人生を回想しながら自転車で帰宅している途中、高校時代の恩師によく似たローディに出会って元気になる

 

たまには、中学生や高校生が読んでも勉強になりそうな、しかし、親父の臭いがする人生論でも書き留めておこう。

 

職業人として生きていく中で、四十路になるとふと何かに気付く。

 

仕事って、なんだろう。

 

将来の自分の可能性を信じて、仕事を覚えて早く一人前になろうとした20代。

 

周りにライバル心をもったり、自分がいる組織や上司に対して色々と感じたり、上を目指した30代。

 

そして、ある程度の軌道に乗って、自分の通ってきた道を振り返る40代。

 

たぶん、50代になるとリタイアまでラストスパートになると思うわけで、そう考えると、人の一生というのは思ったよりもちょうどいい感じで進んでいくのだなと感じる。

 

40代になると急に老けた気がするというのは人それぞれで、全然何も感じない人もいるし、自分のように気力や体力の衰えを実感している人もいることだろう。

 

自分が最前線で働くことができるのはいつまでだろう。あと10年か、15年か。

 

目が弱くなってくるし、集中力も落ちてくる。若い頃は徹夜をしてからそのまま働いたり、忙しい時期には1ヶ月くらい休み無しで働いても平気だったのに、今は少し寝不足になるだけで疲れたりする。

 

では、全盛期を過ぎて人生も折り返しに入った自分が、老い、もっと踏み込めばその先の死というものを感じるようになって、自分の心の中に焦りであるとか、虚無感であるとか、後悔であるとか、そういったネガティブな感情が蓄積し続けているのかというと、そうでもない。

 

60代でリタイアした直後に人生が終わったとしても何ら悔いがないような、そんな気がする。

 

たくさんの人たちに支えてもらい、たくさんの人たちに励ましてもらい、不器用だけれども自分なりには意義ある人生だったと感じることだろう。

 

別に生き急いでいるわけではないし、人生が終わる時の苦しみが怖くないわけでもない。

 

「俺は死ぬのなんて怖くないぜ!」と強がっていたシニアの人が、実際に病気になって余命を伝えられて酷く動揺したり、苦痛に耐えられずに何とかして助かろうと必死になるというのはよくある話だ。

 

自分の場合はどうだろう?

 

たぶん、自分が重病にかかったら、その後の治療を受け入れるかどうか。子供たちが独り立ちするまでは延命して、出来る限りお金を稼ごうとするかもしれない。

 

けれど、そのタイミングが職業人としてリタイアした後だったとしたら、家族には申し訳ないけれど潔くそのまま旅立とうと思う。

 

自分は物心ついた時から神経質で、聴覚であったり、嗅覚であったり、そういった感覚が鋭かった。

 

いわゆる感覚過敏という状態なのだろう。

 

電車に乗っていると、アナウンスどころか乗客の声がうるさく感じて、頭が痛くなるくらい。

 

人混みに入ると、当然だけれど、たくさんの人たちが動いているわけで、全体の動きを眺めてしまうと目が回ったりする。

 

妻が自宅で魚を焼いたりすると、その臭いだけをツマミにして日本酒を飲めたりする。

 

自分がブログを書いているのにアレだけれど、今の日本ユーザーが利用しているインターネットというのは、アフィリエイトブログや商用ブログを中心としたステレオタイプな記事に埋め尽くされていて、本当に必要な情報にアクセスできない状態なのかもしれない。

 

簡単なキーワードで検索しても、同じような内容のページばかりがヒットする。

 

例えば、「感覚過敏」というキーワードでネット検索すると、結果一覧に並ぶのは「発達障害」とか「自閉症スペクトラム」といったページばかりだ。

 

では、感覚過敏だから発達障害なのかというと、そうでもない。

 

知能指数、いわゆるIQだけで物事を判断することはできないけれど、IQが130を超えているような人たちの中には、発達障害の場合とよく似た感覚の鋭敏化が認められることがある。

 

欧米では、「ギフテッド」と呼ばれて、きちんとしたガイドラインであったり、教育現場でもプログラムが組まれていたりする。

 

ギフテッドが何たるかを知るには、日本語よりも"giftedness" のような英語のキーワードで検索することで、信頼できる機関のサイトがヒットして多くの情報が得られる。

 

では、日本はどうなのかというと、医療分野であったり、教育分野において、そういったガイドラインすらないし、「ギフテッド = 天才児」という間違った情報が報道されることさえある。

 

ギフテッドというのは病気ではないのだけれど、発達障害と誤診されることがあって、海外ではそういったことがないように配慮がなされるようになってきた。

 

日本ではどうなのかというと、現時点でガイドラインそのものがないのだから、説明する必要もない。

 

小中学校でイジメの対象になったりすることもあるし、感覚過敏を理解されないままストレスを抱えて生きていくこともある。

 

出る杭が打たれて、出過ぎる杭が引き抜かれるような社会では、高い知能を持っていたとしても活躍の場にたどり着けない場合があるわけだし、途中で潰されることもある。

 

しかしながら、これが日本の興味深いところなのだけれど、公立の小学校で辛い目にあった子供たちが、その後、入試の偏差値が高い、もしくは大学への合格実績がある進学校に通うようになると、気持ちが穏やかになったり、楽しく過ごせたりする。

  

では、自分はギフテッドなのか?

 

日本にガイドラインがないのだから判断できないし、四十路になってから「お、俺は、ギフテッドだったのか!」と知ったところでどうなるはずもない。

  

妻からは「うちのダンナ、ギフ・・・!?」と怪しまれているが、違う。たぶん自分は定型発達の平凡な中年おやじだ。

 

仮に自分がギフテッドだったとしたら、この浦安という街には、もの凄くたくさんのギフテッドなお父さんたちが住んでいるという解釈になるぞ。

 

若いパパさんたちからシニアのお父さんたちまで、すごく優秀だけれど、ちょっと変わった人が結構おられる。

  

ちなみに、自分に対して妻がイライラしている時には「申し訳ない。夫は人間ではなくて、実は、猫だったんだと思ってくれ」と心の中でテレパシーを送ったりもする。

 

とはいえ、この感覚過敏というのは非常に厄介で、生きていること自体が辛くなったりする。

 

おそらくなのだけれど、人の脳というのは、外部から伝わってくる音であったり、臭いであったり、そういった刺激に対してある程度のリミットをかけて処理しているのかもしれない。

 

そういったリミッターが解除されたような状態なわけで、外的な刺激がダイレクトに脳に伝わるのだろうか。

 

自分は優秀だとは言えないけれど、世の中にはもの凄く優秀な人がいて、けれど感情をコントロールできなくて失敗したりもする。

 

どうして感情をコントロールできないのかというと、たぶん、普通の人だと感じえない情報が脳に雪崩れ込んで、ショートしてしまうのかもしれないなと。

 

自分が普通に感じたことを普通に表現すると、空気が読めないと指摘されたりもするわけで、周りに理解されないことの苦痛であるとか、消耗であるとか、そういったことが多すぎて、早い話、疲れる。

 

しかし、裏を返すと、60代でリタイアして余生を送ることに、人生の哀愁がない。

 

別に死にたいという願望はないわけで、生きている限り生を全うしたいのだけれど、こんなハードモードな人生を送ってきたのだから、十分に生きた。

 

やっと、この辛さから解放されると思うと、何だか気が楽だったりする。

 

そうそう、辛さだけではない。

 

この性質をこじらせる、いや、有効活用すると、目の前で話している人の表情や声色、メールやSNSの文章の行間から他者の心の中を読んでしまうことがあったりもする。

 

ポジティブな感情を受け取ると気が楽だ。

 

本気で励ましてくれたり、心から感謝してもらった時の相手の表情や言葉というのは、まさに生きるためのモチベーションになるし、時が流れても大切な思い出になって自分を支え続けてくれる。

  

しかし、人の心の中には様々な嫉妬であったり、不安や不満であったり、そういったことが蓄積するわけで、それらを自分の中に受け入れると自分まで辛くなる。

 

ツイッターを眺めると、たくさんの人たちの、もの凄い量の感情が自分の中に入って来て気分が悪くなり、目が回ったりもするので、見ないことにしている。

  

その性質が元でイジメに遭ったことは多々あったし、生きること自体に疲れてしまうことも多々あった。

 

両親から非常に厳しすぎる躾を受け、小学校では変わった人だと疎外され、 「おいおい、人生って、これからすっごく長いよね。ああ、どうすんだよ、これ・・・」と絶望的になったこともよくあった。

 

相手の心の中を読んでしまう癖というのは、「仕事で活用したら儲けたり、出世できるじゃないか!」と思われるかもしれないけれど、それができたら苦労はしない。

 

自分の心の中が相手に把握されているというのは、逆の立場から見ると気持ち悪いと感じるわけで、むしろ、知らないふりをして黙っていたり、口に出さずに相手の気持ちを察して、さりげなく気遣った方が良い方向にむかうということを、厄年を越えてから悟った。

 

しかし、子供の頃は思ったことがそのまま口に出るわけで、それに対して色々な叱責や嫌がらせがやってくる。感覚が鋭いと、辛い感情がさらに増幅される。全くもって迷惑な癖だった。

  

ということで、ロードバイク乗りが激坂を登るかのような、とても疲れる人生を送ってきた。

 

ただ、これは幸いなことなのだけれど、自分の場合には、感覚過敏だけではなくて、興味を持ったことに長時間集中し続けていられる癖とか、物事を文章ではなくて画像として記憶する癖とか、たぶん普通じゃない性質も持ち合わせていたりもした。

 

それらは、自分が親からもらった大切な生きる力。今だって助けられている。

 

よく、小学校や中学校の先生たちが書く文章とか挨拶の中には「生きる力を伸ばす!」とか「こどもたちの個性をはぐくむ!」といったフレーズが登場する。

 

自分が思春期の頃、「教師たちは、そのゴールイメージができていないから、そういった抽象的な表現を使っているんだ」と思っていた。

 

当時、流行っていたロックバンドのブルーハーツが歌っていた。

 

「個性があればあるで、押さえつけるくせに」 

  

とはいえ、大人になってから感じるのは、そういった「生きる力」というものは、人それぞれに備わっていて、自分自身でさえ、その力に気付くことができなかったりする。

 

学校の教師たちがそういったことを抽象的に表現せざるをえないのは、彼らの一般社会での経験が少ないということもあるかもしれないが、子供たちの生きる力というのは膨大なパターンがあるわけで、具体的に表現することは難しいからじゃないだろうか。

    

そして、もう一つ、自分にとって大切な「生きる力」があった。

 

それは、あまり胸を張って言えるのかどうか・・・いわゆる中学二年生の男子のような不思議な思い込みというか、価値観というか。

 

妻から「中二病だよね」と笑われたりもするのだけれど。

 

子供の頃、テレビの再放送で流れていた「科学忍者隊ガッチャマン」を見て、将来はああいう人たちになろうと思った。特に、「コンドルのジョー」が格好良すぎた。

 

当時流行っていた戦隊モノとか、アニメも格好良かったけれど、敵が出てきても「うん、最後は正義が勝つよね」という安心感があって、今一つ燃えなかった。

 

特に、たった一人の怪人に対して、3人とか5人のヒーローが集まって、寄ってたかって攻撃を加えて爆発させるって、違うだろと。

 

ギャバンやシャリバンも強すぎる。

 

ガッチャマンの場合には、「やばい、これは負ける」というくらいに敵のインパクトが強かった。

   

守りたい存在のために危険に向かって飛び込んでいく感じとか、最後は命をかけて役目を果たして散るとか、そういった自己犠牲とか使命感に憧れた。

 

まあ、それはよくある男の子の特徴だけれど、小学生になっても、中学生になっても、ガッチャマンになろうと思った。いや、今だってそうかもしれない。

 

どうしてなのか分からないけれど、日本の男たちというのは、自分の使命を果たすためにボロボロになって、時に散っても構わないと覚悟することが美学だと感じる気がする。

 

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉が心にグッとくるというか。

 

お母さんたちからは、「だから、残業が減らないんだよ!」という突っ込みがやってきそうだけれど。

     

しかしながら、生まれ育った田舎で見かけるのは平凡な毎日で、どこを見渡してもガッチャマンらしき人は見当たらない。

 

子供から見て「うわっ、カッコイイ!」と燃える人がいない。

    

しかし、現実は現実なわけで、自分は、このまま実家の家業を継いで、このまま生きていくのだろうと思った。

 

代々続く医師の家系だとか、お寺の住職だとか、そういった感じの分かりやすい人生って、いいなと思う。モチベーションが半端ないだろうから。

 

そういった家系じゃなくても、やはり大なり小なり、子供というのは親を尊敬していて、同じ道を進みたかったりもする。

 

その方がイメージがつくし、その仕事の大切さや良さを知っているし、何より、自分の親が立派だと信じているから。

 

ところが、両親としては自分に家業を継がせるつもりはなくて、彼らの代で終わらせるつもりだったようだ。

 

自分は将来、どうしたらいいのかと悩んだ。

 

まあ、両親としても色々な進路であったり、職業を考えて自分に伝えてくれたわけだけれど、何か心にグッとくる熱い感じがない。

 

「親が決めたレールの上なんて進みたくないぜ!」という気持ちは、今の思春期の中高生も同じことだろう。

 

自分のようなオッサンだって、そういった時期があったのだよ。

 

ということで、とても分かりやすいのけれど、近くに自衛隊の事務所みたいなところがあったので、防衛大学校の願書をもらいに行くことにした。

 

自分は小さな音でもうるさいと感じる人なので、潜水艦のソナーとか、そういったことを担当すればいいじゃないかと閃いたわけだ。

 

生まれつきの感覚過敏を抱えて生きていて、とにかく辛い。長生きをするつもりもない。

 

とはいえ、生まれたからには、生きてやる。

 

自分の性質を活かす仕事がないだろうか。

 

高所恐怖症の気があるので空自は無理だ。虫が嫌いなので陸自は無理だ。だったら、海自だと。

 

自分は、様々な音に敏感だけれど、人工的ではない音は気にならない。風の音とか、波の音を聞くと心が安らぐ。海を舞台にして働くことができるのは素晴らしい。

 

大学入試の模試ではA判定が出ている。問題ない。

 

自衛隊の事務所に行ったら、担当官がすっごく優しくて、高校生なのにソファに座って飲み物をもらいながら入学説明を受けたりもした。

 

しかも、アイスコーヒーとコーラとオレンジジュースの中から好きな物を好きなだけ飲んで構わないぞと。

 

大学校を卒業すると、しばらくして幹部になれるぞ、ソナーの担当どころか艦長になれるぞ、国を守る大切な仕事だぞと。

 

防衛大学校に入学すると、学生なのに給料が出るそうだ。

 

自分の実家はそんなに流行っていない自営業で、大きな借金を抱えていて、しかも兄弟が多くて、私立大学を滑り止めにすることも、進学塾に通うこともできないくらいにお金に余裕がなかった。

 

なるほどこれなら親孝行だぞと思った。

 

ヨシッこれで行こうと思った。

 

国を守る大切な仕事、それって、ガッチャマンに近いじゃないかと。

 

自分が職業人生を終えても、きっとその仕事の意味を感じられて、きっと有意義な人生だと納得できるはずだ。

 

訓練や演習だけで職業人生が終わったとする。それは、この国が平和だったという証拠だ。それでいいじゃないか。素晴らしいことじゃないか。

 

そして、夕食が終わってから両親に「俺、防衛大学校に行くから」と伝えたら、もの凄い剣幕で怒り始めて大反対された。

 

母は「そんな風に育てたつもりはない」と、涙を浮かべながらキレていた。

 

特に思想的に偏った両親ではないけれど、自分のような団塊ジュニア世代ならよく分かる、団塊世代の親のレスポンスだと思う。

 

自分の考えていることを上から落とす感じ。その事象の本質よりも、集団の中での周りからの評価とか見栄えとか立場を優先する感じ。

  

団塊ジュニア世代にベビーブームがやってこなかった理由はたくさんあるだろうけれど、団塊世代の人たちが団塊ジュニア世代に与えた価値観が影響したのかなと思うことさえある。

   

では、団塊世代の親の世代、つまり自分にとっては祖父母の世代はどうだったのかというと、一言で表現するとガチだった。

 

祖父母の世代というのは、第二次世界大戦を経験した世代だ。

 

彼ら、彼女らは、団塊世代よりも本当にガチだった。

 

今でこそ、「最近の若いもんは・・・」と言っている団塊世代がまさに若者だった頃、祖父母の世代から「最近の若いもんは・・・」と言われていた。

 

団塊世代というのは人口が多くて競争が激しかったというだけではなくて、そういった祖父母の世代への反発というか、不思議な価値観があった気がする。

 

周りと同じであることに安心感をもつのだけれど、なぜか周りよりも良く見られたいという感じ。

 

どこかに競争相手を設定して、団結して、張り合ってしまう感じ。

 

団塊ジュニア世代の人たちには、あえて説明する必要もないことだろう。

 

そして、両親としては「息子が自衛隊に行く」ということを良く思っていなかった。

 

息子本人がどうとかということじゃなくて、要は、親自身の風評とか、そういったことを気にしていたようだ。もっと広い視野をもっていれば、自分の人生は変わっていたことだろう。

  

海外の常識を日本に当てはめたら、防衛大学校に相当する学校が、東京大学とか京都大学に相当する大学と同じくらいの難易度になる。

 

つまり、海外だと、防大と東大と京大が同じラインになるわけで、それくらいに入学することが難しい。

  

「国を守る」ということは、国家にとって非常に大切なことで、トップクラスの頭脳を持った若者を集めて国を守るリーダーとして育てるわけだ。

 

しかも、勉強だけではなくて、相応の覚悟が必要になる。

 

日本の場合、入試の難易度を考えると防衛大学校はそれほど難しくない。地方国立大学と併願になるくらいのレベルだ。

 

チャンスじゃないか。

  

とはいえ、親が反対するなら、仕方がないかなと思ったわけで、その時点で自分は将来のことについて深く考えることをやめた。

 

受験勉強へのモチベーションが大きく下がった。

 

自分は何のために受験勉強をしているのか。なりたくもない職業のために勉強して、その後も生きていくのか。

 

進路希望の調査があった時に、親が希望する通りに国立大学を選んで、第一志望から第三志望まで適当に紙に書いて担任に渡した。

 

まあ、二次試験で下痢にでもならなければ普通に合格するだろうし、安全パイだろうと。

 

両親は大学に行ったことがないわけで、そこから先にどんな将来の選択肢があるのかもあまり分かっていなかった。

 

自分が親になってから思うことがある。たぶん、両親だって悩んでいたんじゃないかなと。

 

大きな借金を抱えて、お金がなくて、しかも子供がどう進めばいいのかというビジョンも見えない。

 

そして、自分の子供なのに、何を考えているのか分からない。

 

どうして分かってくれないんだと。

 

とはいえ、自分としてはそんなの関係ないという感じだったわけだ。

 

そして、「これでいいや」と放課後の高校の図書室でノンビリしていたら、自分の恩師である教務主任の先生が、ドアを蹴破りそうな勢いで入って来て、自分の両肩を掴んで怒鳴った。

  

「その進路は違うだろ! お前が行くべき道はこっちだろ!? いいのか!? 絶対に後悔するぞ!」と。

 

恩師が考えていた自分の進路というのは、防衛大学校でもなければ、親が考えた進学先でもなかった。

 

自分としては「へぇ、自分がそんなことに向いているわけ?」という感じで何かを諦めた感があって、真に受けもせずに適当に受け流した。

 

そこから先がどうなっているのか、考える事を放棄していたのかもしれない。

  

自分が親を説得するのは無理なわけで、もう、親の言う通りに行くしかないだろと。

 

恩師の先生は、とても頭の回転が速くて、言いたいことをズバズバと言う感じの先生で、生徒たちから恐れられていた。同時に、目の前の生徒たちの特長を観察して、無理だと思える大学にも通してしまうくらいの力があった。

 

彼は、元々、進学校ではなかった高校に赴任して、授業のスタイルや内容を大幅に変更したり、教師たちの意識改革に取り組んだり、田舎であっても都会の子供たちに引けを取らないように、考えつく限りのことをやっていた。

 

浦安市内の高校に通う生徒たちなら驚くかもしれないけれど、あまり耳にしない大学への進学さえ少なかった高校が、1クラスのうち半数以上が国公立大学に現役合格してしまうような高校になった。

  

そして、自分が高校三年生だった頃。

 

これから受験シーズンが始まるという時期、先生が「いいか、お前たち。勘違いするなよ。大学に合格することが目的じゃないぞ。将来のための切符を手に入れるだけだ。その切符を手にして旅に出ろ。そして、これからの長い旅の道程を決めるのはお前たちだ」という感じのメッセージを生徒に送って励ましていた。

 

浦安に引っ越してきた自分としては、市内の高校の先生たちのことはあまりよく知らないのだけれど、有名大学にバリバリと合格してしまう進学校の先生たちというのは、大学受験というステージでビビらない。

 

そりゃ、先生たちとしては心配もするし、緊張もするし、センター試験の引率の先生は胃が痛くなったりもしたそうだけれど、生徒だった頃は全く気付かなかった。

 

そして、先生たちの勢いが凄かった。最初から全力で勝ちに行く感じ。

 

どこかの高校に勝つとかそんなレベルじゃなくて、職業人生をかけて子供たちの未来を開こうとするような、とても熱い気持ちを感じた。

 

地方なので環境が良くないとか、職員室にエアコンがないとか、備品が足りないとか、そんなことを嘆いている先生なんて、一人もいなかった。

 

そして、先生は、生徒一人ひとりの目を見つめ、目の色が変わったことを確認してから、一回だけ頷いた後、チョークを手にとって、黒板の中央、時計の真下に近い上の辺りに、大きな文字で「夢」と書いて振り返った。

 

ひねくれていた自分は、「うわ、くさい演出だな」と吹き出しそうになるのを我慢して周りを眺めた。すると、同級生たちはすでにガチモードになっていて、彼ら、彼女らの視線は、黒板の上の方に書かれた「夢」という文字だけを見つめていて、すごく格好良かった。

 

進学校の生徒たちが有名大学の合格通知をたくさんゲットしてくる背景、それは集団的な心理やモチベーションも背景にあるのかなと。

 

それと、大学入試というのは、一発勝負みたいなところがあって、僅差で合否が決まったりもする。そこでボーダーを乗り越える時、精神論ではないけれどメンタル面の強さも大切なんじゃないかなと。

 

「この問題は難しい」と思ったら、動揺せず冷静に得点できるところを得点して、時間ギリギリまで諦めない気持ちとか。

 

前日のホテルで眺めていた参考書の内容が、試験当日に偶然出題されたという話も珍しくない。

 

そういった受験生にとって極限の状況の場合には、合格することがゴールではなくて、常にその先にある目的をモチベーションにした方がいいわけだ。

  

自分のいたクラスでは、ほとんどの生徒が有名大学にストレートで、しかも40人のうち30人くらいが国立大学に合格していた気がする。

 

そして、高校の卒業式の日、恩師の先生にご挨拶したのだけれど、彼は浮かない表情を自分に送った。

 

自分は、滑り止めの私大を受験せずに国立大学一本で受験して、苦もなく合格したわけだけれど、そこからの方向が絶対に間違っていると思ったそうだ。

 

そして、大学に入学してすぐに、自分は間違った方向に進んでいたことに気付いた。

 

四十路になってから振り返ると、その方向も和気藹々としていて楽しかったかなと思ったりもして、必ずしも親が決めたレールの行き先は間違っていなかったかなと思ったりもする。

 

しかし、当時の自分は焦った。

 

難しい試験に合格して集まった学生たちは、とても幸せそうだった。ニコニコして学生生活をエンジョイしている人が多かった。

 

ラクショー科目がどれなのかとか、バイトで何かを買ったり、旅行に行こうとか。

 

将来の職業人生は決まったかのような、なんだろう。この炭酸の抜けたコーラのような雰囲気。

 

どうしてそんなにヘラヘラしていられるのかと。本当に楽しくて笑うのなら構わないけれど、どうしてなんだろう。

 

出席していないのに、友達に頼んで代返? 親御さんが一生懸命に学費を納めてくれているのに、何のために大学に行ったんだ?

 

そして、バイトに行ったり、学食でノンビリしたり、サークルの集まりや部活動。

 

大学とは、「大きく学ぶ」と書くのに、この場所は、勉強以外のことで頑張っている学生が多すぎる。

 

学歴さえゲットできれば、それで満足なのか?

 

そして、講義室がうるさい。

 

勉強に集中していたら、私語などなくて静かになるはずだ。

 

大声を出しながらへつら笑いを浮かべたり、「だよね~♪」というような感じで適当に話を合わすような。

 

自分を磨くという気持ちを感じない。

 

まるで、大学の合格が目的でありゴールになっているかのような。

 

日本の学歴社会のおかしさだと感じることがあるけれど、有名大学に入ったということ自体がレッテルのようになっていて、たかだか20歳付近の入試の結果が、その後の人生でもずっと付いてまわったりする。

  

人というのは工業製品でもなければ、農産物でもない。どこの出身なんて、その人の能力を考えた時には意味がないことなのに、そういったレッテルでその人を判断するって、どうなんだと。

 

このまま無難に単位を取得すれば卒業できるわけで、就職活動だって気楽なことだろう。

 

そして、職業人としては社会に出た後の積み重ねが大切ではあるけれど、同じ大学の先輩と後輩というのはとても強い絆になることが多くて、その業種の偉い人たちが先輩だと、やはり気が楽だ。

 

先輩から見ても、同業に後輩がいたら信頼というか安心感もあるだろうし、そういったネットワークというのは思ったよりも大きい。

 

このまま人生を進むと、自分はとても有用なパスポートを得て社会に出ることだろう。

 

しかし、スタートを間違った感があって、そこから先に進みたくない。

 

どうすりゃいいんだ、こりゃ。

  

しかも、自分としては、たくさんのお金を稼いで高い車に乗ったり、高層マンションとか新築一戸建てに住みたいとか、そういった気持ちは全然なかった。

 

大切だったのは、自分が生きていることの意味。

 

自分はどうやって生き、どうやって終えるのか。今の調子で進むのは嫌だと思った。

 

たった一回の人生なのに、妥協して、満足して、それでいいのか?

 

嫌だ。そんな人生は嫌だ。

 

ということで、大学をドロップアウトして辞めて、別の大学を受け直すことにした。

 

しかし、そのことを両親に相談したら、「入学するだけでいくらお金がかかったと思っているんだ!」と叱られて、そのまま人生を進むように言われたので諦めた。

 

子供の人生って、かかったお金で決めてしまっていいのか?

 

両親としては、大きな借金を抱えて大変だっただろうし、同時に、お金の話だけではなかったと思う。

 

「自分の子供がドロップアウトした」という事実を恥だと感じていて、ご近所から何かを言われることが嫌だったのだと思う。

 

しかし、あの当時の絶望感というか、虚無感というか、すごく悩んだ。

 

就職する気もなく、というか生きていく気力がなくなっていた。

 

「そうか、恩師が言っていたのは、このことだったのか」と。

 

自分は父となり、子供たちを育てる立場になったのだけれど、特に進学校に行ってほしいとか、有名大学に合格してほしいとか、そういった気持ちはあまりない。

 

しかし、子供たち本人が納得できる人生を送ってほしいという気持ちは大きくて、そのために必要なのは親ができる限りの情報を得て、必要な時に子供たちに伝え、背中を守ってやることじゃないかと思う。

 

有名大学を卒業して大企業に勤めるとか、そういったことがエリートだという価値観。

 

それは、団塊ジュニア世代の親、つまり団塊世代が厳しい競争社会を生き抜く中で作り上げたものなのかもしれない。

  

そして、そういった価値観は大なり小なり、自分たちのような団塊ジュニア世代にも引き継がれていたりもする。

 

プロフィール欄があれば、○○大学卒、株式会社□□□□に入社、◇◇◇◇事業部にて△△△に従事、という感じ。なぜか最終学歴がずっと付いてまわる。

 

その大学をトップで入学もしくは卒業しても、ビリで入学もしくは卒業しても、扱いはあまり変わらないのか。

 

もっと若い人たちの中には、その風潮に対して抵抗感を持つ人たちが増えた気がする。

 

そもそも、人生というのは必ずしも富や名誉だけでその価値を考える意味さえなくて、何をもって幸せなのかも分からない。

 

バリバリと働いて、一生懸命に残業して、そういったことに何の意味があるのだという疑問が生じても不思議ではない。

 

とはいえ、職業人生というのは、高校を卒業してまだ大人になっていない時期、もしくは大人になって間もない時期にある程度のトラックが決まってしまうのも現実なわけだ。

 

特に、国家資格を得る際には非常に大きくて、スタートを間違えるといくら頑張っても資格を得ることができない。まあ、途中で引き返せば済むことだけれど。

 

子供たちが「違う道に進んでしまった」と気付いた時、親としては方向転換を惜しんではいけないと感じたりもする。

 

少し遠回りするかもしれないけれど、そこから先の人生は長いのだから。

 

そして、苦悩の淵にあった自分の人生は、一本の映画を観たことで大きく変わった。

 

特に興味があったわけではなくて、偶然、観ることになった。

 

しかしながら、この映画との出会いは大きかった。

 

「これだ!」と思った。

 

その映画に登場した脇役があまりに格好良かった。

 

主人公を助けるために、道半ばでボロボロになって倒れてしまうというよくあるキャラクターだったけれど、これは凄いぞと。

 

こんな人生を送れるのなら、自分は全く後悔はしないぞと。

 

そうか、高校時代の恩師が言っていた方向をそのまま進むと、あまり労せずにこの場所にたどり着いたのかと、悔やみはしなかったけれど、焦った。

 

やばい、もう間に合わないかもしれないが、さっさと現在の道をドロップアウトせねばと。

 

当時の指導教官や同期の友人の励ましも大きかった。「大丈夫、君なら何とかなるよ」と。

 

その言葉は、自分にとって大きな精神的支えになった。

 

受験で落ちたらなんて考えていられなくて、受かった先では奨学金とか色々な補助とかバイトで繋ごうかと。

 

その時の多額の奨学金は、厄年を越えてやっと返済の目処が立ったくらいだ。一度、道を間違えると戻ったり方向転換が難しいというのが、日本の社会のシステムだなと感じる。

 

とはいえ、社会に対する不満を唱えたところで変わらないわけで、本当に必死だった。毎日の睡眠時間が3時間くらい。

 

受験勉強の最中、ノートの上で鉛筆を走らせなくても文字が紙の上に浮き上がってきたことがあって、「俺って、凄いじゃないか!」と驚いたら、実は力尽きて机の横で倒れて夢を見ていたということもあった。

 

そして、「いかん、いかん」と、再び机に向かう。

 

あの時、自分はどうして頑張れたのか? 映画の中で見た脇役のようになりたい。その気持ちが大きかった。

  

基礎知識がほとんどないところからの勉強だったので、もの凄くきつかった。考えていたら間に合わないので、ほとんど丸暗記。受かれば勝ちなので手段を選んでいられない。

 

かろうじて試験に合格した時は放心状態だった。戻りたくない人生の地点が一つ増えた。

 

そして、将来の方向を見極めた自分は、ほとばしる情熱と猛烈な努力を続け、自分の道を自分の力で勝ち取った!!

 

・・・という展開になれば格好良いのだけれど、物事はそんなに上手く進まない。人生の道程の中で、何度も挫折して立ち止まった。

 

しかし、自分にとって幸運だったのは、その過程の中で、高校時代の恩師のように将来の道しるべになってくださるたくさんの人たちに出会ったことだった。

 

本当にたくさんの師に出会い、「おい、こっちだ!」と手を引っ張ってもらった。今だってそうだ。

 

映画の中の人にはほど遠くて、思ったよりショボいけれど、それでも同業者になれた。

 

たまに仕事をしながら彼の真似をしたり、「ああ、この状況って、彼も同じ気持ちだったのかな」と神妙になったり。

 

自分が夢見た映画の中にいるような気持ち。

 

働いていれば嬉しいことだって、辛いことだって、色々あるけれど、まるで子供たちがアニメの主人公に憧れているような不思議な気持ち。

 

恩師が黒板に書いた「夢」って、こういうことなのかなと思う。

 

何より、素晴らしいことがある。

 

幼少期から自分を苦しめてきた過敏な感覚。普段の生活ではそれらに蓋をして何とか自分をコントロールしようと我慢している。

 

うちの子供たちが大声でグズったり、長時間の電車通勤を続けていると、めまいや頭痛がやってきたりもする。

 

しかし、それらの感覚を全開に解放して働くことができる気持ち良さ。

 

収入なんて関係なくて、そりゃもっと稼げる仕事はたくさんある。

 

でも、そういったオファーがあっても、自分は簡単に蹴って断っている。

 

自分の五感をフルに活用して結果が出た時には、もう、生きていて良かったという大きな満足感がやってくる。

 

「あはは、何、格好付けてるんだよ?」と言われるかもしれないが、あまり細かなことを気にしない人だと危険で、むしろ神経質過ぎる方が向いている仕事もあったりする。

 

しかも、職場にも理解があって、そういった性質の人がポテンシャルを発揮できるような環境を、わざわざ用意してくれたりもする。

 

それって、とても幸せなことなんじゃないかと。

 

ところで、高校時代の恩師はすでにリタイアされて、今は教壇に立つことはないようだ。

  

今の仕事に就いてから、友人の結婚式で高校時代の恩師にお目にかかったのだけど、「ほら、俺が、言ったとおりになっただろ?」と笑っておられた。

  

ということで、自分は四十路になって衰えてきたけれど、たくさんの師に導いてもらったわけなので、職業人生を全うしようかなと。

 

生活の中に子育てが入ってくると、なかなか仕事に集中できなかったりする。

 

家庭を持ってからというもの、仕事のパフォーマンスは極端に落ちた。

 

デキるお父さんはそれでも大丈夫なのだろうけれど、自分の場合にはストレス満載、家庭に帰ると気力が減っていって、毎日が疲労困憊だ。

 

しかしながら、同時に、独身時代よりも自分の仕事の意義や価値を実感するようになった。

 

独身時代は自分のことだけで精一杯、仕事全体について俯瞰するだけの余裕がなかったのだと思う。

 

誰でもそうだと思うけれど、真面目に生きている限り、どんな仕事にも価値があって、どんな仕事にも人を幸せにする力がある。

 

毎日地道に働いて子供を育てることだけでも素晴らしい意味がある。

 

男性は仕事、女性は家庭というスタイルが時代遅れになった現在。社会はギリギリと大きな音を立てて舵を切っている気がして、必ずしも思い通りの展開にはなっていないけれど、それでも変えようという大きなうねりを感じる。

 

自分の世代は、ちょうどその変化の真っ直中で父親になったわけで、とても大変だけれど、とても興味深い時代に子育てをやっているんだなと。

 

とはいえ、仕事を続けていると、どんなに頑張っても得られることがなかったり、期待された結果を出せなかったりもする。

  

とある日のこと、最大限の努力をしたのだけれど、自分の力ではどうすることもできないというエピソードがあった。

 

若い頃は集中力が続いたのだけれど、さすがに老いてきた。張り詰めていた気持ちがゆるんだ時、一気に疲労感がやってきた。

 

「そうだ、今日は早く帰ろう・・・」と、ロードバイクに乗って浦安に向かって帰宅した。

 

自分が望んで自分で歩いて来た人生の道。

 

間違った方向に進んだこともたくさんあって、たくさんの人たちに支えてもらって今がある。

 

とても充実した職業人生だと思うけれど、とても消耗する人生だ。

 

その帰り道、一人のお年寄りが腕と足から血を流して立ちすくんでいた。

 

彼の隣には大学生らしき若い男性がオロオロして周りを見ていた。

 

「何だろう?」と思ったけれど、自分は早く帰りたかった。

 

ここで自分が通り過ぎても「気付かなかった」ということで、自分が責められることはないことだろう。

 

しかし、ここで見過ごすのは義に反するので、ロードバイクを停めて状況を尋ねる。

 

どうやら、若い男性が自転車に乗って赤信号を無視して直進したらしい。

 

そして、横断歩道をお年寄りが自転車で横切ろうとして出てきたところに突っ込んだそうだ。

 

つまり、赤信号を無視した若い男性が悪い。

 

その若者は、体育会系のようなゴツい身体をしていたけれど、その場で何をしていいのか分からなくて真っ白になっていた。

 

お年寄りの傷口を見ると、幸い出血は少なかったけれど、ザックリと裂けているので縫合が必要かもしれない。

 

彼は銭湯に行った帰りだそうで、入浴で使った後のタオルで傷口の血を止めようとしていた。

 

これはいけないと、ロードバイクのサドルバッグから応急処置用のキットを取り出して、傷口が化膿しないように対処する。

 

若い男性を落ち着かせながら、きちんと責任を取るように指示した後、念には念を入れて、夜間の医療機関を受診できるように連絡してもらう。

 

お年寄りの頭部や頸椎などには目視では外傷が認められないけれど、傷がない方の腕にもしびれがあるということで、とても気を遣う。

 

それと、若者は自転車保険や対人関係の保険に入っていないということで、医療費が高くつくぞと思ったが、それは自己責任だ。

 

本人はとても反省していたけれど、逃げられないように警察にも連絡してもらう。

 

お年寄りは若者に対して怒っていなくて、むしろ諭す感じだったので、自分としても叱るのは良くないと思った。

 

しかし、この状態だとお年寄りは買物や身近なことに困るはずなので、それらのサポートをやった方がいいと若者に忠告しておいた。

 

その後、再びロードバイクに乗って家路を進む。帰りがすっかり遅くなってしまった。

 

早く帰ろうとしたら、こういうアクシデントに遭遇したわけだ。

 

お年寄りにとっては少しは役に立ったかもしれないけれど、若者が無謀な自転車運転をしていなければ、この状況に巻き込まれなかった。

 

何だかなという空しい気持ちになった。

  

そして、気合いを入れてペダルを回す気持ちも失せた自分は、重い気持ちで車道を走っていた。

 

高校時代の恩師が言っていったことは間違っていなかったと思うけれど、今の仕事はとても消耗が激しい。

 

退職したらすぐに死ぬんじゃないかと思うくらいに心身がボロボロになるぞ。

 

まあ、仕事で消耗するのなら構わないけれど、浦安に住んで長時間の通勤になった。仕事に集中したくても集中できないことがある。

 

だから、早く帰ろうとしたのに、これだ。

 

人助けは良いことなのだけれど、消耗している時にこのようなことになると、感受性の高い自分はとても疲れる。

 

生きていると、自分の力ではどうしようもない不条理をたくさん見かける。

 

しかも、人というのは個の都合を優先し、時に他者を傷つける。

  

自分は自分、他人は他人、それは確かにそうなのだけれど、誰だって心穏やかに生活したいのは当然だ。

  

交差点で信号待ちをして、信号が青になった。けれど、自分は前に進むことができなくて、しばらくの間、街灯の上に広がる真っ暗な空を眺めていた。

 

疲れた。

 

膨大な数の選択肢を一つずつ選んで、迷路のように入り組んだ様々な人生のルートを進んで、今、ここにいるわけだ。

 

田舎から東京にやってきて、気がつくと浦安市民。

 

自分は、どうして、ディズニーがある街に住んでいるんだ?

  

そもそも、自分はどうして、東京と浦安の間を自転車で通勤してるんだ?

  

仕事って、なんだ?

  

人生って、なんなんだ?

  

その時だった。

 

自分の横を、綺麗なメタリックカラーのロードバイクが颯爽と走り去っていった。

 

ペダリングやフォームだけを眺めても、かなりの上級者だと察した。

 

気がつくと、そのロードバイク乗りを一生懸命に追いかけていた。

 

自分のバイクのライトから追走を察したのだろう、そのローディは、さらにケイデンスを上げて加速していく。

 

速度計を見ると40km/h巡航になっている。

 

しかも、後ろに付かれるとローディは気合いが入ってしまうのだけれど、彼は、信号が近づくときちんと減速して、自分にハンドサインを出して、赤信号になるとピタッと止まる。

 

ゼロ発進からの切れ味鋭い加速で、軽くトップスピードまで到達していく。

 

テンポよく走って行く目の前のローディの走りが、とても心地良い。まるで流れるかのようなライン取りだ。

 

ライディングフォームが非常に美しく、実に気持ちよさそうに風を切っていく。

 

自分は彼のように走れているのだろうか。

 

生きていると、色々な悩みや苦しみ、怒りや不安など、ネガティブな思考が蓄積したりもするけれど、そういった気持ちが後頭部や背中からスッと抜けていく感じ。

  

しばらくの間、一緒に道路を走っていたら、浦安が近づいてきた。もしかして、浦安市民なのか?

 

あまりに楽しい夜間の帰宅ライドだったので、信号待ちで彼にお声かけした時、自分はとても驚いた。

 

体型も顔つきも、自分が生徒だった頃の高校時代の恩師にそっくりだ。

 

眉毛や目、唇や鼻の形まで、すごく似ている。

 

顔だけじゃなくて、声質とか、話し方まで似ている。

 

彼は、恩師のように激しい性格ではなくて、実に礼儀正しくて優しいのだけれど、ルックスと声がもの凄く似ていたので、思わず背筋が伸びる。

 

もちろんだけれど、偶然出会ったサイクリストなので、敬語で話してくださるのだけれど、まるで、若い頃の恩師の前にいる感覚だ。

 

彼の表情から「おい、また悩んでいるのか? 悩むな、自分を信じろ。前に進め」と、励ましてくださった恩師の顔を思い出す。

 

そして、再び一緒に走りたくなったので、彼に浦安のサイクリングサークルに入ってもらえるようにお願いしてみた。

 

今までに何人かの浦安市内のローディにお声かけしたのだけれど、「はい、連絡しますね」という返事の後、実際に入会してくださった人はいない。

 

たぶん、無理だろうなと思っていたら、本当にご連絡があり、今もグループライドに出かける時がある。

 

彼は浦安を基点とした様々なルートであったり、グルメポイントをご存じだ。サイクリストとしてとても勉強になるし、自転車の奥深さを再認識する。

 

何より、彼は、常にポジティブで、真っ直ぐで、元気だ。

 

四十路になると分かるのだけれど、自分が元気になりたかったら、元気な人と会話することだ。それだけで気持ちが上向きになる。

 

それにしても、人生とは不思議だなと思う。

 

もしも怪我をしたお年寄りの前で立ち止まっていなかったら、もしも自分が早く帰宅しようとしなければ、彼に出会うことはなかったことだろう。

 

人生というのは、こういった巡り会いの連続だろうし、自分が世を去る瞬間に残るのは富でも名誉でもなく、楽しい思い出なんじゃないかと思ったりする。

 

いきなり人生の最後を考えなくても、そう遠くない将来、自分が職業人としての役目を終えてリタイアした時には、とても大切な繋がりになるんじゃないかなと。

  

とある夏の朝のこと。

 

相変わらず、消耗した状態で都内を目指して自転車を漕いでいたら、「おはようございます!」という元気な声が。

 

若い頃の高校時代の恩師にそっくりなロードバイク仲間の彼だ。

 

思わず背筋が伸びて、挨拶を返す。

 

通勤経路が重なっているので、しばらく一緒に走って行く。とても楽しい。

 

顔と声がそっくりなので、若き日の恩師が「どうだ? 頑張っているか?」と励ましてくれている気がする。

  

そして、彼が途中でハンドサインを出して、笑顔で職場に入っていく。

 

彼は本当に仕事にやりがいを感じていて、悩む様子もなく自転車に乗って颯爽と出勤して、いつも通り、颯爽と自転車に乗って浦安に帰ってくることだろう。

 

そうか、彼のように、ポジティブに仕事と向き合わねば。

 

自分は彼の背中を見送った後、再び、ペダルを漕ぐ。

 

人生のサイクルというのは思ったよりも短いけれど、また一人、自分を励ましてくれる人に出会った。

 

こんなに神経質で不器用な自分なのに、人生で立ち止まるとなぜか素晴らしい人が目の前に現れて引っ張ってくださる。

  

そういったエピソードの数々は自分の人生の中での貴重な財産だ。

  

悩み多き中年時代。

 

思春期ならぬ思秋期。

 

それだって、懐かしくなることだろう。