ストレスに耐える鳥たちがこういう目をしていたぞ。やばい、相当に疲れてしまっている。

 

浦安に引っ越してきたことは間違いだったのか。

 

いや、妻や子供たちのことを考えたら、夫として父親として、その判断は間違っていないはずだ。

 

しかし、電車通勤が厳しい。やはり間違いだったのか。

 

そういった葛藤がぐるぐると回る。

 

困ったことに、電車通勤が厳しいというのは自分個人の問題でもあって、浦安という街の住みやすさは半端ない。

 

自分は今まで東京23区の色々な街で生活してきたが、それらの街と比べると、浦安の新町は子育てをする上で非常に適した場所だと思う。

 

清潔で治安が良くて、とても穏やかだ。

 

こう、なんと表現すればいいのか。「島」のような居心地の良さを自分は感じる。陸続きで、都内にも近いけれど、一つの島。

 

もしも浦安のPRを展開するのであれば、元々の漁師町だとかディズニーがあるとか、そういったことも大切かもしれないが、元町、中町、新町を含めてウォーターフロントに浮かぶ島のような居心地の良さを表現できればいいなと思う。

 

特に、市民の一人としては舞浜駅や新浦安駅に鉄道で押し寄せるディズニーの客が厳しい。日の出南小学校の学区のお父さんがブログで書いていたけれど、新町の護岸に船の発着場を用意して、フェリーを輸送手段にできないだろうかと思ったりする。

 

海外では鉄道が発達していなくても、公共交通機関としてフェリーの運行が発達していることがある。

 

船を使って通勤や通学に行くというのは、少し電車が遅れただけでイライラする日本人にとっては抵抗があるかもしれないが、外国の都市部の人たちがあまりに自然に船に乗るので、そういったギャップがとても面白い。

 

悪天候の日には京葉線よりも運行が難しくなるかもしれないし、浦安市の財政力だけでは実現が無理なので民間資本に頼らざるをえないだろうけれど、観光客としては鉄道でディズニーに向かうよりも船で向かった方が夢があるかもしれない。

 

という夢から現実に戻る。

 

最初、自分の世帯は都内から中町に引っ越してきたけれど、保育園が不足していて自宅から離れた日の出保育園に入園が決定した。

 

送迎が大変だったので中町から新町に引っ越してきた。つまり、浦安市の都合で生活が変わったわけだ。

 

しかし、子供たちの成長の場として新町の日の出地区に引っ越してきたことは、結果として良かったのだと思う。浦安の島的な、もしくは村的な雰囲気をさらに感じることができる。

 

新興住宅地で「村」というのは不思議かもしれないが、まさに村だ。早くに移り住んだ人たちが家庭を築き、村をつくり、次の世代が移り住み、村全体を守り、子供たちを守ってくれているような安心感がある。

 

普通の村と違うのは、他の場所から移り住んだ人たちに対して閉鎖感がない。引っ越してきたら、その時点で村のメンバー。

 

湿り気を帯びた人間関係や同調圧力も、古くから住む人たちが幅を利かせる理不尽さもなく、適度な距離感を保ちながらのドライな関係。

 

妻も子供たちも、日の出地区、正しくは日の出小学校がある学区「北ひので村」とでも称したい場所での生活に大満足している。

 

自分はどうなのかというと、通勤の長さや住居費の高さはともかく、北ひので村の生活自体はとても素晴らしい。都心から帰ってくると潮風の香りが漂い、とても静かでリラックスできる。

 

それと、以前、自分は妻に尋ねたことがある。「君にとっての仕事とは、どんな意味があるんだい?」と。

 

彼女はしばらく「うーん」と考えてから答えた。

 

「社会との繋がりかな」と。

 

専業主婦が社会と繋がっていないという意味ではなくて、彼女には母として、同時に職業人としての生き方がある。

 

これまでの日本社会では、妻もしくは母親の職業人生を軽く扱ってはいなかっただろうか。夫の都合で妻の社会との繋がりを断ち切ってしまってよいはずもないが、夫の転勤があれば単身赴任を覚悟するか、妻が職を辞めて連れ添うことが普通の社会だった、もしくは今でもそれがまかり通ることが多い社会なわけだ。

  

妻が仕事を維持できて、子供たちが元気に育って、妻の両親も気軽に孫に会える。そういった環境は自分なりに重要だと信じる。

 

子供たちも浦安という街を気に入っている。子供ながらに「大人になっても浦安に住むんだ」と胸を張っている。浦安に住む大人として、それは嬉しいことだと思う。

 

子供たちにとっての浦安という街は日の出地区がメインになっているし、元町どころか中町のことをあまり知らないけれど、今はそれでもいいと思う。

 

義父母はどうなのか分からないが、子供や孫が近くで生活していることに感謝してくれているだろうし、子育てでピンチになった時には助けてくれている。

 

できるだけ遠くの未来であってほしいところだが、妻を立派に育ててくれたこと、今でも自分たちの家庭を助けてくれていることを、老後の介護や通院で恩返しすることになることだろう。

 

ここまで考えてみると、浦安に引っ越してきたことは、自分の職業人生という点では間違いだったと思う。間違いなく仕事の勢いがなくなり、質や量が減り、中の下くらいの職業人になってしまったと思う。

 

また、それを取り返そうとして頑張ろうとすれば、間違いなく家庭に負荷がかかる。今になって浦安から都内に引っ越すのは、夫として、もしくは父親としては正しい選択ではないと思う。

 

しかし、考えても考えても納得できないことがある。それは、電車通勤。

 

あまりに辛い。辛すぎる。職業人としての仕事の時間が減るのは仕方がないが、ストレスが半端ない。このストレスだけで疲れて仕事のテンションが落ちる。すでに一日の仕事が終わった時よりも疲れ果てた状態で朝に出勤して、そこからフルパワーで仕事ができるはずがない。

 

このままだと、ストレスでいつか倒れてしまうかもしれない。しかし、妻や子供、義父母のことを考えると都内に戻るわけにもいかない。

 

この状況、将棋で表現すると「詰み」だ。

 

電車通勤の最中、心療内科の薬の包みを握りしめながらシートに崩れ込んでいる人や、駅のホームで眠ってしまっている人を見かけたりすると深刻な気持ちになる。

 

他方、駅の乗り換えで後ろの歩行者の迷惑も考えずにヘッドホンを付けてスマートフォンでゲームに興じながら器用に駅の乗り換えで歩いている人や、深夜の電車の中で缶チューハイと柿ピーを楽しんでいる人を見かけたりすると、彼らのように強く生きられればどれだけ楽だろうかと思いもする。

 

電車通勤自体で身体を壊すことはないだろうけれど、その疲れが生きること自体のストレスゲージを上げていることは間違いない。毎日、3時間以上も苦痛で顔を歪める生活なんて、どう考えても健康に良くない。

 

しかしながら、一度きりの人生。辛い辛いと言っていても始まらないし、どう転ぶか分からない。

 

我が子たちがまだ可愛い赤ちゃんで、自分にもパパスイッチによるブースターが働いていた頃、勢いで趣味としてロードバイクに乗り始めた。

 

ただの趣味でしかないが、本当に助かった。趣味というのは、時に人生を助けてくれることがあるのだと。

 

浦安という街は、荒川にも江戸川にも近く、河川敷の道路で気軽にサイクリングを楽しめる。おそらく都内や千葉県内の他の街で生活していたら、自分はロードバイクに乗っていなかったことだろう。

 

通勤時間は電車通勤と比べて同じくらいなので、仕事への時間的な負担は変わらないけれど、趣味のロードバイクに乗って往復3時間以上も走ることができる。

 

しかも、ロードバイクを通じて地域の仲間ができた。ここまで多くの友達がいてくれるのは、自分の人生で初めてだと思う。

 

生活の糧としての仕事は大切だ。仕事での矜持や遣り甲斐もある。しかし、仕事だけを人生の中心に据えて生きて、年老いてリタイアした時、そこに何が残るのだろうか。

 

あれほどまでに仕事に打ち込んで職業人として立派に生きた団塊世代の父親たちがリタイヤして、小さくなった彼らの背中を眺める度に、仕事以外の大切な何かがあるのではないかと感じる。

 

人生は一度きりで、それに気づいた時にはもう遅い。

 

自分にとっては、ロードバイクという趣味を通じて得られた繋がりはとても大切で、自分の仕事をより大外から眺めることもできた。すると、心に余裕ができる。

 

それと、自分はロードバイクのパーツやウェアをネットで購入したり、休日にライドに行くけれど、妻から注意されたり、叱られたことがない。

 

自分には、その理由が分からなかった。夫の趣味に寛容な妻だと思っていた。

 

しかし、とある日のこと。ロードバイクに関係のない夫婦喧嘩が勃発した時にその理由を知った。

 

大して深刻でもないことが口火になって、お互いの不満が燃え上がった。

 

まあ、子育て中の夫婦喧嘩の中身なんて、後から考えると些細なものだ。

 

自分は「こんなに辛い通勤に耐えて働いているのに! 俺が倒れたら、この家庭の状況を維持できないだろ!」と主張したわけだ。

 

冷静に分析すると、共働きの子育て家庭で決して言ってはいけないけれど、よくある夫のフレーズだったりする。

 

このフレーズはお母さんたちの神経を逆なでするセリフで、「そうよね、ごめんね」というレスポンスが返ってくることはまずない。妻の怒りが燃え上がるだけだ。

 

言っている自分も言ってはいけないと思っていたが、同時に、自分自身への悔しさもあった。

 

世の中では積極的に家事や育児を担当している父親が増えてきているのに、たかだか通勤で苦しんでいる自分自身への情けなさに腹が立った。

 

平日は子供たちと共にすることができない夕食。妻や子供たちの環境を考えて浦安に引っ越してきたのに、家族は自分に感謝しているどころか、当たり前だと思っているのか。自分はこんなに苦しんでいるのにと。

 

冷静に分析すると、このようなタイミングの場合、往々にして「俺は、ATMじゃないんだぞ!」というフレーズが飛び出すが、その言葉は飲み込んだ。

 

すると、妻から反論が飛んできて驚いた。

 

「だから、ロードバイクの買い物とかライドについては、とやかく言わないでしょ!」と。

 

なるほどそうかと思った。

 

つまり、浦安に引っ越してきて自分が辛い通勤に耐えていることについて、妻なりに心配したり、気を遣ってくれていたのかなと。

 

今から振り返ると、クスッと笑ってしまう夫婦喧嘩だけれど、当時は大変だった。

 

結局、電車通勤があまりに辛いということで、趣味のロードバイクに乗って通勤することになった。ロードバイクが趣味ではなくて、仕事に行くための手段になった。

 

通勤時間としては電車も自転車もあまり変わらなくて、残業を含めた仕事においては時間のロスは相変わらずだ。職業人としてのかつての勢いを取り戻したわけでもない。

 

ただ、ストレスがないので仕事のモチベーションが後ろ向きに引っ張られることがなくなった。終電に焦ることもない。

 

四季折々の風を感じながらペダルを回していると、人生というのは、何が幸せで何が幸せでないのかよく分からないところで進んでいって、結局は夢のように終わるのかなと、何だか文学的な気持ちさえ感じてしまう。

 

自宅から職場までの道のりが、まるで我が街の一部のような感覚もある。

 

電車に乗せられて、身動きもできない状態で街から街に運ばれて、働いて、また電車に乗せられて家に帰る。それが普通だと思える社会だけれど、自分にとってそれは普通ではない。

 

自分の足で自転車をこいで、自分の力で前に進み、疲れたら休み。自分の意思でルートを変える。まあ、そういう性格なのかなと。

 

自転車通勤をしていて気付いた興味深いことがある。それは、街の状態が日によって違うということ。浦安市内を少し走って、都内に入る時。そこから都内を走り続ける時。

 

月曜の朝はせわしなくて、木曜の朝はどんよりしていて、金曜の朝は週末を迎えて荒い感じがあったりする。

 

天気が良くて過ごしやすい日や曇りで湿気が高い日などは、街の雰囲気が少し違う気がする。

 

特に興味深いのは、信号待ちをしている時に見かける子育て世代の姿。

 

朝の忙しい時間帯。

 

父親や母親を問わず、様々な親子模様を見ることができてとても勉強になる。

 

信号待ちで止まっている自転車のことを意識している親子はいないわけで、自分はたくさんの親子の素の姿を見ることができる。

 

驚くべきことに、二人くらいの子供を連れていても、全く疲れた様子も見せず、それどころか笑顔で歩いたり、自転車に乗っているお父さんやお母さんがいたりする。

 

その昔、「ぽっかぽか」というドラマがあって、そこで描かれている田所家なんてフィクション、つまり虚構だと思っていたが、まさにリアルな田所麻美や田所慶彦を見かける。

 

もちろん、リアルな田所あすかさえ見かける。子育てがとても楽だと思う。

 

一方、歩いている最中、ずっと子供を叱り続けているお母さんやお父さんもいる。その違いが何に起因するのか。親のストレス耐性なのか、子供の聞き分けの良し悪しなのか。

 

特に勉強になるのは、秀でて聞き分けの良い子供を連れているとは思えないのだけれど、緩急をつけて上手く対応しているお父さんやお母さん。

 

剣道の心得がある人なら、「剛の剣」とか「柔の剣」といったフレーズを耳にしたことがあるかもしれない。

 

その名の通りなので、詳しく説明する必要もないと思うけれど、剣道だけではなくて子育てにも当てはまるのではないかと思う時がある。

 

「剛の子育て」、つまり子がどう考えるのかなんて関係なく、間違っていたとしたら親がガツンと叱るスタイルだって、時に必要だろう。

 

しかし、それだけだと子が自ら考えなくなったり、ストレスで潰れてしまうかもしれない。子の考えや反応を待ってから動いたり、褒めて伸ばすという「柔の子育て」が必要なことだろう。

 

まさに、柳生新陰流の奥義だなと。

 

懸待表裏は一隅を守らず 

 

敵にしたがって転変して 一重の手段を施すこと

 

あたかも風を見て帆を使い 兎を見て鷹を放つがごとし

 

懸をもって懸となし 待をもって待となすは常の事なり

 

懸懸にあらず 待待にあらず

 

懸は意待にあり 待は意懸にあり

 

うーん、深い。

 

懸懸だけでは子育ては上手く行かず、待待だけでも足りない。

 

懸と待、すなわち剛と柔を織り交ぜながら子育てをしているお父さんやお母さんを見かけると、「うーん、すごい」と関心してしまう。

 

同時に、それがなかなかできない自分の至らなさを感じる。

 

◇ 

 

初夏の頃、ロードバイクに乗って通勤していて都内の混み合った交差点で信号待ちをしていると、小さなお子さんを連れたお母さんが歩いてきた。

 

お子さんはそろそろベビーカーを離れる時期なのだろう。お母さんは左手でベビーカーを押しながら、右手でお子さんの手を引いて歩いていた。

 

そのお母さんは、少し伸びた髪を後ろでまとめ、表情がとても疲れているように感じた。できればお子さんをベビーカーで運びたいのだけれど、お子さんが歩くと言ってきかないような感じ。

 

「ほら、早くして!」とお母さんが急かしている。

 

自分は信号待ちの横断歩道の手前で停止し、シューズに取り付けたビンディングをペダルから外して、横断歩道を渡るお母さんとお子さんの姿を眺めていた。

 

すると、横断歩道の途中でお子さんが座り込み、地面に手を伸ばした。どうやら道路の上にキラキラと光る何かが落ちていたようだ。缶ボトルのフタの一部だろうか、もしくはプラスチック片か小石だろうか。

 

すると、そのお母さんが「あっー! いつも、いつも、いつも、いつも! 仕事に間に合わないって、言ってるでしょっぉおお!」と、とても大きな声で叱り始めた。

 

お母さんがお子さんを叱るというか、むしろ精神的に追い詰まって叫ぶような。

 

途中から、怒り声というよりも甲高い唸り声というか、文章で表現するのは難しいけれど、悲鳴に近い感じになった。

 

そして、そのお母さんはお子さんのお尻の辺りを「バシンッ」と手で叩きつけて、両脇からお子さんを持ち上げて、かなり乱暴にベビーカーに投げ込んだ。

 

そして、ベビーカーを押して横断歩道を渡るのかと思ったら、その場から動かない。

 

彼女はベビーカーのハンドルを握りしめたまま、「あぁっー!」と怒鳴った後、その状態のまま泣き始めた。

 

すでに信号が赤に変わっている。

 

これはまずいと思ってロードバイクを降りて振り返ったら、後ろのタクシーの運転手さんが軽く頷いて、向こう側に何度かパッシングしてくれた。

 

すると、交差点の対向車線の車からもパッシングが返ってきた。状況を察したのだろうか、反対側の車も止まって、交差点で待っている自動車が一斉に止まった。

 

救急車が走ってきても道を譲らない商用車が多かったりする都心の交差点が、完全に沈黙した。

 

クラクションを鳴らして怒る運転手もいない。この時間帯に走る車の中には、仕事で働いている中年男性が多い。皆、伏し目がちに時が過ぎることを待っているかのようだ。

 

今回は横断歩道の上で生じたことだけれど、子育てをやっていれば家庭で一度や二度どころではなく目にする光景だ。

 

母親に限らず、父親だって子育てで追い詰まって感情が大噴火することはある。

 

妻が大噴火した時、夫としてはオーバーリアクションは良くない。

 

自分に何か足りないことがなかったか、いや、足りないことはたくさんあることは確かで、どれが最もいけなかったのか、どうして大噴火したのか、とにかく落ち着いて事態を見つめること。

 

とにかくお母さんにお声掛けして横断歩道を渡らねば。しかし、自分はロードバイク用のライディングウェアでサングラスをかけたままだ。

 

いきなり話しかけられたら誰でもびっくりするくらいに明らかな違和感がある。そもそも、この状況というのは、自分が何とかできる話なのか?

 

しかし、そんなことを言っている場合ではない。ロードバイクを路肩に立てかけて、ビンディングシューズをカツカツと鳴らしながら歩き出した。

 

その瞬間、抱っこヒモで小さな赤ちゃんを抱え、片手でもう一人のお子さんを連れたお母さんが通りがかった。

 

その姿は、まさに柳生新陰流。疲れが感じられない。

 

どうやら同じ保育園に通っているお母さんのようだ。信号が青に変わった。

 

その柳生新陰流のお母さんが、「私が行きますから、大丈夫ですよ」と余裕の表情で自分の前を通り過ぎて、横断歩道で泣いているお母さんの肩に手を置いた後、一緒に歩いて行った。

 

自分としては何もできなかったわけで、とにかくショックが大きかった。

 

横断歩道で信号を気にせずに叫び泣くという状況は、その瞬間の出来事が引き金になっただけで、その瞬間までにたくさんのストレスや疲れが蓄積していたことだろう。

 

ギリギリのところまで感情を抑えていて、抑えきれなくて、一気に噴き上がってしまったのかもしれない。

 

「仕事があるのよ!」という怒声はうちの妻もたまに発するけれど、それは妻のイラつきというだけではなくて、彼女の職業人としての責任感によるものであり、夫への怒りや不満によるものでもあり、自分の分身でもある子供たちが理解してくれないことへの悲しみでもあるように感じる。

 

横断歩道で悲しんでいたお母さんは、とても辛い状況を耐えているのだろうと、とても重い気持ちでペダルを回した。

 

共働きの世帯に限ったことではないけれど、子育てにはたくさんの喜びがあるけれど、たくさんのストレスがある。不思議なことに、子供が二人、三人になると大変だけれど、子供が一人だから子育てが絶対的に楽と断言できるわけでもない。

 

家庭には色々な形があり、親子にも色々な形がある。

 

私感ではあるけれど、仕事の場合にはストレスは心の外から周りを包んでくる感じがする。一方、子育ての場合にはストレスが心の内側に蓄積するというか、何だろう、タイムリミットがあるわけでもないのに焦燥感がやってくるというか。

 

夫と妻で共に働いて、夫と妻で共に家事や育児をやりましょうというのは、確かに立派なスローガンだと思うけれど、そのスタイルに社会が追い付いていない。

 

子供が一人だから楽だとか、実家が近いから楽だとか、そういった単純な話ではなくて、本当にたくさんの要素が複雑にからみあって子育ての大変さがある。

 

我が家では、保育園というステージがようやく終わり、子供たちが小学校に通うステージに入る。

 

振り返ると、とても長くて辛かった。

 

けれど、何だか寂しく感じることもあって、不思議だなと。

 

残業を終えて自宅に帰ると、妻が疲れて眠っていて、子供たちはいつも通り可愛い寝姿で眠っている。

 

子供たちは父親に似て個性全開で、妻は毎日のように大きな声で叱ったりイライラしているけれど、それも仕方がないかなと思う。

 

しかし、最近、妻が子供を叱る態度に変化が生まれてきた。以前は、言うことを聞かずに個性全開の子供たちを前にして感情的になっていた感があった。

 

自分が適当に構えていたというわけではなくて、自分も感情的になることは多かった。どうして子供たちは何度同じことを言っても改善しないのか、どうして妻はいつもイライラしているのかと。

 

ところが、最近の妻は感情をコントロールしながら子供たちを「叱る」というよりも「諭す」という感じになってきた。

 

うちの子供たちは世話がかかって育てにくいと感じるのは、大なり小なりどの家庭でも同じことだろう。成長して成人してから手がかかる子供よりも、今の時期に手がかかる子供の方が、自分としてはありがたい。

 

自分の子供たちは、強烈な個性を自分で制御できていないけれど、大切な生きる力だと信じる。

 

自分だって個性を制御できているとは思えないわけで偉そうなことは言えないし、真っ当に育つようにと毎日諭している妻の気持ちも分かる。

 

いつも妻から諭されたり、注意されている毎日でも平気な顔をしたり反抗している子供たちだけれど、たまにもの凄く成長していると感じる瞬間が増えてきた。

 

おそらく、長く厳しい共働きの子育ては、次のステージに入り始めたのだなと思った。

 

深夜残業から帰ってきて、ふと、テーブルの隅を眺めたら、ラジオの英語講座のテキストが置いてあった。

 

妻が以前から子育て中の限られた時間で英語の勉強を続けていることは知っていて、頻繁ではないけれど海外旅行が好きだということも知っていた。

 

毎日、仕事と家庭で頑張ってくれている妻に、何か形として感謝できないかなと。

 

自転車通勤中に横断歩道の上で怒りながら泣いているお母さんの姿を見た時、自分はとても重い気持ちになった。それはなぜか?

 

彼女のような苦しみを、うちの妻だって耐えていることだろう。何度も、何度も。

 

妻はブランド物や貴金属をあまり好まないので、贈り物をするといっても、何を用意すれば。

 

そういえば思い出した。

 

今までは子育て中なので海外での仕事は断ってきたけれど、久しぶりに海外に行く機会があった。

 

せっかくなので、職場に相談して確認をとった上で、妻と子供たちを外国に連れて行くことにした。

 

妻と子供たちの航空券やホテル代は当然ながら自分の負担なので、それらを用意すると結構な金額になった。

 

高級な自転車のホイールがいくつか買えてしまう金額だ。一時の気の迷いとはいえ、家族を海外旅行に連れて行くという自分の判断は正しかったのだろうか。沖縄や北海道で良かったんじゃないか。

 

すごい勢いでお金が飛んでいくぞ。新町のお父さんたちは普通に海外旅行に行くようだけれど、本当にすごいじゃないか。自分にとっては普通ではない。

 

しかし、すでに賽は投げられたので行くしかない。

 

しかも、妻はいわゆる観光用のツアーパックを好まない。自らで街を歩き、現地の食材を手に入れて、自らで料理して食べるという感じの海外旅行を好む。

 

自分は仕事に出かける必要があるので、海外でも使用できるスマートフォンを用意したり、子供たちが病気になった時のためにあらかじめクリニックをチェックしたりと、本当に大変だった。

 

しかも、こんな時に限って、妻には保育園の保護者行事の準備と小学校のPTAの役割がまわってきている。旅準備は夫がやるしかない。

 

現地のワンデイツアーを英語で予約したらブッキングが適当で、英語でクレームを入れて何とかせよと要求したり。

 

浦安の新町では、家族での海外旅行は普通だと聞くけれど、本当に大変だぞ。しかも、自分は仕事なので、遊びに行くわけではない。その準備もある。

 

というか、その準備だけでも精一杯なのに、家族の旅行の準備までこなすのだから、ブログを書いている暇もない。

 

あまりに忙しい中での旅準備だったので、クレジットカードに付帯している保険サービスがどのような内容だったのかもチェックする余裕がない。

 

空港で旅行保険に加入せざるをえなくて、料金設定を見て愕然とした。保険だけで数万円。足元を見るとはまさにこのことだ。

 

しかも、空港内のとある大手の保険会社の受付の方々が、どうしてそこまでクールなのかと言わんばかりの対応だった。

 

客に笑顔を見せると叱られるのかと言わんばかりだったので、「すみません、保険料はこの金額ですね。私は数万円のお金をあなたたちに払うのですが、笑顔は付帯しないのですか?」と尋ねようとしたけれど、相手にしない方がよいと思ったので大人の対応でやりすごした。

 

さらにさらに、海外で妻や子供たちが怪我をしたら当面の現金が必要になるかもしれないと、その準備。

 

そうこうしているうちに、出発の前日になって現地のツアー会社からワンデイツアーが確保できたというメール連絡があった。遅すぎだろ。

 

しかも、そのツアー会社からのメールには、「前日には電話でリコンファームしてくださいね」と書いている。

 

なるほど、明後日に参加するツアーの予約の確認メールが今届いて、明日にもう一度、リコンファームするのか。そうだな、やはり何事も確認が大切だな...

 

なんだそれは!?

 

自分はこう見えて神経質なので、そういった大らかな対応がとても苦手だ。前々日に予約が確定して、前日にリコンファームをしなくてはいけないというのは、そもそものシステムがどこか間違っている。

 

「うぁー! だから、海外旅行は嫌なんだー!」といら立つ自分と、目をキラキラさせながら楽しみにしている子供たち。

 

妻は海外旅行が近くなっても毎日の子育てのイライラは変わらない。結婚記念を兼ねた夫からのせっかくのプレゼントなのだから、もう少し機嫌が良くなると思っていたのだけれど。

 

そして、飛行機に乗って現地に到着して、滞在先のホテルへ。

 

事前にアーリーチェックインをお願いしたら、「いや、空きがないので無理だ。あれば別料金で対応することになる」という返事が3日経ってからやってきて、「分かった」とメールをしておいた。

 

ホテルに到着してチェックインまで荷物を預けようと思ったら、「アーリーチェックインが希望だったよね。部屋は準備できている」とルームキーを手渡された。追加料金の請求もない。

 

なんていい加減なんだ。

 

そして、自分は到着してから、そのまま仕事へ。

 

子供たちは冗談だと思っていたみたいだ。

 

しかし、自分が「パパはここに遊びに来たわけではない。それでは、行ってくる」と本当に仕事にでかけたところ、「パパ、かっこいい!がんばって!」という言葉の代わりに「おい、マジかよ。空気読めよ」という視線が子供たちから飛んできた。

 

父親らしいこともやっておこうと、早朝、いくつか予約しておいた現地のワンデイツアーの出発場所くらいまでは妻と子供たちを送っていった。

 

到着したバスの中には日本人が誰もいなくて、他の場所からの観光客がたくさんいる状態。

 

職業人生をリタイアして、国内旅行を楽しんでいるような白髪なのか金髪なのかという感じのシニア世代の老夫婦が、穏やかな顔でこちらを見ている。

 

この中に小さな子供を連れた家族が入っていけば、間違いなく頑張って会話しなければならないことだろう。

 

子供たちは「おい、マジかよ」と凍っている。

 

妻はこれから決戦に出るような神妙な表情になっている。

 

良かったじゃないか。勉強していた英語を話す機会がやってきたぞ。

 

外国人はとにかく話しかけてきてうるさいので、自分は最初だけ日本語でしゃべりまくって、以後の会話を断つことにしている、しかし、真面目な妻の場合にはレッスン料を払わなくても英会話のトレーニングができるぞ。

 

と、妻と子供たちを小旅行に送り出して、自分はさっさと職場に行く。

 

同じバスツアーに参加した外国人たちから、うちの妻子が世話を焼かれて大変だったことは言うまでもない。

 

自分はどうかというと、実に快適だ。いつもは通勤に苦しんでいるけれど、外国の滞在先からは歩いて職場に通うことができる。

 

あまり美味しくない料理が大量に出てきたり、リンゴやオレンジの皮をむかずに丸ごと出してくる昼食には、外国人(いや、今は自分が外国人なのだけれど)のおもてなしの心のなさに辟易したけれど、日本よりも効率的というか、ダラダラと働かない姿勢はとても勉強になる。

 

いつも思うのだけれど、日本の社会というのは上意下達が強すぎる。上司が「いつまでに仕事を仕上げろ」と指示を出して部下が必死になる。

 

プロジェクトが上手く進まないのは部下の責任だけではなくて、上司の責任が大きい。ところが、日本の場合には現場の責任として判断して、上司の責任をあまり問わないような不文律を感じる。

 

プロジェクトが上手く進まないと自分の責任になるので、それをこなそうと部下が残業して何とかしようとして、時に倒れる。倒れても上司は責任を取らないことが多い。

 

だからこそ、昭和の時代は特に、父親たちは母親たちに家庭を任せ、出世することを目標に頑張ったのではないか。誰かから使われる立場になるのではなくて、誰かを使う立場になるんだと。

 

ただ、労働人口が多い時代にはそれで何とかなった、もしくは競争が成立したのかもしれないが、これからの日本ではどうなるのだろう。

 

また、会議というのは、時間を決めて話をするのではなくて、内容を決めて話をすべきなのだけれど、日本の場合には上司が部下の報告を受けて満足するだけの中身のない会議も多い。

 

外国の場合には、場所や職場にもよるけれど、その会議のテーマが何で、話し合うことで何を決めるのかという方向性がはっきりしている。

 

上司の鶴の一声で何かが決まることは少なくて、上司も部下も関係なく意見を出し合って相乗効果が出る。

 

話し合うべきことが話し合われたら、会議の予定時間の前でもさっさと切り上げる。夜遅くまで残業するなんて信じられないという雰囲気で、さっさと仕事を切り上げて、家族や友人と過ごし、翌日の活力を蓄える。

 

日本でよく耳にする「働き方改革」というのは、たぶんこの流れを考えているのだろう。

 

子供を産んだ母親がそのまま働き続けることができる社会、父親が無理なく育児や家事をこなすことができる社会、その方向性は間違ってはいなくて、すでに実現できている国はたくさんある。

 

特に、父親の働き方がターゲットになる。分かってはいるけれど難しい。自分たちのような40代が舵を切る時が来ると思う。

 

このままだと勤労人口が減ってしまって、「男は仕事」なんて言ってられなくなる。その力を女性に求めるのであれば、男の考え方で職場をデザインしている場合ではないような気もする。

 

それは日本では無理だとたくさんの論拠を用意して指摘するのは容易だけれど、少しであっても改善することができれば、日本の社会はもっと子育てに余裕ができると思った。

 

では、日本の社会は外国と比べて全て劣っているのかというと、自分はそう思わない。

 

その国のレベルを知るための良い指標がある。それは、警察だ。

 

若い頃に海外に行った時は、外国の警察官に道を尋ねることも抵抗があった。しかし、厄年を越えた今では街中の警察官もすっかり年下だ。道に迷って海外のポリスに道を尋ねてみた。

 

なんだあの高圧的な態度は。こっちが声をかけるまで無視。流暢な英語を話せなくて当然なのに、早口で色々と話してくる。

 

日本の警察官だったら、目が合わなくても困っていたら話しかけてくれるだろうし、言葉が通じなくても身振り手振りで助けてくれることだろう。

 

国にもよるが、なんだあのパトカーに乗っている外国の警察官の態度。雑談して笑いながらパトカーを走らせているだけで、周りなんか見ていない。

 

日本の警察官だったら、街の中に異変がないか、真剣な表情で回りを観察している。

 

自分が家族を連れて旅行に行く時には常に安全を考えてしまう。安心できる警察がある国というのは思ったよりも少ない。

 

さて、子供たちは航空機の長旅でも全く疲れていないし、ホテルの中で適当にテレビを付けて子供番組を見ている。大人でもハードに見える早朝からのツアーでも、浦安に住んでいる時と生活パターンが変わらない。

 

日本で味わうことができる白飯は海外でなかなか手に入らないし、匂いのきついシャンプーや洗剤もあり、子供にとっては刺激が多いと思う。ところが、我が子たちは全く気にしていない。

 

自分はとても神経質で色々なことが気になるけれど、うちの子供たちは妻の遺伝子が混ざって、想像以上にタフに成長していたことに気づく。

 

加えて、妻は外国にやってきてもあまり変わらない。むしろ元気になっている。なるほどそうか、そういった遺伝子が子供たちに受け継がれているわけだな。

 

妻は、まるで新浦安駅のイオンで買い物をするように現地のスーパーに通って、ふむふむと肉や野菜を買ってきて、ホテルに備え付けている台所で調理をして、普通に自炊している。

 

海外特有のオーブンでの調理に戸惑っていたが、数日で慣れて自由自在に色々な料理をつくりはじめた。実に楽しそうだ。

 

妻としては、外国のレストランの味付けが気に入らないというわけではないのだけれど、海外の食材を自分で調理してみたいという気持ちなのだろう。なんと、今回の旅行では機内食や弁当を除いて、ほとんど全ての食事を妻が作ってしまった。

 

「たまには、独身の頃のように自分で好き勝手に飯をつくるぜ」と、自分は1kgくらいのステーキ肉を買ってきて、自分で焼いてみたのだけれど、あまりに固くて脂身の少ないステーキ肉に絶句して、「それ見たことか」という妻の笑顔が飛んできた。

 

自分は仕事に行っていたので、妻や子供たちのスケジュールはあまり分からない。どうやら妻は、たった2回の現地ツアー以外は、ランチボックスをつくって子供たちを連れ、バスやフェリーといった公共交通機関を駆使しながら、街の中を歩き回っていたようだ。

 

自分は毎日、仕事に行っていて、しかも別室で眠っていたのでよく分からない。

 

そういえば、水辺で遊んでいた妻が、大きな野生のペリカンに手を噛まれたそうで、子供たちが大笑いしていた。

 

動物園でのエサやりコーナーでペリカンに噛まれたわけではなくて、野生のペリカンがやってきて、妻の手をパクっと噛んだそうだ。

 

常識人で常に隙のないような妻がペリカンに噛まれたという、あまりにシュールな出来事が今回の旅で最も面白かったエピソードだ。

 

トラベラーズワクチンは打ってあるし、ただのかすり傷だったのでそのまま洗って終わったが、野生のペリカンに噛まれた人の腕を初めて見た。

 

それ以前の話として、一体、どうすれば野生のペリカンに噛まれるのか?

 

噛みついたペリカンは、妻のことを何だと思ったのだろう。

 

妻の弁が興味深い。

 

「水辺をスーッとペリカンが泳いできたけれど、噛むようなペリカンだと思わなかった」と。

 

人を噛みそうなペリカンというのは、かなりヤバい状態のペリカンだと思う。

 

しかも、噛まないペリカンだと信じていたのに噛まれたわけで、つまり妻はペリカンに裏切られている。

 

信じていたペリカンに裏切られるなんて、余程のことがないと経験できないぞ。

 

気恥しそうな妻の周りで、子供たちと一緒に笑い転げた時間。きっと、人生を通じて心に残る大切なエピソードになるのだろう。

 

  

仕事の合間、ランチを食べた後で中庭に出て、相変わらず皮も向かずに丸ごと弁当箱に入っていた洋ナシをかじりながら、真っ青な空を眺める。

 

海外は働きやすい。

 

余計なしがらみがない実力社会だ。

 

チャンスを求める人たちには、そのチャンスがやってくる。

 

社内政治的な駆け引きや人脈もあるが、基本的には実力勝負。学歴だなんだとくだらないことを言う人は消える。

 

実は、独身の20代の頃、自分はこの国を訪れたことがあった。その時、自分にとってこの国はもっと大きく見えた。この国に生まれていれば、もっと有意義で素晴らしい人生があったと思った。

 

しかし、今ではとても小さく見える。日本に生まれて良かったと思う。

 

若き日の自分。

 

その時に見上げた空の色は、どのような青さだったのだろう。何を感じ、何を思っていたのだろう。

 

数十年が経って、あまり記憶に残っていない。ここまで本当にあっという間だが、確実に老いた自分がここにいる。

 

20代と比べると、40代の自分はモチベーションだけではなくて、感性が落ちてきた。

 

あの頃、自分は若かった。

  

当時の自分は、自分の可能性をもっと大きく感じていた。いや、信じていた。

 

もっとたくさんの仕事をこなして、もっと活躍して、もっと高みにいるのかと思っていた。

 

いや、可能性というのはそもそも不明確なことだ。ちょっとしたタイミングで人生は変わる。

 

無数に広がるパラレルワールドが存在していて、偶然であっても、必然であっても、様々な方向に展開する。

 

現実的には可能なことであっても、その時の運や努力によって実現しえた話でも、現時点で振り返ると完全に閉じてしまったこともある。

 

「信じていれば、いつか夢は叶う」といったフレーズがあって、若い人たちの希望を折るようで申し訳ないが、その言葉は真実ではない。

 

信じているだけで夢が叶うはずがない。信じて努力していても夢が叶うことは少ない。

 

夢というのは実現できないことが多いから夢なわけで、信じるだけではなく、本人なりに必死に努力したとしても実現しないことが多い。

 

上司とのマッチングとか、職場の状況とか、色々なことがある。

 

本人の現時点の努力もしくは過去の実績だけではなくて、同じ大学の先輩後輩であるかとか、20代の学閥や専門とか。

 

さらには幹部のちょっとした気持ちで人事の風向きが変わったりもする。

 

仕事ができるかどうかだけではなくて、上司が気に入るかどうか。実力があるかどうかよりも、自らのイエスマンになるかどうかとか。

 

マーベリックなので上に引き上げたくはないが、仕事ができるので冷遇せずに自由に動かせようとか。

 

「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という言葉は今でも健在で、本当に色々なことがある。

 

なので、真剣に頑張っていても、目標とした職業人生が待っているかどうか分からず、そういった揺るぎのある世界の中で生きているのだろう。

 

しかも、家庭の状況によっても職場での位置は変わってくることがある。

 

家庭を守るために仕事の勢いを減らすことは、父親としては正しい。職業人としてはどうなのか。

 

仕事のために家庭を犠牲にして、職業人としての成果を出したとして、父親としてはどうなのか。

 

うーん、たぶんこの命題はどこまで行っても解決しないことだろう。

 

そして、自分の現状は、どうなのか。

 

何だか中途半端なようで、もがきながら前に進んでいるような感じがする。

 

若き日に夢見た方向とは別のベクトルに進んでしまった感があるけれど、それだって自分の人生。

 

実直で得ることが多い職業人生だ。

 

若き日の自分が到底、想像していなかったくらいのたくさんの人たちに助けられて、今、ここにいる。

 

たくさんの人たちが自分を引っ張ってくださった。とてもありがたいことだ。

 

誰かを憎みながら生きる人生ほど辛い生き方はないし、誰かに感謝し続けながら生きる人生ほど豊かな生き方はないと思う。

 

ランチボックスに丸ごと入っていた洋ナシを食べきった。そのカスをつまんで、必要以上に大きなダストボックスに投げ込む。

 

見上げた空には、真っ白な雲が流れている。

 

空の下には、日本ではあまり見かけない形のビル群。

 

若き日の自分は、まさか子供たちを連れてこの国にやってくる日が来ると想像していただろうか。

 

同業者の中には結婚をしない人や子供をつくらない人も珍しくない。家庭があると仕事に差し支えるからという考えというよりも、仕事を優先していたら結婚や出産のタイミングを確保できなかったという感じだと思う。

 

今の自分は、夫として十分なことができているかというと、そうではなく、父親として十分なことができているかどうかというと、そうでもなく、仕事も家庭も中途半端だ。

 

こんなにダサい父親になるくらいだったら、父親にならなければ良かったのか。

 

父親になったから子供たちがやってきたわけではなくて、子供たちが生まれたから自分は父親になった。

 

いや、子供たちのおかげで自分は父親になることができた。

 

自分に似たので仕方がないが、個性が豊か過ぎて育てにくいというか、育てていて疲れる子供たち。

 

「あーっ! 面倒くさい!」が自分の口癖。 

 

「だったら、産まなかったら良かったでしょ!?」と、実の子供から突っ込まれる始末。

 

ダサすぎる父親像だ。

 

子供たちがもっと妻に似てくれていたら、もっと子育てが楽だったことだろう。しかし、自分の遺伝子の発現量が勝っていたのだから仕方がない。

 

鏡を責めて何になる。

 

しかし、子供たちに個性があるからこそ将来が楽しみだし、少しでも成長した姿が見えると嬉しいし、眠っている姿はいつも可愛い。

 

そして、今回の海外旅行で、自分が妻や子供たちと現地で観光に出かけたのは、仕事が終わってからの帰り道だけ。思ったよりも仕事が忙しかった。

 

閉館時間が迫っている博物館に家族で訪れて、ぐるっとまわって終わり。

 

子供たちは妻だけを頼りにしていて、父親である自分のことをまるで信用していない。ママ依存がさらに強くなり、パパ不信がさらに強まった感がある。

 

空港に向かう帰りのタクシーの中では、観光客がどう感じようと話しかけまくってくる南アジア系の移民の運転手の隣に座ることになった。妻子は後部座席でのんびりしている。

 

高速道路を走りながら、自分は運転手に「日本の素晴らしさは何ですか?」と尋ねた。

 

彼は「その答えは目の前にありますよ」と答えた。フロントガラスの向こう側には、かなり使い込んだような日本車がたくさん走っていた。

 

日本車というのは非常にタフで、細かなところまできちんと作られている。その運転手は、自動車に限らず、世界における「メイド・イン・ジャパン」の技術力を誉めていた。

 

そういった素晴らしい日本製品というのは、たくさんの人たちが一生懸命に考えて、工夫して、時に遅くまで残業して地道に作り上げたものだと思う。

 

自分はその運転手に尋ねた。「日本にはウォシュレットというトイレがあります。日本のテクノロジーです。使ったことはありますか?」と。

 

すると、その運転手は、「ウォシュレット? なんですかそれは?」と、不思議な顔をする。

 

自分は、「便器から水が出て、洗うことができるのですよ」と、ドヤ顔で答える。

 

すると、その運転手は、「ああ、それだったら、私の祖国にもありますよ」と。

 

自分は、「いや、そうじゃなくて、便器からノズルが出て、お尻を洗ってくれるんですよ」と。

 

すると、その運転手は、「もちろん、ノズルがありますよ」と。

 

とある南アジア系の運転手に対してウォシュレットという日本の技術力を英語で説明しきれず、途中からトイレについて熱く議論を交わす二人の姿を見て、妻が笑っていた。

 

帰りの飛行機の中。

 

「どこをどう調理すればここまで美味しくない機内食を作れるのだ」いや、それ以前の話として、「この航空会社のキャビンアテンダントは、明らかに日本人だと分かる乗客に対してどうして早口の英語を投げかけるのだ」と自分が不満を溜めていたら、うちの子供たちが自分に何かを伝えてきた。

 

「ママがね、とてもうれしそうな笑顔だったよ!」と。

 

妻は穏やかな顔をして機内で映画を観ている。共働きの忙しい生活の中で、あと少しのリラックスできる時間。日本に帰れば再び慌ただしい毎日がやってくる。

 

妻は、旅行の最中に子供たちの前で、子供たちでさえ見たことがないくらいの最高の笑顔を見せていたようだ。

 

自分は、「そうか、良かったな」とだけ答えた。

 

妻は、日本に帰国してからもしばらくは、「人とすれ違う時に、ソーリーとかエクスキューズミーが自然と口から出てくるわよ」と笑う。英会話のトレーニングが上手く行った証拠だと思う。 

 

自宅に帰ってから、デジタルカメラに映っている写真を眺めてみた。普段は自分が家族の写真を撮っているので分からなかったが、妻や子供が撮影した写真はとても面白い。

 

なるほど。妻が子供たちを眺める時の視線は、このような感じなのか。子供たちが妻を見つめる時の視線は、このような感じなのか。

 

確かに、子供たちが言ったように妻が本当に楽しそうな表情で微笑んでいる。 このような妻の表情は、かなり長い間、見たことがない。

 

商売上手なツアー会社が、おそらく連射して撮影したであろう妻と子供たちの写真のダウンロードサイトにもアクセスしてみた。足元を見やがってなんだこの金額はと思いながらも、このように楽しそうな妻の表情は最近では珍しい。

 

クリックして写真を購入。また、お金が飛んで行った。海外旅行というのは本当にお金がかかる。

 

全体の金額で言えばロードバイクほどではないので妻には何も言えない。

 

しかし、それよりも感動したのは、海辺で遊ぶ子供たちの姿を妻が撮影した写真。設定ができていなくて逆光になってしまい、子供たちのシルエットしか見えない。

 

しかし、まるで狙ったかのように背景の海がダイヤモンド状にキラキラと光っていて、とても美しい。

 

そこに映る子供たちの姿を見て、何か感極まる感覚があった。妻のお腹の中にいる時のエコーでは、小さな小さな命だった。

 

そして、無事に誕生し、こうやって元気に成長して、海辺で遊んでいる。

 

子育てを続けていれば、子供たちのシルエットは妻よりも大きくなり、やがてこうやって孫たちの写真を撮る日が来るのだろう。

 

それが命を繋ぐということなのだろう。

 

どうしてこんなに辛いのに、こんなに苦しいのに、人々は子供たちを生み育てるのか。色々な理由があるけれど、結局は我々の脳の中にプログラムされていることなのだろう。

 

だからこそ、こうやって、子供たちが生まれたことに感動し、子供たちが育つことに感動するわけだ。

 

そういった大切なプログラムを社会の変化や考えが上回り、社会がそれを抑えてしまった時、もしくは支えようとしなかった時、社会は衰える。

 

個が社会を形成して、より安全に生命を受け継ぐことが社会の本質だとするならば、寿命がある個は次の世代に生命を継いで社会を維持する必要がある。

 

個が社会の意味を感じなくなった時、また社会に対して関心を持たなくなった時、社会は衰え、生命を受け継ぐことが難しくなり、同時にその社会さえも維持することが難しくなる。

 

今、この時代、自分は日本という国に生きて、その過程を眺めているのではないか。

 

何だか哲学的で、何だか本質に近いところにいる気がする。

 

さて、夫的に、父親的に一念発起とまでは言わないが結構頑張って企画した家族の海外旅行。

 

今回の旅が終わった後、妻や子供たちから自分に対する扱いが変わったのかというと、それほど変わった気がしない。

 

「あー、楽しかった」という感想が数日間くらい続いて、今では会話の中に登場することもない。超個人的に考えると金と手間をかけて、今でも仕事に影響があるくらいなわけで、「うーん、やっぱり行かなければ良かったかな...」と思ったりする。

 

しかし、しばらくしてから妻が変化したというか、母親として次のステージに入ったように感じられた。以前よりも落ち着いている感じがあって、夫に対して厳しく指摘することもなくなった。

 

たった一回の海外旅行で人が変わるはずはなくて、たぶん関係のないことなのだと思う。ただ、そろそろ子供たちが小学生になるという過程で、そのきっかけを夫として提示したというか、何かの区切りになったのかなと。

 

いつまで続くのかと思った子育ての保育園児編は、そろそろ終わりになる。

 

これからの子育ては、小学生編。すでに中学生編が見えていて、今までよりも勢いが速い気がする。

 

そういえば、妻から自分の携帯電話に一通のショートメッセージが届いていた。

 

「10年後は、台湾に行きたいです」と。

  

10年と言わずに、数年後でも5年後でも構わないと思ったけれど。

 

10年後、うちの家庭はどのような形になっているのだろう。ここまでの10年よりも、おそらくずっと早く過ぎ去ってしまうことだろう。

 

夫婦とは何だろう?

 

恋とか愛といった分かりやすい表現ではなくて、その先に大切な何かがある気がする。長年を連れ添ったことの絆か? いや違う。もっと大切な何かだ。あと10年経てば、そのことに気づくのだろうか。

 

そうか、次の10年...ふと思った。

 

おい! ちょっと待てよ!

 

その時には、自分はすでに50代だぞ。

 

50代...だと!?

 

おい、ちょっと待て、人生、早すぎやしないか!?

 

自分の記憶が確かならば、部下との気持ちのすれ違いや組織としてのコンプライアンス上のトラブルなどの様々な都合があって宿泊先のホテルが火災に遭った信長さんが、出陣の時に好んで舞った幸若舞のフレーズを思い出す。

 

「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり」 

 

その後は、「一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」が続く。

 

いやいやいや、50年経ったけれど、夢でも幻でもなくて、かなりリアルだぞ。これから、子供たちの授業料を払わなくてはいけないし、まだまだクールダウンには早すぎる。

 

最近まで30代だと思っていたのに、 着々と老いているぞ!

 

その次の10年が経ったら還暦が来るぞ! 来る、きっと来る!

 

いや、順調に60代になるかどうかも分からない。還暦が来る前に死ぬかもしれない。

  

落ち着け、とにかく落ち着こう。ここまで哲学的に黙々と思考してきたのに、五十路が来ると知って明らかに動揺している自分がここにいる。

 

それにしても、五十路...

  

たぶん、自分が台湾に行ったら、家族そっちのけでGIANTとMERIDAのロードバイクショップに行って、カーボンフレームを買って日本に持ち帰ってくるだろうけれど、その時には子供たちは立派に育っていて、「お父さん、仕方ないよね...」と、一緒に荷物を持ってくれることだろう。

 

それからしばらくすれば、結婚相手を連れて自宅にやってくるかもしれない。

 

自分は思った。

 

「あー、大変だ!」とか「あー、辛い!」とか「あー、めんどくさい!」と思う時もある子育ては、実際にとても苦しい時期なのだけれど、人生全体で考えるととても大切な期間なんじゃないか?

 

子育ての大切さを経験して、さらに孫に生命を繋ぎ、良き人生だったと思い出を振り返って世を去る。何だか物語みたいだ。

  

10年後の台湾への家族旅行を楽しみにしながら、頑張って生きよう。