共働きの育児の中で、父親として感動した言葉を忘れないように書きとめる(子育て編)

 

普段から疲れているように見える自分だけれど、この1年くらいは、さらに疲れていた気がする。

 

仕事と家庭で忙しい共働き世帯では、よくある話だ。

 

そして、たくさんの人たちの励ましや気遣いもあって、ようやく元に戻りつつある。

 

最近、変わったことがあった。

 

妻から夫へのハードヒットが減った。

 

子供たちが少しずつ成長して、自分で自分のことをやるようになってきた。

 

それと、自転車通勤を始めた。

 

これが一番大きかった。

 

少しずつ思考がクリアになっていく。

 

適当なイメージで表現すると、消耗する毎日で自分から抜けていったたくさんの小さな光の粒子が、再び自分に集まってくる感じ。

 

しかし、以前とは違って、何か人生全体を達観したような不思議な気持ちも生まれてきた。

  

自分なりに疲れの大元を突き詰めて考えた。

 

仕事と子育ての両立は大変だ。

 

それに加えて、長時間の電車通勤が厳しい。

 

浦安に引っ越して来てから、眉間の皺がとれなくなった。

 

辛い通勤をずっとしかめっ面で耐えているからだ。

 

歯医者に行ったら、歯だか歯茎が傷んでいるそうで、「寝ている時に歯ぎしりしていませんか? マウスピースを付けますか?」と言われた。

 

違う。通勤の間中、苦しみを耐えるために歯を噛みしめているからだ。

 

イクメンという言葉が広がっていて、自分だって大丈夫だと思って頑張ってみたわけだけれど、あまりに仕事と家庭が忙しく、その上、自分がとても苦手な長時間の電車通勤。

 

非常に厳しい。

 

さらに、夫として育児や家事が十分でないことを妻から指摘されると、自分はダメだなと感じてしまう一方、家庭を大切にしようとすると仕事のペースは大きく遅れ、職業人として焦りを感じる。

 

仕事について言えば、本当に目に見えてペースが落ちた。これではいけないと自分を追い込むとさらに消耗する。

  

古い考えではあるけれど、次世代を担う子供たちを一生懸命に育てていても職場では評価されない。

 

団塊世代のシニアの男性に多い考えかもしれないが、「父親になったから仕事を頑張るぞ!」というのは古い考え方だと思う。

 

その際の育児や家事を女性に押しつけてきたから、そのスタイルが成立したんじゃないのか?

 

現状では、「父親になったから仕事と家庭を両立させるぞ!」が正しいと思う。

 

結果、疲れた父親が増えた気がする。

 

社会って、面白いなと思う。

 

その昔、高度成長期の首都圏では、夫が電車に箱詰めになって職場に通って仕事に集中して、妻が家庭を守るというスタイルが普通だったわけだ。

 

その当時のドラマを見て驚く。手っ取り早く知りたい人はサザエさんを見ればいい。

 

夫が仕事から帰ってきて、妻が玄関先で迎えて、カバンを持ってくれたり、夫がネクタイを外して妻が受け取るとか。

 

夫が大切にされているように見えるのは、男性が偉いからというわけではなくて、世帯の収入の柱である夫をできるだけ立てて、ベストコンディションで働かせるための対応だったのではないかと、リタイアして妻から手厳しく家事について指導を受けている団塊世代の父親たちの後姿を見て思う。

 

では、今はどうなのか?

 

昔には普通だったことが、今では普通ではない。

 

昔が良くて、今が悪いとか、そのような意味ではもちろんなくて、人々の価値観というのは、その時代の社会におけるコンセンサスというか、風潮の中で変化するのだなと実感する。

  

ただ、これだけは言える。

 

子供たちがいる人生というのはとても充実しているし、人生全体で考えれば大きな財産だ。

 

社会が変わってもその価値観が変わることはない。

 

職業人生というのは退職すれば夢のように感じるという話をよく耳にする。最後に残るのは家庭だという話も耳にする。そう考えると、自分の生き方は間違っちゃいない。

 

仕事と家庭の間で消耗していたとしても、リタイアする際には楽しい思い出になっているかもしれないから。

 

それと、共働きは大変だけれど、ダブルインカムのパワーはやはり強い。

 

うち世帯の場合、妻に職場で働いてもらっていると世帯収入はとても安定するわけだし、もしも自分が倒れて死んでしまっても、できるだけギャップが少ない形で子供たちを育てることができるから。

 

また、妻は、男性と女性は家庭においてイーブンであるべきだという現代風の母親でもある。

 

労働人口が減少するこれからの日本を考えると、昭和的な家庭像が当たり前という母親よりも、妻のような母親が増えた方が良いと思う。

 

そうしないと、社会が抱える様々な課題が解決しないままになってしまうだろうから。

 

しかしながら、仕事や家庭で大変ということは納得できるけれど、長時間通勤は厳しい。

 

自転車通勤を始める前は、夫婦喧嘩の火種になることがよくあった。

 

感覚過敏とさえ表現できる神経質な自分が、長時間労働に加えて、往復3時間を超えるような長時間通勤を伴うライフスタイルを選択したことは、間違ってはいないはずだけれど厳しい判断だったと思う。

 

朝、目が覚めた時点で憂鬱な気分になる。あの電車通勤が待っているのかと。

 

職場につくと燃え尽きて、調子を取り戻すまでに時間がかかる。

 

電車で帰宅すると、新浦安駅で降りて、しばらく放心状態でベンチに座って休憩。

 

それが毎日続くわけだ。どう考えても寿命が削れている。

 

自分なりには我慢して、我慢して、必死になっているのに、妻からツッコミが入ると「な、なんだとー!」となる。

 

しかし、首都圏一般の話になると、往復3時間超の電車通勤なんて、普通のことなのだろう。

 

大変なことが分かっているのに、どうして浦安という街で家庭を構えることになったのか。

 

答えは簡単だ。

 

妻の職場や実家が近い距離にあって、できるだけリラックスして仕事と家庭をこなせる街。

 

子供たちの生活や教育のための環境が整っている街。

 

その街を探したら、浦安だった。それだけのこと。

 

自宅の近くから職場の近くまで、空いた座席に座ってのんびりと読書をしたり、居眠りを楽しむことができる電車通勤ならば長時間でも気にならないのだろうけれど、職場が千葉方面ならまだしも都内だ。

 

そんな夢のような通勤生活があるはずもなく、想像以上に厳しい。

 

そこまで音量を上げる必要があるのかと思うくらいの駅のアナウンスが流れると、耳から頭にかけて強い衝撃を受ける。

 

混み合った電車に人を押しのけて入ってくる中年の人たち。周りを気にせずにヘッドホンからシャカシャカ音を響かせる若者たち。

 

電車の乗り換えが増えるとストレスも増える。たくさんの人たちが並んで押し合い。足を踏まれ、肩がぶつかり。

 

電車の乗り換えで歩いている時間くらい、スマホのSNSから目を離したらどうだろう。

 

さらに、浦安の場合にはディズニーを目指して観光客や修学旅行生が押し寄せる。

 

観光で大なり小なり興奮した人たちと、毎日の通勤でストレスがかかった人たちの素の姿を見ることができて、さらに疲れる。

 

とある日のこと。

 

終電間近の車両に乗って都内から浦安に帰ろうとしたら、いつものように車内が臭う。

 

この時間は、飲み会帰りのビジネスマンがたくさん乗っていて、会話の声が大きい上に、アルコールや料理の臭いが口から吐き出される。

 

音や臭いに過敏なタイプなので、とても辛い。

 

自分はシラフのまま職場で働いていたわけで、夕食もとっていない。

  

必死に耐えながら電車に乗っていたら、突然、胸に猛烈な痛みが走った。

 

最初、空腹時なのに眠気覚ましとしてコーヒーを何杯も飲んで仕事をしていたので、胃もたれでも起こしたのかなと思っていたら、痛みがどんどんと増して、呼吸すら厳しくなってきた。

 

小説や映画では、人が驚いたり危機的な状況になると、まぶたが開きっぱなしになるような光景があるが、たぶん可能な限り視野を広げて、自分を守ろうとする反応なのではないかと一瞬だけ思った。

 

また、長時間通勤と共働きのストレスでパニック障害を発症し、心拍数の上昇と過呼吸が生じたという線も考えたが、おそらく、この痛みは違う。脳から来るというよりも、心臓が鷲掴みされるような痛さだ。

 

電車の中で倒れると多くの方々にご迷惑をおかけするので、終電が近いけれど途中下車する。

 

額には冷や汗がにじみ、ベンチに座り込む。

 

視野が狭くなってきた。

  

駅のホームから見える夜空には、きらめく星さえ見えない。

   

終電まで少し時間があるので、ベンチに座ったままで回復を待つ。

 

ベンチの脇には、酒気帯びの乗客が残していったであろう吐瀉物の跡。

 

胸の痛みが内臓への負担によるものかどうかは分からない。コーヒーの飲み過ぎだったら平和だし、ストレスの多い仕事なのでメンタル面で無理をしないように注意しているけれど、まさか、内臓にダメージが蓄積しているのか。

 

人というのは丈夫にできているようで、頭の血管が一つ切れただけで亡くなったりする。ストレスで心臓の調子が悪くなることだってある。

 

寿命が削れていることは実感できるし、どうせ削れるなら仕事で削りたかった。

 

長時間の電車通勤で寿命を削るなんて、一体、自分の人生でどんな意味があるというのか?

 

しばらくすると、少しだけ呼吸が楽になってきた。

 

重い身体を引きずるように終電に乗り込む。

  

毎日ではないけれど、忙しい時期に終電で帰宅すると、浦安の自宅にたどり着くのは深夜1時近く。

 

家族は眠っていて、ドアを開けても誰からの声もない。

 

溜息まじりに「ただいま」と独り言を残して、そこから冷えた夕食を温める。

 

共働きでは夕方には保育園の迎えがあるので、夕食のおかずは朝に作り置きしておく。

 

妻や子供が、一度、レンジでおかずを加熱するので、自分が夕飯を食べる時には二度目のレンジでの加熱。

 

おかずの一部が溶けている。

 

誰と会話するわけでもない、たった一人の夕食を終えて、歯を磨き、布団に倒れ込んで、就寝するのは早くても2時くらい。

 

そして、夢を見ることもなく、翌日、ではなくて当日の朝7時くらいから子供たちの身支度が始まる。

  

睡眠時間が4~5時間で、通勤が3時間以上。

 

食べてすぐに寝ると胃が痛い。

 

家族が起きた後、自分なりに家事をやらねばと布団を畳んでいて、そのまま布団にダイブして眠りたいという誘惑に負けそうになることだってある。

 

世帯にもよるだろうけれど、夫婦共働きの朝はとてもシビアだ。

 

夫婦共に家事と子供の世話をしながら、「早くご飯を食べなさい!」、「着替えをしなさい!」、「仕事に間に合わない!」と。

 

若い頃に想像していたのは、爽快に目を覚ましてランニングに行って、シャワーを浴びて、家族でフレンチトーストでも食べながら、家族で笑い合う穏やかな朝だった。

 

しかし、実際には忙しいレストランの厨房のようだ。

 

子供に向かって「早くしなさい!」と叱る度に、締め切りが近い自身の仕事の予定が気になり、「早くせねば」と焦る。

 

朝起きて、疲れが溜まっていても、夫婦で相談するような余裕がない。夫の体調管理は自分でやるべきで、妻に頼るわけにもいかない。

 

忙しい仕事で共働き育児というのは非常に厳しい。

 

どうしてこんなに辛い思いをしながら、次の世代を育てているのか。子供を育てるということは大変であって当然だけれど。

  

最近ではワークライフバランスという風潮が広がっていて、確かに素晴らしい考えだが、仕事の効率化には限界があるし、時間もかかる。

 

「何、言ってるんだ。適当に切り上げて帰ればいいじゃないか」と思う人がいることだろう。

  

帰ることができれば、とっくに帰っているさ。

 

「あ、時間だ。ワークライフバランスのために帰りますね♪」と言い放って、さっさと自宅に帰ろうとすれば、「お、おい、ちょっと待ってよ!」となることだろう。

 

自分たちのような団塊ジュニア世代は人口が多く、この世代が20代だった頃は、どの職場も余裕があったのかもしれない。

 

男たちは、サービス残業を覚悟で必死に働いて、少しでも上の職位について出世しようとした。

 

管理職になれば収入が上がるだけでなく、面倒な仕事を部下に任せることができて、ストレスが減ったりもするからだろう。

 

しかし、時代は変わった。現在では、昔以上に管理職の苦労も増えたことだろう。

 

最近では、管理職への昇格を拒否する企業人が珍しくないそうだ。

 

一度、昭和の風が残っている働き方を見直して、家庭も大切にして、何が大切なのかを俯瞰してみようという取り組みが社会全体で生じているのは、その実現が可能かどうかは別として、とても大切なことだと思う。

  

しかし、自分の世代は、その変化の真っ直中にいるわけで、できれば変わった後で子育てをしたかったという気持ちがあるし、「いやー、あの頃は大変だったよ」と振り返ることができて良い思い出になったという気持ちもある。

 

とにかく、色々と考えても仕方がない。物理的に考えて処理しきれないくらいの仕事が積み重なっていて、大なり小なり焦りがあるしプレッシャーもある。

 

大変だと思いはするが、何とかせねばと取り組む。

 

自分は仕事で忙しくて削れる分には何ら構わない。それは削れることに意味があるから。

 

電車通勤で削れたくはない。人混みの中で苦しみに耐えたり、駅の中を移動のためだけに歩くことに意味を見いだせないから。

 

少し自惚れ気味に表現すると、自分にとっての仕事において大切なのは出世でもなく、収入でもなく、自分が生きていることの意味。

 

生きているというか、何かの使命のために生かされていると感じる瞬間。それを感じたいから仕事を続けていたりする。

 

些細なことであっても、自分の力が必要とされたり、誰かから感謝された時には、自分が誰かのために生きている、もしくは生かされていることを実感できて幸せな気持ちになる。

 

ここまで神経質だと、生きてきた中で様々な苦労があった。小中学校の頃はイジメも受けた。

 

しかし、とても幸せなことだけれど、厳しい局面では誰かが手を差し伸べてくれて、今の自分がいる。

 

彼らは、どうして自分を助けてくれたのだろう。

 

少しでも誰かの役に立つことができれば、たくさんの師や友に恩返しができるんじゃないか。

 

ミスが許されない仕事で心身ともに削れたり、胃がひっくり返るくらいのプレッシャーを感じると、逆に燃える。

  

周りを見渡せば、身を粉にして働いて身体を壊してボロボロになってしまう人。

 

定年を待たずに転職を決めて、何かから解放されたかのように晴れやかな表情で職場を去る人。

 

そういった人たちの背中を何回見送ったことだろう。

 

自分としては、健康で有り続けたいと願いはするが、もう若くない。定年退職してすぐに散ったとしても後悔はない。いや、もう少しだけ生きたかったと後悔するかもしれない。

 

独身で行こうかと思ったら、運良く結婚して、子供たちを授かった。

 

父親がこんな人物なので、子供たちも個性的だということは分かっていた。色々と将来が楽しみだけれど、妻どころか自分でさえ育児の大変さは半端ない。

  

勢い余って自分が非常に苦手とする長時間の電車通勤を選んでしまったことは、本当に自分として大丈夫だったのか。

 

浦安市が妻や子にとって良くない街であったなら、自分は躊躇せずに東京に戻ったことだろう。通勤を考えると、やはり独身時代や新婚時代を過ごした23区の中はとても楽だ。

 

しかし、浦安のステルスマーケティングをやるつもりはないけれど、子供を育てる環境を考えると23区に戻ろうと思う気持ちが湧かない。

 

浦安は面積としては小さな街だが、自分が言う浦安というのは、正確には新浦安。

 

新浦安は、埋め立てによって土地が広がり、他の自治体から多くの住民が流入してきたわけで、自分の世代どころか、自分の親の世代までが同じ境遇だ。

  

自分と同じような感じで故郷を離れ、新浦安で生活することになった同世代やシニア世代は、浦安で古くからある祭りに参加する機会もなく、団地レベルでささやかな夏祭りを開き、大なり小なり郷愁の念を感じながら、この団地で育った子供たちの姿を眺めたりもする。

 

けれど、自分たちで街をつくってきたという雰囲気があって、この環境で家庭を持つことがとてもリラックスできる。

   

まあとにかく、現状としては妻が生活しやすく、子供たちの環境としても適した新浦安から引っ越すという選択肢はない。

 

子供が小学生になったから保育園の空きを考えなくてもいいとはいえ、一人の友達もいない都内の小学校に放り込んでしまって、本当に良いのか。

 

男気を見せたつもりで妻のことも考えて浦安に引っ越して来ておいて、「ごめん、やっぱ東京に戻るわ」と言えるのかどうか。

 

いや、それは違う。

 

つまり、現状で何とかして職業人生を送るしかない。

 

もしかして、詰んだのか。

 

しかし、帰りの電車の中で、ふと、以前、耳にした言葉を思い出した。「電車通勤が辛かったら、自転車で通ったらどうだい?」という市内の知り合いからのアドバイスだった。

  

自分と同じ子育て中の父親で、個性的過ぎて友人としては相容れないけれど、とても頭が良くて楽しい人だ。

  

確か、二人で荒川サイクリングロードを走った時、彼が言ったセリフだった。

 

彼は自分が出会った浦安の父親の中で最も端正なルックスで、とても男前だ。おそらく同じマンションのお母さんが出会ったら、大なり小なりトキメいてしまうくらいにハンサムだ。

 

彼がアドバイスしてくれた時の表情も思い出した。しばらく会っていないけれど、彼は本心から自分を助けようと思ったことだろう。

 

そして、通勤用に安い部類のロードバイクを買って、自転車で浦安から都内まで通勤することにした。

 

都内の道路はタクシーや商業車で混み合っていて、必ずしも快適とは言えない。

 

大型車から撒き散らされる排気ガスも凄くて、左折車に巻き込まれそうになったこともあるし、普通に走っているだけなのにクラクションを鳴らされたり煽られたりもする。

 

一歩間違えると大怪我になるんじゃないかというシチュエーションもよくある。

 

けれど、満員電車や乗り換えで精神を磨り減らす毎日に比べれば、ずっと楽だ。

 

誰かに押されることもなく、ヘッドホンのシャカシャカ音や新聞をバサバサとめくる音に困ることもない。

 

朝の強烈なヘアコロンや香水の臭いに苦しむことも、夜の飲み会帰りの臭いに苦しむこともない。

 

電車の乗り換えで、後ろを気にせずにスマートフォンで動画やゲームを楽しみながらゆったりと歩く人たちの後ろでイライラすることもない。

 

同じルートを走る必要もなく、気分次第で違う道を走ったり。

 

しかも、距離としては毎日のトレーニングに十分なくらいなので、目に見えてロードバイクの巡航速度が上がってきた。

 

筋力も心肺能力も上がってきたのだろうか。荒川サイクリングロードの強烈な向かい風にも動じなくなってきた。

 

何より、共働きの育児では、仕事と家庭がともに忙しくて、たった一人になって何かを考えるという時間がほとんどない。

 

自転車に乗って往復3時間を超えるライドの間、自分は色々なことをじっくりと考えることができる。

 

彼が自分に送った、たった一言のアドバイスがなかったら、長時間の電車通勤をずっと我慢して消耗していたことだろう。

 

日本には、「言霊」という言葉がある。

 

昔の人たちは、言葉に不思議な力が宿ると考えていて、それを言霊と呼んでいたようだ。

 

自分はスピリチュアルなことにはあまり理解がなくて、言葉が霊的な力を持つと言われても信じるつもりはない。

 

しかし、誰かが発した一言が自分の心の中に強く刻まれて、大きな励ましになったり、いつまでも消せない悲しみになったりする。

 

自分の場合、言葉という言語だけではなくて、それを発した人の表情、声の高低や大きさ、その状況など、様々な情報が言葉に付随していて、全体として大きな意味を持っているように感じる。

 

もちろん、読書をしていて、ふとしたフレーズが心に響いてずっと残ることはあるれけど。

 

言葉というのは不思議だなと思う。

 

アクセス数を増やして広告収入を稼ぎたい人たちが情報を発信しているようなアフィリエイトブログやバイラルメディアに「電車通勤が辛い人に、自転車通勤が適している10の理由!」という記事を見かけても、自分は自転車通勤をやることはなかったことだろう。

 

一緒に時間を過ごした人が、自分のためを思って言ってくれた言葉だったからこそ、自分の心に残ったのではないだろうか。

 

子育てを続けていると、誰かから大切なアドバイスを頂く機会がある。

 

自分に対して送ってくださったメッセージもあれば、ご本人がふとつぶやいた言葉が強く心に残ることもある。

 

しかし、あくまで自分の経験だけれど、子育て中のエピソードというのは、不思議なことに時間が経つと記憶が薄くなる感覚がある。

 

子育てというのは子供が大きくなるまで漸次的に続くので、その際の喜びとか苦労に注視してしまって、それ以前の出来事をあまり思い出さないように脳が認識しているのだろうか。

 

そういえば、他の業種と比較した場合、赤ちゃん用品を提供している企業は、ユーザーからのクレーム対応にあまり力を費やさないようにしているという話を耳にしたことがある。

 

不具合によってユーザーが被害を受けるような事例に対しては気を遣うのだろうけれど、子供が育ってくると、話題が次のステージに入って、そこに新しい親の世代がやってくるわけで、ターンオーバーが非常に早いからなのだろうか。

 

さらにそういえば、小学校や中学校と比べた場合、日本社会において保育園の定員不足の課題がなかなか解決しなかった背景にも、同じような傾向があるんじゃないかと感じたりする。

 

実際に自分の子供たちは、最初、親が希望する保育園に入園することができなかった。

 

美浜地区に住んでいたのに、かなり距離がある日の出保育園に入園が決まって、次の子供は日の出保育園を希望したら入園できなくて認証保育園に預けた後で日の出保育園に転園させたり。

 

都内では保育施設の不足がさらに深刻で、同世代が本当に苦労している。

 

では、自分の子供たちが認可保育園に入園する前と後で、うちの夫婦の心境はどうなのかというと、喉元過ぎれば何とやらで、浦安の待機児童への懸念よりも、自分の子供たちが通う小学校とか、これからの進路とかが気になる。

 

保護者世代としては、子供たちが小学生になったら、保育園の入園で苦しんだという記憶が薄れてしまって、行政に対して要望を出す気力もなくなり、結果として、次の保護者世代が同じような苦しみに入って、また忘れてしまって・・・というループが回っているのではないかと思ってしまう。

 

本当に不思議だ。

 

人の脳には、子供を育てている時の苦しみを早く忘れられるようなプログラムが備わっているとでも言うのか。

 

そのように思考を巡らせていると、自分自身が子育てをしている過程で心に残った言葉でさえ、忘れかけていることに気付く。

 

たぶん、子供たちが中学生くらいになったら、自分の記憶から完全に消えてしまい、何かのきっかけで思い出すのだろうか。

 

せっかくなので、ブログの中にそのきっかけとして、いくつかの言葉を保存しておこう。

 

そもそも、ブログというのはそういった用途で始まったような気がするから。

 


「うちの妻は、子供が産まれてすぐに亡くなって、私は、たくさんの人たちに助けられながら子供を育てました。子育て中の若いお父さんたちにお会いして、自分の子育ての頃を思い出して懐かしくなりました」


小説やドラマのようなエピソードから始まるわけだけれど、フィクションではなくて実話。

 

自分にとって、「父親の人生とは何だろう?」と深く考えるきっかけになったエピソードだ。

 

同時に、周産期医療の重要性を認識した機会でもある。

 

市内の産婦人科医院がトラブルに巻き込まれた時、何とかして守ることができないかと思った瞬間、彼の言葉を強く振り返った。

  

とある日のこと。保育園の父母会のパパやママが集まって、現役の保育士さんたちと懇談するというイベントがあって、自分も出席していた。

 

浦安の公営保育園の保育士さんたちというのは、普段はとても親切で丁寧なのだけれど、父母会の保護者との交流には一歩引いたところがあって、お声かけしてもあまり集まってくれなかったりする。

  

ということで、浦安市の職員組合の保育士部会のような集まりがあって、10人にも充たない保育士さんたちがほとんど同じメンバーで保護者と懇談してくださっている。

 

浦安市の場合、職員組合といっても、いわゆる労働組合のような雰囲気は感じられない。保育士さんご自身の子育てとか、現場の保育士の視線から見た保護者の姿とか、本当に勉強になった。

 

少し遅れて、左胸に浦安市のシティマークが入ったポロシャツを着た50代くらいの男性がやってきた。職員組合の取りまとめをやっている市職員さんだそうだ。

 

彼は、そろそろ定年退職が見えてきた頃だろうか。大変恐縮だけれど、職業人としての視点から見ると、彼から鋭いオーラは全く感じられなかった。

 

ベテランなので浦安市のことをたくさんご存じだけれど、ごく普通の市役所のおじさんだった。

 

会話の中心は保育士さんたちで、自分には彼の姿がとても小さく見えた。

 

そして、その懇談会がお開きになるということで、市職員組合のおじさんが締めの挨拶として短めのスピーチを行ってくださった。

 

タイトルの言葉は、その中の冒頭での彼のセリフだった。

 

彼は、保育園児のパパやママを優しい表情で眺めた後、実に懐かしそうに、少しずつ言葉を重ねていった。

 

彼が発した言葉は、自分にとってあまりに衝撃が大きすぎて、しばらく頭の中が真っ白になった。当時の自分は、子供が一人で、自分なりに育児や家事をこなしていると過信していた。しかし、それが間違いだと気付いた。

 

彼の言葉を耳にした瞬間、冴えない感じに見えた市役所のおじさんの姿が、もの凄く大きく感じた。

  

父親として、職業人として、男として、絶対に超えられない壁を見た。

 

その後の記憶があまり残っていない。自宅に帰って風呂に入って涙が止まらなかったことは覚えている。

 

夫婦で子育てをやっていても大変なのに、彼の場合には、奥さんが出産後に逝去されて、深い悲しみを癒す間もなく、残された赤ちゃんを抱き、仕事と子育てを続けてこられたというのか。

 

彼が子育てで悩み苦しんだ時、子供の成長を見て嬉しい気持ちになった時、元気であれば一緒に連れ添ってくれたはずの奥さんは、写真や記憶の中だった。

 

お子さんが物心ついた時、彼はどうやって、お母さんの温かさや愛情をお子さんに説明したのだろう。

 

彼はすでに退職されたという話だったが、そろそろお爺ちゃんになっている頃だろうか。

 

お孫さんたちをどのような気持ちで育てておられることだろう。

 


「お母さんとお子さんの間では、今、お互いのプライドがぶつかっているんです。お互いのプライドを大切にして調整するのは、お父さん、あなたの役目ですよ」


保育園繋がりで別のエピソードを短めに。

 

上の子供が保育園に通うようになって、イヤイヤ期を過ぎた頃だっただろうか。

 

自分としては「自我が芽生えてきたな~」とイヤイヤ期の子供の成長を面白く観察していたら、妻のイライラ期が始まった。

 

よく「子育ての前後で妻は変わってしまった」と嘆く父親がいるけれど、子育ては大変なので変わって当然だと自分は思う。

 

しかし、小さな保育園児に対して妻がそこまで頑張って説明しても大変だろうなと思った。感情的になることもあって、自分が説得しようとしても聞き入れない感じ。

 

他方、うちの子供としても、母親に対してどうしてそんなに反論するのか、一体、何にこだわっているのか理解できなかった。

 

とはいえ、「育児パパのニコニコ子育て相談センター」のようなところが浦安市内にあるのかどうかも分からないし、実家がある故郷は遙か遠く。

 

妻の実家に相談するわけにもいかず、同僚にも相談できない。父親が育児で悩んだ時、相談できる場所は思ったよりも少ない。

 

しかし、幸いにも、自分の場合には、当時の担任のベテラン保育士の先生と父母会活動で交流があった。ということで、自分が子供を保育園に送って行った時にアドバイスをもらおうと思ったわけだ。

 

自分としては、もっと実用的なアドバイスというか、もっと分かりやすいアドバイスがやってくると思っていた。「これこれこういう出来事があって、奥さんが怒ってるんですよ」とか、「この時期の子供には、このような特徴があるので、このように育てればいいんですよ」とか。

 

しかし、目の前のベテラン保育士の先生の口から出たアドバイスは、もっとずっと高いレベルの言葉だった。

 

妻にとっては母としてのプライドが芽生えて、子供にも個人としてのプライドが芽生え始めて、お互いにぶつかっているそうだ。

 

妻のプライドは分かるけれど、「こんなに小さい保育園児に、プライドがあるのか?」と驚いた。しかし、ベテラン保育士さんが冗談を言っているとは思えない。暢気に構えていた自分がガチで叱られているような怖ささえ感じた。

 

自分が、妻に対して「あのさ、そんなに怒らなくていいじゃないか!」とか、子供に対して「お母さんの言うことを聞きなさい!」と説くだけでは、両者のプライドを分かっていない形になる。

 

夫としては、妻と子供の間に入って、妻の話を聞き、子供の話を聞き、互いのプライドを傷つけないように調整する。

 

ベテラン保育士さんが自分に伝えたメッセージは、そのような意味なのだろう。

 

子供がどうしても間違っているようであれば父親の出番なのだろうけれど、妻と夫が同じ立場で子供を叱ると、子供が追い詰まってしまうだろうし、かといって子供をかばってばかりだと妻との軋轢が生じてしまいかねないわけだ。

 

冷静になって妻と子供の様子を観察する必要もあるし、夫であり父親としての意見が先行するのもよろしくないようだ。

 

妻が子供についてどの程度まで矜持を有するかという程度は、それぞれの家庭で違うと思うけれど、子供たちが大きくなってくるにつれて、確かにプライドのぶつかり合いだなと実感する。

 

亭主関白なんて言葉があったくらいに、以前の日本社会ではお父さんが家庭をリードして、妻と子供の間の調整を気にしなかったかもしれない。

 

しかし、夫と妻の関係がフラットになることが多くなってきたご時世では、夫であり父親である自分としては、妻と子供の関係を調整するという役目も大切なのだなと学んだ。

 


「女性の保育士と違って、男性の保育士には、子供たちを怖がらせないように気をつけていることがあるんですよ」


このままだとエントリーがすごく長くなるので、短めにしようと言いつつ、たぶん長くなることだろう。

 

この言葉は、父親に似て個性的な子供たちを育てている中では大ヒットした。

 

自分がサイクリングで知り合った友人の中に男性保育士がおられて、育児で悩んだ時には様々なアドバイスを頂いたりする。

 

同時に、あくまで一般論として差し支えない範囲で、男性保育士としての仕事の意義や苦労話をお聞きすることもある。

 

向かい風の荒川サイクリングロードを二人で必死に走った後、疲れたのでノンビリ走っていた時のことだったろうか。

 

日の出保育園の男性保育士の働き方を眺めていると、なぜか声のトーンが高い感じがして、自分としては不自然に感じたことがあった。

 

子供との接し方というか、普通に父親が子供と接する時と違った違和感とでも表現しようか、何かが違う。

 

その理由を彼に尋ねた時、タイトルの言葉を頂いて、「そうか!」と、別の意味で感動した。

 

つまり、男性保育士と女性保育士というのは、同じ保育士ではあるけれど、子供たちから見ると違うようだ。

 

うちの家庭でもそうだけれど、子供たちはお母さんと一緒にいる時間が長く、お母さんのことを最も頼っているわけだ。

 

家庭にもよるだろうけれど。

 

そして、子供たちが保育園に通うと、女性の保育士の方が圧倒的に多いわけで、とどのつまり、子供たちは家庭でも保育園でも大人の女性と接することが多い。

 

そこに男性保育士がいると、子供たちとしては父性を感じることもあるだろうし、普段とは違うギャップも感じるようだ。

 

具体的な例を挙げると、子供たちが喧嘩をしてしまって、男性保育士が子供たちを諭す場合、素の声を出すと低音すぎて子供たちが怖がってしまうので、わざと高めの声を出すそうだ。

 

あまりに子供が怖がってしまって、親御さんの井戸端会議で話が広がったら大変だろうし、なかなか大変な仕事だと敬服する。

 

また、彼の場合には、他のシチュエーションでも、小さな子供たちが違和感を覚えないように女性のトーンに合わせて、かつ優しめに声を出すように工夫しているとのことだった。

 

それだけだと職業人としての工夫の話になってしまうわけだけれど、自分は彼の苦労話から大きなヒントを得た。

 

当時の自分は、妻と夫で子育てをしていて、「母親と父親で、どのように子供を叱ったり、諭すのか?」ということについて悩んでいた。

 

うちの妻に限らず、お母さんたちは普段よりも高い声で、かつ早口で子供たちを叱ったり、諭している時が多いのではないだろうか。

 

自分の場合には、生来の感覚過敏があるので、妻が大きな高い声で子供たちに注意したり、叱っていると、耳から頭にかけて痛みが走ったりする。

 

妻としては一生懸命に母親として頑張ってくれているわけで、問題は自分の性質にある。

 

しかし、子供たちの姿を眺めていると、妻が怖い顔と声で叱っても慣れてきた感があった。

 

父親としては、「親をナメるんじゃないぞ」とガツンと叱るべきシチュエーションがありうる。

 

かといって、昭和の頃のアニメの星一徹のように、父親が大声で怒鳴ったり、物を壊したり、実際に子供たちに痛みを加えて分からせるというのも、今の時代には合わない。

 

たぶん、小さな子供たちに特徴的な行動学的な何かがあるはずだ。

 

しかし、たくさんの育児本を読んでもなかなかヒントが見つからない。大切なことが並んでいるのだけれど、もっとリアルな何かがほしい。

 

男性保育士さんが子供たちを怖がらせないように注意していることというのは、裏を返すと、父親的には、子供たちにインパクトがあることなんじゃないか。

 

そうか、男性保育士ではなくて、父親だったら、そういったテクニックを使えるじゃないかと。

 

ということで、色々と教わった。

 

冒頭にあったけれど、男性保育士さんが意識的に高音の声を出しているとすれば、自分としては子供たちに低音で語りかけるとインパクトがある。

 

妻の注意に対して馬耳東風になっている子供たちに向かってやってみた。確かにいつもより効果がある。

 

その他にも、園にもよるけれど、男性保育士が慣れないクラスで働く時、たった一人の子供に対して真正面から話をすると必要以上に子供が怖がってしまうから、できるだけたくさんの子供たちと一緒に話をするそうだ。

 

つまり、自分が父親として子供たちを叱ったり、諭す時には、逆のことをやれば迫力が増すわけだ。

 

実際にやってみた。確かにいつもより効果がある。

 

時代が変わっても、子供たちにとっての父親というのは、頼れる存在であり、怒らせると怖い存在であるべきだ。

 

古い考えと言われようとも、自分はそう思う。

 

その他にも、子供たちを叱るとか諭す時だけではなくて、育児中に知っておくと便利なテクニックも色々と教わった。

 

子供というのは、同じ注意を受けていると、慣れてしまって言うことを聞かないそうだ。

 

そんな時、3~4回、同じフレーズを繰り返しておいて、突然、別の言い方に変えると、子供たちが「おや?」と思って話を聞いてくれるとか。

 

身振り手振りも関係するので、文章だけでは細かなニュアンスが伝わらないのだけれど、本当に勉強になる。

 

ある程度の定員数がある保育施設には男性保育士さんがおられるはずなので、育児に悩んでいるパパさんたちがおられたら、彼らに教わると大切なアドバイスを頂けることだろう。

  


「少し前に自分の成人式があったと思ったら、今度は子供の成人式ですよ! 人生って、本当に早いもんですね!」


案の定、手短にエピソードを紹介しようとしているのに、エピソードが続くにつれて文字数が増えている。

 

今度こそ、簡潔に紹介する。

 

妻と子供がリラックスして、より良い環境で生活できるようにと、自分は浦安に引っ越すことを決めた。

 

自分は長時間の通勤で苦しんできたし、仕事のアクティビティは間違いなく落ちた。

 

しかし、自分自身の人生を大観すると、決してデメリットだけではなかった。

 

浦安に引っ越して来なかったら、ロードバイクに乗ることも、サイクリングを趣味にすることさえなかったことだろう。

 

ロードバイクというのは歳をとっても乗ることができるし、一人で自由に走ることも、仲間と一緒に楽しく走ることもできる。

 

ロードバイクを通じて出会った人たちは、保育園や小学校などにおける保護者会、もしくは自治会といった集まりでの人間関係よりもずっと気楽で、より長く、そして本音で付き合うことができると思う。

 

その繋がりの中で、自分は50代の浦安市内のトライアスリートのお父さんと出会った。

 

年齢からは想像できないくらいに鍛え抜かれた体躯で、実際に速い。

 

彼は、裏表のないカラッとした性格で、しかも深い人生を歩んで来られたので、会話するだけで自分は励まされ、元気になる。

 

彼は、父親として、職業人として、とてもリスペクトしている存在だったりする。

 

そして、タイトルの言葉は、彼が育児中のお父さんたちと一緒にロードバイクのライドに行って、休憩中に青空を眺めながらシミジミとおっしゃったセリフだった。

 

子育てというのは、とても大変で、ずっと続くような感覚がある。

 

しかし、うちの子供たちが20歳で成人するとして、現在の年齢から逆算すると、その時間というのは思ったよりも短いことに気付く。

 

中学生くらいになると、父親は子供たちからあまり相手にされなくなるという話もお聞きして、なんだか寂しくもあり、やっと楽になれるのかと思ったり。

 

成人式を迎える頃、うちの子供たちはどのような感じになっていて、自分はどのような父親になっているのだろうか。

 

彼のように立派にお子さんを育て上げて、ロードバイクに乗って若い人たちとライドを楽しむ父親になりたいなと思う。