共働きの育児の中で、父親として大切だと思った言葉を忘れないように書きとめる(仕事編)

 

「男ってのは...所帯を持って家族を養い、両親をあの世に見送って一人前だと言うが、簡単に思えて、えらく大変なことだな...」

 

かなり前、祖父が亡くなり、火葬場から一筋の煙となって空に上がっていく姿を眺めながら、実父が独り言のようにつぶやいた言葉だ。

 

実父は団塊世代の人間なので、自分たちのような団塊ジュニア世代とは違った価値観や感性がある気がする。

 

団塊世代にも様々な考え方を持った人たちがいるけれど、自分が子供の時に眺めていた時でさえ実感できるような、とても分かりやすい父親像があった。

 

実父が誰からそのフレーズを聞いたのかは分からないが、同世代の父親たちなら知っていることなのかもしれない。

 

団塊ジュニア世代以降の平成生まれのパパさんたちから見ると、団塊世代というのは少し気難しくて、考え方を曲げなくて、何か気に入らないことがあると強く主張するという怖い印象があるかもしれない。

 

しかし、筋を通している限りは怒ってこないし、とても勉強になる話をたくさんお聞きすることができるので、自分にとっては同世代以上に敬服している。

 

また、彼ら、彼女らの馬力があったからこそ今の日本があるわけで、感謝の念も感じる。

 

それと、若いパパさんたちは知らないかもしれないが、自分の祖父母の世代、つまり団塊世代よりもさらに親の世代は、もっと怖かった。

 

彼ら、彼女らは昭和の初期の付近の生まれで、第二次世界大戦で命がけで戦った男性たちや、目の前でたくさんの人たちが倒れている姿を目にしながら懸命に生きようとした女性たちが、自分のおじいちゃんやおばあちゃんの世代だったわけだ。

 

その世代には、死というものがもっと身近にあった。

 

出産や子育てだって凄まじかった。

 

父親になってすぐの頃、祖母と祖母の妹がコタツでみかんを食べていたので、自分は「子供が逆子になって、治してもらって、無事に産まれたんだよ」と紹介したことがあった。

 

すると、彼女たちは、「昔はね、逆子どころか、普通に産んで女性が亡くなることがよくあったよ。出産は命がけ。検査もなかったし、産婆さんが手術なんてできないからね」と、懐かしそうに話している姿を見てゾッとしたことがあった。

 

現在ならば学童に通っているような子供たちが弟や妹の世話をしていたり、授乳しているような時期の赤ちゃんを田んぼの脇に寝かせてお母さんが働いていてヘビがやってきて困ったとか。

 

タフな時代を乗り越えた世代の迫力はとても強力で、若かりし頃の団塊世代のお父さんやお母さんたちが叱りつけられている姿をよく見たし、明治時代や大正時代から続く日本人の考えが強く残っていたりして、とても印象的だった。

 

大人というのは、家庭を持って一人前のような考えがなくもなくて、適齢期に結婚していない男性や女性がいると、頼んでもいないのにお見合いがセッティングされて、外堀を埋めてくるような感じだったようだ。

 

多くの人たちがお金を払って婚活をしている今ならばありがたいボランティア活動なのかもしれないが、当時の団塊世代の男女は逃げ回って恋愛結婚を目指したという遠い記憶が残っている。

 

そういった様々な価値観に対して、団塊世代が受け入れて次世代に引き継ごうとした感じがあり、同時に、反発するような感じもあった。

 

そして、団塊世代の子供たちである団塊ジュニア世代は、団塊世代の価値観をどう感じているのか。

 

第二次ベビーブームによって生まれた団塊ジュニア世代にベビーブームがやってくることはなかった。

 

それによって、この国の少子化は決定的になった。

 

その理由はたくさんあるのだろうけれど、団塊ジュニア世代ならば共感してもらえることがあることだろう。

 

団塊ジュニア世代の結婚に対して、団塊世代が注文を付けすぎたのではないか。

 

自分も経験があるけれど、相手が見つかり、結婚しようとして実家に紹介すると、とにかく色々と指摘があって、結婚する気力が削がれた。

 

「夫になる人はこうあるべきだ」とか、「妻になる人はこうあるべきだ」とか、親心とはいえ、あまりに指摘が多くて、そのまま進めば結婚していたであろう男女の仲が、どれだけ引き裂かれたのかと思うと心が痛む。

 

団塊世代の場合には、周りがお見合いをセッティングしてくるような状況だったかもしれないし、日本の景気も上り調子だったかもしれない。

 

しかし、団塊ジュニア世代の場合には働き始めの頃にバブルが崩壊。厳しい状況の中、それでも結婚しようと頑張っているところに、親が色々と言ってきたのかもしれない。

 

指摘をするのであれば、良い相手を見つけてお見合いでもやってくれれば話は済むが、「自分で見つけなさい」と。

 

子供たちが家庭を持つことを本当にサポートしたと言えるのか。いや、そのような取り組みに苦労した経験があったからこそ、動かなかったのかもしれない。

 

結局、「結婚はまだか?」とか「孫はまだか?」という展開になったのではないだろうか。

  

ところで、実父は、大学に通ったことがなく、小さな店の自営業で生計を立てていた。

 

自分と仲が良いとは言えず、小さな頃から実父に「お前は何を考えているのか、よく分からない」と、頻繁に拳骨を落とされながら育った。

 

そして、今、自分は父親となり、妻から「何を考えているのか、よく分からない」という諦めの視線を感じている。

 

同時に、「あ、ほんとだ。何を考えているのか、よく分からないね」と、自分にそっくりの子供を育てながら実父の気持ちを味わっている。

 

実父のように子供に拳骨を落として躾けようとしても、それが意味をなさないことを自分の経験で知っている。

 

しかし、あまり相容れない実父ではあるけれど、彼には長い人生を歩んで蓄積された深みのある、どこか哲学的なフレーズが多くて、最近ではとても有難く感じることがある。

 

その気持ちは実父だけではなくて、父親になってから出会う多くの団塊世代の皆様に対して、そう思う。

 

よくよく考えると、大戦が終わって大きなダメージを受けた日本。

 

ベビーブームがやってきて、団塊世代の方々が生まれた。

 

彼ら、彼女らは一生懸命に働き、自分たちのような団塊ジュニア世代を生み、一生懸命に育てた。

 

彼ら、彼女らの力がなかったら、この国は今の姿を実現することができなかったことだろう。

 

子供たちが生まれて帰省し、自分が子供だった頃と同じように、実父が運転する自動車の助手席に乗って懐かしい道のりを走っていた時のこと。

 

「今のパパさんたちは、大変だな。しかし、仕事は大切だが、家庭も大切だ。父親になったからには、コツコツと働いて、きちんと子供たちを育てろ。父親というのは、そういうもんだ」と、実父は正しい意味での説教を自分に送った。

 

続いて彼が呟いたフレーズが心に響いた。

 

「だがな、今の日本というのは、のんびりと働いて、ここまで発展したと思うか? 俺たちの世代が朝から晩まで必死に働いて、たくさんの子供たちを育てて、社会を支えてきたからじゃないのか?」と。

 

自分たちの世代の父親は、仕事と家庭のバランスについて考えるようになり、必ずしも仕事に没頭することが良しとされない時代で子育てをすることになった。

 

バランスが大切だと思っていても、生活のためには仕事を優先せざるをえない父親がいて、理想的な姿を実現している父親もいて。

 

実父だけではなくて、自分の父親の世代はひたすらに仕事に打ち込んできた感があって、それが本能かのように働いていたような印象があった。

 

同時に、それぞれの職業におけるプロとしての矜持がある感じがして、とても格好良かった。

 

実父としては、今の風潮を眺めていて、真面目に働いて頑張ってきた団塊世代の父親たちの人生が否定されているかのように感じたようだ。

 

ただ、そのような風潮が女性の職場での活躍を制限してきたことは否めなくて、今、それを何とかしようという流れになってきた。

   

加えて、今の60代が現役の職業人だった頃の仕事へのモチベーションは半端なかったけれど、それを今の20代や30代に求めるのは厳しいと実感する。

 

自分の祖父や父の世代というのは、苦難に対して気合と根性で乗り切るような、そして脱落する人を切り捨てるようなところがなくもなくて、今の50代くらいの人たちにもそういった日本的な精神論が残っているように感じる。

 

長時間労働を耐えてでも結果を求めるような。

 

自分たちのような40代の中にも心身を壊して倒れてしまう人たちが珍しくない。勤労人口が多い団塊ジュニア世代ならば職場レベルでは補充ができると思っているのかもしれないが、これからの世代は一人ひとりが大切な力だ。失うわけにはいかない。

 

社会全体の原動力である「人」を大切にせずに、自らの都合で邁進し続けていたら、社会全体が傾いて悲劇を生むということを、日本人は知っているはずなのに。

 

自分たちのような40代は、あと10年後も職業人を続けているわけだ。20代や30代の人たちが苦しまないような社会を考えていく必要がある。

 

自分たちが味わった苦労を、これからの若い人たちに経験させたくない。そういったループを回すことが大切だ。

 

ただ、必死に働いてこられた父親たちの姿を、自分は必ずしも否定できずにいる。今の時代に合わないことは確かかもしれないが、やはり頑張ってくださったことには感謝したい。

 

それは国全体という大きなスケールの話だけではなくて、家庭という小さなスケールにも当てはまる。

 

自分の両親は大学に行ったことがなかったけれど、田舎で地道に働いて息子に高等教育を受けさせた。

  

自分の子供たちは、経済的な苦労を知らずに成長し、不自由なく人生のトラックを歩んでいる。

 

その背景には祖父母の苦労や努力があったことを子供たちが理解するのは、実際に親になってからなのかもしれない。

 

そういえば、実父に限った話ではないことに気づいた。

 

我が家では、元旦がやってくると、家族を連れて妻の実家に帰省することが恒例行事となっている。

 

帰省といっても浦安市内なので、すぐに義実家にたどり着く。そして、自分にとっての義実家でアウェイな感覚を味わいながら飲み食いするわけだ。

 

とある元旦の日のこと。

 

子供たちが美味しい料理をたらふく食べて、義母と妻と子供たちが近くを散歩することになった。

 

そして、テーブルを挟んで、妻の父、つまり義父と自分が二人でおせち料理をつまみながら、日本酒を楽しんでいた。

 

義父は、自分の子供、つまり孫が生まれた後に重病にかかって命が危うい状態になった。

 

人生というのは残酷なもので、ふとしたタイミングでその長さが決まったりする。

 

妻を含めた義実家はどうすればいいのかと困っていた。

 

義父は、妻の父とはいえ自分の父でもあるわけで、彼が頑張ってきたから今の家庭がある。

 

結婚当時、本当はマスオさんのように義父を慕って、良き思い出を積み重ねようと思っていたけれど、妻を含めた義実家の連帯は非常に強く感じて、なかなかそれが実現できずにいる。

 

彼に感謝する良い機会だということで、義父の寿命を延ばすことにした。

 

自分は妻に「君のお父さん、このままだと死ぬよ。助ける?」と尋ねた。

 

男の生き様は自身で決めることだ。自分がとやかく言う話ではなくて、本人の意思が大切だ。

 

しかし、妻も義母も、義父本人でさえも、そんなことができるのかと本気では信じていなかったみたいだ。

  

結果、義父は寿命が延びて元気になった。

 

人生のタイミングというのは残酷で、自分が妻と結婚していなかったら、今頃、彼は墓の中だったことだろう。

 

しかし、彼が一生懸命に働いて、子供を育てたからこそ、自身で自身の運命を変えたとも思える。

 

とにかく、義父は、新しい年の始まりに大好きな美味しい料理とお酒を味わい、子供たちや孫たちに囲まれている。とても幸せなことだ。

  

頑固おやじの実父と違って、義父は穏和で人当りが良く、理知的で、様々な分野に精通している。相手がどのような人であっても会話が成立するくらいに知識と話題のストックがある。

 

実父の場合にはいかにもな昭和の男という感じだったけれど、義父の場合には自宅で家族からイジられるくらいの可愛さもある。

 

家庭において父は絶対的な存在だった自分にとって、そのギャップが面白い。

 

義父と二人で日本酒を味わっていた時、うちの妻が子供だった頃から今に至るまでを、まるで回想するように話してもらった。

 

夜遅くまで一生懸命に働いて家族を養い、どれだけ娘を大切に育ててこられたのかを知った。

 

彼がどれだけ仕事に対して真剣に向き合い、努力してきたのかを知った。

 

彼は、家庭のことを妻、ここでは義母に任せて仕事に没頭してきたことだろう。

 

彼は、離乳食の作り方どころか、おむつの替え方すら知らないかもしれない。

 

けれど、彼は父親として一生懸命に生きた。自分は彼の生き方を否定しない。むしろ尊敬する。

 

男同士の話というのはなかなか面白くて、おそらく妻自身さえ知らない父親としての本音があったと思う。

 

心にグッとくる話もあったけれど、わざと妻には教えずに生活しようと思う。

 

さて、こうやって生きていると、様々な言葉を耳にすることがある。

 

本人が頑張って主張したわけではなくて、ふとつぶやいた哲学的なフレーズが心に残ることがあって、とても大切なことだと思う。

 

しかし、それらの情報の多くは人の頭の中に記憶されているだけで、時間とともに霞み、やがて消え去ってしまう。

 

このような傾向はネットによって情報を共有し合う時代が来れば変わるかなと思ったけれど、逆に情報量が多すぎて人々の心に届かなくなってしまったような感じがある。

  

以前、子育て中に耳にした言葉を少しだけ書き留めたことがあった。

 

共働きの育児の中で、父親として感動した言葉を忘れないように書きとめる(子育て編

 

今回は「仕事」について心に残った言葉を書き留めておく。

 

それらは完全に匿名化されているけれど、内輪では「あ、それ、私が言った言葉だ」と思われるかもしれない。

 

また、父親になってからではなくて、青年時代に耳にして、父親になってからその大切さを実感したフレーズも含まれる。

  


1.職場というのは、子供たちのために真面目に働いて、お金を受け取る場所だと思っています。


彼は、自分が浦安で出会った父親の中で、最も家族を大切にして、最も誠実な人だと思っている。

 

身体を壊した奥さんを気遣い、毎日の食事をつくり、子供たちを育て、仕事に向かい、毎日一生懸命に働いておられた。

 

この状態では仕事に集中できないと思ったけれど、彼は本当に真面目に職場に通っておられた。そして、彼の職業観をお聞きして、この言葉が返ってきた。

 

どこか切ないフレーズではあるけれど、「人はどうして働くのか?」という仕事の本質の一つだと感じる言葉。

 

働いていると、色々な人間関係に巻き込まれることがあり、時に、上司や同僚からプレッシャーや嫌がらせを受けることがあるかもしれない。

 

自分の理想とする仕事と違った職業人生を歩まなくてはならない時があるかもしれない。

 

家族のために仕事に行ってお金を稼ぐという開き直りに近い気持ちというのは、父親の心の安定を考えると大切だと思った。

 


2.辛い気持ちになった時は、「多様性、多様性」と心で唱えるんですよ。


自分の電車通勤があまりに辛いと言った時、知人がアドバイスしてくださった言葉。

 

自分と全く同じ考え方や感じ方を持った人というのは珍しい、もしくはいないわけで、生きていると辛く感じたり、不満に感じることは多い。

 

ただ、この社会というのは様々な人たちがいるからこそ発展して、前に進んでいるわけで、全く一緒になっている状態というのはよろしくない。

 

それぞれの人たちの多様性を受け入れることは、様々なストレスに耐える上で大切だと思った。

 

自分は、とても神経質なので、些細なことで心が疲れたりするのだけれど、「そうか、多様性って大切だよな」と、四十路になってから大切なことを学んだ。

 

逆に、様々な人たちの個性についてあまり深く考えずに受け流すことで、精神的な疲れの蓄積を避けることができることを知った。

 

彼は、大企業の管理職としてご活躍だけれど、やはり人の上に立ってグループを率いる人の実力は半端ないと実感した。

 


3.目の前の男がどんな生き方をしてきたか、それは顔を見れば分かることだ。


自分が働き始めた頃、田舎に帰省した時に祖父が言ったフレーズ。

 

都会で働く孫のことを心配して、本人の経験を自分に伝えたのだろう。

 

その人の顔が男前だとか、そうでないとか、そういったルックスの話ではなくて、表情の話。

 

祖父は商売人だったので、そのためにたくさんの人たちに出会ってきたし、交渉をしてきたし、時に罠にはまりかけたり、実際に騙されることもあった。

 

「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という諺は、昔も今も変わらない。

 

結局のところ、他者に負荷をかけてでも自分がメリットを勝ち取ろうとする人は珍しくないし、信じていた人に裏切られることもあることだろう。

 

お互いに腹の探り合いになった時、何を指標として考えるのか。祖父は「顔を見れば、その男の内面は分かるだろ」と言った。

 

「嘘をつき続けて儲けようとしていれば人をだますような顔になり、偉そうに生活していれば偉そうな顔になり、世渡りだけで中身を磨かなければだらしない顔になる。特に目の表情に気をつけろ。笑顔や言葉に惑わされるな」と。

  

人を外見で判断してはいけないと思うけれど、四十路になるくらいまで人生を積み重ねると、同じような表情の人に二度三度出会って、経験が一回りしてきたので、祖父の言葉が実感できるようになってきた。

 


4.シビアな要求に応えられるだけの実力を持った経理マンというのは、一握りなんです。


そのお父さんは、ご自身のことを「経理マン」と呼んでおられた。

 

今となっては自分自身の不勉強を反省すべき話だけれど、経理マンという言葉をお聞きして、地味な印象を受けた。バックオフィスでサポートする大切な役割だが、前線で活躍するとは思えず。

 

ところが、その考えは自分の先入観でしかなくて、彼から仕事の話をお聞きして、経理マンというのはミスが許されない非常に重要なポジションだということを学んだ。

 

さらに興味深かったのは、経理マンにもグレードがあって、一流の経理マンというのは全国でも一握りしかいないという話だった。

 

大学や専門学校で学ぶような経理を一通りこなせる人は並みで、自分が想像していた経理マンがこのレベル。

 

しかし、海外の関連会社との間での連結決算までを正確にまとめられるレベルの経理マンは、どの会社でも不足していて大切にされるそうだ。そもそも通貨が違うわけで、本当に大変だと思う。

 

そして、彼らが難しいソフトウェアを使っているのかというと、普通のエクセル。

 

しかし、エクセルが使えるといっても、このソフトウェアの強力な機能を使いこなしている人は少ない。

 

さらに、経理事務のノウハウを組み合わせて使うためには、実戦で鍛える必要もあるそうだ。

 

経理マンの場合には、経理が仕事なので、その企業が何を取り扱っているのかはあまり影響がない。つまり、手に職をもっている感じなので、転職の幅が非常に広い。

 

「私が転職するときは、歯ブラシとかコップとか、ほとんど手ぶらですよ」という言葉と、「PTA活動で会計を担当すると重宝されるんですよ」という言葉が印象的だった。

 


5.この街は私が生まれ育ったところです。ふるさとのために仕事をしたいと思いました。


浦安市に引っ越してきて感動した言葉。

 

独身で生活している時よりも、家庭を持って子供を育てている時の方が役所に行くことが多い。当然ながら、浦安市役所の人たちとも会話する機会が増える。

 

自分の印象でしかないけれど、23区で生活していた時、区役所の人たちはこんなにフレンドリーだったかなと思えるくらいに浦安市役所はフレンドリーだ。

 

他の自治体から引っ越してきて、市役所に厳しく突っ込む市民は珍しくないわけだけれど、感情的になることもなく本音で話している感じがあった。

 

普通、23区で生活していて、区役所の中の人のことまで尋ねることは少ないことだろう。

 

しかし、ふと興味があって、「もしかして、浦安のご出身ですか?」と浦安市役所の人たちに尋ねると、「はい、そうなんです!」と笑顔が返ってくることが多い。

 

宇田川さんとか熊川さんとか大塚さんといった、浦安に多い苗字のネームプレートを見かけたら、お尋ねすると面白い。

 

そして、「どうして市役所で働き始めたのですか?」と尋ねると、浦安出身の職員の方々は「地方公務員は生活が安定しているので...」ではなく、「生まれ育った街のために仕事をしたいと思いました」と控えめながらも熱い言葉がやってくる。

 

大切なモチベーションだと思った。

 


6.霞ヶ関は不夜城だ。この国が動いていることを実感するよ。俺の仕事? コピーと電話。


20年以上前の話。

 

自分が大学院生だった頃、夜の東京大学の研究室というのは、とても面白かった。

 

教員が帰宅した後も煌々と部屋に明かりが付いていて、学生たちが研究に没頭していたり、お金がないので夕食としてカップラーメンを食べていたり。

 

研究に関係のないディスカッションをやっていたり、酒を飲んでいたり。コタツや寝袋が置いてある研究室が多くて、ほとんど家のような状態になっていた。

 

日付が変わりかけた頃、鼻の下やあごにうっすらと青いひげを残して、ネクタイをゆるめ、ヨレヨレのシャツを着たスーツ姿の若者が、自分のいる研究室に入ってきた。彼は東大OBで、とある省庁の一年目のキャリア職員だそうだ。

 

いわゆる官僚になった先輩がやってきたと聞くと、普通なら「スゲー!」と驚くのだろうけれど、この場所の人たちは全く動じなくて、市役所や県庁に勤めている人たちと扱いが変わらない。

 

夜食にコンビニのおにぎりを食べていた自分は、おにぎりを手に持ったまま応対する。

 

研究室に、尋常ではないくらいに頭が良くて百科事典が歩いているような人がいたので、彼は、手っ取り早く基礎知識をもらいにやってきたそうだ。

 

そして、彼の一年目の生活をお聞きして驚いた。狭い範囲ではなくて、日本全国の話になるわけで、まさに国を動かすとはこのことだ。話のスケールが大きすぎる。

 

それ以上に驚いたのは、あまりに厳しい労働環境だった。国会の会期中は自宅に帰ることさえ大変だとか。

 

しかし、具体的に彼がどのような仕事をしているのか、当たり障りのない範囲でお尋ねしたところ、「今の仕事? コピーをとったり、電話をしたり、書類を配ったり、打ち合わせだよ。どうだ、国を動かしている感じがあるだろ?」と少し自虐的な返事があって、笑ってくれよという表情なので笑った。

 

キャリア職員というとエリートコースで楽ができると思っていたのだけれど、実際には激務なのだということが、一年目で眼がくぼみ、ゲッソリと痩せてしまった姿を見て実感した。

 

そして、彼には、夜の研究室にやってきたもう一つの理由があった。

 

「悪いんだけどさ、研究室の寝袋、貸してくれないか?」

 

どうやら、職場のデスクに突っ伏して寝ることに疲れたようだ。

 

彼の姿を眺めて、その場にいた若者たちが国家公務員試験の受験をためらったことは言うまでもない。

 


7.将来、日本の舵を取る。誰かがやらなくちゃいけないことだろ?


当たり障りがあるといけないので詳しくは書かない。

 

その上で回想すると、先ほどの大学の研究室には、様々な人たちがやってきた。

 

酔っぱらって飲み友達を探して徘徊している教授とか。

 

夫婦喧嘩をして家を追い出されて、寝場所を探しにきた先輩とか。

 

人ではなくて、どこかの研究室で飼っている猫とか。

 

その中でも強烈だったのは、夜に来室された、これから社会に出ようとしている最上級学年の先輩だった。

 

明らかに常人とは思えない強烈なオーラを発していて、カリスマという表現がそのまま当てはまる感じだった。

 

彼は別の研究室の所属だったのだけれど、部屋に入るなり椅子が用意され、少し申し訳なさそうに座った。

 

自分を含めた後輩たちは、直立して気を付けをしながらお話をお聞きする。

 

「いや、気を遣わず座ってくれ」とおっしゃるのだけれど、彼のオーラがそれを許さない。

 

しばらくの雑談の後、彼は自分に尋ねた。

 

「君には、夢があるか? 将来、何をして生きるんだ?」と。

 

恥ずかしいことに、若き日の自分は完全に凍ってしまって即答することができなかった。夢があったとしても、実現できそうにも思えなくて、その先輩からガツンと叱られたり、呆れられたりすることが怖かったからだ。

 

そして、「はい、私は、地味に生活できればいいと思っています」と答えた。今でも赤面するような小学生よりも劣る回答だ。

 

しかし、先輩は、怒ることもなく答えた。

 

「人の生き方は、自分が納得できるかどうかだからな。地味で結構じゃないか」と。

 

やばい、気迫のある眼差しの奥に、ものすごく広い配慮と優しさが見えて、彼の雰囲気に引き込まれる。

 

相手のことを考えて、少しずつ言葉を紡ぎ、一緒に話をつくっていく感じ。

 

とにかく会話が楽しい。一緒に話していて元気になる。

 

この個性、どうやったら身につくんだ?

 

そして、自分は恐る恐る彼に「先輩は、将来、どうされるんですか?」と尋ねた。

  

「俺か?」

 

彼は、しばらく宙を見つめてから自分に言った。

 

「俺は、将来、日本の舵を取る。誰かがやらなくちゃいけないことだろ?」と。

 

あまりに強烈だったので、彼の一人称が「私」だったのか、「俺」だったのか覚えていないけれど、確か「俺」だった気がする。

 

「この先輩は酒でも飲んでいるのだろうか? 冗談なのだろうか?」と思ったのだけれど、どう考えても素面だ。

 

彼は間違いなく本気で言っている。世界から日本を眺めているような不思議な価値観も感じられた。

 

しかも、彼の言葉の背景には、権力を握って偉くなろうとか、そういった気持ちではなくて、自分が生まれ育った日本という国が好きで、この国のために頑張りたいという気持ちを感じた。

 

小学生の夢よりも実現性のないことではあるけれど、そのことさえ手段に過ぎなくて、この国をより良い方向に導きたいという話だった。

 

「信じていれば、夢はいつか叶う」というのは理想論でしかない。信じていたって実現しないことはたくさんある。モチベーションを維持し、努力し、偶然のタイミングや人と人との縁も必要だ。

 

しかし、彼なら本当に実現してしまうのではないか。

 

あまりの迫力を前に、自分はそのまま凍り続けた。

 

あれから長い月日が流れた。

 

この国のたくさんの人たちが彼の顔を目にしたことがあることだろう。

 

彼のオーラは若い頃から褪せることがなく、むしろ経験を積んで輝きを増している。

 

将来、本当に日本の舵を取る日が来ることだろう。

 

一度でいいから、肩を組んで記念写真を撮っておけばよかった。残念でならない。

 

そして、このことを妻に自慢したのだけれど、全く信じてもらえない。

 


8.あと数日で倒産する状態の会社を立て直したことがありますよ。


浦安で生活してきて、たくさんの父親に出会って、彼から最も大きなインパクトを受けたかもしれない。

 

自分が四十路になるまで生きてきて、ある程度固まってきた価値観、それがガラスのように砕け散る感じがあった。

 

そのお父さんに出会ったのは、以前所属していたロードバイクサークルでの出会いがきっかけだった。

 

謙虚で礼儀正しく、スポーツで鍛えて引き締まった体躯。

 

目の前の相手の感情を射抜くような鋭い視線と観察眼。

 

非常に強い殺気とも表現できるくらいの空気。全体から醸し出される自信と気迫。

 

同時に、物事の本質をとらえるような発言が多くて、一瞬で会社の経営者だと分かるような印象があった。

 

かなり以前、彼からブログでのご紹介についてお許しを頂いたので、匿名でご紹介すると、彼は、企業を中心とした組織コンサルティングの会社を経営されている社長だと理解している。

 

彼とお酒を飲むと、話題が日常の規格外で、とても楽しく、勉強になり、元気になる。

  

若い頃はバックパッカーとして世界一周に出かけ、強盗に遭ったり、マラリアにかかったり、マサイ族の人たちに助けられたこともあったそうだ。

  

彼は、有名大学をご卒業後、外資系のコンサルティング企業で活躍されて、その後、独立されたようだ。

 

ご自身の才能をビジネスに活かすことができたのも、青年時代に自らを見つめることができたからかもしれない。

 

では、彼がどんなお仕事をされているのかというと、組織における病理となっている部分を冷静に分析し、それを改善することで組織を機能させる、つまり組織のお医者さんという内容だと理解している。

 

そして、その本質として大切にされているのは、「人の心」だと思う。

 

どのような組織でもよくあることだが、しがらみとか、こだわりといった人間関係があったり、本来は優先すべきことを後回しにしたり、幹部が集団ではなくて保身を考えたり、現場のスタッフが追い詰まったりと、様々な負の要素がある。

 

彼らの会社は、それらを改善することで、組織を活性化させたり、立て直すという事業を展開されているようだ。

 

彼と出会うまで、自分はコンサルテーションの企業という存在が実際の社会でどのような生産性があるのか、分からずにいた。

 

しかし、彼は、経営が行き詰ってあと少しで倒産する状態の会社を立て直したこともあったそうだ。

 

その会社には、たくさんの父親たちが働いていて、もちろんだけれど家庭があって、子供たちを育てていることだろう。

 

真面目に働いていれば、どこかで誰かの幸せに繋がるのだなと実感した。

 


9.私たちの多くは浦安の出身です。この街の皆さんが楽しみにしてくださっていますし、この街の良さを知っていただきたいのです。


特定の企業についてのワッショイだと誤解されると困るので詳しく紹介しないけれど、とある不動産会社の話。

 

浦安に引っ越してきて衝撃を受けたことがある。

 

一つは、市役所のフレンドリーな態度。どこかの誰かが「浦安はガラパゴス」と表現されたけれど、確かにその通りで、他の自治体では信じられないことが起こりうる。

 

個人的には改善点も見受けられるけれど、そのギャップが浦安の面白さだとも思う。

 

もう一つは、新浦安の不動産業者のフレンドリーな態度。23区を中心に色々なところに住んだけれど、一度、これを味わってしまうと他の自治体に引っ越す気力がなくなる。

 

本当に親身になってくださって、場合によっては自社の取り扱いを越えて他社を紹介してくださることさえある。

 

そして、浦安には、情報誌とかブログで浦安を紹介しているとある不動産会社の関連会社がある。

 

非常に質の高い情報を発信していて、プロブロガーも顔負けの社員さんや一般のライターが矢継ぎ早に記事を更新していたりする。

 

最初、この会社は浦安の良さを発信することで浦安に引っ越してくる人たちを増やしたいのかなと思ったのだけれど、それではビジネスモデルとして成立しないんじゃないかと思った。

 

一つの会社が浦安のことを宣伝して、他の不動産会社にお客さんが来たら、ベネフィットがないだろうし。

 

そして、あまりに好奇心が高まってしまった自分は、実際にその会社の社員さんに尋ねてみた。

 

すると、広報誌やブログで情報を発信しても、あまり収益が出ていないそうだ。

 

では、なぜ、ここまで浦安の良さを発信し続けているのだろうか。

 

すると、驚くような答えが返ってきた。この会社の社員さんたちは浦安で生まれ育ったとか、浦安につながりがあるとか、そういった人たちが多いとのことだった。

 

そして、「記事を楽しみにしてくださっている方々のために、浦安の良さを発信しています」と。

 

自分は人生の半分以上を故郷から離れて過ごしてきて、たまに帰省する故郷は街並みが変わり、遠い記憶の中だけで存在する場所さえある。

 

浦安で生まれ育って、故郷の良さを発信するというのは、人として幸せなことだと思う。

 


10.アンパンマンの人形を抱きしめながら治療に耐えている子供たちにとって、彼は本当のヒーローなんですよ。


角が立つので詳しく書かないが、どこかの街には、「小さな子供たちは木製の玩具で遊ぶべきで、アンパンマンなどのキャラクター人形は良くない」と主張している子育ての専門家がおられるようだ。

 

人々の意見は様々だが、エビデンスが明確でもないのにキャラクターグッズを嫌う人たちは珍しくない。

 

身を挺して悪い奴と戦うヒーローに憧れながら育った四十路の親父にとっては、「それは家庭の判断だろ?」と思ったわけで、我が家ではアンパンマングッズが山のようにある。

 

ばいきんまんみたいに悪いことをしたら、アンパンマンがやってきてぶっ飛ばされる。

 

勧善懲悪の良い話じゃないか。

 

悪いことをしても叱られないような環境で育ったら、友達に嫌がらせをやってしまうような育ち方になりはしないか?

 

しかし、話は子育て論ではなくて、いきなりだけれど大学病院の話になる。

 

うちの妻は定期的にどこかに炎症を起こして入院する癖があるようで、この前も入院してテンヤワンヤの大騒ぎになった。

 

大学病院まで行って、大切なことに気づいた。

 

様々な職業の人たちが仕事の意味に悩んだ時、大きな病院をイメージするとその意義を再確認できると思う。

 

たくさんの人たちが元気になろうと、病床で頑張っている。

 

病院食で並ぶ米、豆、魚、野菜などは、農家や漁師の皆さんが届けてくださった食材だ。

 

ティッシュペーパーやトイレットペーパーは、林業や製紙業の方々が頑張ってくださったからこそ、安全に使用できている。

 

水、電気、シャンプー、石鹸、歯ブラシ。

 

カメラや釣り、園芸といった雑誌。新聞、週刊誌。

 

パソコンやスマートフォン、ネットワーク、様々な電子機器。

 

建物をつくるために汗を流した建設業の皆さん。外壁や内装、電気工事を担当してくださった職人さんたち。

 

親戚や友人からの手紙を届けたり、必要なものを運んでくださる輸送業の方々。

 

ご家族に支えられながら晴れやかな表情で自宅に帰る患者さんたちを運ぶタクシー運転手さんたち。

  

誰だって、自分が働いて成し遂げられる仕事の範囲は小さい。

 

しかし、自分自身の仕事について大きな意義がないと感じていても、実際にはとても大切だ。たくさんの力が集まって、たくさんの患者さんを助け、元気にしている。

 

自分は子育て中の医師と酒を飲むことがあり、一部の子育て専門家が嫌っているアンパンマン、正しくはアンパンマンのキャラクターグッズが本当に悪なのかを語り合った。

 

彼は、「え!? アンパンマンの人形が子育てに悪いって、本当ですか!? うちにもありますよ!? 親戚の子供もアンパンマンが好きでしたが、きちんと育って国立大学の医学部に合格したんですけど、子育てに悪いのですか!?」と驚いていた。

 

アンパンマンのキャラクターグッズを嫌っている子育ての専門家のエビデンスが崩れたようだ。

 

ただ、キャラクターグッズが良いか悪いかよりもさらに深い話が続いた。それがタイトルの言葉。

 

助かるかどうか分からないくらいの病気にかかった子供たちは日本中にたくさんいて、幼稚園に通いたいとか、家族と一緒に海水浴に行きたいとか、そういった普通のことさえ難しい状況がある。

 

採血をしたり、点滴を打ったり。それどころか、大人でさえ辛い手術や投薬に耐えている子供たちだってたくさんいる。

 

痛い時や苦しい時には、アンパンマンが助けてくれる、元気になれると信じて人形を握りしめたり、そのまま亡くなることさえあるそうだ。

 

キャラクターグッズをつくったり販売する仕事に就いている父親たちはたくさんいることだろう。

 

しかし、自分たちが社会に流通させている商品が、とても大切な場所で、大切な役割を担っていることに気づくだろうか。

 

職業人生とは、終わってみると遠い昔の夢のようだと感じることがあると聞く。

 

しかし、どんな仕事であっても、真面目に働いている限りは誰かの生活につながっていて、意味のあることなのだと思う。