ブログを3年間続けて色々と感じたこと

 

自分の名は、フジヤマジロウ。

 

当然だが、ハンドルネームだ。

 

自分は数年前から、昭和の伝説的歌手である「藤山一郎」先生をリスペクトして、フジヤマジロウというハンドルネームを使ってきた。

 

藤山一郎さんの美声だけでなく、彼の生き方が素晴らしいと敬服したからだ。

 

また、幼少期から幼稚園を転園させられるくらいに育てにくかった彼の音楽的センスに気づき、その才能を伸ばした母堂の教育姿勢にも感銘を受けたからだ。 

 

若い人たちの間では、「OKAMOTO'S」という名前のロックバンドがあって、メンバー全員が岡本太郎先生をリスペクトして、「オカモト」という姓を名乗っている。

 

おそらく、ポールマッカートニーの芸名であるポールラモーンをリスペクトして、メンバー全員がラモーンを名乗っていた「ラモーンズ」の真似だと思ったけれど、「ほう、若いのになかなかやるじゃないか」と感心し、真似をすることにした。

 

そういえば、自分が寝るために帰ってくる千葉県の浦安市では、古くから住んでいる方々の中に、ウダガワさんやオオツカさんという名字が非常に多い。

 

自治会によっては、役員の住民の方のほとんどがオオツカさんだったという話を耳にしたことがあり、まるでラモーンズのようだと感嘆したことがある。

  

そこで、ラモーンズが、浦安のウダガワさんやオオツカさんからヒントを得た可能性があると仮説を立てた自分は、現在も調査を継続している。

 

結果が分かり次第、このブログで紹介する。

  

さらに踏み込むと、たまにメッセージをくださるネットユーザーの方々からは、「ヒノデダッズムのフジヤマさんへ」と呼ばれたりする。

 

実は、このハンドルネームの読み方はフジヤマ・ジロウではなくて、フジ・ヤマジロウだったりする。

 

子供たちに人気のある「しまじろう」を意識していたりもする。

   

すると、最近、このハンドルネームをお気に召さない御仁がおられるとの噂を聞きつけた。

  

色々と都合があるのだなと察し、自分としても記事を書く度に何かが散らつくのも良くないので、気分転換も兼ねてハンドルネームを変えることにした。

 

浦安と言えば境川、境川と言えばハゼ釣りなので、「ハゼヤマジロウ」に改名しようと思った。

 

しかし、自分は「ハゼ」という名前の由来を知って恐れおののいた。

 

例外を除いて四十路を越えると衰えてくるので、あれだけ元気に川を泳ぐほどの気力と体力に自信がない。

 

とてもじゃないが、ハゼヤマと名乗るわけにはいかないと悟った。

 

それならば、三番瀬でたまにジャンプしているボラらしき魚にあやかって「ボラヤマジロウ」に改名しようと思った。

 

しかし、自分はボラが出世魚だということに気付いて頭の中に暗雲が立ちこめた。

 

関東では、オボコ → イナッコ → スバシリ → イナ → ボラ → トド の順番になるそうだ。

 

つまり、ボラヤマジロウを名乗るためには、オボコヤマジロウからスタートして、スバシリヤマジロウを経由し、やっとボラヤマジロウになったと思ったら、気を抜くとトドヤマジロウに改名することになる。

 

実に大変だ。特に、四十路の父親がオボコを名乗るのは不適切極まりない。

 

おそらくだけれど、今、ハンドルネームを改名したら、歩留まりが利かなくなって、気がつくと「浦安日ノ出左右衛門」のようなハンドルネームになっているんじゃないかと気になって昼も眠れない。

 

さらに、ネット上でフジヤマジロウを名乗っているので、浦安市内外を含めて自分のことを「フジヤマさん!」と呼んでくださる方が推定50名を超えている。

 

サイクリングサークルの皆さんも自分のことをフジヤマさんと呼んでくださっているわけで、今さら、「あ、あの、これからはスバシリヤマと呼んで、、、」とは言いづらい。

 

やはり、このままで行こう。

 

さて、しばらくブログを書いていなかったので、ライティングのウォーミングアップをやってみた。

 

調子が戻ってきたところで本題に入る。

 

先日、クレジットカード明細を見ていたら、衝撃的な事実に気付いた。

 

とある料金が引き落とされてしまった。

 

四十路の思秋期の気の迷いでエキサイティングなものを買ったわけではない。

 

ヒノデダッズムのサイトは有料契約になっていて、ユーザーが解約の手続きを行わない限り、自動で更新されてしまうことを忘れていた。

 

そのアナウンスに気付かずに、また一年、サイトを運営することになった。

 

元々、このサイトというのは、あまり方向性を決めずに、自分の頭の中を文章にして公開してみようという発想だった。

 

共働きで育児をやっていると、妻に言えない不満や悩みもあるわけで、「王様の耳はロバの耳」的にブログに書いておくと、少しは自分の心の安定にも繋がる。

 

目下の懸念事項は、このブログが妻からすでに特定されていて、たまにやってきて記事をチェックされているということだけだ。

 

さて、これからの1年間、どのようなテーマで話を進めるのか考えてみたい。

 

ブログを開始して、すでに3年間が経過したわけだ。

 

自分は、残りの寿命があと20年くらいじゃないかなと勝手に想定している。

 

もっと短いかもしれないし、もう少し長いかもしれない。

 

けれど、あまり悲観的に考えているわけではなくて、素になって考えて、たぶんこれくらいだろうなと。

 

すると、この3年間で、なんと余命の15%を経過してしまったわけだ。

 

四十路に入ると1年がとても早く過ぎてしまうけれど、大切な時間なんだなと感じる。

  

実は、次回の更新が来たら契約を中止して、このサイトを閉鎖しようと思っていた。

 

自分は、浦安市内で発生したとあるトラブルを契機として、浦安に関係するブログのエントリーを書くためのモチベーションがなくなってしまった。

 

書く気が失せたというよりも、書いていて楽しくなくなった。

 

サイトを放置するのは自分にとってあまり好ましくないし、潔くネット上から消そうかなと。

 

だったらやめろよという話なのだけれど、ソレはソレで何だかフラストレーションが溜まったりもする。

 

そういえば、角が立つので「浦安何とか」と名前を伏せるけれど、最近、この街ではもの凄いサイトが立ち上がって、もの凄い勢いで更新されている。

 

一ヶ月に一回更新されるかどうか分からないくらいの月刊ヒノデダッズムとは大違いだ。

   

しかし、「このサイトを運営しているのは日の出地区の人なんじゃないか。だとすると、この中の人は、ヒノデ何とかのお父さんなんじゃないか」という噂が聞こえてきた。

 

言っておくが、自分は浦安何とかの中の人ではない。

 

たぶん、彼と顔を合わせたことがあって、自分の方が先輩だと思うので紹介すると、浦安何とかの中の人は、自分よりもずっとハンサムで、高収入で、奥さんが優しく、お子さんがお利口さんだ。

 

自分が勝っている部分が何一つない。

 

たぶん、彼は自分と同じく「銀杏の紋章」を持つ男で、マーケティングや企業投資にも詳しく、超一流企業で数々の修羅場をくぐり抜けてきた人物で、しかも頭の回転が非常に速い。

 

浦安のプロモーションをビジネスに繋げたいのか、それはどうか分からないけれど、彼は、「私は浦安が大好きで、この街を本気で世界一流の都市にしたいという想いがあります!」とおっしゃっていた。

 

もの凄いモチベーションだと思った。

 

最近、浦安の気温が高い気がしたけれど、たぶん彼の影響があるのかもしれない。

 

他方、自分は、アンチ浦安ではないけれど、自ら好んで浦安に引っ越して来たわけではない。

 

なんて後ろ向きなことだろう。

 

今年の夏、浦安では曇り空や雨が多いと思うけれど、たぶん自分のせいだと勝手に思っている。

 

妻の実家が近くて、妻も、義父母も、浦安の大ファンだったので、浦安に引っ張り込まれた。

 

妻を含めた実家が一丸となって外堀が埋まり、まさにドナドナのような状態だった。

 

東京から浦安に帰宅するJR京葉線の電車の中で、缶チューハイや缶ビールを飲んでいる中年男性を見かけると、ブルーハーツの「ラインを越えて」が頭の中で流れる。

 

知人から「浦安に住みたいと思うんですが、どうですか?」と尋ねられて、「お、おう!」と答えるような自分が浦安のプロモーションを展開していたら、途中で心が砕け散る。

 

浦安はとても刺激的で、面白くて、楽しい街だけれど、超個人的な理由として長時間通勤で疲れるし、変化が早すぎて疲れる時がある。

 

しかし、住めば都とはよく言ったもので、この街で子育てを続けているうちに浦安市民としての帰属意識も生まれてきた。

 

出張で地方に行った時、「あー、浦安だったら、もっと楽なのに」と感じることは多々ある。

 

浦安の魅力というのは、街並みであるとか、飲食店や商店であるとか、もちろんディズニーとか、色々とたくさんある。

 

けれど、自分から見て最も大きな浦安の魅力というのは、「人」だと思う。

 

とにかくアクティブな人が多い。

 

深夜に職場から帰ってきても、同じように遅くまで働いていた市民の人たちが街中を歩いていたりする。

 

朝夕にはジョギングをしている人、散歩をしている人。

 

人口密度が高いこともあるのだろうか、面白い人、勉強になる人に出会う確率がとても高い。

 

この街の状態を維持するために必要なもの、それはインテリジェンスだと思う。

 

重要なのは、学ぶこと、そして考えることだ。

  

浦安は図書館が充実している。ピーター・ドラッカー先生の本を読んで勉強しよう。

 

Unless commitment is made, there are only promises and hopes; but no plans.

 

Management is doing things right; leadership is doing the right things.

  

The most important thing in communication is to hear what isn’t being said.

   

それと、浦安という街はとても不思議で、ネット上で詳しく得られる情報とは別に、ネット上ではどれだけ検索してもヒットしない情報がたくさんある。

 

文献として記録されている浦安の情報は結構あるのだけれど、今の子育て世代が、浦安の歴史や成り立ちについての本をフムフムと読み込むとは思えない。

 

しかし、それらの情報がネット上に存在していないわけではない。

 

部分的にはネット上にも公開されているようだけれど、検索でアクセスするためのキーワードの選定が難しい。

 

つまり、今の子育て世代が知らない情報が、この街にはあるということだ。

 

別にサイトで分かりやすくまとめて大公開するつもりはないし、人によってはそれを知ってどうするんだよという話も結構あるけれど。

 

特に、いわゆる新浦安のシニア世代の方々は、この街について膨大な情報を記憶しておられた。

 

しかし、彼ら、彼女らがデジタルネイティブな世代ではないことも関係するのだろうか、それらの情報がネット上に広がることは少ない。

 

街に関する情報が、まるで外部記憶のような形でシニア世代の市民の方々の脳に蓄積されていたわけだ。

 

凄いと思わないか?

 

膨大な街の情報が、デジタルデータとしてサーバに記録されているのではなくて、人の神経細胞に記憶されているなんて。

 

映画「イノセンス」で、攻殻機動隊のバトーが言ったセリフを思い出す。

 

「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ」

 

都内から浦安に引っ越してきた自分にとって、どうして海楽地区に浦安弁を話すことができる方々が多いのか、そしてどうして同じ新町エリアなのに、高洲地区と日の出地区の雰囲気が違うのか。

 

そういった謎とも言える疑問がクリアになっていく。

 

では、そのような情報がどうして自分たちのような子育て世代に伝わっていないのか。

 

この状況というのは、核家族が多いこと、他の街からの転入世帯が多いことに起因しているのではないかと思った。

 

シニア世代がこの街のことについて記憶した情報というのは、長い歴史があり、地域社会が成熟して落ち着いている街であれば、親か子へ、子から孫へ伝わることだろう。

 

人口のピークが認められた団塊世代と団塊ジュニア世代が同じ場所で生活していたら、普通は情報が伝わるはずだ。

 

しかし、この街で育った人たちが市外に移り住み、他の自治体で生活した人たちが移り住んでくるケースが多いと、世代を越えた情報の伝達が必ずしも効率的に行われない。

 

特に、新浦安の場合にはその傾向が顕著だと感じた。

 

新町エリアの日の出地区で生活していても、浦安育ちの父親が周りに見当たらない。

 

自治会などでシニア世代と出会っても、街のことについて深く学ぶ機会が少ないと思う。

 

自分の場合には、興味深いシニア世代をお見かけしたら、お茶を片手にじっくりと学ぶことがあるのだけれど、それは自分の好奇心によるものであったりもするわけで、普通はそのような行動に出ないかもしれない。

 

つまり、自分が生活する街の歴史や現状について、ネット上で知りうる範囲内では知っていても、あまり深い情報を知らずに生活していたわけだ。

 

ただ、浦安の中でも、街の情報が漸次的に世代を超えて繋がっている場所があった。

 

元町エリアだ。

 

自分は保育園の父母会活動で元町のお父さんたちと知り合いになったわけだけれど、もの凄く面白かった。

 

元町エリアでは、浦安生まれ浦安育ちの世代が縦糸になり、新しく移り住んできた世代と横糸を紡いで、非常に奥行きのある情報伝達がなされていると思った。

 

そういえば、浦安市役所には地元の県立高校を卒業して入庁したベテランの職員が思ったよりも多くて、その理由についても耳にした。

 

埋め立て事業が始まる前、浦安は漁師町だったわけで、漁業権を放棄した住民がどのような気質で、現在、どのような生活をされているのかも学んだ。

  

浦安市の前身は浦安町で、浦安町役場というものがあって、浦安町議会があったわけだ。

 

文献や写真によって街の変化を知ることはあっても、リアルな話を耳にする機会は滅多にないので、非常に興味深い。

 

特に、過去の浦安では、行政や議会に対する市民、いや、町民の期待や関心が高かったようだ。

 

なぜ、ここまでシビアだったのかというと、色々と町の変化が大きかったので、住民が町に対してきちんと意見を伝える必要があったと。

 

あまり裕福とは思えない漁師町からスタートした浦安は、その後、埋め立てによって街が発展し、日本トップクラスの財政力を持つまでに至った。

 

しかし、街の急激な発展の中で追い付かなかった気がする部分があって、街並みどころか、市民のフィーリングさえ違ったりもする。

 

それが浦安の良さでもあるし、気持ちを一つに重ね合わせることが難しい理由なのかなと思ったりもする。

 

街づくりと一言で表現しても、色々な意見があることだろう。

 

自分の場合には、良質の住宅、きちんと整備された道路や公園、不便のないスーパーマーケットや商店、治安の維持、学校や保育園、交通網など、生活する上で必要となる要素をがっちりと固めることが大切だと思う。

 

アウトカムが明確ではないプロモーションや施設、サービスに公的予算を投入することは必ずしも重要ではなくて、地味だけれど不便のない街を維持するだけで、この街には人が集まってくると思う。

  

そして、安心して人々が生活する上で欠かせない存在がある。

 

医療だ。

 

なぜなのか分からないのだけれど、浦安に住んでいて感じることがある。

 

医療というものはあって当然だと考えているわけではないと思うけれど、ここまで優秀な医師の先生方が市民の健康を守ってくださっているのに、感謝している人が少ない気がする。

 

この街では、こんな施設をつくってほしいとか、こんなサービスがほしいとか、そういった意見はたくさんある。

 

この街には、こんなに魅力的な場所があるとか、こんなに素敵なお店があるとか、そういった情報はたくさんある。

 

しかし、ここまで有り難い医療の現状を、市民の皆様はどれくらい理解できているのだろうか。

 

これが普通だと感じてはいないだろうか。

 

ここまで人口密度の高い街で医療機関が減ってしまったら、市民の生活はどうなってしまうのか。

 

その存在の大切さは、実際に失ってから分かることだろう。

 

移転へのカウントダウンが始まった。

 

残された時間は、あとわずか。

 

残されたチャンスは、あとわずか。

 

大切な、本当に大切な存在。

 

このままでは、本当にこの街を去ってしまう。

   

この街にはたくさんの魅力があり、大きな活気があるけれど、フワフワした勢いを、自分は感じる。

  

同時に、自分はこの街が気に入っているけれど、必ずしも浦安のファンになりきれない理由が、それなんじゃないだろうか。

 

とはいえ、自分がそんなことを考えたところで、変わらないことだろう。

 

思いっきり後ろ向きになっていた時、心配した人たちから結構な数のメッセージが届いた。

 

市内の人たちではなくて、日本全国の保護者の皆さんだった。

 

「疲れた父親で検索してくださいよ。私は父親であることに疲れて、あなたの記事を読んで元気になりました!」とか。

 

「子供がシラミをもらってきて、育児に追い詰まっていたこともあって、深夜に泣きながらサイトを見て励まされました!」とか。

 

「ベランダプール、とってもよいアイデアですね。うちの子どもたちは喜んでいて、親子の楽しい思い出になりました!」とか。

 

「僕もロードバイクを始めてみたいと思います。ロードバイクの記事、もっと書いてくださいよ!」とか。

 

つまり、自分としては浦安という街の父親の子育てについて書いていたつもりだったけれど、3年間もブログを続けてきた結果として見えた方向性というのは、浦安というローカルな話ではなかったのかもしれない。

  

このサイトを通じて、浦安市内のたくさんの人たちと出会ったけれど、同時に、このサイトを運営していなければ知ることもなかったはずの街の現状や背景について知ることになった。

 

そうか、自分がブログを書いていて少しずつ減っていたモチベーションというのは、浦安という枠があったからなのかもしれない。

 

アクセス数が高い記事が必ずしも重要な記事だとは思えないけれど、父親が父親として生きていく中での葛藤であるとか、そういったディープな心の中を文章にしていこうか。

 

特に、ロードバイクの話については、情報を求めている人たちの方向性が他の自転車ブログと違っている気がする。

 

もう少し掘り下げてみよう。

 

それと、実際に住んでみると、日の出地区というのは、とても住み心地が良くて安心できる。

 

住んでいる人たちも素晴らしい。激しい人や熱い人も多いけれど、シットリとした村社会的な人間関係がなくて実に爽快だ。

 

特に、「浦安に引っ越そうと考えています。日の出小学校はイジメが少ないというのは本当ですか? どうしてなんですか?」という問い合わせがあったりもして、そういった情報が求められているのだろうか。

 

浦安のプロモーションをやるつもりはないけれど、日の出地区のプロモーションならやってみよう。

  

それと、「文章が長すぎるから更新が遅くなるんですよ。読んでいて疲れますよ。もっと小刻みに書いたらどうでしょう?」というアドバイスがあった。

 

確かにそうだ。

 

もう少し短くしてみよう。