全国のロードバイク乗りが驚きそうな自宅から数分の浦安新町周回サイクリングコースを走りながら、父親の心の疲れや煩悩を消し去る術を考える

 

2017年5月14日

  

「ストレス社会の現代、わたしたちは、、、」というフレーズを耳にする。

 

平成生まれの人たちの感覚だと、いかにも最近の社会はストレスが多いという感じに受け取られるかもしれない。

 

ただ、四十路になって今までを振り返ると、数十年前から同じようなフレーズを耳にしていた気がする。

 

大昔から、人々は自分たちの心身の健康を保ち、より穏やかに、より幸せに生活することを望んできたことだろう。

 

安定的に食料を確保し、清潔な環境を整え、病気を予防したり治療する術を身につけ、無駄な争いを避けるために社会であり教育といったシステムを構築して。

 

日本の場合、心と体の健康という点で考えると、体の健康についてはかなり充実した状態になってきたと思う。

 

自分が子供だった頃と比べてもずっと良くなってきたと実感する。

 

しかし、心の健康について考えると、確かに「ストレス社会」という言葉がより当てはまる感じになってきたかなと感じる。

 

特に、ネットの発達に人の心が追いついていなくて、利便性よりも疲労を感じる世の中になってきた。

 

そういえば、攻殻機動隊というアニメは、元々は漫画が原作になっていて、人々が脳内にコンピューターを埋め込んで自在にネットに接続できるという近未来の社会が舞台だ。

 

この原作が世に出たのは、スマートフォンのような携帯端末が開発されるずっと前の頃だった。

 

あの頃と今を比べて、便利になったなと感じることもあるし、面倒だな疲れるなと感じることもある。

 

そして、脳にコンピューターを埋め込まなくても、掌にコンピューターを持ってネットに接続しうる時代になった。

 

確かに便利なのだけれど、疲れる時代になった。

 

自由自在にネットに接続できる時代が来れば、多くの人がたくさんの情報と接して、より複雑で高度な知的生活が展開されるのかなと想像していた。

 

では、携帯端末で自由自在にネットに接続できる時代になって、どうなったか。

 

通勤電車に乗れば分かるけれど、スマートフォンにアプリをインストールして、単純なゲームに熱中していたり、ラインやツイッターで一生懸命に情報を伝えていたり。

 

耳にヘッドホンをつけて、前も見ずにネット動画を見ていたり。

  

そして、駅から出れば自転車に乗ってポケモンを探す人たち。

 

車内で単行本を持って小説を読んでいる人とか、レトロな感じの詰め将棋を解いている人とか、駅の乗り換えで真っ直ぐに前を見つめてきちんと歩いている人が格好良く見える。

 

電車の話を続ける。

 

昔も今も、首都圏の通勤電車は非常に混み合う。

 

自分が子供の頃、まさか、自分が将来、あのような苦しみの中で職場に通うとは思ってもみなかった。

 

就職して、都内に居を構え、電車通勤の苦しみを出来る限り避けた。

 

ここまでは大丈夫だった。

 

そして、千葉県出身の妻と都内で生活し、職場から遠くない場所に居を構えた。

 

ここまでも大丈夫だった。

 

しかし、子供が出来て、妻の実家が近い浦安に引っ越すことになった。

 

妻本人も実家の近くでの子育てを希望していたし、義実家としては大切な家族である娘が結婚して、親と離れて生活することを寂しがっていたりもした。

 

都内で妻と新婚生活を始めた時に一番困惑したのは、妻の母親、つまり義母が毎晩のように妻の携帯に電話をかけて来ることだった。

 

その時間は、夜9時頃。

 

その後、夫婦で甘い時間を過ごそうにも、マイペースで押してくる義母の顔が頭の中でフラッシュバックして萎えた。

 

義母が新婚世帯に無粋なことをしていて、必ずしも子離れできていないと受け取られる行為を続けているのに、どうして義父は止めないのだと思った。

 

あとで分かったのだけれど、義実家では、その主導権を義母が握っているような状態だった。

  

とはいえ、そんなに一緒に生活したいのならと、男気を見せたつもりで、長時間の通勤を我慢して浦安に引っ越した。

 

千葉県出身の女性と結婚した男性にとって、よくある人生のパターンだと思う。

 

浦安に引っ越して、大嫌いな長時間の電車通勤に耐えることになった。

 

浦安に引っ越したことを後悔した。

 

この先、自分は定年退職までこの生活を続けて磨り減るのかと。

 

義父母は、これくらいの通勤は普通だと言っていたけれど、自分にとってはすでに限界を超えている。

 

浦安に引っ越してきて、眉間の皺が取れなくなった。

 

毎日、毎日、しかめっ面をして長距離通勤に耐えているから。

 

自分はこう見えて神経質なので、知らない人と接触することが苦手だ。

 

ドアが閉まりかけているのに、混み合った車内に駆け込んできて、荒い鼻息を轟かせながら、「すみません」とも言わずに背中でグイグイ押し込んでくる中年男性がやってきたりすると、耐え難いストレスを感じる。

 

スマートフォンを持って、ヘッドホンを付けて、見ざる聞かざる状態で駅構内を歩いている人の後ろにいると、もの凄いストレスを感じる。

 

妊婦さんやお年寄りが立っているのに、優先席で眠ったふりをする人たち。

 

他者のことなんて全く考えていなくて、常に自分本位なのか、通勤が辛すぎて敢えて自分本位になってしまっているのか。

 

自分にとって、一番辛いのは、人身事故が起きた時だ。

 

自分は、電車の中でそういった情報を知ったら、静かに目を閉じて、沈思黙考する癖がある。

 

さぞかし辛かったことだろう、寂しかったことだろう、どうすれば救えたのか。

 

しかし、ツイッターで流れる人間の内面というのは、驚く程に冷たい。

 

「大丈夫だろうか、無事であってほしい」なんてツイートする人は希有だ。

 

人が一人、電車に飛び込んで亡くなっているかもしれないのに、「なんだよ、会社に遅れるじゃないかよ」とツイートする人たち。

 

一度でも死と向き合った人なら、こんなツイートを発信できないかもしれない。

 

人というのは、自分に関係のない他人の死に対して冷酷になることがある。

 

人類の歴史において、そういった無関心さが招いた悲劇は数知れない。

 

それでも、たった一人の命を救うため、身を削って頑張っている人たちもいる。

  

冷酷に感じるツイートを発信している人たちだって、いつ自分がその立場になるのか分からない。

 

そういった人たちのことだって、身を削って助ける人たちがいる。

 

いくら他者の迷惑だと感じても、人の命は重い。

 

たった一人の命を救うことだって、とても大変なことなんだ。

 

人の命を軽んじるようなネットの発信はやめよう。

 

そういった風潮の中で孤立して、希望を持てなくなって命を絶つのかもしれないのだから。

 

ということで、こんなに感受性が高くて電車通勤が苦手な自分だけれど、子供が小さな頃は「よし、父ちゃん、頑張るぞ」的なスイッチが入った。

 

今、そのスイッチをどこかに落としたようで、見つからずにいる。

 

浦安に引っ越して来た頃、妻は「実家の近くに引っ越してくれて、ありがとう!」と感謝してくれた。

 

その感謝が続いたのは、引っ越して3ヶ月間くらいだった。

 

3年も経つと、「他のお父さんたちだって、往復3時間の通勤なんて普通でしょ?」と。

 

浦安に引っ越して来た頃、妻の実家の義父母は「孫が近くにいて嬉しいよ! 子育てをサポートするから、言ってくださいね!」と感謝していた。

 

その感謝が続いたのは、引っ越して半年間くらいだった。

   

そのうち、妻と義実家の一族がLINEでグループを作り始めた。

 

自分はグループに入っていないどころか、その存在すら知らなかった。

 

自分が知らないのに、自分の世帯のことが義実家に伝わっていたりする。

 

故郷から遠く離れた浦安で、ボッチ感が半端ない。

 

よくある話だと思う。

 

その家には、その家のやり方というものがある。

 

その家で育った妻にとっては普通のことでも、夫にとっては温度差を感じてしまうことがあってもおかしくない。

 

その昔、女性が嫁入りして、「フツツカモノデスガ、、、」という形だったかもしれないが、今は逆なのかもしれない。

  

サザエさんに出てくるマスオが鋼のように強靱なメンタルタフネスの持ち主であり、波平やフネが神レベルの義実家だということを、父親になってから悟った。

 

義実家が近くにあれば、たまに子供を義実家に預けて、妻と二人で、土曜日の夜に映画でも見に行きたいなと思っていた。

 

夫婦でのんびりと食事して、温泉に入ろうとか。

 

その考えは甘かった。

 

マックスコーヒーよりも甘かった。

 

義父母によるそういった心遣いは一度もない。

 

気が利かない義実家だなと思うけれど、それも仕方がない。

 

やはり義実家の近くに住まなかった方が良かったと思うことがある。

 

自分が、休日に育児や家事で必死になり、ヘトヘトに疲れた日の夕方、何も手伝ってくれなかった義父母たちが、笑顔で「どこどこに行ってきたよー♪」と、アポ無しで自宅に押しかけてきた時には、仏頂面で彼らを迎える。

 

世帯にもよるのだろうけれど、自分が築いた家庭に他者がやってくる感じがする。

    

しかし、自分の夫婦が仕事に行っている時に熱を出したとか、どうしても外せない出張があるとか、そういった時には義実家が助けてくれる時がある。

 

それはとても有り難いことだ。

 

しかし、妻の実家が近いというストレスはやはりあって、たまに「この状態のまま、自分は義父母の介護までやるのか? 」という恨み節が、疲れた時に心の中に降ってくる。

 

夫が、義父母に対する不満を口に出せば、実家の近くに住む妻としては、「そうね、、、色々と気を遣うわよね」と、夫に理解を示してくれると思うかもしれない。

 

甘い。

 

マックスコーヒーよりも甘い。

 

そういった場合、妻というのは往々にして実家の味方になる。

 

夫としては完全アウェイだ。

 

よくある話だと思う。

 

「妻の実家の近くに住む」というキーワードでネット検索すると、「うつ」であったり、「離婚」に関連したページが並ぶ。

 

それでも、出会った頃、もしくは新婚の頃の妻であれば、大した苦労でもない。

  

ところが、一人目を産み育て、二人目を産み育て、、、と順調に子育てをやっていると、外見は変わらないのに、中身が別人になってしまった感がなくもない。

 

それは父親になると普通に経験することで、子育てというのはそれくらいのパワーがないとやっていけない。

 

しかし、最近では、結婚すること、子育てをすること、そういったことについてのネガティブな情報がネットで流れていて、結婚して父親になることに後ろ向きになってしまう男性が増えたようだ。

  

実際に子育てをしていると、もの凄いストレスを感じるわけで、夫婦喧嘩がエスカレートすれば、どの世帯だってクライシスがやってくるんじゃないかと思う程だ。

 

しかも、父親が家事や育児をやろうという世の中になってきた。

 

それは大切なことなのだけれど、社会が追いついていない。

  

父親の意識の変化も大切だけれど、職場が変わらないと無理だろと。

 

コスト削減を目指して、いざ人材まで削ってしまうと、仕事の量は変わらなくて、人手が足りなくなる。

 

ワークライフバランスとは逆の方向に行ってしまいかねない。

  

上を向いて歩くのは大切だけれど、上を向いて働く人が出世する世の中では、現場が消耗してしまう。

  

仕事と家庭の間で、心が押し潰されそうになっている父親は日本中にたくさんいるはずだ。

 


 

では、四十路の父親にとって、「心が疲れた状態とは何か?」を考える。

 

たくさんありすぎて、カテゴリー分けは難しい。

 

一般論として、人が悩むことというのは、人間関係、お金、健康の3つだと思う。

 

裏を返せば、それらが全て充たされている状態というのが、幸せな生活ということなんじゃないかと。

 

しかし、どんなに成功しているように見える人だって、何かの悩みを持っていたりもするし、人の幸せというのは必ずしも富や名誉ではないことに気付く。

 

父親の心の疲れが限界に達した状態というのは、家族にとって影響が出るので気になる。

 

一つは、うつやパニック障害、その他のメンタルな疾患だ。

 

そのような病気にならないようにすること、もしくはそういった病気になっても、できるだけ負荷なく、早い段階で症状を改善させることが大切なのだけれど、心の中というのは、脳の仕組みという話になるわけで、それを完全に解明することは容易ではない。

 

仕事関係のストレスが引き金になることが多くて、苛烈な毎日の中で脳が疲れてしまうのだろう。

 

もう一つ、多くの父親たちが感じていることだけれど、声を大にして言えないことがある。

  

それは、夫婦関係での悩みだと思う。

  

下ネタではなくて、浦安には、飛行機に乗って国際的な舞台で活躍している父親はたくさんいて、真面目に夫婦生活について議論したことがあった。

 

例えば、欧米では、国によって違うけれど、子供が産まれて育ってくると、早々に子供部屋を用意して、あくまで子供は子供、夫婦は夫婦という形で就寝することが普通なのだそうだ。

 

まあ、欧米の離婚率だって結構高い訳で、何もかも欧米を見習おうという話ではないけれど、夫婦関係を考えると大切なことに気付く。

 

一方、日本の場合、特に首都圏の核家族の場合には、普通は子供を間に挟んで川の字で添い寝したり、同じ部屋にベッドを置いたりして、子供と夫婦が同じ空間で眠ることが多いことだろう。

 

男性のメンタルというのはデリケートな部分があって、普段の子育ての中で妻からハードヒットを受け続けたり、夫の育児や家事が足りないことを不満に感じた妻が常にイライラしていたり怒っていたりすると、夫が妻を女性として見ることができなくなって、夜の営み以前の話として、妻への愛情が減ってしまうのかもしれない。

  

他方、女性から見ても、子育て中は非常に忙しくて、夫の面倒まで見ている余裕はないとか、出産前はもっと優しくて気遣いができたはずなのにと、夫への愛情が減ってしまうのかもしれない。

 

気がつくと「あれ? 一緒に手を繋いで町を歩いたのはいつだったっけ?」という形になりかねない。

  

そして、あまり露骨に表現するとよろしくないので、自分なりに芸術的もしくは文学的に表現すると、「ペイズリー柄の憂鬱」という感じの父親的なフラストレーションが蓄積するのかもしれない。

 

最近では、妻からハードヒットを受け続けたり、妻への愛情が減ってきて口喧嘩ばかりになったりして、結果、家庭に居場所がなくなり、帰宅すること自体が辛くなる「帰宅恐怖症」という言葉を耳にする。

 

これは正式な精神疾患ではなくて、軽度のうつ症状になっていることもあるそうだ。

 

夫が育児や家事を担うことが美徳とされる現在、その流れとは逆行するような話だけれど、父親の3割が帰宅恐怖症の気があるというマスコミの報道があって、いつか来ると思っていた揺り戻しなのだろうか。

 

そこから夫婦別居というトラックに進むと、離婚というクライシスが思ったよりも身近に感じられる。

 

もしくは、普通に仲の良い夫婦に見えていても、実は夫婦関係としてはすでに冷め切ってしまっていて、夫に不満が蓄積していて、そこに現れた他の女性のことを好きになってしまい、一線を越えてしまうこともあるようだ。

  

そういったペイズリー柄の憂鬱というのは、本来は生物として子孫を残すために男性の脳にプログラムされた、大切な本能なのかもしれないけれど、それを律することで家庭であり、社会が成立する。

 

ところが、社会的に成功したような父親であっても一線を越えてしまうことがあるようで、そう考えると、もの凄く強力なプログラムかもしれないと感じる。

 

他方、子育てに入った母親が、夫に対してハードに当たるという傾向も、もしかして脳にプログラムされたことなんじゃないかと思ったりもする。

 

夫婦の仲が良いのは素晴らしいことだけれど、熱々の状態で子供を立て続けに産み続けたら、食料や教育に費やすリソースが枯渇してしまう。

 

ある程度のところで子作りを止めて、そこからは子供たちを守るライフスタイルに軌道修正する必要がある。

 

その形を受け入れない、もしくは理解しようとしない男性に対して、女性が距離を保つというのは想像以上にリーズナブルなことだと、妻からハードヒットを受けながら思った。

 

ところが、四十路の父親というのは、若い人たちから見るとオジサンなわけだけれど、若い人たちと比べて経験豊富で奥行きがあってガツガツしていないので、思ったよりも人気があったりする。

 

自分は浮気をしたことがないのだけれど、ふむふむ、不倫という行動が生じる背景というのはそういうことなのかと、四十路になってから達観した。

  

なにせ、浮気調査がビジネスになっているようなご時世だ。そのニーズがあるということは、そのような事象があるという意味だろう。

  

それと、通勤電車の中で男性が痴漢や盗撮を疑われて、どこかに連れて行かれたという話を耳にする。

 

なぜにそのような行為をやるのか理解できない。

 

訳が分からない。

 

何を求めていたのか。

 

男の心の奥底に澱むペイズリー柄の憂鬱が異常な状態にまで膨れあがって自身が飲み込まれ、もはや正常な判断もつかない状態になったのか。

 

だとしたら、そのきっかけは何だ?

 

被害を受けた女性の痛みは大きい。

 

文化的かつ社会的な営みが高等生物としての人間の行為であるとするならば、男という生き物が一線を越えて本能で動くような状態に戻ってしまったかのような、そして何かの歯止めがなくなってしまったような無秩序さを感じる。

 

父親の場合、夫婦関係が良好で、性的に満足する状況ならばそういった一線を越えるリスクが少ないのではないかということを妻に相談したところ、「いや、それは犯罪なので、夫のフラストレーションだとか、夫婦関係とかは関係ない」という強烈な返事があった。

 

それもそうなのだけれど、言いたいことはそうではない。

 

何も関係のない女性に対してそういった行為をするから問題になるのであって、妻に自分の性癖を説明し、お互いに同意した上で夫婦で行えばよいではないかと説明したわけだ。

 

しかし、妻としてはそういった話ではないと、一向に聞き入れられない。

 

おそらく議論が平行線になるので、それ以上の会話をやめた。

 

さて、父親をやっていると、とかく色々な精神的ストレスがあって、それでも父親として生きていくしかないわけだ。

 

しかも、追い詰まってメンタルを痛めたら、家庭が傾くかもしれない。

 

夫婦仲が冷め切ってしまって浮気をしても、家庭が傾くかもしれない。

 

性的な犯罪は論外だ。

 

そう考えると、夫婦で連れ添って、子供を育てて、親を来世に見送って、孫の顔を見てから散るという、若い頃に平凡だと思った父親の人生というのは、実はすごく大変なことなんじゃないかと思ったりする。

  

では、父親の心の疲れを取り、メンタルを維持する秘訣とは何だろう。

 

そんな秘訣があれば、自分が教わりたいくらいだ。

 

しかし、サイクリストなら一度は目にした、もしくは耳にした言葉がある。

 

「トラック一杯の薬より、一台の自転車」

  

まとめサイトやアフィリエイトサイトにおいては、この言葉はドイツの諺だという記事をたくさん見かける。

 

最近のネットでは、どこかからネタを引用しただけの薄い記事が多くて、そういった記事を量産しているのは、、、これ以上はやめておく。

 

この言葉について、ドイツの人に尋ねたところ「え? 何それ知らない。ドイツは自転車専用道路が整っているし、家族でサイクリングに行く人が多いけどね。オランダの諺じゃないの?」という答えが返ってきた。

 

ということで、オランダの人に同じことを尋ねたところ「うーん、オランダはサイクリングが盛んで、健康のために乗っている人が多いけれど、ドイツの諺じゃないの?」という答えが返ってきた。

 

「ドイツんだ? オランダ」的な展開になった。

 

必ずしも自転車道が整っているとは思えない日本において、この言葉が広がったことはとても興味深い。

 

そういえば、とある日のこと、知り合いと一緒にサイクリングに出かけて「ロードバイクは、ウツに効果があるのか?」というテーマの話をしたことがある。

 

ネット上にも、ロードバイクによるサイクリングがメンタルヘルスの維持や改善に効果があるといった記事が散見される。

 

その会話では、「うつに効果があるかどうかについては分からない。けれど、ストレス解消には最高だよね」という結論になった。

 

全く眠ることができず、自宅からも出られない状態では、ロードバイクに乗る以前の話になるはずだ。

 

医師の診療を受けて、カウンセリングや必要に応じた投薬等によって症状が緩和し、生活のスタイルを変化させたり、気晴らしがほしいという段階になったなら、ロードバイクは有用かもしれないけれど。

 

同じサイクリングでも、ロードバイクに乗った場合と、マウンテンバイクに乗った場合ではスピード感や地面の感触、ライドのフォーム、その他、色々と違う。

 

ロードバイクの場合には、抜群のスピード感があって、車道で転んだら大怪我をするという恐怖もある。

 

落車するとあり得ないくらいに痛くて、可能な限り回避することが大切だけれど、その恐怖を感じると、自分が、今、生きていることを実感する。

 

また、メンタルな疾患とは別の話で、先ほどのペイズリー柄の憂鬱についての効果は分からないけれど、ロードバイクのライドで走って帰ってくると、仕事や家庭のストレスを含めたフラストレーションは軽減される気がする。

 

しかし、地方ならともかく、首都圏の場合にはサイクリングに出かける場所も限られてくる。

 

中級や上級のライダーなら、トラックが走る車道を疾走することができたりするけれど、ロードバイクを始めたばかりの初心者の場合には、ライド自体が怖かったりする。

 

また、独身時代や新婚時代にロードバイクに乗っていたけれど、育児に入ってロードバイクをやめてしまう人が珍しくない。

 

真面目に育児と家事をやっていると、ロードバイクのライドに出かけている余裕はない、もしくは妻からハードヒットを受けることもある。

  

せっかくの休日で、絶好の天候なのに、家族で買い物に行って、夕方に帰ってきたり。

 

ただ、新町エリアの人でもあまり知らないかもしれないが、浦安の場合には初心者でも気楽に走ることができるサイクリングコースがある。

 

しかも、自宅から少し走るだけで到着するし、浦安市内は街灯がたくさん設置されていて、夜でも明るい。

 

ナイトライディングさえ可能なのだけれど、あまり知られていない。

 

他の自治体のロードバイク乗りが見たら、たぶん驚くかもしれない。 

 

その前に、疲れた父親モードから抜け出たい。

 

彼にお力をお借りしよう。

 

父親の心の疲れや煩悩さえ吹き飛ばし、浦安市内の気温が2℃くらい上がるくらいの勢いだ。

 

この曲を聴いてからサイクリングコースに行くと、頭の中でずっと曲が流れっぱなしになって、アップテンポで走ることができるので、ぜひお勧めしたい。

 

松岡さんには、次回の後編でさらにお力をお借りすることにして、今回はコースをザッとまとめる。

 

周回コースを走っている時に、たまに撮影した写真を並べていくので、天気や風景が異なる。

 

それと、ルートをネットで公開すると市外からロードバイク乗りがやってきて、市民に対して迷惑になるかもしれないので、ルートは公開しない。

 

ただ、コース自体が奥まったところにあるし、ディズニー周回コースの方が楽しいので、 市外からわざわざやって来ることもないことだろう。

 

念のため、浦安市内に住んでいる人なら分かる書き方で行く。

 

自分が住んでいる新町エリアの日の出地区からシンボルロードを少し走ると、数分でこの交差点に到着する。

 

ここが自分なりに、浦安新町の周回コースのスタート地点になる。

 

おそらくなのだけれど、浦安市が本気になってクリテリウムレースを開催すると、日本トップクラスのコースになるかもしれない。

 

様々なクリテリウムコースでは、周回とはいえ直線的な折り返しばかりだったり、複雑にコースがクロスしていて走りにくかったりする。

 

しかし、浦安新町の周回コースは、本当にクルクルと一周して、5 kmくらいの距離を確保できる。

 

しかも、路面が綺麗で、一直線。

 

夜さえも走ることができる。

 

たぶん、全国のロードバイク乗りがびっくりするかもしれない。

 

言葉で説明するよりも写真で示した方が早い。

 

スタート地点を左折する。

 

ちなみに、浦安の新町エリアというのは、平日の朝夕には猛烈に混み合う。

 

なので、ロードバイクトレーニングやサイクリングには向かない。

 

土日や夜間は空いている。

 

また、言うまでもなく、サイクリングには危険が伴う。このコースを走って事故に遭っても責任は取らない。

 

市民の迷惑になるような行為は厳に慎みたい。

  

他の自治体だと信じられないかもしれないが、左側の車道みたいなレーンは、実は歩道だったりする。

 

そして、見ての通り、ずっと向こうまで眺めると点になってしまうくらいの一直線の車道が続いている。

 

ロードバイクの場合、車道を走る。

 

浦安の新町エリアは埋め立て地なので、起伏がない。

 

しかし、境川にかかる橋に起伏があるので、少しのアクセントになる。

 

そして、橋の上から向こう側を眺める。

 

ずっと、一直線の道路。

 

埋め立て地だからこそ、こんなに綺麗な道路が出来上がるのだろう。

 

スタート地点を振り返る。

 

こんなコースが身近にあるのに、サイクリングをしないのはもったいない。

 

この周回コースの場合には、赤色の向きで左回りで走ることをお勧めする。

 

青色の逆方向、つまり右回りで走ると、路面がうなっていて、タイヤを持って行かれてバランスを崩し、落車するリスクがある。

 

反対方向の車道では、近くの鉄鋼団地から大型車が走ってくることが多く、アスファルトを敷いた後で、大型車の車重によって路面が歪んだのかもしれない。

 

鉄鋼団地の組合としては安全面について頑張ってくださっているけれど、この団地に出入りしている大型車によって、何人もの浦安市民が命を奪われている。

  

橋の上から海を眺めると、このように綺麗な光景が広がっている。

 

 

橋の上から、しばらくの間、緩やかな下りの一直線が続く。

 

クリテリウムレースがあると、熾烈なデッドヒートで盛り上がる箇所かもしれない。

 

ただし、スピードが出過ぎてしまうので、安全第一の走行を心がけたい。

 

そして、鉄鋼団地に入る直前の交差点を左に曲がる。

 

ここから先は路面にデコボコがあって、自転車で走るような状態ではない。

 

緑色でマークしてる「西山鋼業 浦安第2工場」が目印となる。

 

繰り返すけれど、ここで左折せずに鉄鋼団地に向かってまっすぐ走って行くと、路面に突起がたくさん出ていてサイクリングどころの話ではない。

 

先ほどの交差点を左折すると、またもや一直線の道路が続いている。

 

今、立っているのは車道ではなくて歩道。

 

他の自治体の人たちから見たら、ありえない広さだと思う。 

 

そして、左カーブを曲がって、浦安南高校の前を通る。

 

このコースで、この箇所だけが見通しが悪いので注意したい。

 

車道を走っている分には問題なく走ることができるが、歩道が急激に狭くなっている。

 

市議会議員は何をやっているのだと思いはしないが、この程度の歩道の不具合というのは、浦安市役所が自分たちで気付いて工事すればいいのにと思う。

 

反対側から見るとこんな感じ。

 

 とても美しいカーブがある橋を渡る。

 

しつこいようだけれど、左側の道路は歩道で、ランナーがよく走っている。

 

ロードバイクは車道を走る乗り物なので、歩道ではなくて、右側の車道を走る。

 

歩道にも自転車マークがあるけれど、ロードバイクではなくて、一般の自転車だ。

 

ローディは、プライドにかけても車道を走るべきだ。

 

新町エリアの皆さん、もしもロードバイク乗りが歩道を走っていたら、「あんた、それでも、ローディなの!? 初心者なの!?」と、注意してあげてほしい。

 

橋の上から海が見える。

 

首都圏のサイクリングの周回コースで、水平線を眺めることができるのは素晴らしい。

 

そして、橋の上からまたもや一直線の道路を走っていく。

 

途中で信号機がない交差点があるので注意したい。

 

疲れた時には、横断歩道から右に入っていくと、、、

 

総合公園がある。

 

自販機やトイレ、売店がある。

 

ただし、総合公園にはロードバイク乗りにとって不満がある。

 

それは、スポーツ自転車のサドルを引っ掛けるためのスタンドがないこと。

  

自販機で飲料を買う時くらい、どこかに立てかけておけば済むことだろうけれど。

 

総合公園で休憩しない場合には、そのまま直進する。

 

繰り返しになるが、信号機のない交差点があるので注意したい。

 

左折して周回コースに入る。

 

そして、一直線のシンボルロードの車道を走る。

 

シンボルロードの歩道は多くの方々が通行されているので、ロードバイクで歩道を走るなんて、言語道断だ。

 

ローディは、プライドにかけて車道を走る。

 

そして、スタート地点に戻る。

 

このコースは、一人で走っていると暇なので、できれば数人で走ることをお勧めしたい。 

 

ちなみに、自分は長時間の電車通勤があまりに辛すぎたので、半ばヤケクソになって、職場と妻に対して「もう嫌だ! 自転車で都内の職場に通うぞ!」と伝えた。

 

すると、「え? 自転車通勤? 別にいいけど何か?」と、あっさりとOKが出てしまった。

 

肩すかしを食ったというか、もっと早く自転車通勤にしておけばよかった。

 

なので、休日や夜間にこの周回コースを走ることがなくなった。

 

なぜなら、通勤でほとんど毎日、ロードバイクのライドに行っているような状態だから。

 

サイクリストにとって、ちょうど良い距離を毎日走るので、「浦安、サイコー!」という気持ちになる。

 

通勤中に交通事故に遭うかもしれないし、遭わないように注意するけれど、長時間の電車通勤を続けていたら、心が崩れるかもしれないし。

 

ああ、それと、ランニングもそうだと思うけれど、あまりにロードバイクで走りすぎると、ペイズリー柄の憂鬱がほとんど吹き飛んでしまう気がする。

 

長時間のサイクリングによって男性ホルモンであるテストステロンの値が減少するというのは、科学的に知られていて、そのような関係なのかなと思ったりする。

 

となると、二人目、三人目のお子さんをお考えのお父さんたちは、あまりロードバイクに熱中するのは、よろしくないかもしれない。

 

もとい、ロードバイクに乗ると、お腹が空いて、夜もサクッと眠ってしまう。

 

真面目にサイクリングを続けていると、体脂肪が減って、引き締まった体になり、真っ黒に日焼けして、いかにも元気な状態になる。

 

父親の心の安定のためには、仕事と家庭の他に何かが必要で、それが自転車なのだから、なんと健康的だと思う。

  

他のスポーツよりもお金がかかるけれど、小遣いを自転車に使ってしまうので、余計なことに使わなくて済む。

 

常にお小遣いに困っている状況になるので、夜遊びだとか浮気を考える余裕は全くない。

 

そんなことより、新しいホイールのことで頭が一杯になる。

 

男女ペアでサイクリングに行ったりすれば非常に目立つのですぐにバレる。

 

つまり、サイクリングは浮気防止にもなる。

 

浦安市内で「心が疲れたかな。最近、眠れないな」と感じているお父さんがおられたり、「うちの旦那、ちょっと心が疲れているわね」と感じておられるお母さんがおられたら、ぜひ、サイクリングをお勧めしたい。

 

浦安市は、夜間でも走ることができる素晴らしい周回コースがあって、荒川サイクリングロードと江戸川サイクリングロードに挟まれている。

 

ロードバイク乗りにとって、こんなに素晴らしい環境は珍しいわけだし、乗らないともったいない。