お星様になったベテラン保育士の先生

 

仕事を終えて帰る頃、ポケットに入れてある携帯電話に妻からのショートメールが届いていた。

 

きっと「駅前で何かを買って来て欲しい」という連絡だと思って、画面を確認する。

 

メールには、「副園長先生がお亡くなりになったそうです」と表示されている。

 

思考が停止し、しばらく時間が流れた。

 

無言で携帯電話をポケットに戻す。

 

副園長先生が?

 

そんなはずはない。何かの間違いだ。

 

しかし、うちの妻は夫に対して冗談を言わないし、根拠が定かではない噂話を夫に伝えない。

 

今の状況は夢でも何でもなくて、現実なのだろう。

 

しかし、その現実を受け入れられない自分がいる。

 

悲しい気持ちになって、涙の一つでも出てくるはずなのに、 感情に蓋が乗っているかのようだ。

 

いつも通り、自転車に乗って都内の職場から浦安に帰る。

 

そんなはずがない。きっと何かの間違いだ。

 

何度も、何度も、心の中でつぶやきながらペダルを回す。

 

同時に、頭の中で散らばっていた情報が一つに組み上がっていく。

 

彼女が休職されていたことは知っていた。

 

確か、以前にも休職されたことがあった気がする。

 

そういえば、保育園に子供を送っていった時、自分は、不思議な空気を感じていた。

 

園児たちの数は100名を超え、スタッフも数十名という規模の公設公営の認可保育園。

 

保育士の先生方は、普段と同じく笑顔で子供たちや保護者を迎えてくださるのだけれど、何か元気がない。

 

まるで、保育園全体の室内の照明が暗くなったかのようだった。

 

そして、訃報が保護者に伝えられた。

 

子供たちも、保護者の皆様も深い悲しみに包まれた。

 

自分の世帯は、上の子供の時から保育園にお世話になっているので、保育園児の保護者としての期間が長い。

 

最近、送迎に来るパパやママが若くなってきたなと感じていたら、単に自分が歳を取っているだけだった。

 

なので、自分は以前のこともよく知っている。

 

浦安市内の公設公営保育園では、保育士の先生方が市職員なので、園長や副園長を含めて定期的に施設を異動する形がとられている。

 

新人パパは知らないかもしれないし、保育士の先生方はご存じかもしれないが、春先になると井戸端会議の保護者の間で、保育士の人事異動についてシビアな議論が繰り広げられたりする。

 

現在の園長先生は、この保育園で2回目の園長としての着任で、前回に園長だった時のこともよく覚えている。

 

前回と今回とを比べると、園長先生は通勤時の服装が変わった気がする。今の方が華やかだ。異動前の保育幼稚園課での勤務においてセンスを高められたのだろうか。

  

そして、園長先生が再び保育園に戻って来るタイミングで、副園長先生が保育園に異動して来られた。

 

自分は、これまでにたくさんの先生方にお世話になったけれど、副園長先生よりも優れた保育士に出会ったことがない。

 

お世辞ではなくて、彼女に出会った多くの保育士、保護者、そして子供たちさえも実感したことだと思う。

  

トレードマークは、額に巻かれた派手なバンダナ。

  

夏場には半袖のTシャツを腕まくり。

 

少しお年を召した保育園パパならば、バンダナと腕まくりと言えば、伝説のロックバンド「THE BLUE HEARTS」のギタリストだった頃の真島昌利さんを思い浮かべるかもしれない。

 

副園長先生もロックな保育士だった。

 

凄く格好良くて、存在感が半端なかった。

 

保育園の運動会では、保護者が参加するクイズが行われて盛り上がるのだけれど、司会の先生から「では、前回の副園長先生のバンダナは、何色だったでしょう!?」という難問が飛び出して、しかも正解する保護者がたくさんいて驚いたこともあった。

 

大きな認可保育園の副園長というポジションは、管理職として事務所の奥の方に座っているイメージがあるけれど、副園長先生は違った。

 

スーパーバイザーとして全体を指揮しながら、必要とあらば前線まで上がっていって、子供たちを守り育てるというプレーイングマネージャーのスタイル。

 

華奢に見える身体のどこから元気が出てくるのか、事務所やクラスなど、保育園の中を縦横無尽に動いて一生懸命に働いておられた。

 

また、その際の表情がとても素敵だった。

 

いつも笑顔で、保育という仕事が楽しくて仕方がないという表情だった。

 

朝の忙しい時間帯の副園長先生は、獅子奮迅の活躍。あまりに忙しいために、まるでダンスを踊っているかのようだった。

 

玄関先で若手の保育士に指示を出していると思ったら、別の方向から声がかかって、ステップを切りながら事務所に向かい、その後、階段を駆け上がって行く途中で主任の保育士に呼び止められて、クルッと振り返って階段を駆け下りて、もう一度、事務所に行ったと思ったら、今度は園舎の反対のサイドに向かって小走りで向かって。

 

彼女が副園長になって、この保育園は変わった。

 

全体が明るくなり、風通しが良くなった。

 

保育士も、保護者も。

 

人というのは不思議なもので、元気な人が近くにいると、自分まで元気な気持ちになる。

 

陽気で明るく、裏表のない管理職が前線まで出てきて一緒に働いてもらえると、現場での課題についてリアルに把握できることだろう。

 

また、副園長先生の凄いところは、子供たちや先生方だけでなく、保護者にまで元気を分け与えてくださることだ。

 

共働きで子育てを続けている世帯は、一日中、とても忙しいけれど、特に朝に負荷がかかる。

 

毎日を笑顔で過ごすことは難しくて、時には妻からハードヒットを受けたり、夫に不満を持ったり。

 

この保育園では、送迎時、玄関に面した事務所のカウンターで担当の先生が保護者を迎えてくださる。

 

玄関先にも保育士の先生が立って、元気よくお声かけくださる。

 

保護者は、カウンターの近くに設置されたセンサーにネームプレートをかざし、その情報が認識されて、浦安市のハイブリッドクラウドというコンピューターシステムに転送される。

 

以前は、保護者がクラスと名前を口頭で伝えて、担当の先生が手書きで送迎を記録していた。

 

担当の先生方の応対は手書きの頃とあまり変わっていなくて、カウンターに先生が立って、保護者と直接顔を合わせて挨拶する感じ。

 

お父さんたちが普通に考えると、朝の受付の担当というのは若手が行う仕事のように感じるかもしれない。

 

しかし、この保育園では、園長先生や副園長先生、もしくは主任クラスの先生が朝の受付を担当されることが多い。

 

おそらく、子供たちだけでなく、保護者の様子、つまり家庭の状態を観察しているのかなと思ったりする。

 

副園長先生がカウンターで迎えてくださる時は、自分にとってラッキーな日だ。

 

全力の笑顔で「行ってらっしゃい!」とお声かけいただいた時には、子育てや家庭、仕事で疲れていても、「よし、頑張ろう」という気持ちになった。

 

副園長先生の保育士としての実力は、父親から見ても凄さを実感するくらいだった。

 

夕方、子供を保育園に迎えに行ってクラスのドアを開けたら、たくさんの子供たちに囲まれた一人の先生がおられた。

 

膝の上に子供が乗っかり、背中にも、両肩にも子供たちがくっついている状態で、黄色いバンダナが見える。

 

副園長先生だ。

 

時間外の保育では、サポーターの先生方が子供たちを世話してくださっているのだけれど、 なぜか副園長先生が子供たちを世話してくださっていた。

 

時間外とはいえ、かなりの数の子供たちがクラスに残っている。

 

彼女にどれくらいの保育スキルがあるのか、素人なりに興味があって、じっと眺めたことがある。

 

達人の領域だった。

 

副園長先生の場合、ニコニコしながら子供たちに接しておられたけれど、視野に見えている子供たちだけではなくて、 背面を歩いている子供たち、それどころかクラス全体の子供たちの動きまで把握しているような印象を受けた。

 

彼女が子供たちに絵本を読み聞かせてくださっている時は、あまりの臨場感に子供たちの目がキラキラしていた。

 

普通の保育士の先生だったら、大きな声で子供を呼び寄せる状況でも、副園長先生の場合には軽く名前を呼ぶどころか、アイコンタクトだけで子供たちがやってきた。

 

現在では保育士という呼び名だけれど、以前は保母と呼ばれていた。副園長先生は、まさにたくさんの子供たちの母だった。

 

そういえば、子供が小さい頃、保育園に預けた後で発熱したということで、自分が迎えに行ったことがあった。

 

事務所に行ってカウンターから声をかけると、副園長先生が振り返って挨拶してくださった。

 

すると、彼女の胸にうちの子供がしがみついていた。小さな子供にとって急な発熱は非常事態なわけで、母親と同じくらいに安全な存在を本能的に察したのかもしれない。

 

自転車のペダルを回しながら、過去の思い出が頭の中に流れ込んでくる。

 

自宅に帰ってきた。

 

この時間、普段ならば寝室で休んでいるはずの妻が起きてきた。

 

どうやら眠れなかったらしい。

 

メールの内容は事実だった。

 

それでも、自分の中には悲しみがやってこない。

 

悲しむという前に、自分の頭が現実を認めようとしない。

 

翌日だったか、その次の日だったか。休日だったので子供を風呂に入れた時のこと。

 

髪の毛を洗っていたら、うちの子供が大切なことを思い出したかのように動きを止め、しばらく堪えた後、顔をクシャクシャにして泣き始めた。

 

「先生が...先生が、死んじゃって、お星様になったの。だから、お手紙を書いたの。ふじ組の時、みんなが帰っちゃった時、先生がいてくれたの。とても大好きな先生だったのに」と。

 

頭を泡だらけにしながら、これほど悲しいことがあるだろうかという表情だった。

  

人はこの世に生を受け、いつかは終わる。それでも、人は生きる。

 

そのことに初めて気付いたのはいつの頃だっただろうか。

 

自分の人生の中で、死生観がどこで始まったのかを振り返ることは難しい。

  

しかし、我が子にとっては、今がまさにその時だ。

 

振り返って考えてみると、副園長先生が、多忙な管理職の業務をこなしながら、どうしてクラスで子供たちに触れ合っていたのか、どうして毎日、全力で意義深そうに働いておられたのか、そして、どうして子供たちや保育士の先生方、保護者たちに優しかったのか、様々なことが理解できた。

 

彼女がバンダナを付けておられた理由も察した。

 

自分にとっての副園長先生との最近の会話は、子供を送りに行った時の玄関先のことだった。

 

この保育園は、インフェクション・コントロールがとても優れている。普通だったら、一人の子供が風邪を引いたり、嘔吐や下痢を訴えたら、クラス全体に広がるようなイメージがあるけれど、可能な限り小規模で収束する。

 

不思議だなと思っていたら、入り口の目立つ場所に、今、どのような風邪が流行っているのかを保護者に伝える張り紙がたくさん貼られていた。

 

症状や対処を含めて内容がとても的確で、しかも伝えるタイミングが迅速だと驚いた。

 

玄関先には消毒用のスプレーが置かれたり、妊娠中のお母さんのことまでを考えて、クラスの入り口に感染症の情報までが貼られていたりもする。

 

副園長先生にお声かけすると、「ホイ、ホイ、ホイ」と小走りでやってきてくださった。

 

「保育園の感染症対策、すごいですね。本当にありがとうございます」と彼女に感謝したら、「こちらこそ、ありがとうございます! たくさんの先生たちが、頑張ってくださったんですよ!」と、まるで少女のような笑顔を見せておられた。

 

その後、別の日に子供を送っていった時、不思議な違和感があった。カウンターで副園長先生が迎えてくださったけれど、何か沈んだ感じの表情だった。

 

「先生、バンダナはどうしたんですか?」とお尋ねしたら、「はい...付けなくなりました...」というお返事だった。

 

あの時の副園長先生に何があったのか、当時は何も分からずにいた。

 

そして、今、自分の頭の中に残る彼女の姿は、明るい表情と辛そうな表情が交互に入れ替わる。

 

保育園に子供を送って行った。

 

カウンターにも、事務所の中にも、クラスにも、副園長先生の姿が見えない。

 

心に重く突き刺さる現実。

 

玄関先に貼られた職員の先生方の顔写真の中には、笑顔の副園長先生の姿。

 

「ほら、元気、出してくださいよ!」という先生の明るい声が聞こえる気がする。

 

保護者の有志でお花を捧げようという話になり、もちろん賛同した。

 

通夜に参列してくださった保護者の方々からメッセージを頂いた。たくさんの花に囲まれて、たくさんの人たちに見送られたとのお話だった。

 

彼女は、闘病中も諦めずに、職場に復帰することを願っておられたそうだ。

 

自分としては50代まで10年を切り、これからの人生をどのように生きるのか、少し悩んでいたけれど、彼女のように、最後の最後まで、全力で生きて行くことの大切さを学んだ。

 

子供たちだけでなく、自分の人生においても、彼女はとても大きな存在だ。

 

子供を保育園に送って、園の正門を出ようとした時、ちょうど園長先生が入って来られた。

 

少しの間、立ち話をする。

 

園長先生は、たくさんの保護者の皆様や子供たちが、副園長先生のことを大切に想ってくれていたことを実感し、保育士にとって有り難いことですと感謝しておられた。

 

自分は園長先生に問いかけた。

 

「園長先生...例え話なんですけどね。今、副園長先生はどうされているんでしょうか? 天国で泣いている子供を見かけて、コリャイカンとバンダナを付けて、抱っこして面倒を見ている気がしませんか?」

 

園長先生は、「腕まくりをして、張り切っているかもしれませんね」と、副園長先生が腕まくりしてダッシュする真似をして、自分を励ましてくださった。

 

園長先生の目は、少しうるんでいた。

 

そして、正門を出て職場に向かう頃に、やっと自分の目から涙が出た。

 

現実を受け入れることができたのだろうか。

 

しばらくして、自分が夜に帰ってきたら、妻が起きてきて子供のことを伝えてくれた。

 

妻が保育園に迎えに行った時、うちの子供が夜空に星を見つけて「ねぇ、ママ! あの星が先生だよ! 先生!」と、星に向かって話しかけていたそうだ。

 

「綺麗に光っている一番星が、副園長先生だと思ったみたいよ」と。

 

副園長先生は、毎日、たくさんの人たちに元気を分けてくださっていた。

  

あまり悲しむと、彼女が辛くなってしまうことだろう。

 

ご冥福をお祈りすると共に、彼女が全力で駆け抜けた姿を心に焼き付けて、励みにして、これからを生きていこう。