日の出小学校の入学式に出席して、自分が子供の頃に通いたかったと感動する


 

2016年9月4日

 

上の子供が小学生になったので、そろそろヒノデダッズムは保育園編から小学校編に進んでいく。

 

予定では中学校編、大学編、子供の結婚編、定年退職編、運が良ければお爺ちゃん編、イクジイ挫折編へと続いて、最後は病床編、葬式直前編まで続く。

 

浦安市立日の出小学校の入学式の当日。

 

出発を前に、自分は緊張の中で精神を集中させていた。

  

まさか自分が小学生の父親になるとは思ってもみなかったが、保育園児を育てているということは、やがて小学生になる。当然だ。

 

これから、自分は「パパ」から「お父さん」になる。よくここまで来れたものだと感動する。

 

自分がこの世に存在している確率を計算したことはあるだろうか。

 

男女が出会い結婚して、家庭を持つ組み合わせ自体が膨大な数になる。ふとしたタイミングで声をかけていなければ、一緒に人生を連れ添うことがなかったであろう夫婦はたくさんいることだろう。

 

その後、新しい命が生まれる時の組み合わせはさらに膨大な数になる。一回に放出される精子が何億という数で、その中で競争を勝ち抜いた精子が卵子と受精するわけだ。

 

しかも、自分が親になると分かるのだが、もしも実の両親が「今日は疲れているからやめておこう、、、」となっていれば、自分という存在は生まれてこなかったことになる。

 

自分と瓜二つの個体が生まれていたとしても、厳密には自分という人格を宿すことはなくて、全くの別の人なわけだ。

 

つまり、自分が存在している確率を真面目に計算していくと、まさに天文学的な数字になる。

 

人々はありえない確率で生じることを奇跡と呼ぶ。平凡な人生を送っていると思っている人だって、実は、奇跡に匹敵する確率でこの世に生を受けた。

 

他方、もしも自分が生まれてこなければ、生きていくことの悩みや苦しみを感じることもなかったことだろう。奇跡によって生まれたのだから一生懸命に生きよう。

 

そして、奇跡の確率で生まれた自分の前に、さらに奇跡の確率で生まれた我が子がいて、立派に育って小学校の入学式を迎えている。なんと素晴らしいことだろう。

 

しかし、自分は、小学校があまり好きではない。現在の小学校教育について憂いを持っているわけではなくて、自分達が小学生だった頃、あまり良い思い出がなかったという経験論に基づくものだったりする。

 

日の出小学校の保護者の中に友達がいて、そのお父さんから、「日の出小学校は素敵な学校だよ♪」という話を耳にしていた。

 

彼の話では、日の出小学校のPTAもよく考えて運営されていると言っていた。

 

なので、少し安心してはいたのだが、自分が子供の頃に田舎の小学校で味わったイメージが頭から消せずにいた。

 

子供が保育園から小学校に上がる時、都市部では「小1の壁」という課題がある。

 

保育園に子供を預けて共働きを維持していたのに、子供が小学校に上がった際に児童育成クラブ、いわゆる学童保育の時間や定員が十分でないために共働きが厳しくなるという壁だと理解している。

 

学童保育だけではなくて、子供が小学校に入学する時には色々な準備がある。共働き世帯であれば、妻がさらに忙しくてイライラして夫婦喧嘩が増えるとか、夫へのハードヒットがさらに厳しくなるとか、そうした大変さも小1の壁なんじゃないかと、鉛筆やおはじきを含めて非常に小さな道具にまで名前を書きながら思った。

 

しかし、こんなことを書くと浦安市の人気が上がってしまって、浦安に子育て世代がやってきて保育園の待機児童が増えてしまうかもしれないが、浦安市の学童保育は本当に整っていると思う。

 

学童保育について言えば、浦安市は早々に待機児童ゼロを達成し、そのペースを維持している。

 

最近では、保育時間についても延長されて、小学生と保育園児を育てていても、送迎において無理がないように配慮がなされた。

 

つまり、浦安市は、市民の皆様による財政的なパワーと、行政による子育て世代への配慮を上手くドライブさせて、小1の壁」を破壊してしまった。

 

小学校入学の時のオハジキにまで名前を書くという緻密な作業はともかく、現時点では浦安市の学童保育に小1の壁」というものは存在しない。

 

その陰には、保護者の気持ちを察した市の心意気もあるだろうし、保護者の声を浦安市に届け続けてくださった保護者としての先輩方のご尽力もある。

 

自分達の生活がたくさんの方々に支えられていることを忘れてはならない。

 

浦安市は、小1の壁を破壊したことに飽き足らず、なんと次にやってくる小4の壁までを破壊しようと力を振り絞っている。

 

全国初とか県内初とか、そんなアピールではなくて、地味であったとしても、保護者の心にグッとくる自治体の取り組みが大切だと感じる。

 

保護者が必要としていること、保護者でさえ難しいと思っていること、たとえすぐには解決できなかったとしても、直向きに壁に向かっていく自治体の姿勢に感動する。

 

浦安市はそういったことにきちんと気づき、きちんと形にすることができる自治体だ。

  

これが浦安市のプライドだ。

  

ということで、ぜひ、小4の壁も破壊してほしい。

 

学童保育を担当しているのは浦安市こども部の青少年課だと思う。

 

浦安市のこども部というのは、エース級の精鋭職員が集まるウルトラスーパーミラクルな部門だという話を、友達である保育幼稚園課の熊川課長さんからお聞きしたような気がする。

 

必ずや小4の壁もなくしてくれるはずだ。

  

それと、日の出小学校の学区がある日の出地区の北部への引っ越しをお考えの子育て世代としては、この街の住環境に興味があることだろう。

 

住みやすいか否かで即答すると、住みやすい。

 

一言で表現すると、便利で静かで清潔感があふれる街だ。

 

それと、実際に生活していて分かることだけれど、同じ日の出地区でも、日の出小学校がある北部と、日の出南小学校がある南部では雰囲気が違う。

 

日の出南小学校の学区には新しく建設されたマンション群が多くて、子育て世代を中心とした働き盛りの市民が多く、街全体に活気が漲っている印象がある。

 

実際に会って話をしたりもするのだけれど、新町エリアの海沿いにある新しいマンション群の場合には、日の出地区も明海地区も高洲地区も雰囲気が変わらない気がする。

 

ひょっとすると、海沿いの高層マンションというのは東京都でも市川市でも同じ感じかもしれない。

 

一方、日の出小学校の学区には歴史ある団地が数多く残っていて、今まで浦安の街づくりを支えてくださってきたシニア世代も多い。非常に落ち着いた雰囲気があるし、住民による自治という考えも浸透している。

 

埋め立てによって新町エリアが生まれて、インフラが整備される過程の中で、日の出小学校の学区というのは新町の発展において中心的な地区の一つだったようだ。

 

この学区というのは、バスのアクセスも楽だし、公民館も商業施設も近い。公立の幼稚園と保育園と小学校、中学校、消防署の出張所、警察署の交番もある。

 

自宅から少し歩くだけで羽田空港行きのシャトルバスに乗ることもできるし、本当に便利だ。妻は国内出張で飛行機に乗って飛びまわることもあるのだけれど、日帰りで戻ってきたりもする。

 

たくさんの市民の皆さんが我が町をつくろうと努力し、民間の方々も、浦安市の行政も努力した結果だと思う。

 

それと、日の出地区の北部の場合、埋め立てによる開発の頃に移り住んでこられた現在のシニア世代が大多数を占めているというわけではなくて、少しずつ子育て世代が入ってきて、モザイク状の世帯分布になっている印象がある。

 

特に、液状化の後には人口が減った気がするけれども、空いた物件に若い世代が移り住んできて、子供の数が維持されて、結果、公園等でも小さな子供達が遊んでいる感じがある。

 

様々な年齢層の市民によって構成されることで、街自体が成熟しつつあるのではないかと思う時もある。

 

日の出地区に引っ越す前、自分の世帯は中町エリアの美浜地区に住んでいた。子供の保育園が日の出保育園に決まってしまったので、送迎のことを考えて日の出地区に引っ越した。

 

あくまで自分の感想としては、美浜地区の団地街と比べると、日の出地区の北部の団地街はドライな雰囲気がある。

  

あまり互いの距離を近くしないというか、お互いに踏み込まないような不文律を感じるけれど、結束がないのかというとそうでもなくて、夏祭り等のイベントでは様々な世代が仲良く交流しているし、大雪等があった時には老若男女で雪かきをしたりもする。

 

美浜地区の団地街はもう少しフランクな感じがあったが、どちらの街にも独特の良さがあって、自分達のような市外からやってきた世帯を温かく迎えてくださった。

 

この街全体が自分達の家族を守ってくださっている気持ちがする。本当にありがたい。

  

歴史がある団地街というのは、新興住宅地というステージから始まって、時間をかけて生み出された味わいというか、何とも言えない安心感というか、とにかく住んでもらわないと分からないだろうけれど、不思議な感覚がある。

 

日の出地区の北部の場合には、比較的、新しいマンションも結構あって、結果として非常にバランスの良い多様性が生まれている。

 

日の出地区の北部の保護者層の雰囲気としては、人によって様々だけれど、全体的な印象としては上品で頭の回転が速い感じがある。

 

人懐っこい感じはあまりなくて、やはりドライな関係を好む人が多いし、噂好きなママさんがいなくもないけれど、概して無用な対立は好まない感じがする。

 

人付き合いがあまり好きでなかったとしても、無理やり引っ張りこまれることもなくて、好きな人たちが集まって色々な催しをやってくださったりするし、シニア世代の方々と交流すると、非常に勉強になる。

 

住んでいるマンションのタイプや階層とかでくだらないヒエラルキーが出来ることもないし、軽自動車に乗っていても、ベンツに乗っていても、車がなかったとしてもあまり気にしない気楽な雰囲気がある。

  

住めば都というけれど、その生活の中で大切な要素というのは、街並みとか環境だけではなくて、そこで生活している人々の心だと思う。

 

いくら新しいマンションであっても、人間関係が大変だったりすると疲れる。若い人達だけで構成される社会というのは活気があるけれど、やはり様々な年齢層の人達が集まった状態の方が自分は落ち着く。

 

日の出小学校の入学式の会場に行く

新入生の我が子の手を引いて日の出小学校に向って歩く。途中で妻が下の子を日の出保育園に預けに行った。

 

校門の前に行くと、長い行列が出来ている。

 

何だろうかと行列の先を見つめると、襟元にビールのロゴが入った水色のTシャツを着たお父さんたちがいて、新入生の家族の記念撮影を手伝っている。

 

「日の出小学校お父さんの会」だ。

 

自分は晩婚の部類だったので、彼らとは同世代だ。彼らは自分と比べて父親になった時期が早いことだろう。

 

しかし、自分は負けず嫌いだ。同じ職業人として、同じ男として彼らが先輩だとは思わない。

 

素直に写真撮影の行列に並ぶ。

 

やばい、すでに日の出小学校お父さんの会の雰囲気に飲み込まれた。彼らは爽やかなのだけれど、芯の入った安心感がある。自分が日の出小学校お父さんの会のTシャツを着てニコニコしている姿をイメージし始めた。

 

仲間と集まって中ジョッキで乾杯している姿をイメージし始めた。いかん、自分はそういうキャラクターじゃないはずだ。

 

しかも、自分のツボにはまったのは、日の出小学校お父さんの会の何とも言えない男の色気だった。

 

いわゆる小中学校の「おやじの会」に散見される豚骨ラーメンのような何かコッテリした感じがなくて、京風ラーメンのように上品なテイストに仕上がっている。職場でも女性社員からダンディな上司として噂されそうな人達が集まっている。

 

自分のようなロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないけれど、何だかカッコいい。

 

自分が入会した時のイメージを悶々と想像しつつ行列に並んでいたら、妻が保育園の送りを終えてやってきた。

 

日の出小学校お父さんの会のメンバーにカメラを手渡し、「このたびは、おめでとうございます♪」と声をかけてもらった。

 

「は、はい、ありがとうございます」と答えた瞬間、日の出小学校お父さんの会のお父さんたちの姿がとても大きく見えた。

 

負けた。やはり彼らは、男としても先輩だと思った。自分の目の前にあったのは、頑固親父でもなく、イクメンでもなく、それでいて優しくも頼りがいのある新しいお父さんたちの姿だった。

   

その後、校門を抜けて玄関に向かうと、非常に美しい桜が家族を出迎えてくれた。写真を撮りつつも、自分の目に焼き付けた。

 

この瞬間というのは、自分が学校関係者でない限り、子供の数の分しか味わうことができない。そして、二度と戻らない。

 

妻が一生懸命に靴を子供の下駄箱に入れようとしている。そういう仕様ではないと突っ込みを入れたくなるのだが、彼女もテンパっている。

 

玄関先には長いテーブルが置いてあって、数人の小学校の先生方が資料を手渡したり、名簿をチェックしている。自分は、この雰囲気に呑まれまいと落ち着いた父親を演じる。

  

職員室のドアのガラスに顔を近づけて中を観察してみたり、学校内の掲示板に貼られている書類をしげしげとチェックしてみたり、施設内の備品等を確認してみた。問題ない。

 

それなりに年季が入った施設なので、全体的に古びた感じがあるし、天井を見上げるとところどころ剝げていたりもした。

 

この辺は教職員の口からは言いだしにくいだろうけれど、PTAから浦安市にお願いすれば修繕工事をやってくれることだろう。

 

担当は教育委員会の教育総務部だったろうか。自分はPTAの会議は苦手かもしれないけれど、そういうのは得意だ。校長先生と一緒に市長室に行こうかと思う。

   

ただ、日の出小学校の施設はあまり新しくはないけれど、おそらく結構なお金をかけて丁寧につくられているようだ。柱の太さも半端ないし、全体の設計についても非常に洒落た感じがある。

 

いざという時、小学校というのは子供達だけではなくて付近の住民の避難場所にもなる。常にメンテナンスをしておいた方がいい。やはり校長先生と一緒に市長室に行こう。

 

それにしても、自分が通っていた当時の田舎の小学校は、日の出小学校と比べたらあまりに可哀想なくらいに質素だった。

 

施設が壊れていても自治体に予算がなくて修理できなかったり、そのことを保護者が知っても仕方がないと諦めるしかなかった。

 

プールの底がボロボロになっていたり、廃タイヤでつくった子供達の遊具があったりして、今から思うとそうか、そうなのかと納得する。

 

しかし、浦安市には今のところ日本トップクラスの財政力がある。アウトカムが曖昧な事業に予算を使うくらいならば、小学校の修繕に予算を使うべきだと思う。

 

浦安全体の小学校という話になると市役所としても動きが重くなるかもしれないけれど、日の出小学校だけについて考えればそれほどしんどくはないことだろう。

 

日の出小学校の場合には、浦安市の取り組みや心意気、子育て世代への配慮をネットで発信する保護者がいる。

 

これまでは保育園のパパだったので、浦安市こども部の努力や素晴らしさをネットで発信してきた。

 

これからは小学校のお父さんになったので、浦安市の教育委員会や教育総務部の取り組みを紹介する時期になった。

 

ぜひ、日の出小学校の老朽化した個所を修繕してほしい。

  

それにしても、これが浦安の小学校のデフォルトなのか? それとも時代の変化なのか?間違って私立の小学校に子供を入学させてしまったのではないかと思った。

 

自分は、良いものは良い、悪いものは悪いと言い切ってしまう性格なのだが、日の出小学校は素晴らしいと思った。

  

浦安市が日本トップクラスの財政力を持っていて、その力の柱は市民が納める税金なのだそうだ。なんと、各クラスにエアコンが完備されていた。

 

自分が通っていた小学校のクラスにはエアコンはなかった。国からの予算がなければ潰れてしまうくらいの貧しい田舎の自治体だったし、30年以上前はエアコン自体が高価で、消費電力も大きかったはずだ。

 

何せ、小学校の給食すらも用意できないくらいに苦しい自治体だったので、子供から見ても本当に大変そうだった。

 

教室にはエアコンどころか扇風機さえなかったので、夏にはノートが汗に濡れて湿ってしまい、鉛筆で文字が書けなくなった。仕方ないので藁半紙を腕の下に敷いていた。

 

小学校の図書室に行けばどの本もボロボロになっていて、新刊本なんてものは入ってこなかった。そもそも、学校全体に読書をするという雰囲気がなかった。

 

我が子達はそういった辛さを味合わなくて済むのだと地味に感動した。

 

それと、小さい面積の自治体であるにも関わらず、日の出小学校には広大な面積の校庭が用意されていて、子供達は思いっきり走り回ることができる。

 

日の出小学校の校庭、、、運動場とも言うのだろうか、、、がどれくらい広いのかというと、運動会をやっていても何ら手狭に感じないくらいに広い。大人でも端から端まで全力疾走したら息切れするくらいに広い。素晴らしい環境だ。

 

しかし、施設面以上に自分にとって印象的だったのは、日の出小学校の先生方の熱意や態度、特に、表情だった。

 

四十路になるまで社会経験を積むと、職員の表情の中に職場の状態が映し出されるように感じることがある。

 

どの先生方も使命感とモチベーションに満ちた表情だ。 悲壮感が漂う教員の姿も、斜に構えた教員の姿も見当たらない。背中から熱いオーラが立ち上っているくらいに圧倒された。

 

その後、誘導されるままに体育館に向かうと、その設備に驚いた。

 

普通、小学校の体育館というと渡り廊下があって、そこをソロソロと歩く感じかもしれないが、日の出小学校の場合には何と表現していいのか、学校の一部になっているかのように滑らかに校舎と体育館がリンクしている。かなり凝ったデザインだ。

 

妻と一緒に「へぇ! 凄いよね」と驚いた。

 

体育館に入って我が目を疑った。大型のエアコンが6台は配備されているだろうか。しかも、電動で降りてくるバスケットリングまで設置されている。

 

そして、正面に掲げられている三枚のフラッグを見て気持ちが引き締まった。

 

日の出小学校の入学式の会場で感動する

「日の出」という名前で分かると思うけれど、日の出小学校の校章は、日の出をシンプルに形象化したものだ。

 

小学校の校章というと、「小」の文字が入った、いかにもな感じかと思ったが、このシンプルなデザインに大きなインパクトを受けた。

 

カラーリングには色々なレパートリーがあって、白地に赤色の太陽になることもある。運動着には白地に赤のマークになっていたりもする。

 

日の出小学校のエンブレムは白地に金色の太陽になることもあって、日章旗の下にはそのバージョンの校旗が掲げられていた。

  

そのエンブレムの太陽の中の三本の光は、創立当時の学校目標である「やさしさ」「かしこさ」「たくましさ」を表現していて、未来に向かって伸び、育つ道筋を象徴している。

 

日本の国旗の両隣に、浦安市の市章と、日の出小学校の校章。

 

自分が住む国、自分が住む街、そして子供が通う学校。

 

三つの旗に全て太陽が描かれていることに不思議な感動を覚える。

 

自分は浦安市の市章のデザインが大好きだ。とても美しいと思うし、浦安市民であることの帰属意識を高めてくれる。

 

浦安市の市章は、URAYASUの「U」を海のイメージでかたどり、それに、今まさに昇ろうとする「太陽」を組み合わせて図案化している。

 

目の前に並んだ三つの太陽を眺めながら、親になって初めて感じたことがある。

 

自分がここまで生きてきて、次の世代を育てている。この長い道のりの中で、たくさんの方々に守られながらここまでやってきたのだと。

 

日本という国であり、身近な街であり、自分を応援したり、守ってくれるたくさんの方々のお蔭で、自分は育つことができたわけだし、子供を育てることができているのだと思った。

  

勘違いされると困るのだが、浦安市というのは日本という国であり文化を大切にするけれど、外国人に対しても温かくて気楽に生活できる街だと思う。

 

様々な国からたくさんの人たちがやってきても、浦安市民は普通に接することができる。語学が堪能な市民も多いけれど、気持ち的な話として外国人に身構えない雰囲気がある。

 

様々な国にルーツがある子供達が浦安で生活しているけれど、子供同士の関係においても気にすることは全くないように感じる。親の教育の結果だとも思う。

  

浦安市は日本の文化であったり教育であったり、そういった日本の良さを大切にしながらも、様々なルーツを持つ子供に対して無理に日本を押しつけるわけではなくて、同じ日本のメンバーとして、チームとして、分け隔てなく育てるという空気がある。

 

その上で話を続ける。

 

自分が子供の頃、地球儀で日本を見つけて、何と小さいことかと驚いた。そして、こんな小さい国なのに世界で存在感があることにも驚いた。

 

日本製品に「JAPAN」という刻印が入るだけで世界中の人たちから信頼されるなんて、そんな国は珍しいと思う。

 

深夜に気楽にコンビニに行ったり、公園の水道の蛇口をひねってそのままゴクゴクと水を飲めるとか、安心や安全の点でも素敵だと思う。

 

日本について決して尊大になっているわけではなくて、普通に生活していて感じることだけれど、日本の勤勉さであったり、様々な工夫やアイデアを考える姿勢というのは、とても大切なことだと思う。

  

これから日本は本格的な少子高齢化のステージに入っていく。

 

自分達のような団塊ジュニア世代がもっと結婚して、もっと子供をつくっていればと言われたりもするのだけれど、自分達の世代にも色々と辛い状況があった。

 

団塊ジュニア世代は、その名の通り団塊世代の子供達だ。あの頃の団塊世代にはもの凄い活気があった。 

 

ドラクエにたとえると、高度成長期の中で、まさに日本のターンでバリバリやっていた世代だと思う。

 

では、団塊世代の子供である自分達のような団塊ジュニア世代はどうなのか。

 

小中学生の頃、日本は経済大国だ、強い国だと学んで育ち、受験戦争とも言われる時代を過ごし、やっと社会人になろうかという頃にバブルが崩壊して不景気に突入した。

  

あくまで自分は団塊ジュニア世代ではなくて、ゆとり世代だと言って引かないうちの妻いわく、団塊ジュニア世代には独特の考え方があるそうだ。

 

それも分かる。

 

では、自分の子供達の世代はどうなのか。これからの時代を生き抜いていくことになる。親としては重い気持ちだった。

 

自分達のような団塊ジュニア世代の場合には、日本という国が盛り上がったところから下っていった感がある。夕焼けの後に訪れた暗い夜のようだった。

 

社会や経済といった背景もあったけれど、人の気持ちが結婚や育児に向っていくだけの力が削がれていったのかもしれない。

  

一方、自分の子供達の世代は、かなり厳しい状況からのスタートになり、少ない人数でこの国を支えて行くことになる。

 

このような日本の状態をつくったのは、団塊世代であり団塊ジュニア世代だと言われても仕方がないし、子供達にどう説明していいのか分からない。

  

けれど、日は沈んだ後、必ず昇る。

 

まるで力強い光が集まって、加速しながら天に昇っていくようなデザインの日の出小学校の校章を眺めていると、「まだ日本は終わっていない」という気持ちになった。

 

一人で勝手に感動してパイプ椅子に座り、入学式で配布された資料を眺める。

 

「教職員一覧」というページを眺めて、「え? マジかよ?」と思った。

 

私立小学校ではなくて、公立の小学校においてここまでの充実した体制がとられていることに驚いた。

 

校長先生がおられて、教頭先生がおられる。自分が通った小学校でも、校長先生と教頭先生がおられた。ここまでは普通だった。

 

校長と教頭の他に、日の出小学校には教務主任というポジションがある。おそらくスーパーバイザーとかコーディネーターとしての役割なのだろう。

 

そして、クラス担任の先生方のお名前が並んでいる。ここまでは分かった。驚いたのはここからだ。

 

音楽専科、少人数指導、養護教諭、県事務、少人数教育推進教員、心身障がい児補助教員、学校司書、市事務、スクールライフカウンセラー、ALT、用務員の先生方のお名前が連なっている。

 

日の出小学校はこんなに充実したスタッフ構成になっているのかと驚いた。

 

千葉県の小学校だからこうなのか、いや、浦安市の小学校だからこうなのか、、、全く理解ができなかった。素晴らしい。

 

自分が子供の頃に通っていた小学校には校長と教頭とクラス担任と用務員の先生くらいしかいなかった気がする。保健室の先生がいたようないなかったような。

 

クラス担任の先生が病気等で欠勤すると、教頭先生がスクランブルでクラスにやってきたり、複数のクラスで体育や図画工作の授業になることもあった。

 

自分の子供は、何と素晴らしい小学校に通えるのだと感動した。

 

特に驚いたのは、少人数指導において多数の教諭を配置しているという点だ。

 

何らかのハンディキャップを持っている子供達であっても、守り育てていく気概を感じたし、必ずしも集団での教育が優れているとは思えない状況だってあるわけだ。

 

また、何か優れた能力を持っていたり、普通の人よりも高い感受性を持った子供というのは、往々にして集団から弾きだされたり、プレッシャーを受けることもあることだろう。

 

しかし、そういった子供達を異端視することなく、そうした生まれ持った素質を個性であり才能であると認めて伸ばしていく教育の中で、少人数教育は大切だと思う。

 

日の出小学校の入学式が始まった

うちの子供は、保育幼稚園課が日の出保育園に割り振った結果として紆余曲折の末に日の出小学校に通うことになった。

 

けれど、結果として良い方向に進むことになったと夫婦で話していた。

 

入学式の会場には日の出保育園で同じクラスだった保護者も散見された。

 

今までの自分が知っていた保護者の世界というのは、保育園レベルの話だった。これからは保護者の数が一気に増えて、世界がさらに広がる。

 

そもそも、日の出保育園には日の出小学校の学区の保護者の割合があまり高くなかった。

 

保育施設が不足しているので、学区の外、例えば日の出地区の南部であったり、新町エリアの明海地区であったり、高洲地区であったり、色々な場所の保護者が日の出保育園を利用していた。

 

多い時には7割の保護者が日の出小学校の学区外だったし、保育園を卒園すれば付き合いがなくなる関係だった。

  

しかし、今度はご近所さんたちが集まるわけだ。何か不思議な一体感がある。

 

そして、新入生の入場が始まった。

 

何やら照れくさそうに、それでいて誇らしげに我が子が入場してくる。

 

新入生が入場してきたら、前列に座っている保護者が立ち上がって写真やビデオを撮影しようものなのだが、しっかりと座って待っておられた。

 

自分の子供の一生に一度のシーンなのだけれど、他者のことを考える思慮深い行動が見られた。行事が始まると、私語がなくなって前方に集中する。

 

日の出小学校の保護者はとても上品だと思った。

 

その後、国歌斉唱が始まった。

 

教職員席から大迫力の国歌が聞こえてきた。そして、上級生の子供達や保護者からも心のこもった歌声が響いた。

 

しばらく余韻に浸りながら人生を振り返る。

 

自分が小学校という存在に後ろ向きな感情を持っていたのは、自分が子供の頃に通っていた小学校の雰囲気、、、さらに踏み込めば小学校教諭の態度だった。

 

団塊ジュニア世代であれば、深く説明する必要もないことだろう。

 

日本全国で地域によっても差があるのだろうけれど、自分が通った小中学校では学校の中が聖域化しているとまでは言わないけれど、実に色々な教員がいた。

 

自分が小学校一年生の時には、授業中にしゃべっている子供の口にガムテープを貼る教員がいた。

 

自分もやられたことがあるけれど、口にガムテープの跡がついたまま帰宅したのに、団塊世代の両親は知らないふりだった。

 

今だったら、保護者が小学校に乗りこんで来るどころの話ではなくて、教育委員会でも大問題になると思う。

 

子供を叱る時に、冷たい床の上に長時間、正座をさせる教員がいたし、子供の頭を殴る教員もいた。

  

今ならば警察沙汰になる話だ。

 

過度な叱責による言葉の暴力も日常茶飯事だった。教師がどうしてそのように汚い言葉を使うのかと憤った。

  

子供を甘やかすべきだと言っているわけではなくて、直さなくてはいけない部分はきちんと説明する必要があるし、時に声が大きくなることもあることだろう。

 

しかし、叱るのではなくて諭すことが大切だ。教えて諭すから、「教諭」という職業なのではないかと。

 

それらが発端となってイジメを受けている子供を見ても、担任の教員が知らないふりをすることがあった。

   

そういった教員に対して、他の教員や保護者はどうして指摘しないのか、どうして改善を促そうとしないのかと疑問に思った。教員というのは思ったよりも自由な職業だと。

 

当時からPTAもあったのだけれど、教員があんなことをしているのに、どうして意見を言わないのかと思った。

 

子供同士で明らかなイジメがあったのに、PTAは全く助けてくれなかった。というか、PTAの役員の子供がイジメをやっていたりもした。何のためのPTAだと思った。

 

自分にとって、その経験がPTAに対する大きな不信感の源だったりもする。

 

大戦後、学校教育において保護者の存在が大切だという話になって、GHQからの指示があってPTAが生まれたと認識しているけれど、保護者が学校にモノ申さなかったら意味がない。

 

別に対立する必要はない。教員には教員の辛さがあり、大変さがあるのだから、先生方の負荷を減らす取り組みだって必要だ。

 

けれど、学校がおかしな方向に進まないように保護者が見つめる必要があると思う。

 

最近問題になった組体操の話だって、自分達の頃にはあんなに高層化することはなかった。まるで教育界におけるブームかのように組体操が派手になり、多くの子供が大怪我をした。

 

どうして止めようとしなかったのか。保護者は何をしていたのか。まさか一緒になって喜んでいたというのか。

 

なので、自分の子供が小学校に通う時には、親として学校側やPTAにガツンとモノ申さねばと身構えていた。

 

しかし、日の出小学校の場合は、自分が通っていた時の小学校とは全く別物だった。ここまで素晴らしいとは予想もしていなかったので、身構えて損をした気になる。

 

その後、日の出小学校の校歌が流れ始めた。

 

上級生の子供達が歌ってくれたのだけれど、本当に素晴らしかった。

 

自分の子供の入学式という気持ちの高まりを抜きにしても、大いに感動して涙が出た。

 

やはり保護者席の後方に座って正解だった。まさか小学校で感動して泣くことになるとは。

 

日の出小学校の校歌を作詞されたのは、岡田喜代子先生。

 

彼女は心に響く非常に美しい作品を奏でておられる女流詩人で、浦安にお住いだった気がする。

 

そして、作曲は、中田喜直先生。

 

「ちいさい秋みつけた」、「めだかの学校」、「夏の思い出」といったたくさんの名作を残してくださった日本を代表する作曲家だ。

 

「え? 小学校の入学式で感動して泣くなんてオーバーでしょ?」とお思いかもしれない。いや、実際に聞いてもらえば分かる。

 

自分も疲れたりすると、たまに口ずさんだりする。校歌というよりも、一つの曲として本当に素晴らしい。

 

普通、校歌というと、地域の特徴とか、普通は使わないフレーズが入っていて、全体としていかにもな校歌に仕上がってしまうことが多いかもしれない。

 

それが普通だと思うけれど、卒業していざ大人になってみると、小学校時代の校歌を思い出せなかったりする。

 

一方、日の出小学校の校歌というのは、難しいフレーズもご当地ネタも入っていない。簡単な言葉の組み合わせで曲がつくられているのだけれど、シンプルなだけに心にサクッと入ってきて、自分までが励まされる。

 

よくよく考えてみると、日の出地区というのは埋め立て工事によって土地が生まれて、まさにゼロからのスタートだった。

 

歴史もなくて、文化もなくて、何もないところだったので、作詞された岡田先生は大変だったことだろう。

 

だからこそ、日の出地区だとか、浦安市だとか、そういったテーマではなくて、将来の日本を背負っていく子供達のために歌がつくられたのではないかと勝手に思っている。

 

できれば、子供達が歌った音声を歌詞入りでYouTubeに投稿してもらえないかと思う。

 

最後の「日の出小学校」の部分を変えれば、どの小学校でも使えそうなくらいに完成度が高くて、どの小学校でも大切にしていきたい内容で構成されている。

 

校歌・校章|日の出小学校 - 浦安市教育研究センター

http://www.city-urayasu.ed.jp/hinod-es/3001150.html

 

日本はこれから少子高齢化の厳しいステージに入っていくけれど、親が諦めてはいけないと思った。それ以来、うちの子供が自宅で校歌を歌う度に涙線が緩む。

 

どっちが先だったか覚えていないけれど、校長先生のスピーチにも感動した。どうしてだろう。ものすごく安心する。物腰は柔らかいけれど、様々な場所で実力を付けてこられて、非常に強い芯がある感じがした。

 

彼女が上司だと、他の教職員はとても頑張れると思う。

 

その後、PTA会長のお母さんがスピーチをされた。彼女のスピーチも素晴らしかった。

 

彼女が日の出小学校のPTAを背負って一生懸命に努力されてきたことはネット上でも散見できたけれど、本当に優秀な女性だ。

  

次年度のリーダーはお父さんが務められるそうだが、彼もまた浦安市について高い帰属意識を持った素晴らしい人物だ。

 

 日の出小学校のPTAの場合、小さな子供がいる世帯には無理をさせないというスタイルなので、うちの世帯は申し訳ないと感じつつも本格的な活動を免除されていたりもする。

 

その後、保護者が教室の中に案内され、担任の先生から子供が名前を呼ばれている姿を見て感動した。

 

その間も日の出小学校お父さんの会の皆さんが校門の付近で警備されていた気がした。

 

担任の先生ともお話させて頂いて、やはり浦安の小学校は一味違うと感心した。

  

小学校の中を色々と歩いてみたのだけれど、やはり自分が子供の頃に通った小学校と全く違っていた。学校全体に活気があった。

 

それと、自分の場合には市内に知り合いのパパ友が結構いるので、入学式で顔を合わせて「おお、久し振り!」と挨拶する機会があって、とても楽しかった。

 

自分の子供が友達をつくるように、父親も友達をつくる。独身時代にはほとんどなかった楽しさがある。

 

 

入学式が終わり、平日の朝。

 

まだ子供が小さいので、通学路の見回りも兼ねて、子供と連れ添って小学校まで行くことにした。

 

これはPTA活動ではないし、途中で引き返すこともあるのだけれど、大人が一緒に小学校まで行けば何かと安心だろうと。

 

この小学校では校門の前で先生が当番で立ってくださっていた。若い先生もベテランの先生も、本当に元気に笑顔で子供達を迎えてくださっていた。

 

とある日の朝、日の出小学校の子供達と一緒に校門の前まで行って驚いた。

 

校長先生の三橋先生までが校門の前で立って子供達を迎えていた。校長先生までが当番の中に入る日の出小学校は凄いと思った。

 

そういえば、三橋先生は、土曜日にも小学校にいたりするし、気がつくと小学校の付近を確認しつつ掃除をやっていたりもするそうだ。やはり一味違う。

 

三橋先生に礼をして、「はじめまして。私、○○の父でございます。」とご挨拶したら、 近くに我が子がいない。すでに門を抜けて学校の中に入ってしまった。

 

校長先生と父親が立ち話をしていると、子供としてはなんだか恥ずかしかったそうだ。

 

少し前までは手を繋いで日の出保育園に通っていたのに、小学生になると変わるものだと思ったし、我が子の成長が嬉しくもあり、寂しくも感じた。

 

三橋先生に「この小学校は、先生方も、施設も、教育も、本当に素敵ですね。僕が子供の頃、こういう小学校に通いたかったです」と伝えた。

 

すると、彼女は穏やかな顔で「そう言っていただけて、とても嬉しいです」と返事をされ、少しの時間、一緒に校庭の方を眺めた。

 

その瞬間、三橋校長先生の横顔の中に、彼女が新任教員だった頃の面影を見た。

 

彼女は、教師になった頃から、こうやって穏やかな顔で子供達に接してきたことだろう。様々な経験を積み重ね、様々な苦労を積み重ね、優れたリーダーになったのだと思った。

 

その後も、三橋先生はたくさんの子供達に笑顔で挨拶を続けていた。

 

組織のトップである校長が前に出て、教師にとって何が最も大切なのかを自らの姿で示しておられた。

 

定年を迎えるまで、三橋先生には日の出小学校にいて頂きたい。

 

 

日の出小学校の素晴らしさというのは、一回のエントリーで紹介できないので、機会があれば連載していこうかと思う。

 

本当に素晴らしい小学校に巡り合えた。