冬の早朝のライドで長渕さんのJEEPを口ずさみながら、僕がどうしてロードバイクに乗るのか、どうして仲間と走りたいのかを考える

 

2017年1月1日

 

休日の早朝、セットしていた枕元の目ざまし時計が鳴って起床する。

 

妻が面倒そうに少しだけ目をあけ、スマートフォンで時間を確認し、二度寝に入る。

 

前夜はあまり寝つきがよくなかったので眠いはずだけれど、なぜか身体が動く。

 

別室に保管しているロードバイクのタイヤに空気を入れ、チェーンにオイルをさし、ディレーラーとブレーキを一通り確認する。

 

最低気温は4℃前後。

 

冷蔵庫の中で自転車に乗るようなものだなと思いながら、ウィンドウブレークタイツと冬用のソックスを身につける。

 

心拍を計測するセンサーを胸に付けて、冷やっとした感覚で眠気が飛ぶ。

 

保温用のインナーシャツを着て、グローブなどを確認する。これだけでも手間がかかって結構面倒くさい。

 

妻子を起こさないように、静かにバイクを玄関に持って行き、ペダルに足を固定するためのビンディングシューズを履く。

 

その上にシューズカバーを装着した後、ウィンドウブレークジャケットを羽織る。

 

玄関から静かにロードバイクを出して、家の前に出る。

 

靴底にペダルに取り付けるためのクリートを装着したビンディングシューズが、コツコツと足音を鳴らす。

 

自分のロードバイクを片手で少し浮かせた後、地面に落として異音や固定状況をチェックする。

 

ロードバイクにまたがった後、両手をブラケットに乗せてしばらく目を閉じる。

 

スポーツ自転車で車道を走るので、一歩間違えると大怪我を引き起こしたり、時に命に関わりかねない。

 

自分の肩には妻子の生活や将来がかかっているので神妙になる。

 

けれど、最近、何かと背負うものが増えて、頭の中が重くなってきた。

 

ロードバイクに乗る理由は人それぞれだと思う。

 

自分の場合には、心身の健康のためにロードバイクに乗る。

 

レースで入賞したいからとか、自転車そのものが好きだからとか、そういったことではなくて、とても現実的な趣味だ。

 

自分は機械いじりやメカが好きなので、フレームにパーツを取り付けて一台のバイクを組み上げてしまったりもするので、そういった趣味の一環でもある。

 

けれど、ロードバイクに乗って混み合った街を抜け、川や海の近くに行き、太陽の光であったり、季節によって温度や香りが変わる風を全身に受けながら走るという行為は、何か理屈を超えたリラックス効果がある。

 

ライドが終わった後の心地良い疲労感も素晴らしい。

 

そういった気持ちを感じるために、自分は行く。

 

とはいえ、共働き世帯で育児をしている父親が自由に使える時間は限られている。

 

子供の世話や習い事の送迎、シーツの洗濯干しや上履き洗い、トイレや風呂の掃除、食材や日用品の買い出しなど、父親がやることはたくさんある。

 

そういったことを楽しそうにサクサクとこなせるお父さんたちは浦安にはたくさん住んでいて、いつも凄いなと思いつつ、満足にこなせていない自分自身に対して後ろ向きな気持ちになったりもする。

 

ジョギングの方が短時間で終わるが、ロードバイクの場合にはライドに時間がかかる。

 

けれど、自分はあまりジョギングが好きではなかったりする。

 

ジョギングにはサイクリングのような疾走感がないし、ホイールやウェアを状況に合わせてチューニングしたり、カーボンと精密機器で組み上がった愛機と出撃するような高揚感も感じられない。

 

また、マラソンの場合には違うのかもしれないけれど、ロードバイクのライドには、ある意味、厭世的な気持ちになって遠い場所に行き、そこから前向きな気持ちになって帰還するという心の変化がある。

 

ロードバイクがメンタルヘルスの維持に効果があるというネット記事が散見されるようになり、実際に効果があるかどうかは分からないけれど、確かに不思議なデトックス感があるような気がする。

 

ということで、通常のライドにおいては、早朝に出発し、昼食の前に自宅に帰ることにしている。

 

冬場なのでまだ太陽が昇っていないけれど、浦安を代表するシンボルロードは真夜中でも煌々と灯りがついていて、明るい。

 

高層ビルが立っていて、電線もほとんどなく、いたるところにヤシの木が生えている浦安市の新町エリア。

 

引っ越してからかなり経ったけれど、未だに新鮮な感覚がある。

  

今日のライドでは、とある理由があって、しばらく新町の道路をクルクルと周回しながら、ブレーキやディレーラーの調子をチェックする。

 

問題なさそうだ。

 

シンボルロードを走って、浦安市の元町エリアに向かう。

 

浦安のシンボルロードを走り続けて、途中で歩道をソロソロと通行し、元町エリアから東京都の葛西方面に向かう。

 

周りが明るみ始め、やっと太陽が昇ってきた。

 

昭和生まれの団塊ジュニアの自分は、日の出を見ると長渕剛さんのJEEPという曲を思い出してしまったりする。

 

当時、まだ少年だった自分には、この曲がどのようなモチーフで生まれたのかは分からなかったし、今でも詳しくは分かっていなかったりもする。

 

けれど、お気に入りの愛車と一緒に遠くに行って、ふと考え事にふけって、気を取り直して前向きになるという感じの曲の内容の中に、当時の自分は大人の男の内面を感じた。

 

大手の自転車販売チェーンの調査だと、日本の多くのお父さんたちが趣味としてロードバイクを始めたいと思っているそうだ。

 

ヒノデダッズムのサイトにも、そういったサイクルライフを送るにはどうしたらいいのかという問い合わせがやってきたりもするし、どうやって奥さんを説得したのかという質問が来ることがあったりもする。

 

彼らの心の中のイメージは人それぞれだろうけれど、ロードバイクに限らず、クロスバイクであったり、小径車であったり、サイクリングに行きたくなる雰囲気を何かで例えると、長渕さんのJEEPという曲と重なることがあるのかなと勝手に思ったりもする。

 

他方、サイクリングロードで知らない人に追い抜かれて、そこから熱くなってスリップストリーム状態でバトルを演じるお父さんたちの頭の中では、頭文字Dのユーロビートが流れている気がする。

 

葛西橋を抜け、荒川の右岸に入り、そこから岩淵水門に向ってペダルを漕ぐ。

 

浦安のローディにとって定番のコースかもしれない。他に記事を書いた気がするのでここでは紹介しない。

 

荒川の河川敷を数人で走る時、「とりあえずイワブチまで行こうか♪」が合言葉になってしまったりもする。

 

岩淵水門にやってきた。

 

浦安市の新町から往復で70kmくらいの地点にある。

 

自販機があるわけでもなく、トイレがあるわけでもなく、ただの水門なのだけれど、なぜか達成感がある。

 

ここから秋ヶ瀬や彩湖をまわってくると100kmライドになる。

 

今日はそのような気分ではないので、岩淵水門から少し走って荒川の左岸に入る。

 

岩淵水門から東京方面を眺めると、隅田川が見える。

 

自分が初めて乗ったのは、クロモリフレームのロードバイクだった。

 

コンポーネントはSORAのグレード、ハンドルに補助ブレーキが付いていて、ホイールはシマノのR500、スポーツ用のサングラスを買う余裕がなくてオーバーグラスを使っていたりもした。

 

サイクリング用のピッチリとしたパンツを履くことが恥ずかしくて、ユニクロのハーフパンツを重ね着していたし、ビンディングペダルではなくてフラットペダルを使っていた。

 

けれど、この光景というのはあの頃からあまり変わっていない気がして、何だか安心する。

 

そして、川べりに腰かけて、ふと考え事にひたる。

 

最近、悩み事がある。

 

浦安に引っ越してきてから、ロードバイク乗りが集まってチームをつくったのだけれど、勢いがなくなって人間関係が冷めてきた。

 

まだチームは続くし、これから持ち直すと思うので名前は伏せる。

 

2年くらい前、自分たちは身近なロードバイク乗りの友達を紹介する形で合流し、一つのチームをつくることにした。

 

最初の半年はSNSでの交流も盛り上がった。

 

これだけ楽しいのだから、チームのウェッブサイトをつくって仲間を増やそうという話になり、自分がサイトをつくってブログを更新した。

 

実際に楽しかったし、楽しそうにしているメンバーの姿を見ていると題材に困ることはなかった。

 

そのサイトを見た人たちがチームに参加してくださって、さらに盛り上がってきた。

 

しかし、1年を越えた頃から、チームの中に微妙な人間関係と方向性のずれが生まれ始めた。

 

詳しくは書かないけれど、ロードバイクに限らず、社会人のスポーツサークルにはよくあることだと思う。

 

それぞれのメンバーはとても面白くて素晴らしい人たちばかりだ。

 

本気でサイクルレースに出ると上位を狙うことができるくらいのアスリートもたくさんいる。

 

草野球チームでも、テニスやフットサルのチームでも、スポーツを楽しみたい人、競技に出たい人、スポーツをきっかけに人間関係を温めたい人、そういったたくさんの志向があるメンバーが同じ集団にいると、運営が難しくなってしまうのだろう。

 

最近では、FacebookやLINE、Twitter、サイボウズといったSNSやネットワークツールが普及して、たくさんの人たちがリアルタイムで繋がることができる世の中になった。

 

しかし、人にはそれぞれの個性や考え方があって当然で、お互いの心の中が見えないからこそ、心の距離があるからこそ大切にできる関係もある。

 

そういったネットツールを使ってしまうと心の中の波がダイレクトに出てしまうし、リアルな関係で少しずつ知り合える情報が一気に流れ込んでくる時もある。

 

それと、チームのビジョンであるとか、リーダーや役員とか、規約とかを明確にしておけば運営が長続きするのかもしれないけれど、逆に自由度や遊び心に制限が出ることもある。

 

できるだけ自由に楽しみたいということで、リーダーもルールも全く決めていなかった。

 

途中から、新メンバーを受け入れることが難しい状態になってしまい、グループライドを呼び掛けても返答がないような状態になってきた。

 

SNSには気まずい空気が漂い始めた。

 

途中から、個別の通信機能を使って各自に連絡を取り合い始め、様々な議論が始まる。

 

この時点でもはや全体での情報共有はできなくなる。

 

おそらくなのだけれど、こういった趣味の集まりには、チームに何があっても踏みとどまって全体を調整するリーダーが必要だと思った。

 

全体を引っ張る絶対的なリーダーというよりも、全体の軋轢を減らして、個々の良さを引き出すようなファシリテーターの要素が欲しい。

 

自分がその必要性に気付いた時、自分がもっと早い段階でリーダーを買って出て、担当しておくべきだと思った。

 

しかし、大した脚力もないし、レースでバリバリやってきたわけでもない。

 

そういった色々なことが気になった。

 

集まってくるメンバーは、おそらく職場でリーダーとして活躍している百戦錬磨の人たちだ。

 

頭の回転が半端ないし、ディスカッションになると非常に強い。

 

しかも、趣味の世界なので、ロードバイク一つをとってみても様々な価値観や楽しみ方がある。

 

数々のロードバイクレースで活躍して入賞したとか、ブルべのスーパーランドナーに認定されたとか、そういった速さやタフさが美徳とされるような競技志向の集団であれば話は別だけれど、そういった集まりでもない。

 

グルメライドが中心のサークルであれば、色々なお店を調べてルートを作成するという、真面目な人がリーダーに向いているだろうけれど、そういった集まりでもない。

 

誰がリーダーになっても運営できるけれど、誰がリーダーになっても苦労することだろう。

 

集団をまとめられるのか、そもそも集団をまとめる必要があるのかと躊躇して、一歩引いてしまった。

 

スポーツというのは身体能力やスキル、経験で優劣がついてしまうものだけれど、趣味のサークル内でのメンバーの発言力においてそういった価値基準はあまり関係ない気がする。

 

しかし、どうしてもそういった基準にこだわって、速い人がカッコいいという雰囲気が漂って、そういった人の声が大きくなってしまう感じがなくもない。

 

趣味の集まりなので、参加するのも参加しないのも自由で、楽しければ参加する、楽しくなければ参加しないという不文律があるし、参加しなかったとしてもデメリットはないわけだ。

 

SNSを使えば仲間なんていつでも集められるという意識が広がっている感がなくもないけれど、人と人のつながりというのは、そういった使い捨てのような形になってはいけないと思うし、そういった関係というのは、仲間と呼べないと思ったりもする。

 

そして、どうして自分がブログでチームを広報するのか、そういった意味さえ分からなくなった。

 

新メンバーをネットで募集するために、チーム紹介を目的としてブログを書くのなら分かる。

 

新メンバーを募集しない状況で、活動内容をネットでアピールすることの意義が分からなくなった。

 

自分たちだけで楽しめばいいじゃないかと。

 

同時に、ブッシュ通知で頻繁にスマートフォンに送られてくるSNSのやり取りに疲れてしまった。

 

明確な目的がある保護者活動であるとか、市民活動であるとか、自治会活動であればSNSも便利かもしれない。

 

そういった集まりであっても、会の目的とか本質とは違う連絡ツールとか、システムとか、情報共有においては必ずといっていいくらい課題になって、結局、会員全体が満足するようなSNSが見つからなかったりもするのだけれど。

 

そりゃそうだと思ったりもする。人というのは声や仕草、表情、その他、たくさんのことでコミュニケーションをとる。

 

声一つをとってみても、その高低、話すスピード、間のとり方、そういった様々なことで伝わり方が違ったりもする。

 

SNSの場合には、頭の中で思っていることがそのままデジタルになって伝わってしまうので、隠そうとしても隠せない性格が出てしまったりもする。文章能力も関係してくる。

 

では、そういったコミュニケーションがその人の本性だと言えるのかというとそうでもなくて、人の心には波があって当然だ。

 

思ったことをテキストにして表現する時に内面が出てくるというけれど、それが本当の姿なんかじゃない。

 

人というのは、姿や表情、生きてきた軌跡、これからのモチベーション、様々なことを総合したものが本当の姿だと信じる。

 

高尚なことを言ってはみたけれど、SNSを使って他愛のない気楽な会話を多人数でやっていると、どうしても好き嫌いが出てきてしまう。

 

良かれと思って投稿した内容でも他者にとっては全く興味がなかったり。

 

このような課題を見つけたから、自分が何とかしたいという意見なら歓迎だけれど、このような課題を見つけたから、誰かが何とかしてくださいという意見が続くと、どうして自分がそんなことをしなくてはいけないのかという雰囲気にもなる。

 

いや、それは違うと言い出せる人は少ないだろうし、そういった反論をすると空気が読めないと思われるかもしれない。

 

結果、スレッドに微妙な違和感が漂う。

 

画面の向こうにはコンピュータープログラムがあるのではなくて、人がいるわけで、しかも会いたければ会える距離にいるわけだ。

 

電話に抵抗があるのなら、携帯メールであるとか、そういった方法がなくもないわけだけれど、それすら抵抗があるとか。

 

特に、必ずしも全体に伝える必要のないメンバーのつぶやきというのは、仲が良ければ楽しいものだけど、人間関係が固まってくると鬱陶しいと感じる人もいる。

 

そして、チームとしてのブログやSNSを担当していたのが自分だったので、毎日がとても大変だった。

 

自分は何かに取り組む時、その意味を求める。

 

ネット広報によって新しいメンバーを迎える意味があるのか、自分たちの取り組みをアピールしたいのか。

 

忙しい毎日の中で、自分が何のためにフェイスブックで活動を更新し続けるのか。

 

最初の頃はメンバーからも喜んでもらえたけれど、それを当然と考えて感謝もしないような状況になると、さすがに厳しい。

 

チーム運営への関心であるとか盛り上がりというのは、どうしても時間とともに下がってきてしまうものだと思う。

 

社会人のスポーツサークルでは、リーダーというよりもファシリテーターになりうるような世話役が必要で、その人はサークルのためというよりも、自分の楽しみのためにボランティアで活動するような形が大切なのかもしれない。

 

けれど、そこまで献身的に世話役に徹するというのは大変で、途中で世話役の心が折れてしまうと、一気に勢いを失ってサークルが閑散としてしまうかもしれない。

 

また、活動が自由であったとしても、そのスポーツを楽しむのか、競技で勝ちたいのか、そういった軸を決めておいた方がよいのかもしれない。

 

時期によってはレースで競って、オフシーズンにはノンビリとグルメライドをしたいという人も出てくるわけで、そういったギャップをどの程度まで許容して調整できるか。

 

最近のネット上では、「うちはレースで勝つためのチームです」と明言しているサークルも多くなってきた。

 

逆に、「競技志向の人はご遠慮ください」というサークルも出てきた。

 

規模が大きなサークルでは、ロングライドやヒルクライム、ポタリングなど、様々なセクションがつくられていたりもする。

 

メンバー同士の関係を固めるために、新規メンバーの募集を停止しているサークルも散見される。

 

「うちのサークルは解散しました」というアナウンスを告知しているサイトもある。

 

サイクリングだけではなくて、フットサル、バドミントン、野球、テニス、バレーボール、その他、たくさんの社会人スポーツサークルのサイトを拝見すると、サークル内での迷惑行為について事細かに禁止事項を記載して、それを守れない人は参加できないというような規約を掲げている場合もある。

 

男女混成のグループの場合には、男女がいるからこその取り決めがあったり。

 

政治的、宗教的、営利的な活動を禁止しますとか、反社会的勢力に関係する人は入会できませんと書かれていたり。

 

金銭のトラブルというのもスポーツサークルではよくあるわけで、会場を借りて行うスポーツの場合には会費のことでもめたりもするらしい。

 

実際にトラブルが起きたのかどうか分からないわけだけれど、サークル運営する立場になって考えると、そういったことはあらかじめきちんとルールとして書いておく必要があるのかなと。

  

メンバーの紹介がないと入会できないサークルまであったりするし、逆に入会も退会もオンラインで手続きできるような非常にドライなサークルまである。

 

それぞれのサークルで色々な課題が出てきて、何とかして活動を維持しようと対応しているのかなと思う。

 

趣味という柱の下に、ネットというツールを活用しながら友達が出来て、お揃いのチームジャージを作ったり、ブログやサイトを立ち上げて、レースにも参加して、途中から情熱が減ってしまったり、メンバー同士の好き嫌いが生まれて、結成から数年で自然消滅もしくは休会状態になってしまうサークルは世の中にたくさんあるのではないだろうか。

 

草野球チームに所属している人から話を聞くと、草野球の場合にはチーム運営において5年くらいで一つの壁があるそうだ。

 

その壁が1~2年でやってくることもあるかもしれないけれど、最初は勢いがあっても、途中から失速してしまい、そのチームを支えようというメンバーがいなくなって、最後は誰も寄り付かなくなるとか。

 

フットサルの場合には数年で壁があるそうだ。

 

そういえば、大学のテニスサークルの場合には、エンジョイ派と競技志向派で意見が分かれて、それぞれ分裂して、さらにそのサークルでエンジョイ派と競技志向派で意見が分かれて、さらにさらに、、、という感じでサークルが次々に増えてしまったりもした。

 

学生の場合にはそうかもしれないけれど、社会人の場合にはお金があるので、サークルを立ち上げて、ユニフォームを買ったり飲み会をやったりしている間に、お互いへの興味や関心が減り、生活スタイルも変わり、気がつくとサークル全体が勢いを失っている感じだろうか。

 

社会人の場合には、とかく生活が大変なので、サークルを分裂させたり新しく立ち上げている余裕がなかったりする。

 

現在では、SNSやブログツールが普及しているので、サークルを立ち上げようと思えば気楽につながって立ち上げることができるのだけれど、本気で運営を継続しようとするとシステムをきちんと考えておく必要があるのかもしれない。

 

サークルを立ち上げて、ユニフォームをつくって、そのサークルが自然消滅して、別のサークルが立ち上がって、ユニフォームをつくって、そのサークルが自然消滅して、、、というサイクルが繰り返された方が、ユニフォームをつくっているお店の方々は経営が助かるし、この国の個人消費や経済にも貢献するかもしれないけれど。

 

常に新メンバーを受け入れている状況の方が活気があるかもしれないけれど、新メンバーの入会によって全体の雰囲気が変わってしまうこともなくはないだろうし、この辺りの調整が非常に大変だと思う。

 

その集まりに対しての関心や思い入れは人それぞれだろうし、特に、ロードバイクの場合には個人スポーツでもある。

 

サガン選手やコンタドール選手といったトップレーサーを応援する人はたくさんいるだろうけれど、彼らが所属するチーム全体を応援する人の割合は少ない気がする。

 

自分は、カヴェンディッシュ選手がスプリント勝負に出る時、直前まで彼の前で走って風圧や集団の衝突から守り、ルートを確保し、歯をくいしばって頑張って、彼の勝利を見届けて喜ぶチームメイトの姿を見て感涙することがあるのだけれど、ほとんどの人はカヴェンディッシュ選手に注目することだろう。

 

自分も含めて、そこまでのスペックが必要とは思えないのに高いロードバイクを買ってしまうというのは、そういった姿に憧れて真似をしたいという少年時代のような純真な気持ちがなくもないわけで、やはり誰だって速く走りたいと思うことだろう。

 

のんびり走ろうとグループライドが始まって、全体の走行速度が上がり始め、いきなりアタックを始める人とか、集団を千切ろうとする人が出てくるのも、トップレーサーの真似をしたいとか、自分の速さを見せたいとか、そういった気持ちの現れではないかと思ったりもする。

 

本当にのんびりと安全走行をしたい人たちにとっては無粋な行為だと思ってしまうだろうし、走っていて楽しくないことだろう。

 

最初にルールを設定していない状態で、そういった人たちが集まるロードバイクサークルがどのような雰囲気になるのかは、深く考えなくても想像がつく。

 

素人のサークルにおいて、その集団を盛り上げたい、支えたいと考える人は少数で、自分にとってメリットがなかったり、面倒であるのならばサークルを見限って離脱したいと考える人が多くても何らおかしくない。

 

その集まりを軽く見ている人にとっては、別にサークルを支える気持ちなんてないわけだし、トラブルを収拾するどころか、自分でトラブルを誘発させることもあるかもしれない。

 

サークルとしてのルールが設定されていないのであれば、それが悪いことだと決めつけることも、トラブルに対応することも難しい。

 

社会人の場合には、結婚や出産、子育て、転職や転勤など、様々な変化が時系列で進んでいく。

 

その中での趣味の形というのも変わってしまって当然なので、そういったたくさんの人たちが集まるサークルにも変化がやってくる。

 

飲み会も楽しいのだけれど、酔った勢いで他の人のプライバシーを詮索してしまったり、自らの主張を前に出してしまって他者を不快にさせてしまったり、人間関係のテンションが張ってしまうリスクもある。

 

一緒に楽しくお酒を飲んだ仲においても、その後、人間関係に亀裂が入ると全く交流がなくなることが珍しくない。

  

逆に考えると、サークルを運営する上で飲み会は必要ではないと思うことさえある。

 

なぜなら、仲良くなるために飲み会を開いたのに、その後で仲が悪くなるのであれば意味がない。

 

ということで、自分の持論としては、スポーツサークルの活動において飲み会は必要ないと思う。

 

共働きの場合で、真面目に父親道を進んでいると、夜に飲んでいると妻が怖かったりもするし。

 

気の合うメンバー同士で飲みたければ飲みに行くのは構わないと思うけれど、スポーツをやるために集まったのだから、スポーツをやることが本質だ。

 

飲み会をやりたいのであれば、飲みサークルでもつくればいい。

 

けれど、それも人それぞれの考え方があるので、仕方のないことだと思う。

 

そして、ネット上には、更新が止まってしまった様々なスポーツサークルのウェッブサイトやブログがたくさん残されている。

 

その多くが気楽に立ち上げることができる無料サービスだ。

 

サイトの管理をやっていたメンバーの心が折れてしまったのかもしれないし、懐かしい思い出を少しでも残しておきたいという気持ちによるものかもしれない。

 

ロードバイクサークルの場合には、どこどこにライドに行ったとか、レースで何位だったとか、どんなものを食べたとか。

 

長くて数年。

 

数か月で更新が停止したサイトもある。

 

ブログを趣味としていないスポーツサークルの人たちがブログをやるというのは、書いている人にとって大きな負荷がかかる。

 

写真を用意して、文章を用意して、それらをコツコツと積み重ねるわけだ。

 

ブロガーとしての視点でそういったサイトの記事を見ると、本当に苦労して書いていると感じる。

 

その時にあった出来事を一生懸命に綴っているし、ブロガーのように内面をえぐり出すような書き方ではなくて、非常に素直な書き方が多い。

 

最初の頃はサークルのメンバーも喜んでくれたことだろうけれど、ネットに公開しても検索ランキングが上がってこなかったり、新規メンバーが増えなかったりして、次第に関心やモチベーションがなくなってしまうのかもしれない。

 

ウェッブサイトやブログが面倒になると、Facebookに走ろうと言い出すメンバーが出てくるかもしれない。

 

個人的には、Facebookで効率的な広報が出来た時代は終わったと思う。伝えられる情報量が限られているし、古い情報についてSEOが機能しないので、検索でもヒットしないと思う。

 

そうなると、常に新しい情報を更新しないとページの魅力を失うし、過去の大切な魅力であるとか取り組みが埋もれてしまって、他者に見えなくなってしまう。

 

そして、気がつくと更新が止まり、そのままになってしまうことがあるのではなかろうか。

 

自分にはそういったサイト群がスポーツサークルの夢の跡のように見えたりもするし、それが社会人のスポーツサークルの予定調和なのかと感じる。

 

そして、自分が立ち上げたサイトはそうなってほしくないと思った。

 

しかし、ネット社会において情報を閉じてしまうというのは、ネット上では存在していないのと同義になりかねない。

 

様々な悩みがあって、そういった悩みについて相談に乗ってくれるメンバーもいれば、我関せずになっているメンバーもいた。

 

人間の冷たさを感じたというわけではないけれど、それも人間の心理なのかなと思う。

 

別に趣味のサークルに限ったわけではなくて、保育園の父母会活動とか、小学校のPTA活動でも同じ感じの人間関係があることだろう。

 

自分たちの生活に直接的に関係しないし、色々な考えがあって当然だ。

 

それも仕方がないことだと思う。

 

おそらくなのだけれど、社会人のスポーツサークルというのは、リアルタイムで繋がりを維持するというよりは、年に数回のイベンターとして活動した方が安定する気がする。

 

便利な世の中だからこそ、あえてSNSを使わず、小規模の仲間との繋がりを大切にして。

 

しかし、年に数回はたくさんの人たちで集まって、近況を紹介したり、情報のギャップをあえて楽しむとか。

 

まあ、これだけFacebookやTwitterが普及していると、自分のことを知ってほしくて仕方がないメンバーが自分のことを発信するだろうし、ブログを書いている自分だって同じようなものだ。

 

けれど、1年に数回しか一緒に走らないメンバーがいるのであれば、SNSでリアルタイムに繋がっている必要もない気がする。

 

そのような緩い繋がりの方が、かえって人間関係を壊さずに付き合えるのではなかろうか。

 

そういった悩みであったり、気持ちの沈みも、この太陽の光と美しい川の流れを眺めていると、なんだか些細なことのように感じる。

 

では、逆に考えてみる。

 

社会人のスポーツサークルにおいて、もしも新メンバーを募集せずに、人間関係を温め続けて、そのまま長きにわたって活動したとする。

 

四十路付近の人たちが10年間付き合い続ければ50歳近くになる。

 

子供たちや学生のスポーツサークルであれば、新人が入ってきて最上級生が抜けるので、常に入れ替わりが起こるのだけれど、それは期待できない。

 

日本全体を見渡してみると、渋いクロモリバイクに乗ってツーリングを楽しんでいるシニアの皆さんの集まりがあったりして、素晴らしいサイクルライフだと敬服する。

 

しかし、若い人たちが入ってこない状況で、今のメンバーがずっと歳をとってしまって、一人、また一人と抜けていくというのも個人的には何だか寂しいと感じる。

 

若い頃に勢いで立ち上げて、数年もしくは4~5年で区切りがついてしまう集まりに意味がないのかというと、そうでもない気がする。

 

そういった集まりを人生における一つのイベントやマイルストーンとして位置づけることができれば、大切な思い出になるのではないか。

 

特に、男同士の付き合いというのは、別れ際が重要だと思う。

 

時間を置いて再び会ったとしても、長い間、交流が途絶えていたとしても、「いつかまた一緒に楽しもう」と言って別れることができれば、その後もずっと付き合える気がする。

 

逆に、適当な理由をつけてごまかしながら距離を置いて離れたり、何の理由も告げずに全くの音信不通になったり、皮肉や中傷で喧嘩別れのような状態になると、二度と会わない気もする。

 

また、男同士の関係というのは、必ずしもリアルタイムで繋がっている必要はなくて、かえってそれがわずらわしいと感じることもある。

 

SNSで人々がリアルタイムでつながった現在。

 

そうした関係で心が疲れてしまう人が増えたそうだが、確かに自分も疲れた。

 

ということで、今まで使っていたSNSを全てやめることにした。

 

連絡はメールか電話のみ。

 

一度、試してみてほしいのだけれど、SNSをやめると、翌日から気持ちがとても軽くなる。

 

スマートフォンも、ブログの表示を確認する時くらいしか使わなくなった。

 

連絡したい情報というのは、携帯電話のショートメッセージでも十分に伝えることができる。その方が味があって大切に感じたりもする。

 

空いた時間でコーヒーを片手に小説を読んだり、あえて何も考えない時間をつくったり。

 

誰かと繋がっていたい、自分の存在をアピールしたい、誰かに認めてもらいたい。

 

そういった気持ちで頻繁にSNSに投稿している人がたくさんいる。

 

仕事中までTwitterでつぶやいている人もいるし、Facebookで「いいね!」をもらって満足する人もいることだろう。

  

最近では、それぞれの人たちのツイートを大型コンピューターで分析して、ビッグデータとして活用する取り組みが始まっていたりもする。

 

人の心の中の動きを解析するのにちょうどよいツールだからなのかもしれない。

 

自分の場合には、Twitterを眺めていると人の心の中が一気に入ってくる感じがあって気持ちが悪くなるので、見ないことにしている。

 

Facebookについては実際にサークルのページを更新していて分かったのだけれど、アクセス数は一過性で、影響力もあまりないと感じた。

 

「いいね!」を押してくれている人が、本当にその情報を良いと思っているのかどうかも分からない。幸せ自慢と揶揄されることがあって、非常に便利なツールではあるけれど、自分はとても苦手だ。

 

友達に向ってそこまでアクティブに情報を伝える必要なんて、どこにもない。

 

TwitterやFacebookを趣味とすることは別に悪いことではないと思うけれど、自分はとても苦手だ。

 

心が疲れるから。

 

心の中を穏やかにするには、あえて何も考えない時間を用意することが大切だと思う。

 

サイクリングに行ってボーっと景色を眺めると気持ちが楽になるのもそういった原理なのかもしれない。

 

他方、寝ても覚めてもそういったネットワークに繋がっていて、携帯端末を見つめているような毎日では、心を空っぽにする時間がどうしても減ってしまう。

 

携帯端末もSNSも便利なツールではあるけれど、一度、そういったことをやめてみると、人生の中で新しいことに気がつくかもしれない。

  

人は誰でも、自分が思っているほどには幸せでもなければ、不幸せでもない。

 

また、自分が思っているほどには周りが見てくれているわけでもないし、無視しているわけでもない。

 

誰かにアピールすることで自分の姿を知ることもあるけれど、無理に繋がって頑張る必要もないんだと、自分は思う。

  

感じ方や考え方は人それぞれで、仕事ではなくて趣味の世界の場合には、気に入らなければ距離を置けばよいだけなのだけれど、どうしても色々と考えてしまう。

 

ロードバイクサークルの場合には、一緒に走ることが本質で、一緒に走ることが楽しいから集まった。

 

もちろん、そういった活動の中で学ぶこと、感心すること、気の毒に思うこと、たくさんあるけれど、一緒に走ってリラックスして、休憩中に交わされる会話が自分は好きだったりする。

 

なんだか気持ちが軽くなった。

 

岩淵水門を抜けて、一つ目の橋をわたり、荒川の左岸に入る。

 

野球やサッカーなどを楽しむ人で賑わう右岸と比べて、左岸は落ち着いた雰囲気がある。

 

ふと眺めると、縁起の良い光景が目に入る。

 

富士山が見える。

 

その後、荒川の左岸から葛西橋を通って右岸に戻る。

 

清砂大橋をわたって葛西臨海公園に行く。

 

葛西臨海公園沿いのサイクリングロードを抜けると、眼の前に海が広がっている。

 

ロードバイクを道のわきに停めて、その景色を眺める。

 

長渕さんのJEEPの曲で、「海はやっぱり光ってた」というフレーズがあるのだけれど、たぶんこういう光景なのかなと。

 

父親として生きていると、非常にたくさんのことを背負っていくことになる。

 

仕事のことであったり、家庭のことであったり。

 

趣味の世界では何かを背負いたくないけれど、集まりになると色々なことがある。

 

けれど、そういったことを背負うというのは、生きていることの証だと思うし、こうやってたまにリラックスすることが大切だなと。

 

ふと、海の向こうを眺めると、たくさんの小舟が並んでいる。

 

ヨットだろうか?

 

その向こう側は千葉県の房総半島の方だろうか。

 

ロードバイクに乗っている自分から見ると、ヨットに乗って海をわたる人たちの気持ちを必ずしも理解できなくて、それはヨット乗りがロードバイク乗りを見た場合も同じかもしれない。

 

けれど、こうやって趣味を楽しむことは人生を豊かにする上で大切だなと実感する。

 

葛西臨海公園にやってきた。

 

すでに水族館などが開園する時間だけれど、寒いシーズンだからなのか人の数は少ない。

 

「そういえばJEEPのエピソードだと、こういう感じになって、無性にコーヒーを飲みたくなるんだよな」と思い出して、駅前のマクドナルドに行ってコーヒーを買う。

 

そう、たぶんこんな感じだろう。

 

寒い日のライドでは、帰り際に温かい飲み物が楽しみだったりする。

 

ラーメンの場合には夏場でも冬場でも美味しい。

 

無性に朝マックを食べたくなったので、食べることにした。

 

JEEPの雰囲気がこわれた。

 

では、自分はこれからどのようなサイクルライフを送るのか。

 

たぶん、このままだと思う。

 

すでに四十路で体力も衰えてきたわけだし、そろそろ渋いクロモリバイクを買おうかなと思ったりもする。

 

チネリのロードバイクが好きなので、チネリの名車「スーパーコルサ」を買って、自分の寿命が尽きるまで一緒にいたいと思ったりもする。

 

特にレースで勝とうとか、そういう気持ちもなくて、自分のペースで走ることができればそれでいい。

 

けれど、今まで乗ってきたチネリのバイクが劣化して乗れなくなるのはもっと先だと思う。

 

スーパーコルサに乗る日はもっとずっと先のことになることだろう。

 

今まで連れ添ってきた愛機と一緒に、ライドを楽しもうと思う。

 

知り合いのローディからの失笑を感じている気がするが、たぶん気のせいだ。

 

通販でフレームが投げ売りされていたのでフレームだけ買って、いわゆるシマノ的なマーケティングによって投げ売りされていた7900系コンポをヤフオクにてありえない価格で落札して、自分でレーシングバイクを組み上げてしまった気がするが、たぶん気のせいだ。

 

翌日はロードバイクチームのメンバーと一緒にライドに行くことになった。

 

ロードバイクは、ソロのライドもリラックスできて有意義だが、二人で走る時が最も楽しいと思う。

 

「いつか戻ってくるんだよ」と温かい声をかけてもらった。

 

自分は、すでに出て行った人になってしまったようだ。

 

レースがあって助っ人が必要なら参加するし、チームのサイトだって更新が必要なら手伝うけれど、今からシステムを作り直すことは難しいと思う。

 

しかし、このチームにはその良さがあるのだから、良いところを伸ばせばいいと思う。

  

人には個性があって当然だし、完璧な人なんているはずがない。

 

そして、どんな人にだって素晴らしい人生のドラマがあって、学ぶべきところがある。

  

色々と考えず、悩まず、とにかく一緒に走る。

 

難しい話は、SNSではなく、飲み会や茶話会でもなく、ライドに行って話そう。

 

男同士の友人関係においては、必ずしもリアルタイムで繋がっている必要はない。

 

機会があれば笑顔で集まって、近況を紹介し合い、笑顔で別れ、再び会う日を楽しみに待つ。

 

それが大切だと思った。

 

そして、ロードバイクがある生活の原点を振り返った時、自分の中にあるアイデアが生まれた。

 

正月休みで、ちょうどよい機会かもしれないので、形にしてみようと思う。

 

つづく。