ブログを2年間続けて大切だと思ったこと

2016年6月25日

 

訪問者数のべ13万9千人。

  

2年前の開設から今までのアクセスの内訳だ。

 

HINODE DADZMのサイトはJimdoというサービスを利用していて、年間1万円ちょっとの利用料がかかる。

 

このサイトは、アフィリエイトとか、浦安市の市民活動とか、どこかの会社の広報とか、そういったサポートを受けているわけでもない。当然だが利用料は父親の小遣いから支出する。

 

Jimdoから、今年の6月で1年間の契約が終了するので更新してくださいという知らせが来た。

 

2年間、ツイッターやFacebookといったツールを使わず、はてなブログやアメーバブログといった相互リンク型のブログサービスも使わず、ただひたすらにサイトのコンテンツを増やしてここまで来た。

 

ネット上の片隅に小さなお店を開いて、宣伝もせずに経営するようなものだと思う。

 

契約を更新するかどうか悩む。

 

忙しくてブログどころではない。

 

今の都市部というのは、共働きの中で子供を育てるようなシステムになっているのだろうか?

 

幼稚園パパの生活を眺めている保育園パパの心境としては、明らかに何かが違う気がする。

 

荒川サイクリングロードの強烈な向かい風の中で、ロードバイクの下ハンドルを握り、心拍数が180に達するくらいの勢いで必死にペダルを踏み込んでいる気がする。

 

妻の職場は働く女性のために可能な限りの配慮をしている。自分の職場も、仕事はハードだが、子育てにおいては配慮がある。

 

妻は忙しい毎日の中で、できる限り自分をサポートしてくれている。たまに、怒りを通り越して、地面を這う蟻を見るような眼差しで自分を見ることがあるが、耐えるしかない。

 

それでも、自分は全力で仕事に取り組みたい。子育てに配慮がある職場であっても、仕事が滞れば職業人としての地位は落ちる。

 

それでも構わない、家庭を大切にしようという風潮は大切だと思うのだが、競争相手は全力で行っていたりもするわけだ。

 

社会全体にワークライフバランスであったり、イクメンが浸透すれば状況は違うのだろうけれど、新しい父親像の中でもがき苦しみ、心身共に削れながら毎日を送る。

 

それが共働き世帯の父親の現状の一つではなかろうか。

 

現在の30代や40代の共働き世帯の父親が、仕事と家庭で消耗し、苦しみぬいて子育ての時期を終え、組織の舵取りを担うベテランの域に達した時、過去の大変さを振り返って、新しい社会の仕組みを考えることになるかもしれない。

 

政府も自治体も企業も、女性が子供を育てながら職場で働くことの大切さを認識するようになった。それが人口減による背景を持っていたとしても、重要な取り組みだと思う。

 

しかし、今一つ、共働き世帯の父親や母親が求めていることと、社会の姿が噛み合っていない気がする。

 

その理由は何か?一生懸命に考えても明確な答えは導きだせないのだが、今、起こっている変化というのは、日本での子育てという話だけではなくて、ライフスタイルもしくは社会そのものが大きく変わる転換期なのではないかと思ったりもする。

 

つまり、変化自体が非常に大きなものであって、そもそもサクッと方向転換できるというテーマではなくて、ギリギリと必死に舵を切って変わっていくようなイメージがある。

 

しかも、日本全体という話ではなくて、都市部を中心とした大きな変化だと思う。

 

自分が育った地方では、母親が職場で働くことは普通のことだった。近くに幼稚園がなかったので、同じ歳の未就学児は全員、保育園に通っていた。

  

一方、都市部はどうなっていたのかというと、地方を含めて人々が集まり、一生懸命に仕事をしてきたわけだ。

 

その際、男性が職場で働き、女性が家庭を守るという都市部のシステムが形作られたようだ。このスタイルは景気が良かった頃の日本を考えると、確かに転勤も楽だし、父親が全力で仕事に取り組めたのだと思う。

 

しかし、状況は変わった。ダブルインカムの方が経済的には楽だ。それは自分が実感している。これからの勤労人口の減少を考えると、女性が子供を産み育てながら職場で働くことができる社会が必要だという意見も理解できる。

 

しかし、実際に共働きで生活していると、妻であり母親が働くということの意味が、人口減や世帯収入だけで説明しうるものではない気がする。

 

例えば、うちの妻は高等教育を受けていて、男性と肩を並べて一線で仕事をすることもできる。職種にもよるだろうけれど、男性と女性が仕事をした場合に、女性が男性を凌駕することはよくある。

 

浦安には、管理職としてバリバリ働いている母親達もたくさん住んでいるし、実際に自分が社会で働いていてもそう感じる。

 

妻から見ると、母親が職場で働くというのは、世帯収入以上に本人の職業人としての意味があるのだそうだ。彼女は「社会との繋がり」と表現していたが、人によって様々だと思う。

 

保育園ママが社会と繋がることができて、幼稚園ママは社会と繋がっていないと言いたいわけではない。

 

日本の高度成長を支えたのは必死に働いた父親達だという話を聞いたりもするが、家庭を守りぬいた母親達がいたからこそ、父親達が活躍できたのだと、心底そう思う。

 

考え方は人それぞれだと思うけれど、母親になったから職を辞めて家庭に入らなくてはいけないというのは、よくないと思う。それは、女性の雇用とかそういう意味ではなくて、自分達の可能性を閉じてしまう気がする。

 

子供の頃から大学の頃まで男女で同じ教育を受けて、その後、就職して、子供が産まれたから退職して、それまでのキャリアを諦めるというのはもったいないと思う。

 

しかし、都市部では保育施設が足りない。世帯収入を考えると父親が退職したり、時間休をとるわけにもいかず、結局、母親が職を諦めるという結果になることが多いのではないか。

 

子育て世代のライフスタイルの変化に対して、必ずしも社会が対応できていない気がする。

 

都市部において保育施設が足りないという点は、ずっと以前から指摘されてきたのに、未だに解決していない。

 

社会における子育てについての最終的な舵取りを担う50代や60歳近くの人達、特に父親の方々は、従来通りの社会の枠組みの中で子育ての時期を過ごしたことが多いと思う。

 

家庭を奥さんに任せ、全力で仕事に取り組んだ方が出世するというのは、昔はそうだったし、今でも職種によってはそうだと思う。

 

彼らは子育てについて一生懸命に考えてくださっているのかもしれないけれど、「男性は仕事、女性は家庭」という考えが頭の中にあって、共働き世帯の父親や母親の辛さをリアルに経験していないことが多いのではなかろうか。

 

仕事と家庭について新しい考えを取り入れつつ変化を経験し、時に消耗しながら頑張っている現在の30代や40代の共働き世帯の父親が、組織の舵取りを担うステージに入った時には、リアルな経験をもとにニーズに応じた方向に大きく進む気がする。

 

しかし、超個人的に考えて、そのような明るい将来を想像している時点で、自分がかなり追い詰まっていることを実感する。

 

一時期、あまりに長時間の通勤が辛くなったので、都内の職場の近くに引っ越そうと思った。

 

しかし、保育園の空きがない。完全に詰んだ。

 

やはり、長時間の通勤に耐えるしかない。通勤だけでヘトヘトになり、時間の制約の中で仕事をして帰宅し、家庭のこともやる。

 

保育園ママと話をすると、幼稚園ママの方が強いのだそうだ。

 

しかし、私感だが、保育園パパは幼稚園パパよりも強いと思う。戦うとかそんな意味ではなくて、打たれ強いはずだ。

 

幼稚園パパには幼稚園パパの苦労があるのだろうけれど、保育園パパのメンタルの削れ具合はすごいと思う。

 

妻からのハードヒットの回数は幼稚園パパよりも保育園パパの方が多いと思う。

 

共働き世帯で離婚するというのは珍しくないと思うけれど、確かに、夫婦喧嘩の回数とか、夫であること、父親であることに疲れきってしまうのかもしれない。

 

それでも自分は生きる。どうしてこうなったのかなんて考えていられない。

 

職場と家庭で心身ともに削れる育児ライフを送りつつ、それではメンタルがもたないということでロードバイクを趣味にしているわけだ。

  

ということで、繰り返しになるが、HINODE DADZMのサイトの契約を更新するか否か、非常に悩む。6月に入ってから全くブログ記事を書けていない。

 

そもそも、このサイトを維持し、更新する意味は何なのか? 別に情報を発信したところで、自分にとって何かメリットがあるのだろうか。

 

ネット上に情報が掲載されていて、それが役に立つ情報であったとしても、情報を発信した人に感謝するようなことはないことだろう。

 

HINODE DADZMのように必ずしも役に立たない情報の場合にはなおさら感謝などない。

 

しかし、色々と考えたけれど、契約を更新することにした。

 

このサイトの記事には、別に今すぐ消しても後悔しない内容も結構ある。しかし、どうしても消せない情報や、消してはいけない情報もある。

 

たくさんの方々にご教示頂いたり、情報を紹介させて頂いた記事もある。開園当時の日の出保育園や周りの姿を撮影した写真等は、このサイトでしか閲覧できなかったりもする。

  

しかし、元々、このサイトは保育園の一部の父親同士で情報を共有するためのものだった。

 

突き詰めれば、複雑な保護者同士の人間関係から自分達の世帯を守るためのプロテクションとしての意味合いもあった。

 

父親が延々とブログを更新していたら、面倒臭くてからんでこないだろうと。

 

独身の方々、これからお子さんが産まれるご夫婦の方々から見れば、口にふくんだコーヒーを吹きだしそうな表現かもしれない。

 

けれど、保育園や幼稚園、小学校などの保護者関係に悩み、精神の健康を損ねてしまうことは珍しくない。

  

とある自治体では、母親が自殺するような悲劇まで起こったが、プライベートな場での人間関係というのは非常に重い。頭の上に晴れることのない雨雲が乗った気分になる。

 

その街が嫌なら引越せばいいと思えども、自宅を構えたり、子供が園や学校に通い始めると身動きがとれなかったりもする。その場所で我慢するしかないことも多い。

  

一般論としては、共働きの世帯の場合には父親が園や学校の保護者関係に引っ張り込まれることも増えたのではなかろうか。

  

サイトを立ち上げた当初は色々なことがあった気がするが、もう忘れた。今から考えれば狭い世界での話だったと思う。

 

HINODE DADZMのサイトのアクセス数が、浦安市の子育てポータルサイトのアクセス数を上回った頃から、何だか周囲が静かになった。

 

同時に、このサイトは、できるだけ多くの保護者にとって何らかのメリットがあるように構成を変えていく結果となった。

 

あまりに間が抜けた内容だと浦安全体の父親のブランドに傷がつくと思い、少し高尚に見える記事を書くこともあった。

 

実際にメリットがあるのかどうかは分からないが、努力はしているつもりだ。

 

このようなサイトというのは、見方によっては便利な情報伝達のツールなのかもしれない。震災等において子供達や市民の安全を脅かす事態が生じた時、コメント機能を使用すれば立派な掲示板になる。

 

画像のアップロードも大容量だ。

 

普段のPTA活動でも役に立つかもしれない。全ての書類を印刷して各世帯に配布しなくても、スマートフォンで資料を閲覧することもできるし、パスワードによる保護をかければ、アンケートのようなことも可能だと思う。

 

しかし、あまりにネット上で浦安のことを深く考えると「あのお父さん、市長とか市議会議員にでも立候補するのよ」と根も葉もない噂を流されるかもしれないので、その辺も気を遣う。

 

何かと絡んでくる人も浦安にいなくもないわけで、ブログをやっていると本当に面倒だと思ったりもした。

 

政治家も大切な職業だと思うけれど、自分にはそのつもりが全くないし、無理な話だ。

 

それと、内容があまりに偏ってしまうとソレはソレでアレだ。

 

濱嘉之さんの警察小説に書かれていた「不偏不党 公平中正」という原則がとても素晴らしいと感じたが、確かに多くの保護者が訪れるサイトというのは、色々な意味でそうあるべきだと思った。

 

とはいえ、夜中に書きためているコンテンツの完成度に期待できるはずもなく、ほとんどがネット上のデブリになってしまった。

 

情けないので頻繁に記事を書いては消し、書いては消しの繰り返し。

 

アクセス数を稼ぐことができる記事であっても、保護者にとってあまり意味がないと判断した時にはバッサリと削除した。

 

浦安に関係する内容について記事を書こうとして気になったことがあった。

 

浦安市の課題について書いたりすると、それに反論するかのような情報が他者によってネット上にアップされることだった。

 

自分は浦安という街が好きだけれど、課題に蓋をして全て称賛するつもりはない。課題を解決した向こう側には、より良い街の姿があるからだ。

 

課題に蓋をしているだけでは、現状が維持されるだけだ。

 

どういった人達がそのような行動をとっているのか調べたり、相関図による解析をやってみると、実は、浦安市内で仕事をしている人達がほとんどで、しかも所々で繋がっていたりもした。

 

つまり、ネットで情報を発信することで、それが仕事であり、利益と繋がる形になっているのではないかと思った。 

 

ネットをビジネスとして使うことは当然の世の中ではあるけれど、ネットの黎明期にパソコン通信や掲示板で意見を交換していた自分としては、何だか悲しい気持ちにもなった。

 

本当に街作りを考えるのであれば、浦安という街のメリットとデメリットを把握した上で、個々がどのように考えているのかを知り合うことが大切ではなかろうか。

 

しかし、日本全体から様々な子育て世代が引っ越してくる浦安という街では、市民全体において、必ずしも浦安への帰属意識が確立しているとは思えない。

 

地方で生まれ育った人が、生まれ故郷で職を得て、伴侶と出会い、子供を育てるような流れであれば、その街のことに深い関心があることだろう。

 

実は、先ほどのご当地ブロガーの皆さんのご出身を調べてみると、浦安出身者が多かったりもする。だからこそ、浦安について熱くなってしまうのかもしれない。

 

それはビジネスとしての執着心というよりは、故郷である浦安という街へのプライドであったり、浦安市民としての帰属意識なのではないかと後になって思った。

 

しかし、自分も含めて他の自治体から転入してきた浦安市民の場合には、あまり浦安という街のことを知らない、もしくは浦安を我が街として深く意識する機会が少ないのではなかろうか。

 

そういった印象は、理論づけられた根拠がある全体論というよりも、自分自身の経験に基づいた個人的な感想だ。

 

浦安は、自分の子供達の生まれ故郷であり、自分はこの街で子供を育てている。しかし、自分にとっての浦安には故郷のような気持ちが湧いてこないし、何か冷めたところがある。

 

子供が成長するタイミングに合わせて、自分も浦安のことをもっとより深く学び、浦安市民としての意識を高めていきたいと感じた。 

 

しばらくすると、個々のコンテンツに応じて、アクセスしてくるエリアに特徴が認められるようになった。浦安市もしくは近隣の自治体、首都圏全体、そして、日本全体。

 

浦安市周辺からのアクセスの場合にはご当地ネタや保育の話のアクセスが多い。

 

首都圏全体で見ると、浦安市の保活や待機児童に関心がある人が多いようだ。サイクリングについての情報を得たい人達もこのエリアだ。

 

そして、日本全体からのアクセスについて眺めてみると、かなり神妙になってしまった。

 

どういった内容にアクセスが集まるのかというと、保護者が子育てをする中で本当に困っていること、本当に悩んでいること、すなわち「心」に関係するようなテーマが多い。

 

ネット検索で、「父親 疲れた」で検索するだけで、HINODE DADZMのサイトがヒットする。

 

大した記事ではないのだけれど、メンタルを痛めてしまって立ち尽くしたお父さんが、うちのサイトのネットカフェとか、自分自身の父としての苦悩を書き連ねた記事を見て、回復に向かったことがあった。

 

それは一度や二度ではない。

 

一人目のお父さんからの感謝のメッセージは本当に嬉しかった。そのお父さんの奥さんやお子さんの生活もかかっているのだから、良いことをしたと思った。

 

しかし、二人目、三人目と感謝のメッセージが届くと、さすがに嬉しさを通り越して、今の日本の父親像は大丈夫なのかと不安になった。

 

イクメンやワークライフバランスが大切にされようとしている現在、仕事と家庭の間で消耗している父親達がもの凄く多いのではないかと。

 

時には、大手新聞社の記者さんからも問い合わせを頂いたことがあった。自分が思ったよりも元気で消耗していなかったからなのか、それ以上の取材の話が進展することはなかったけれど、「そう、そうなんですよ!」と。立場も職場も違うのに、同じ父親として感じていることが同じだったことに驚いた。

  

保育施設の不足に苦しむお母さんたちからのアクセスも結構ある。一時期、保育園落ちたというブログが注目されていたが、それよりずっと前に自分の世帯は保育園の受け入れを断られたことがあった。

 

無認可の保育園に子供を預け、妻の職を維持したこともあった。そういったエピソードというのは、実にリアルなわけだし、日本全国の都市部の保護者が見ても共感するのかもしれない。

 

また、シラミについてのコンテンツも消せないと思った。

 

もちろん、良く似たサイトはたくさんあるわけだけど、HINODE DADZMの場合には、日本で有名なシラミ駆除チームを有しているソルドジャパンの社長さんや、シラミの専門家の方々にもご意見を頂きながらコンテンツを作成した。

 

そのシラミの記事にアクセスしてくる人達の時間帯を見ると、なんだか心が苦しくなる時がある。深夜の2時とか3時に全ての関連記事をチェックしている人が結構いる。

 

アクセスしているのは、子供がシラミをもらってきて、どうしたらよいのか煮詰まってしまったお母さんなのではないかと思った。

 

ソルドジャパンの社長の越智さんは子育てが一段落したママさんなのだけれど、シラミに関する相談に無料で対応してくださっている。

 

コンサルテーションとしての料金設定をすればソルドジャパンの利益になるのだろうけれど、電話相談は無料だ。これは、子育て支援の一環とも受け取れる。

 

越智さんの電話には、シラミの対応で困り果てたり、子供が責められて辛い目に遭ったり、保護者同士の人間関係にまで発展して辛くなった母親達からの声が届くそうだ。

 

シラミがきっかけではあるけれど、越智さんに優しく話をしてもらって、子育て全体の苦悩が噴き出して、泣き出してしまうお母さんもいるそうだ。

 

そんな時、遠く離れた街で、子供のシラミを取ろうと四苦八苦した自分のエピソードというのは、少しは意味があるのかもしれないと思った。

 

微笑ましいエピソードもたくさんあった。

 

炎天下で、自分の子供達を遊ばせる場所が少なくて困っていたら、同じ保育園のお父さんから、「うちの子供達はプールで水遊びをしているよ。アレ、お勧めだよ」と教わった。

 

彼は、自分から見て殿上人のようなカッコいいパパだ。仕事をバリバリとこなして高級マンションに居を構え、しかも礼儀正しく人に接し、さらには保育園の送りも迎えもこなす。

 

彼はプライベートもカッコいい。明海の丘公園で子供を遊ばせていたら、お声掛け頂いて振り向くと、そのお父さんがボーダーの格好をして笑顔で手を振っていた。

 

彼は、若者と一緒にスケートボードを楽しみ、華麗なターンを披露し、路面を滑走し、空中を舞っていた。

 

彼は、身なりも上品かつお洒落で大人の男の色香が漂い、その場所にいるだけで全体の雰囲気が落ち着き、明るくなる。

 

ちなみに、うちの妻は、カッコいいパパを見かけるたびに、「たぶんね、あのお父さん、アパレル系よ♪」と勝手に想像する癖がある。

 

自分が哀れに感じるので、想像するのは勝手だが口に出すのはやめてほしい。

 

自分はどのようなイメージなのかと妻に尋ねると、「まあ、目つきからして、普通の人じゃないわよね」と言われるだろうから質問しないことにしている。

 

そして、そのお父さんに、「プール? どこのプールですか?」と尋ねると、ニコニコとしながら、一言、「ベランダ」という返事が返ってきた。

 

HINODE DADZMのサイトは、「プール ベランダ 水」といった検索キーワードですぐにヒットするし、夏場になるとベランダプールのことを知りたい日本全国の保護者の皆さんから猛烈なアクセスがある。

 

少し地味なキラーコンテンツとも言うべき記事は、自分が出会ったお父さんのアドバイスから生まれた受け売りだったりもした。情報源であるカッコいいパパさんからの承諾は得ていない。

 

このアクセス数から考えると、かなりの数の保護者の皆さんがうちのサイトを見ていると思う。日本全国でたくさんの子供達が笑顔でチャプチャプと水と遊んでいるかもしれない。

 

それと、浦安市役所を含めた地方行政に関わる人達もHINODE DADZMのサイトを見てくれていたりもする。市の課題について書いたりすると神妙になったり、逆に浦安市に何かを感謝すると喜んでくれたりもする。

 

浦安市役所には、チームウラシマという自主研究グループがあって、そのリーダーの小泉さんは、浦安市が誇るスーパー公務員だと思う。

 

彼をハブにして色々な人のことを知ったのだけれど、浦安市役所の中には中堅や若手を中心としてかなりの実力を持った優秀な職員が多いと思った。

 

逆に、今の浦安の行政は、彼ら、彼女らのポテンシャルを最大限に引き出せるような仕組みになっているとは言い切れず、組織疲労を生じている印象もあった。

 

いや、組織疲労というよりも、埋め立てや居住区の拡大に伴う街の発展があまりに早く、浦安市という組織が必死になって変化に追いつこうと苦しんでいる気がする。

 

完璧な組織はこの世に存在しないだろうし、課題がない組織というのは伸びることもできないと思う。

 

裏を返せば、浦安の行政におけるシステムの課題を改善して、職員のポテンシャルをより発揮できる環境が整えば、この街はもっと良くなるはずだ。

 

そういったことを市役所の職員が口に出せるのかというと、おそらく小泉さん以外は無理だと思った。

 

市職員の本音を市民がネットで発信することは、角が立たないように配慮すればという条件ではあるけれど、大切なことだと思う。

 

それは、市民からの労いの言葉であったり、感謝であったり、応援をもらう上でも大切だし、市と市民が協働する上で重要なエレメントになってくる気がする。

 

一番驚いたのは、静岡県の浜松市の市長さんが、HINODE DADZMのサイトをご覧になって、「広報はままつ」にHINODE DADZMと思しき浦安のブロガーが登場し、その広報誌が膨大な数の世帯に配布されたことだった。

 

この記事は、今でも浜松市の公式サイトの市長コラムにおいて紹介され続けている。

 

浦安の市民ブロガーが、政令指定都市の広報誌にフィーチャーされるというのは凄い話だし、浜名湖なみのノリの良さに感動した。

 

その自治体に住んでいるブロガーが行政について論じると、その背景に何かあるのではないかと勘ぐってしまいかねないけれど、何も関係がない、遠く離れた自治体の保護者がレビューをするのだから、確かにニュートラルだと思う。

 

また、浦安市内で過去に交通事故に巻き込まれて亡くなった子供達の話も、絶対に消せないサイトの一部だ。交通事故でお子さんを失った方からメッセージをいただくこともある。

 

交通事故というのは突発的な事象という側面があるけれど、実際に親になってみると、必ずしもそうではないと感じる。

 

むしろ、危険性が指摘されていたにも関わらず、地方行政が動かなかったがために子供が事故に遭うというケースが多いのではなかろうか。

 

今の浦安市の交通安全課等の対応を見る限り、確かに十分な取り組みがなされているとは思えない。もちろん、彼らとしても努力を続けているのだけれど、どこか他人事のような印象を受ける。

 

ということで、交通安全課がパブリックコメントを募集していたのでコメントを送ってみた。しばらくすると返答が公開されていたが、やはり何か真剣さが足りない気がした。まだまだ足りないようだ。

 

浦安市役所は総じて丁寧で、優しくて、気さくな感じなのだけれど、交通安全課に対してはクールだ。

 

こうやって振り返ると、たった2年間で、数えきれないエピソードがあった。

 

ツイッターやフェイスブックといったSNSと比べると、ブログというのは余程のことがない限り、もしくはリンク機能があるサービスを利用しない限り、閲覧者からのレスポンスがない。

  

ブログというのは、実に地味だと思う。ビジネスの一環として運営する分にはメリットがあるのだが、趣味として運営する分には、まさにネット上の日記であったり、覚書程度の意義になってしまうのかもしれない。

 

しかし、センチメンタルに表現すれば、自分が経験したこと、自分が感じたことを小瓶に詰めてネットの情報の海に流し、どこかで誰かが受け取ってくれると思えば、何だか素敵なことかもしれない。

  

そして、このブログを続けてきて、自分にとって何かメリットはあったのだろうかと振り返ると、十分なメリットがあった。

 

ブログ記事を書こうとすると、どうしてもネット上の情報だけでは足りない。様々な方々に出会って、リアルな状態でお話をお聞きすることがある。

 

老若男女問わず、浦安について幅広い情報を学ぶことができた。おそらくだが、ネット上で知りうる浦安の情報というのは、全体の半分にも満たない気がする。

  

ネットでは得られない、リアルな関係だからこそ知りうる浦安の情報がたくさん存在していることを知って感動した。

 

それらは、「へぇ、ココとココがこうなっているのね」とか、「へぇ、コレにはこういう事情があったのね」という興味深い情報もなくはないけれど、別に浦安の裏情報とか暴露ネタというわけではない。

 

自分達の世帯の生活というのは、想像以上に多くの方々の貢献によって支えられていることに気づく。

  

それと、ブログというのは、自分の家族にとっても面白いことなのかもしれない。

 

夫婦であっても、お互いに考えていることを全て理解できているとは思えない。口に出すと喧嘩になるけれど、文章にすると落ち着いて読めるという内容もある。

 

また、自分を育ててくれた父の姿というのは、あくまで自分から見た情報なわけだ。アルバムの写真等で振り返ることはできても、その当時、父がどのようなことを考え、どのようなことを感じていたのかを知ることは難しい。

 

日記でも書き続けていれば話は別だが、そういった情報というのは、多くがアウトプットされることもなく、父の脳にだけ保存され、そのまま時間とともに消え去ってしまうことだろう。

 

自分の子供達が、自分のブログを読むことができるようになるまで時間はかからないことだろう。

 

その当時は「なんだこれ?」と思うのかもしれないが、子供達が親になった時には、「ああ、そういうことなのね」と理解してくれるかもしれない。

  

ということで、今後も細々と更新を続けよう。