四十路の父親の人生を深く考えつつ、自転車に乗って一人で埼玉県まで行ってみる

 

2015年7月25日

 

こんばんは。

 

この前、荒川サイクリングロードを一人でライドしていたら、通りすがりの知らないパパさんから「このチネリ、浦安でしょ? ひので何とかってブログ、見てるよ! 最近、ロードバイクネタが少ないじゃん!?」と話しかけられて、日本は思った以上に狭いと感じたヒノデダッズムの僕です。

 

「ひので何とか」はブログの名前ではありません。

 

さて、ある時、僕は気づきました。

 

このブログからお父さんの趣味の話を省いてしまうと、ただの育児日記になりかねないということです。

 

いや、育児日記でもないぞ。

 

ということで、たまには自転車の話でもしようと思います。

 

育児中のパパというのは、何かと忙しいので、いつもは途中で折り返して早めに帰ります。

 

でも、今日は、一人で少し長めにライドをしたいなぁと思いました。

 

お気楽なイクメン日記のような文体はあまり好きじゃないので、少しシリアス調で行きましょうかね。

 

決して、メンタルを痛めているわけではありません。もともと、こういう後ろ向きな性格なのです。

 

四十路に入って思うことがあります。

 

父親の人生というのは、何気なく生活していると、まるでベルトコンベアに乗ったように前に進んでしまうなぁと。

 

朝、起きて、混み合った電車に乗って、職場に行って、色々な締切に追われたり、上司とのやりとりに疲れたり。

 

そして、混み合った電車に乗って帰ってきて、色々とお家のことをやって、自由な時間なんて、寝る前の1時間くらいかな。

 

週末の過ごし方もある程度のパターンがあって、「あれ? 俺って、この土日、なにやってたんだっけ?」という気持ちで布団に入って、再び月曜日がやってきて、、、という風に。

 

ガムシャラに仕事に打ち込んだ20代や30代とは違ったフィーリングがあります。

 

40代になると仕事にも慣れてくるけれど、若い頃には見えなかった色々なことが見えたりもします。

 

それは人それぞれなのかもしれないけれど、自分の力の限界とか、自分を取り巻く現状とか、人間関係とか、、、そういったものを客観的に見つめてしまったりもしませんか?

 

かといって、人生はすでに折り返しに入っていて、やり直しもきかない状態だったりもするわけです。

 

あと、ほら、20代や30代というのは、結婚や妻の出産、我が子との出会いという、ある意味、人生のクライマックスがあります。本当に刺激的なわけです。

 

でも、40代になってくると色々なものを背負うようになって、とにかく家族を養って、安定な生活を維持したいという気持ちが働きますよね。

 

けれど、お父さんたちの心の中には、大なり小なり「このままレールの上を進みたくない」って気持ちもあったりします。

 

その人の勝手かもしれませんが、奥さんや子どもがいるのに40代で脱サラしてしまったり、パートナーを変えてしまったりするお父さんの話は珍しくないです。

 

男性が心を痛めて疲れ切ってしまう年齢層というのも40代が多かった気がします。

 

自分の人生に疑問と諦めが生じやすい微妙なお年頃なのかもしれませんね。

 

それでは、僕なりに「幸せとは何か」と突き詰めてみますと、職場や家庭で何もトラブルがなく、ただ平凡な日々を送ることだったりもするんです。

 

そうなんです。何だか矛盾ではないけれど、相反したものが心の中にあると思いませんか?

 

でも、まあ、そういうことに悩んでいても仕方がないわけです。

 

ということで、平凡な日常に幸せを感じつつも、たまにちょっとした非日常的な変化がある状態というのが、四十路のお父さんにとって楽な心の状態なんじゃないかと思うわけです。

 

この「ちょっとした非日常的なこと」が、四十路の父親のストレスを緩和する際に重要なポイントになる気がするんですよね。

 

父親が疲れた時には、普段の生活から切り離したような状態に一人で入っていって、そこで何かを考えるというよりも、何かを感じるということで心が軽くなったりするんじゃないでしょうか。

 

僕の場合には、ネットカフェに行ってひたすら漫画を読むとか、自転車で知らない場所に行ってボーっとするとか。

 

この日は、ネカフェというよりも、思いっきり運動したい気分です。

 

前日に妻に相談したら「好きなだけ走ってきて構わないわよ」という、ありがたい返事でした。

 

ということで、途中まで友達と荒川サイクリングロードを走って、途中から適当にブラブラと走ることにしました。

 

朝6時に浦安を出発して、荒川サイクリングロードを走って東京都へ。

 

お友達は途中で引き返して浦安に帰りました。

 

僕は、上流に向かって進みます。

 

浦安の日の出地区から往復70km地点の岩渕水門を抜けて、空を見上げると、綿あめのような雲がたくさんです。


何だかリラックスしてきました。


ゴルフの練習場で思いっきりボールを飛ばしているお父さんたち。


こういうリラックスの方法もあるんだと勉強になりました。


言い忘れました。大して上手くもない写真ですが、何か気に入った写真があれば、高解像度版を差し上げますので、ご一報頂けるとうれしいです。


浦安の場合は、川がコンクリートで囲まれていますが、荒川沿いはこのようにフラットです。


たまに、川岸でのんびりと釣り糸をたらしているオジさんに出会えたりします。


荒川の上流に向かって右岸をひたすら走り続けると、朝霞水門が見えてきます。


埼玉県です。


朝霞水門を抜けて、さらに走ります。


秋ヶ瀬取水堰が見えてきました。埼玉県の志木市にあります。


僕は、この付近の田んぼを見るのがとても好きです。


僕の故郷には田んぼがあり、子供の頃はよく遊んでいました。浦安には、体験用の田んぼみたいな場所がありますが、やはり本物は違います。


秋ヶ瀬取水堰を通り越して、ノープランで走ることにします。


とても大きな木が見えてきました。


一人でサイクリングに行く楽しさは、途中でふと足を止めて、気に入った風景を眺めることだと思います。


何だかよく分かりませんが、この木の周辺って、すごく絵になる気がしました。


以前、映画のワンシーンでこのような光景を見たことがあった気がします。


稲が元気に育っていました。


田んぼを眺めると、何かがいました。


オタマジャクシです。


たくさん泳いでいたのですが、カメラを向けるとサッと逃げてしまいます。


一匹だけ、フレンドリーなオタマジャクシくんがいたので、記念撮影。


忘れていました。この付近の道路は、等間隔で路面にデコボコがつけられていて、ロードバイクで走るには厳しいと感じるかもしれません。


僕は、ライドに行く時にスマートフォンを持ち歩かない人です。


自転車用のナビゲーションも取り付けていません。まさに、風まかせで進みます。


何だか街中に行きたくなったので、周辺をブラブラ(といっても時速30~35kmくらいで走っています)することにしました。


その前に、お腹が空いてきました。サイクリングというのは、想像以上にカロリーの消費が激しいんですよね。


ハンガーノックを起こしてフラフラになっちゃうローディがいるくらいです。


僕のお気に入りは、こちらのようかんです。カロリーメイトよりも吸収が早くて、自転車に乗りながらでも気楽に食べることができます。


街中を一通り走ったあとで、もう一度、河川敷に入ります。すでに、自分がどこを走っているのか分かりません。


あははは。


一度も来たこともない場所。そこには、自分が知らないたくさんの人たちが住んでいて、一つひとつの家庭には、それぞれのドラマがあるんですよね。


男の人と女の人がふとした縁で出会って、結婚して、マイホームを持って、子供が産まれて。


そして、子供が育って、家を出て自立して、そこから新しい家庭ができて。


「そうか、これでいいのだ!」と何かを悟りました。


とにかく、無心でペダルをこいで、目の前の道を進みます。


サイクリングというのは不思議なもので、最初の1時間を超えると、どこまでも行けそうな気分になれたりもします。


ロードバイクに乗り始めた頃は、お尻とか腰とか首が痛かったりもしましたが、身体にフィットするようにポジションを調整すると、ママチャリよりもずっと楽なんですよね。


大空にラジコン飛行機をとばしているお父さんがいらっしゃいました。素敵なご趣味ですよね。


ふと、自転車を止めて、その姿をボーっと眺めます。


すでに片道60kmくらいを超えました。

 

不思議なんですが、心を空っぽにして走り続けていると、今まで頭に乗っかっていた霧が「サーッ」と晴れてきます。

 

この感覚は、ロードバイクの魅力の一つだと思います。

 

それと、一つのテーマを決めて、走りながら考えたり、無心になったりを繰り返すと、気持ちを整理できたりもします。

 

今日のお題は「父親の人生で何が大切か?」というヘビーなテーマだったわけですが、「家族をきちんと養って守っていくこと」という、ありきたりの結論に至りました。


マンネリなレールの上を走っている感覚というのは、実は、トラブルのない幸せな状態と表裏一体になっているんじゃないかと。

 

一体、僕は、サイクリングをしながら何を考えているんだろうと思いました。

 

続けます。

 

では、四十路に入って、平凡な日常を送ることに何となく焦りや不安や諦めを感じるというのはどうしてなのかと考えてみました。

 

結局のところ、自分の老いというか、人生の終着点をリアルに感じられるようになってきたからなのかもしれませんね。


しかも、電車で表現すると路線の乗り換えもできないくらいのステージに入っていたりもするわけです。


四十路のお父さんたちには、そういった状態に焦りとか、葛藤とか、虚無感とかを感じることもあるかもしれませんね。


でも、ほら、攻殻機動隊の荒巻部長さんだってこう言ってましたよ。


「人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」


って。


「父親ってなんだ?」と突き詰めて考えてみれば、定年まで仕事を勤め上げながら、家族を養い、夫婦で連れ添い、子供を社会に送り出し、孫の世代まで命を繋げることができれば、父親の人生としてはそれで十分なんじゃないかと思いました。


あとは、疲れ切ってしまいわないように、適度に息抜きをして。

 

そういえば、自分が思春期の頃、毎日変わらないような生活をしている父親の背中を見て、「親父の人生は何が楽しいのか?」と思ったりもしました。


けれど、父親としてはそれが正しい姿だったんだなぁと、今になってそう感じます。

 

僕が見た団塊世代の父親の姿というのは、仕事を中心として必死に働きましたよね。

 

では、団塊ジュニアの僕たちを取り巻く社会はどうなのか?

 

ワークライフバランスの大切さが広がったり、イクメンという言葉まで浸透しています。

 

僕たちを育てた団塊世代の父親たちとは違う、新しい父親の姿を追いかけている気がするんですよ。

 

それを普通に受け取れる人もいれば、抵抗がある人もいます。

 

家事や育児を奥さんに丸投げするのは良くないとは思いますが、当時の団塊世代の父親たちは、一家の大黒柱としてのプレッシャーを受けながら、ギリギリのラインで頑張っていたような気がするんです。

 

その証拠に、定年退職した団塊世代のお父さんたちって、仕事というプレッシャーから解放されて自由になったのに、何だか幸福そうに見えなかったりします。


あくまで私感なんですけどね。


必死に仕事に打ち込んできて、リタイアしたら職場以外の親しい友達も少なくて、これから何をすればいいんだよって悩んでいたりしませんか?


リタイアしたお父さんたちって、食事が終わった後の皿洗いをやっていたり、一生懸命に家事をやっていたりしませんか?


奥さんからの当たりが強くなって、背中が小さく見えたり。


つまり、団塊世代のお父さんたちを支えた奥さんたちって、男性が偉いと思うから支えていたのかというとそうでもなくて、一家の大黒柱としてのお父さんが潰れたら、その先の家庭全体の生活が大変なことになるという理由があった気がするんですよ。


なので、「昔の家庭の姿や父親像は、全て間違っていた」みたいな風潮が広がるのは、何だか違うと思うんですよ。

 

あと、ワークライフバランスや、父親の家事や育児について頑張っているオピニオンリーダーたちの背景を調べてみると、自分の職場でのスケジュールをある程度、自分でコントロールできる人が多いと思います。


でも、大多数の父親はそうじゃありませんから。


例えば、父親が育休をとるとして、その間の世帯の収入はどうするんですか?


それがきっかけで出世が遅れて、世帯収入が減ったとして、本当にそれが幸せだと思えますか?


、、、といった悩みだって、今のお父さんたちにはあると思うんです。


だって、イクメンとかワークライフバランスといった話は、その父親自身で全て何とかなる話じゃないですし。


職場が変わらないと始まらないと思います。


それと、今の父親の労働環境を昔と比べてみると、あくまでイメージですが、楽になったとは思えないんです。


ノルマと競争がある成果主義とか、結果が出ないと仕事を続けることさえできなくなるような雇用条件とか、人員削減による業務負荷の増大とか。


サービス残業とか、休日出勤なんてことも珍しくないと思います。


昔と比べて楽になっていない状況で、父親に対して「ワークライフバランスが大切だから仕事を切り上げましょう!」とか、「イクメンになりましょう。仕事で疲れていても育児や家事をやりましょう!」とか、「わたしも働いてるのよ! わたしの方が大変なのよ!」とプレッシャーをかけてしまうとどうなるか?


男性って、あまりストレスには強くない気がするんです。


40代くらいの微妙なお年頃で、働き盛りの父親がメンタルを壊して働けなくなった話はよくあります。


心の不調というのは、ある日、突然やってきますし、骨折とかギックリ腰とかと違って、確実に完治する時期さえもはっきりしなかったりしますよね。


その間、3ヶ月とか半年といった長い期間、休職をすれば、その間の家庭の収入は大きく落ち込むことになると思います。


そこから急に元気になればいいですが、転職したり、再発したりといった話も耳にします。


そういえば、自分が父親になる前、「ツレがうつになりまして。」というドラマを見て、「へぇ~、そんなこともあるんだね」と思ったことがありました。 


けれど、リアルな話を耳にするたびに、どうやってストレスを抜くかということを意識するようになりました。


ちなみに、ツレウツの舞台って、浦安市だった気がします。


そう考えてみますと、昭和の母親たちが父親たちを立てていたように感じたのは、父親ができるだけ元気な状態で働けるように、少し恐い表現をすれば、ベストパフォーマンスで稼がせるような生活の知恵だったんじゃないかと思えたりもするんです。


リタイアした団塊世代の父親の姿を見る度にそう思います。


あと、保育園の保護者会とかに参加すると、浦安の元町エリアのお母さんたちって、お父さんたちに優しいなぁと思ったりします。


「うちの主人は仕事で疲れているから、土日は保護者会とかに参加せずに、ゆっくり休んでほしいんです」と平気で言っていたママさんがたくさんいました。


古風と言えば古風だし、イクメンの風潮とは逆行していると思われるかもしれないけれど、最近のストレス社会とか四十路の父親の気持ちを考えると、それなりにスゲーと思ったりもします。


浦安の新町エリアだと、そういう感じじゃない気がするんですよ。イクメンが普通な感覚があったりします。


そして、「四十路の父親にとって何が大切か?」を突き詰めて考えてみますと、結局のところ「自分が潰れないように気を付けながら、コツコツと仕事を続けて家庭を守る」という点なんじゃないかと思いました。


その点では、昔と今の父親で、そんなに変わっちゃいない気もしますね。


荒川を走っているローディならすぐに理解できると思いますが、向かい風の中でもしっかりとハンドルを握り、たまにボトルで水分を補給したり、ハンガーノックに気を付けながら、ケイデンス90くらいを維持して無心でペダルを漕ぐ感じです。


知らない人には細かすぎて伝わりませんね。

 

そうやって、つれづれなるままに思考を重ねて走り続けて気付きました。

 

ナビがないので、一体、自分がどこにいるのか分かりません。

 

とりあえず、何かを飲もうと思いまして、民家の近くにあった自販機に小銭を、、、、小銭を、、、家に忘れてきました。


仕方なく、サドルバッグをモゾモゾと探りながら、千円札を取り出します。


すると、近くのお宅から見知らぬお父さんがやってきました。


不審者だと思われているのかなと思ったら、すっごくフレンドリーでした。


若い頃にサイクリストだったそうで、スポーツ自転車の今昔について勉強になるお話をお聞きできました。


それと、「ここは埼玉県の大宮で、、、埼玉県の地理というのはこういう感じで、、、雰囲気はこういう感じで、、、最近はロードバイクが増えて、、、」と、すごく丁寧にお教えくださいました。


そう、少し時間は短いのですが、一人旅に来て、その土地の人と気楽に話をしている感じでした。


そうそう、浦安から遠出をする時に千葉県の方面と埼玉県の方面で迷ったら、埼玉県をおすすめします。


千葉県の房総の方で「浦安から来ました!」と話すと、なぜかアウェイな感じがありました。


もしかして、浦安って、同じ千葉県の人たちからあまり良く思われていないのだろうか?


一方、埼玉県に来て「浦安から来ました!」と話すと、「おお! 浦安か!?」と歓迎されたりもしました。


以前、江戸川沿いを走って埼玉県の春日部市に行った時も、地元の方がすごく優しかったことを思い出しました。


「最近のロード自転車はカーボンなんだな。俺が乗ってたころは、みんな鉄のフレームだったよ」

 

せっかくなので、僕のサンダーストラック号と記念撮影。

 

ご本人のご承諾を頂きましたので、このページでご紹介します。


何気なく道を進んで、ふとした偶然でどこかの場所にたどりついて、そこで温かな言葉をかけてもらって、励ましてもらったり。

 

そういうのって、すっごく素敵ですよね。

 

それと、こちらのお父さんのように、昔のことを楽しく笑いながら話せるって素晴らしいなぁと思いました。


何となく地図もなしに走り始めたけれど、こちらのお父さんに会うために走ったのかもしれない。


あはは。何だかドラマのようです。


でも、すごく元気になりました。僕の人生の大切な1ページです。

 

楽しい時間をありがとうございました!!



(この日の走行距離は120kmでした。)